泥の住人
一瞬、耳鳴りに近い音が遠くで聞こえた気がして、ルーシャは通りで立ち止まった。
何だ……? 今、銃声みたいな音が……。
こんな町の中で銃を撃つ状況。
リィケのことが頭を過った。この町に来ている退治員で、銃を携帯している者が他に思い当たらなかったせいだが、ルーシャは不安に駆られる。
先ほど大量に精霊を見掛けたため、何かあっても不思議ではないが、戦闘になるような精霊とも思えない。
あぁ、でも大量に集られたら、いくら精霊でも攻撃するかも……。
ルーシャは頭の中で、リィケが大量のヒヨコ型精霊に囲まれている姿を想像した。あれは一匹二匹なら可愛げがあるものだ。
しかし、あれだけの数が一気に押し寄せれば、相当の動物好きじゃなければちょっと不気味だろう。
他の人間は音に気付いてはいないらしい。特に何も気にする素振りはない。
「……確か、こっちの方から聞こえたような……?」
もう少し進んだ先の右手側を見るとキッチリ家が並ぶ間に、人がひとり入れそうな小路があるのが見えた。
人気の無さそうな場所だと、こういう路地裏とかだな……。
「精霊、怒ってないといいけど……」
精霊も人を攻撃することがある。それは、人間が明らかに悪い場合が多く『お仕置き』されるのだ。
もし、リィケが銃を撃ったなら、余程の理由がない限り精霊を怒らせてしまっている。
だが、こんな町の中で騒ぎを起こすなら、たぶん精霊にも非があるだろう。しかし、彼らは自分のルールで動き、自分たちに非礼を働いたと思えば敵対してくるのだ。ある意味、悪魔よりたちが悪い時がある。
ルーシャは細い小路を覗き込む。
微かにだが、向こうに建物の隙間でできた空き地らしきものが見えた。全体は見えないが、空き地には誰もいないように思える。
小路に入りそちらに向かう――――その時、
『オォオオオオオオッ!!』
何処からともなく何かの咆哮が聞こえた。
「――――えっ!?」
小路の石畳が空き地から大通りの方へ、ルーシャの方へ割れながら隆起し迫ってくる。
まるで巨大なモグラが石畳の下を無理矢理、突進してくるような光景であった。
「――――っ!?」
三歩手前までそれが迫った時、ルーシャは咄嗟に小路から出て横へ跳ぶ。
ドォッオオオン!!
それが大通りに出ると同時に、爆発したように土埃を上げて飛び出してきた。
『グォオオオオオオッ!!』
「きゃああああ――――っ!?」
「うわあああっ!!」
「な、なんだコレは!?」
突然のことに通行人はパニックを起こすか、路の真ん中に立ち尽くしているか。
ルーシャも腰の十字架に手を掛けて、土煙の中のものの正体を確かめようとする。
「…………こいつは……」
踊るようにうねっている黒い輪郭。
周りの砂を取り込みながら進む様子で、粘性のある物質でできているのが分かる。
「『泥人形』……何で、こんな町の中に……?」
これは悪魔としては下級……むしろ、ギリギリ自然界のものを実体として持った低級の存在である。
泥人形は、本来なら沼地や湿地に生息するもので、こんな乾いた石畳の上を歩くようなものではない。
さらに、こんなに人間が多く、教会のある場所に居られる悪魔なはずはない。
それが二体。
大きさもルーシャが知る規格よりも大きい。
それを見上げる通行人が驚愕の表情で固まっていた。
いくら大通りとはいえ、近くに居られれば巻き込む恐れがある。
「みなさん、下がって! できれば建物の中へ!!」
突然のことに逃げることを忘れていた数名が、ルーシャの声で覚醒し一目散に逃げていく。
これで……周りに人は……。
「兄貴――――っ!!」
「うっ! 何で悪魔が!?」
ハーヴェ支部の退治員たちである。彼らは聖職者ではなかったが、街道での一件でスキュラから逃げることに成功しているくらいだ。物理的な攻撃力はあると思われる。
「……ちょうど良かった! 二人とも、そいつ一体を頼む!」
「はいっ! 任せてください!!」
「よっしゃ! やるぞ!!」
二体のうち、どちらかと言うと小さい方を二人に任せた。そして、ルーシャは腰のベルトから十字架を取り出し、法力を手に集中させて頭上から振り下ろす。
「“レイシア”!!」
ケッセル家の家宝である“宝剣レイシア”は、ルーシャの法力に反応して、十字架から一振の大剣へと形を変えた。
「『主よ、汝の御使い、聖霊たる光よここへ』!」
ただでさえ泥人形は動きが遅いが、この個体は大きいためさらに鈍い。的としては外しようがないだろう。
走って間合いを詰めながら、刀身に法力を纏わせる福音を短めに唱え、ルーシャは上から下まで一気に斬り抜く。
勝負は一瞬で終わる。……と、思われた。
『オォォ……!!』
「ん?」
確かにルーシャは泥人形を真っ二つにしたのだが、斬った部分が何事もなくくっついたのだ。
「…………法術が効かない?」
本来ならば、法力を帯びた宝剣の一太刀でほとんどの悪魔は四散するはずだった。
――――何でほぼ無キズなんだ?
