閉ざされた教会
「……まだ、時間ある。やっぱりお祭り見てこようかなぁ」
ため息を吐きつつ、リィケは広場の時計塔を見上げた。
ルーシャと別れてまだ一時間程しか経っていない。だんだん暇をもて余してくると、祭の賑やかさに興味が出てきた。
大通りだけ一周してこようかな……?
特に露店を覗くことはなくても、ボーッとしているよりはいいだろう。もしかしたら、途中でルーシャと合流できるかもしれない。
「………………」
リィケは先ほど会ったミルズナという女性のことを、ルーシャに話さなければならないと思った。
きっと彼女は【サウザンドセンス】だ。
人形の身体には『触感』や『痛覚』が備わってはいない。
擬似神経に魔力を通す特別な訓練でしか、それを再現することはできない。
生身の身体って、いつもああいう感覚なんだなぁ……。
リィケはミルズナに握られた手を、開いたり閉じたりしながら感触を思い出した。彼女の手はとても心地好く思える。
ベンチから立ちあがり大通りへ向かおうとした時、リィケは視界の隅で何かを捉えた。
そちらへ顔を向けるとレンガの道の脇、植え込みから奥の公園に続くような芝の小道があるのだが、そこを歩く人影が見える。どうやら子供のようで、静かに教会の方へ歩いてくる。
いや、それは普通の光景なのだが、リィケは首を傾げてよく目を凝らす。
あの子…………透けてる……?
ゆらゆらと歩いている子供は、子供だと判る程度の輪郭で顔や服装等がハッキリとしていない。
それは教会前の広場、リィケの目の前を横切る時も変わらず、光の中でも姿が朧気で実体が無いように見えた。
何だろ? お化け……?
あ、教会に入っていく……。
リィケは影を後ろからこっそり追いかける。やはり周りの通行人はその影に気付いていないらしい。それどころか、影は通行人をすり抜けていく。
間もなく影は教会の前に来ると、大扉に吸い込まれるように中へ消えていった。
リィケも後について大扉に向かうが、扉は施錠されているらしく、リィケの力ではびくともしない。
「幽霊かな。僕にも見えるようになったんだ」
扉の前で何となく感動するリィケ。
法力や魔力の訓練をしていると、精霊や幽霊が見えるようになる。実際に司祭の資格を持つ者は、それで悪霊を祓ったり精霊を見付けたりするからだ。
イリアなら今の子と話せたかな……?
トーラスト支部の研究課のイリアは死霊使いであり、死霊や悪霊の専門家である。
精霊や幽霊と意思の疎通ができると、思わぬ情報が手に入ったり、何かをする際に手伝いをするという。
リィケは別に精霊使いや死霊使いになりたい訳ではないが、少しでも自分ができることを増やしたかった。
あーぁ。せめて退治員らしいことでもできたら…………
………………
………………え?
一瞬、リィケは周りの景色が揺らいだ気がした。
何気無くすぐ目の前の大扉を見ていたが、急に扉の向こうに強烈な気配を感じたのだ。
「う…………」
見えない圧がのし掛かってきて、思わず声が出る。
まるで、誰かが扉越しにもかかわらず、ピッタリと視線を合わせているかのように。
――――この、感じは…………!
リィケの記憶の中に、似た感覚が残っている。
恐くて身動きできなかった感覚――――。
街道で会った【魔王ベルフェゴール】と似た気配。
何で……教会から……!?
リィケは後退りをして、少しずつ扉から離れる。
十分な距離を取って、身体に掛かる圧が緩くなったと感じた瞬間に大通りへ逃げるように駆け出した。
「ルーシャ! ルーシャに知らせないと……!!」
【魔王階級】の気配……!?
この町は教会も結界もあるのに!!
慌てて走っていくリィケを、クラストや他の町から来た僧侶が不審な目で見ていたが、そんな事を気にする余裕は本人にはなかった。
もし、またベルフェゴールが居たとして、町の中で戦闘を行う訳にはいかない。
リィケはルーシャが包まれた炎の柱を思い出してゾッとする。
あんな攻撃魔法を使われたら、クラストの教会は……いや、クラストの町はあっという間に焼け野原になるだろう。
気のせいでもいいから、この危険性を知らせなければならないと、リィケはルーシャを捜しながら走った。
しかし、トーラストよりも小さな町だが、闇雲に走ったところで慣れない風景の中でルーシャを見付けるのは難しい。
「どうしよう、早く教えな――――きゃわぁっ!!」
リィケは変な声をあげて、何もない道の真ん中で顔面からスッ転ぶ。その様子に周りを歩く人々は驚いて避けていく。
「うぅっ…………」
人形の身体に痛覚は無いので痛みはないが、恥ずかしさで顔を上げられない。通行人がじろじろと自分を見ている気がして、リィケは泣きたくなった。
な、情けない……!
