隻眼の少年
ざりっ、ざりっ、ざりっ……。
たった数歩の足音がとてもゆっくりと、リィケに向かって近付いてくる。
リィケはハッとして飛び起きると、すぐにその足音の主を視界の中に入れた。
目の前にいたのは、ひとりの人間の少年だった。
見た目の年齢は12、3才くらいで、身長はリィケより少し高い。黒い重そうな素材の衣装に白いマントを羽織っている。
「うわ…………」
その少年の顔を見た途端、リィケは思わず声をあげて、見惚れるように立ち尽くした。
…………凄く、キレイな子だぁ……。
少年の顔のパーツはひとつひとつが恐ろしく整っている。
短く揃えた黒髪で、右目の色は深紅、左目は白い眼帯。肌は色白で無表情の顔は、まるで陶器でできた人形のようだ。
男の子……だよね? でも、女の子でもいいくらい。
こういう子を“美少年”って言うんだっけ……?
イリアが見たら喜びそう……などと考えながら、リィケは黙ったまま、その隻眼の少年を凝視してしまった。
「………………」
穴の開くほど見られている当の本人も、しばらく微動だにせず立っていた。
しかし、あまりにもリィケが動かないことを不思議に思ったのか、まるで『クキン!』と音が出そうな固い動きで首を傾げる。
「…………どう、したの?」
「――――はっ!!」
たどたどしい少年の声で、リィケは我に帰った。
見惚れていたことに恥ずかしさが沸き上がってきて、慌てて後退りながら尋ねる。
「えっと、あのっ、僕は何で倒れて……」
「どろ、に……つかまるところだった……よ」
「…………どろ?」
リィケが落ち着いて周りを見ると、ここは先ほどと変わらず路地裏の空き地であることが分かった。
もしかして……泥人形に飲み込まれるところを、この子が助けてくれたのかな?
「助けて……くれたんだ……」
「………………たす、け?」
再び、首を傾げて少年はリィケをまた不思議そうに見ている。
「なにも、してない……」
「え? 違うの?」
「きみ……が、ここ、きた」
「僕が……?」
『ここ』とはこの空き地のことだろうと、リィケは思った。
しかし、空き地にいるということは移動していないということ。『来た』というのは表現がおかしい。
では、泥人形はどこに行ったのか。
「僕がここに居た時に、悪魔を追っ払ってくれたんじゃないの?」
「……? きみが、きた。ここはボクがいた……」
「???」
この少年の言うことが、リィケにはどうしても理解できない。
少年の方も上手く説明ができないのか、ポツポツと話した後に必ず首を傾げた。
リィケはもう一度、自分の記憶と少年の言うことを頭の中で並べる。
リィケは空き地で悪魔に泥人形に襲われた。
気を失って、次に気付いたら『ここ』に少年といる。
リィケが『来た』。しかし『逃げて』ない。
少年は『ここ』に居た。
あれ? じゃあ………………この子は誰?
「あの……僕、リィケっていうの。君の……名前は?」
リィケは恐る恐る少年に自己紹介をしてみた。
少年は無表情でじぃ~と、リィケを見ると、しばらくの間をおいて口を開いた。
「………………ロアン……」
名を言った後、少しだけ眉を動かしたが、それ以外は何の感情も少年からは読み取れない。リィケが黙ると、少年も言葉を発しなくなるため、お互いに無言のまま立ち尽くした。
この子、人間だよね……?
悪魔じゃないよね?
リィケは心の中で軽く身震いをする。
この空き地で、少年があまりにも不自然に見えてきた。
ロアンの服装は、その辺を歩いている子供よりも立派だ。
おそらく、それなりの家柄の子供だと思われるが、なぜこんな路地裏に居るのか?