低級であるはずの悪魔が、ルーシャの攻撃をまともに食らって動いている。
「うわっ!? 足が、足の泥が固まって動けねェ!!」
「ウソだろ!! くそっ! 何で効かない!?」
ルーシャが背後を見ると、ハーヴェ支部の二人が空になった聖水のビンを持って慌てている。
どうやら教科書通りではあるが、泥人形に有効なはずの聖力系のアイテムで応戦していた。
二人は反撃され、泥を投げつけられたようだ。
地面に当たった泥は即座に乾き、ハーヴェの退治員の足を捕らえて地面に張り付いてしまっている。
しかし、持っている普通の武器で迫ってくる新たな泥を払い、自力で抜け出そうと藻掻いていた。
『ウォオオオオ!!』
「くっ…………!!」
ルーシャは二人の心配をがら、泥人形が繰り出してきた攻撃を脇に跳んでかわす。
攻撃の威力を見る限り、この悪魔は強くない。
なのになぜ……?
空振りした腕……のような泥の塊は石畳でぶつかり泥が飛び散っていた。逃げた的のルーシャをキョロキョロと探して、再び近付いてくる。
「――――――あっ!」
今の攻撃の流れで、ルーシャはこの悪魔の正体に気が付いた。
急いで振り返りハーヴェの二人に叫ぶ。
「二人とも、聖水は使うな! 逆効果だ!!」
「「えっ!?」」
――――そう、法術……法力の素である聖力はこいつらのエサになってしまう。
ルーシャは握る宝剣から蒼白い光が消えていくのを確認し、そこから泥人形を横へ思い切り凪ぎ払った。
斬ると言うよりは叩くという体で、体の一部が小さな泥の塊となって地面に落ちる。本体から離れた泥は何の動きもなく、落ちたその場で乾いて崩れていった。
同じ動作を繰り返すと、泥人形はどんどん小さくなっていく。
「アイテムとか使わなくていい! 何の法術も魔法も掛かってないもので、単純に殴り付けろ!!」
「「はいっ!!」」
やっと地面の泥から抜け出したハーヴェの二人は、手持ちの剣やこん棒で何も考えずに物理攻撃を始めた。
すると、泥が少しずつ千切れどんどん小さくなる。
『ォオ……オオオ……』
「これで……最後!!」
ルーシャがほんの一抱えほどになった泥人形を二つに分けると、中から片手に乗るくらいの丸いガラス玉が転がってきた。
「これが“核”だな…………よっ!!」
カシャアアアン!!
