陽の堕ちる聖堂
突然、オレンジ色の光が顔に当たる。
眩しさに目を閉じたルーシャだったが、自分が置かれている状況を確かめようと瞬きで慣らしていく。
「――――ここは…………」
空間が崩れる様を目の当たりした二人は、気付けば教会の大聖堂の床に座り込んでいた。
見事なステンドグラスに反射した夕陽が、聖堂を照らしている。礼拝用の机やイスも整然と並び、装飾された床や壁も汚れなどは一切付いていない。
ここは『現実』のクラストの教会だった。
ルーシャとリィケは壁際の通路にいるようだ。
…………あれは、夢じゃ…………ない?
廃墟の町に、廃墟の教会。
精霊の泥人形とロアンという少年。
悪魔の群れに、精霊使いのルーイという男性。
そして――――
死んだ妻にそっくりな『金色の瞳』の女性。
「夢じゃ……ない」
自らの確認のために口に出す。
ルーシャの左手に白いヴェールが握られている。
あの女性を正面から間近で見た際に、ルーシャが無意識に取ってしまった。
無意識とはいっても、ルーシャは一目見て、彼女がレイラと背格好が同じだと気付いた。そのため、無性に顔を見てみたくなったのだ。
――――まさか、顔が同じ…………悪魔なんて……。
泣きたいのに笑いそうになった。
“金色の瞳”
これは、この国では人間ではなく、上級の悪魔か最上級である【魔王階級】だということを意味する。
そして、それら格上の悪魔は人間を殺し、その姿を『奪う』ことを容易くやってのけるはずだ。
単純に考えれば、レイラは上級の悪魔に殺され、その悪魔がレイラに化けている、ということ。
「…………あいつが、レイラを…………? は……あははは…………」
アレが仇? 復帰した早々に向こうから現れるなんて……。
痛みが生じるほどヴェールを握り締めて、ルーシャは声だけで笑っていた。俯いた表情は目を見開き強張っている。
「あいつらを……追わないと……」
アレが仇なら、オレは――――
「お父さん…………」
ルーシャの目の前にリィケが立つ。
「…………リィケ……」
「大丈夫だよ。僕なら、ここにいるよ」
「え…………」
「どこにも行かないよ」
「何を…………」
「だから、お父さんも行かないで」
「あ………………」
リィケの声で我に返る。心配そうに覗き込む顔を見て、スウッと体から血の気が引いていった。
正面に座るリィケは、ルーシャの両腕を自分の指が食い込むくらいに掴んでいる。
顔を覗き込む瞳の色は、深く落ち着いた緑色。
――――そうだ。オレはリィケを置いて行くわけにはいかない。
五年前、自身が囚われた感覚をルーシャは覚えている。
まるで重い鎖を引きずりながら、暗闇を進まざるを得ない。その暗闇のせいで周りは見えず、行き着く先が何であるのかも分からない。
悪魔の血で染まった手を掴む者もなく、気付けば力ずくで地にねじ伏せられていた。
それほどまでに我を失っていたのだ。
――――また自分を見失ったら、リィケが危険な目に遭うかもしれない。
「ごめん……オレは、行かない……」
「うん、大丈夫」
ルーシャは自分の気持ちが、五年前に戻りかけていたことに愕然とする。
それぐらいに、心の内の闇はまだ根深い。
「…………とにかく、今あった事を報告しないと……」
ルーシャは近くにあった机にすがり大剣を杖代わりに、ふらふらと立ち上がった。証拠になるかもしれない手に持っていたヴェールは、小さくたたんで服の内ポケットに仕舞い込む。
しかし……どうやって、誰に説明すれば…………。
今起こった出来事は夢ではなかったが、場所の説明ができない。
まず、それら全てを説明するために、リィケが【サウザンドセンス】であることを言わなければならない。しかし、これを無闇に他人に言うことはできないだろう。
一度、トーラスト支部に連絡を入れて、支部長の指示を待つのが一番いい。
ルーシャは深呼吸をして、何気なく聖堂を見回した。
「…………ん?」
不意に、鼻に鉄さびの匂いが漂う。
次に机やイスの間から、床に落ちている錆びたハサミやカミソリが目に入った。
「お父さん……あれ…………」
「あ……あぁ……」
ルーシャ同様、リィケもそれを見つけたらしい。
ハサミやカミソリが落ちている床は、正面のステンドグラスと主祭壇から、外へ繋がる大扉へ伸びる中央の通路である。
まっすぐ伸びた通路には赤いビロードの絨毯が敷かれているのだが、それをさらに濃く染め上げる赤黒い部分があった。
聖堂の真ん中、絨毯の上に人間が仰向けに倒れている。
「…………これ……」
倒れていたのは、白髪の年配の男性。
白に金の刺繍が施されたローブを羽織り、その上に赤いマントを着けていた。マントにはクラストの教会の紋章が丁寧に織り込まれていて、この人物が教会の司祭だと証明している。
ルーシャが近付き首元の脈をとり、その人が息絶えているのを確認した。
「死んでる…………そんなに時間も経っていない……」
触れた首元はまだ固まっていない。おそらく、絶命してから数十分と掛かっていないだろう。
しゃがんでいるルーシャの背中に、リィケがピッタリとくっついて、恐る恐る男性の死体を覗き見る。
「お父さん……この人、人間だよね? 悪魔じゃないの?」
「いや、どう見ても人間………………」
ルーシャは言いかけてハッとした。
その死体が横たわる場所。それは廃墟の教会で異形の者が死んでいた位置と同じであったからだ。
「そんな……あれは確かに、悪魔だった……」
しかし、目の前の死体は人間である。
「あの女性が倒したのは…………」
浮かんだのは両腕を血で濡らしたレイラの姿。
――――人間を……殺した? いや、でもあの廃墟で起きたことはここでも起きるのか……?