ただ単に遊んでいた……とも考えられるが、この少年からはそんな軽い雰囲気が感じられない気がする。
とりあえずここは、空き地から出てルーシャを探すことを続行する方が良い。リィケはロアンの前から早々に立ち去ることに決めた。
「ええっと……ロアン? 僕、ちょっと戻らなきゃいけないから、じゃ……じゃあね……!」
「……………………」
リィケはロアンに手を振りながら、大通りに出る小路にそそくさと入った。
途中、後ろを振り向くと、ロアンはその場から一歩も動かず立ったままである。
「………………」
実はロアンがついてくるのでは? と、思ってしまっていたので、追ってくる様子がないことにリィケは内心ホッとした。
進んで行くと、やや道幅が広くなり前方が明るい。
「もう少し…………よし!」
最後は駆け足で小路を抜けた。
大通りは開けて明るく、人通りも多い……はずだった。
ジャリ。靴の底越しでも判るほど、踏みしめた場所は平らではない。
「――――え?」
リィケの足元の大通りの石畳は割れて、砂利が積もっていた。
大通りには、誰もいない。
それどころか、並んでいる建物の全てが苔むして蔦が絡み、壁や屋根が崩れている。
――――――人の姿のない『廃墟』の町並み。
「な……に……? 何、これ……」
町は『滅んだ』という壊れ方はしていない。まるで人間が居なくなって、何十年と経ったような……。
こんな体験を、リィケはついこの間したばかりだ。
「…………まさか、ここは……」
リィケは町の南側と思われる方を向く。遠くに協会の十字架が付いた屋根が見える。
他にも町の配置に見覚えがあるのだ。
やっぱり……。
この廃墟は紛れもなく『クラスト』の町の廃墟だった。
「宿場町に似た廃墟の町…………夢じゃなかった……」
街道でベルフェゴールに捕まった時、気が付けば立っていた『宿場町の廃墟』。正直、あれは恐怖のために気絶でもして、その時見ていた夢だと思っていた。
それと同じ、今日は『クラストの廃墟』に立っている。
「……そうだ、お父さんは……!?」
リィケは辺りにルーシャや他の人間を探す。
しかし、やはりというか、人の姿はおろか何も動くものがない。自分を取り巻く空気でさえ、動くことなく留まっている気がした。
確かあの時は……そうだ、教会に行った!
リィケはすぐに教会の屋根が見える方へ走る。近付いて行くと、リィケがしばらく座っていた広場のベンチや、町に着いた時に馬車から降りた通りを見付けた。
それらも全て、雑草が生え石畳が割れて廃墟の一部と化している。
クラストの教会は大扉だけ破損し倒れていたが、外観は古い建物のままであった。
そっと中を覗き、異状がないか確認する。
大聖堂の内部は長椅子や机が倒れたり、床が埃まみれではあったが、大きな破壊の跡はない。
ただひとつ、主祭壇の台の前の床に『鉈』のような、片刃の黒い大剣が突き刺さり、その側に少し大きめのダガーナイフが転がっているのが目に入る。
しかし、それらの武器はただ床にあるだけで、特におかしな点は無いように思えた。
…………誰かに襲われたわけじゃないよね?
確認するためにびくびくとしながらも、大聖堂の中へ足を踏み入れるが、内部には誰の気配も無く、積もった埃が静かに舞い上がるだけだった。
ここへは何年も人が訪れていないように。
正面に見えるステンドグラスの大窓もそっくりそのままだ。
リィケは中心まで進み正面を見上げた。
顔に当たる光が目に飛び込んでくる。
「…………キレイ……」
非常時であるのに、それはとても美しい。
ステンドグラスの光はその色ガラスを透かし、礼拝堂全体をあらゆる色で染め上げている。
それはここへ祈りに来る人間を包むような光だ。
リィケが初めてクラストの教会に入った時は、こんなに幻想的な光景ではなかった。
やっぱり光でこんなに違う。
そういえば、僕たちが見た時はこんなに…………あれ?