軽いキレイな音を響かせ、ガラス玉はサラサラと風に乗るくらいの細かさになって消える。
遅れてハーヴェの二人の方も片付いたようで、息切れをおこしながらその場に座っていた。
「お、終わった……何だったんだこの悪魔は……」
「聖水の効かない泥人形なんて聞いたことが……」
「いや……違う……」
「「へ?」」
ポツリと言ったルーシャの言葉に、二人は同時に反応する。
石畳の上に大量にぶちまけられた泥を見ながら、ルーシャは眉間にシワを寄せた。
「…………今の泥人形は『悪魔』じゃない。『精霊』だ…………」
少しの風で舞い上がる土煙をよく見ると、不自然にうごめいている小さなものが確認できる。
『『『ケェピピィ~~~ッ!!』』』
見つめる乾いた泥の中から、ヒヨコ型精霊が次々に飛び出して一斉に路地裏の方へ逃げていった。
「精霊? 精霊なんてどこに……?」
「悪魔じゃない……って、どうして……」
ハーヴェの二人には今のヒヨコたちは見えていないらしい。頭の上にたくさん『?』を浮かべている。
「…………さっき、町の中なのに沢山見掛けた。不自然なくらいに。聖水や法力が効かないのは『精霊』の特徴のひとつだからな……」
泥人形は下級悪魔として有名だ。
毎年、水辺で旅人が襲われたとか井戸に入り込んで困っているなどの相談が、各地域の連盟に寄せられるからだ。
しかし、自然界には同名の下級精霊が存在する。
姿もそっくりであり玄人でも見分けがつかない。ほとんど人間が来ない沼地によく居て、ルーシャでさえあまり見たことはなかった。
悪魔は『魔力』。法術で倒すか、物理攻撃。
精霊は『聖力』。魔術で倒すか、物理攻撃。
見た目は同じでも、性質は反対で扱いは異なる。
共通の倒し方の物理攻撃とは、中から体を構成している“核”を取り出して破壊し、力を分散させてしまうこと。
「こんな町まで来て精霊が暴れるなんて……」
今までルーシャは精霊と戦ったことはあっても、人里から遠く離れた場所だけであった。
しかも、最後の消滅させるまで戦うこと自体が珍しい。精霊が悪魔のフリをするように攻撃してくるなど、聞いたことがなかったからだ。
しかも……小さな精霊を集めて、大きく異なった姿に偽装までしていた。姿形を気にしない精霊自身が、そんなことをする意味がない。ましてや性質が違う悪魔の仕業とも考えにくい。
まさか、それができる奴がいるなんて……人間がやれる芸当じゃないだろ?
「これ……みんなに知らせないと…………ん?」
泥の中にキラリと何かが光る。
近付いてそれを拾うと、それは小指の先程の銀製の銃の弾だった。
ルーシャはそれを見た瞬間、この弾の元の持ち主がリィケであると判断し青褪める。
……さっきの銃声は気のせいじゃない……リィケが撃ったんだ!!
リィケはまだ新人だ。悪魔と精霊の区別などつくはずはない。
「まさか、あっちに……!?」
「え!? 兄貴! どちらへ!?」
「二人とも、クラストの教会に行って今のことを知らせてくれ! オレはちょっと人を探してくる!」
ルーシャは報告を二人に任せて、リィケを探すことを優先にした。
慌てて泥人形が出てきた小路を何とか通り抜け、少し開けた空き地に到着する。
建物の隙間に出来た空き地は薄暗く、ルーシャの歩幅で十歩もあれば終わるくらいに狭い。
「……リィケ?」
空き地にはリィケの姿はない。
しかし、空き地の真ん中に銀の弾が落ちているのを見付け、この場所で交戦したと確信する。
「どこに、行ったんだ……?」
ルーシャの足元をヒヨコ型精霊が数体、転がるように戯れていた。
パチリ。濃い緑色の瞳が開かれる。
「あれ……?」
いつの間にか仰向けに倒れていたらしい。
倒れたまま、リィケは自分の身に起こったことを思い出そうと、ボーッとしながらも懸命に頭を働かせる。
「僕……確か、悪魔と戦って…………」
泥人形と戦って、負けて、飲み込まれた。
「まさか…………」
ここは建物に囲まれた場所らしく、仰向けのリィケが見る先は空なのだが……その色は塗り潰されたように、のっぺりとした白色である。
「ここ…………天国?」
地獄ではないと思い、そう呟く。
リィケは独り言のつもりで言ったのだ。
「…………ちがう」
「え?」
すぐ近くから声がして、何者かが近付いてくる足音を、リィケはぼんやりと聞いていた。