あの空間がどういう仕組みで成り立っているのか、ルーシャには理解できない。
周りに散らばるハサミなどは、あの空間ではシザーズという悪魔だったが、こちらではどうなのだろう。
倒れていた異形の者は本当は人間だったのか?
それとも、ここに倒れているのが本当は悪魔なのだろうか?
ルーシャは考えを巡らせるが、この状況をどう伝えるべきか悩んだ。
聖堂を照らしていた夕陽が弱くなり、全体が暗くなりかけていた。その時、
ドカドカドカッ! バァン!!
主祭壇の近くのドアが乱暴に開かれた。
十人ほどの僧侶が雪崩れ込むように聖堂へ入り、あっという間にルーシャたちの周りを取り囲んだ。
「これは……!? どうしたことだ!!」
囲んだ僧侶たちは皆、手に錫杖やメイスを持ち、それをルーシャたちに向けている。
「司祭長様……! なぜこんな……!?」
「お前たち!! ここで何をしていた!?」
「聖堂は鍵が掛けられていたはずなのに……どうやってここに……!?」
「ひっ……人殺し……!」
ある者は疑問を、ある者は罵倒の言葉を各々発していた。
「な……何を言って……オレたちは……!!」
「…………ルーシャ……」
僧侶たちの恐れと敵意の色が濃くなっていく。
手に大剣が握られていることから、僧侶たちはルーシャがこの司祭を殺した犯人だと思ったようだ。
僧侶たちの間から、ひとりの人物が進み出てきた。
痩せていて神経質そうな僧侶の男性。それは、夕方前にルーシャに教会から出るように促した僧侶である。
「二人を取り押さえろ! 重要参考人として聴取する!」
男性の声と共に、囲んでいた他の僧侶たちが一斉にルーシャとリィケを仗やメイスで押さえ付けた。
ルーシャは大人しくその場から動かずに宝剣を十字架に戻す。リィケもルーシャの袖を握りながらも黙っている。
「調べてもらえば分かると思うが…………オレたちはこの人には何もしていない。悪魔の姿を追っていたら、この死体があった。それだけだ……」
「それはどうですかね。とにかく、二人とも別々にお話を聴かねばなりません」
神経質そうな僧侶は冷たい視線を送ってくるが、ルーシャは嘘は言っていない。追及されれば多少誤魔化さなければならないが、トーラスト支部に連絡が入ればリィケのためにラナロアあたりが動くはずであり、すぐに無実だと解ってもらえると考えた。
もとからクラストの教会は、トーラスト支部の管理に置かれている。問題があれば必ずトーラストを通すのが決まりだ。
「すぐにトーラスト支部に連絡を…………」
「その必要はない……!」
駆け出そうとしたひとりの若い僧侶を、神経質な僧侶が止める。ルーシャの他にも数人の者が驚いた顔をした。
「…………いえ、現場を調べて状況を説明しなければなりません。第一組、あなた方はこの子を告悔室の一室に確保しておきなさい。私たちはこの青年から事の全てを聴取しなければならない」
「はい、分かりました。僧侶長!」
『第一組』も『僧侶長』もクラストの教会で独自に決めた呼名のようである。
僧侶長と呼ばれていた男性の指示で、数人がリィケをルーシャから引き離して、聖堂を出ていこうとしていた。しかし、リィケはジタバタと暴れて大人たちの手を振りほどこうとする。
「ルーシャ!!」
「大丈夫だ、リィケ! すぐに違うと分かる!」
ルーシャの言葉に泣きそうな顔をしながら、リィケは引きずられるように聖堂から連れ出されていった。
聖堂に残ったのはルーシャと僧侶長、そして僧侶が四名。
僧侶長がルーシャに顔を近付け静かに言う。
「さて……この状況の説明ですが……」
「この人を殺害したのは、オレたちじゃない……」
「えぇ、問題はそこではありません」
「何……?」
ルーシャの目の前の顔は無表情で冷めた目をしている。
「どうやって聖堂へ入った? なぜ、我々の事を嗅ぎ付けてきた?」
「っ……!?」
無表情な顔が大きく歪む。
表情が変わるとか、そういう次元ではない。
濃い褐色の肌、口が裂け異常に伸びた犬歯が覗く。
その姿は廃墟の教会で見た、異形の悪魔の死体にそっくりだった。
「悪魔……!?」
ルーシャが動こうとすると、身体に触れている錫杖に力が籠る。完全に身体の自由は奪われていた。
さらにルーシャを驚愕させたのは、僧侶長の姿を見ても自分を押さえている僧侶たちは表情ひとつ変わっていないこと。
――――まさか、ここにいる奴らは全員……!?
「……どうして、我らのことを知ったのか、式典までに吐いてもらうぞ……――――魔王殺しよ……」
「ふざけるなっ!! 誰が悪魔に――――ぐっ!?」
ゴスッと、ルーシャの首の後ろで鈍い音がする。
どうやら、背後にいた者にメイスで殴られたようだ。
まずい…………この状況は…………
ルーシャは床に倒れ込むと、痛みと同時に襲ってくる眠気に、目の前が暗くなっていくのを感じた。
「…………リィケ……レイラ……」
失くすまいと必死に抵抗を試みたが、悪魔たちの笑い声の中で、ルーシャの意識は徐々に闇に沈んでいった。