ふと、ステンドグラスを見つめたまま、頭の中でルーシャから聞いたことを反芻した。
リィケはあることに気付いて、その場に凍り付く。
確か、この教会のステンドグラスは朝日が入るのが一番キレイだと、そのために計算されて建物が造られているのだろうと、ルーシャは言っていなかったか?
後ろを振り向くと、大扉のあった入り口とその上の窓から、少し早い夕方の光が入ってきていた。
視線を戻すと、主祭壇ステンドグラスからは柔らかな光が射し込んでいる。
「朝と夕方の光が入ってきてる…………」
反対の方角から同時に光が差しているのだ。
リィケとルーシャが教会に居た時は夕方前だった。
時間の経過を考えると、いくら空き地で気絶していても夜が明けるほど寝てはいないはずだ。
だとすれば、おかしいのは正面の祭壇とステンドグラス。
そう思い至ったリィケは、祭壇を見ながら後ろへ退いていく。教会の入り口へ行くまで、目を放すのが恐ろしい。
じわり。
ステンドグラスからの光が当たらない、陰の部分が濃く見えた。
朝日ならば、これから陽が高くなるので全体が明るくなる。しかし、ステンドグラスを通る光は先ほどよりも低くなっているのだ。
逆光でステンドグラス以外がシルエットになっていく。
リィケの気のせいではなく、足元の床は光の恩恵から外れどんどん闇に染まっていった。
――――これ、まずいんじゃ……出口は……。
少し後ろの出入口を視界に入れて、退路が確保されているのに安心する。
このまま……外へ出て――――
リィケがホッとした瞬間、ステンドグラスの前、主祭壇の上に小さな影が立つ。
「えっ…………」
そのシルエットに見覚えがあった。
鮮やかな光を受けながら祭壇から床へ降りた影は、ゆっくりとリィケの近くまで歩いてくる。
「…………ロアン……」
「………………おぼえて……た?」
忘れるわけがない。ついさっき、空き地で会った少年だ。
だが、この少年はいつリィケを追い抜かし、教会に入って来たのだろうか。
礼拝堂に来るためには、外からの大扉か内部からの通路を通る。しかし、奥にある内部通路へのドアは倒れた机やイスで塞がれ、ロアンがそこを通った形跡はない。
床に積もった埃にも、リィケへ近付いてくる『今の』ロアンの足跡だけである。
「……君は……何……?」
「……………………」
ロアンは悪魔や、ましてや【魔王階級】のような存在には思えない。
姿も気配も人間だ。
「ここは……クラストの町なの……?」
「……………………」
黙ったまま、ロアンは音もなく近付いてくる。
「う……ぁ……」
ドン、と後退ったリィケは横倒しになった机にぶつかった。
ロアンの紅い右の瞳が、まるでリィケをその場に縫い付けるように、じっと見つめてきている。
「………………」
スゥッ……と、ロアンは両方の腕を差し出すように上げて、その両手のひらでリィケの頬を包んだ。
「――――――なっ……!?」
リィケは思わず声をあげてロアンの腕を払う。
払った時の、バシン! という大きな音にリィケの方が驚き、バランスを崩してその場にしりもちをついて倒れ込んだ。
「………………」
変わらずロアンは無言のままだが、リィケを触った両手を合わせたり握ったりしている。どうやら、手に残った感触を確かめているようだ。
リィケの頬にもそれは残った。
――――まず、感じたのは『冷たい』という感触。それから、全身に『悪寒』というのが走ったと思われる。
リィケの人形の身体に『触感と温度』が伝わったのだ。
何……これ。同じ感覚なのに……ミルズナさんとは違う。
床に座り込むリィケの前に、ロアンが膝を突き視線を同じにする。今度は片手をあげて、再びリィケの頬に触れようと腕を伸ばしてきた。
怖いと感じ、リィケが目を固く閉じた時、
『リィケ!! 居るのか!?』
「っ…………ルーシャ!?」
声は教会の外、そう遠くないところから聞こえた。