うつ伏せで涙目になっていると、ふっと影がリィケの頭上に掛かる。リィケが見上げると、前方に誰か立っていた。
「大丈夫? 坊や、立てる?」
降り掛かる声は聞き取りやすく、差し出されたのは指が長く、しっかりした女性の手だった。
「えっと……あの……」
「よし、立ってみようか。よいしょ!」
おろおろと差し出したリィケの手を掴み、女性は片手で軽々とリィケを引っ張って立たせる。
立ち上がったリィケの前には、健康的な背の高い女性がいた。身体のラインの分かる赤いスレンダーなドレス。頭から白いヴェールを被っているため顔は分からないが、形の良いアゴと背中に伸びる真っ直ぐな金髪が目に入る。
「怪我は? あぁ、服に砂付いてる」
「あ、ありがとう……」
女性は前にしゃがんで丁寧にリィケの服の汚れを払った。一回服を払われる毎に、だんだん落ち着いていく気がする。
「うん、もう良いかな。気をつけなきゃダメよ。慌ててどうしたの? 探し物?」
「……あ、はい。お父さんを捜して……」
顔を覗き込む女性の口元が優しく微笑んでいるので、ついうっかり本当のことを言ってしまった。
「お父さん? 一緒に捜してあげようか?」
「え? あ! だ、大丈夫ですっ! 一人で!」
「そう? でも、町中見るのは…………」
女性は言いかけて、急に別の方向に顔を向ける。何だか女性の雰囲気が一気に険しく思えた。
「……あ……ごめんね。本当は一緒に捜したいけど、ちょっと用事を思い出しちゃった」
「ううん、大丈夫…………」
「じゃあ、気をつけて。お父さんに会えるといいね」
「ありがとう…………あ!」
女性は手を振りながら慌てて走っていく。それはリィケが走ってきた教会の方向だ。
今のお姉さん、教会の方に行っちゃった。
大丈夫かな……?
心配になったが、教会の扉が施錠されていて開かないのだから、直接【魔王】には会わないだろうと考える。しかし、何があるか分からない状況に、ますますルーシャを捜さなければならないとリィケは走りだした。
お父さん、どの辺まで歩いて行ったんだろ?
おそらく、人の多く集まるであろう、大通りの露店が並ぶ場所は通ったと推測した。そうなると、すでに折り返している可能性がある。
それならば、教会へ向かうもうひとつの通りを行けば途中で鉢合わせるかもしれない。
だったら、こっちの細い道を通ればあっちの大通りに出るんじゃないかな?
リィケはすぐに脇の細い裏路地へ入っていった。
大人であれば通れないくらいの狭い路地だったが、身体の小さいリィケはすいすいと通り抜けていく。
しばらくすると路地が終わり、建物の隙間にできたような空き地に出た。広さはちょっとした子供部屋くらいだ。
「まだ通りじゃない。きっと、もう少し……」
空き地を挟んで向かい側にある、同じような細い路地へ歩く。これを抜ければ通りに出ると思ったのだ。
しかし、リィケは空き地の真ん中で足を止めた。
ゾゾゾゾッ…………。
「何……?」
リィケが周りを見ても特に何もない。
「…………足下?」
空き地全体……地面の下から、何かを引きずるような音が響いてくる。まさにリィケの足下である。
何となく不気味に思い、リィケは急いで通りへの路へ入ろうとした。
その時、
『オォオオオオオオッ…………!!』
「うわぁあああああっ!!」
行こうとした路地に、くぐもった叫び声と真っ黒なぐにゃぐにゃの物体が現れた。まるで水で溶いた小麦粉の生地のように、形を変えてリィケに迫ってくる。
「なっ……!」
リィケは慌てて元の路に振り返るが、そちらの路からも同じものが這って来ていた。
「まさか……悪魔!?」
細い路地から飛び出したそれは、空き地へ出ると倍以上に膨れ上がり、あっという間にリィケを取り囲んだ。
『オォオオオ…………』
「あ、あぁ……」
逃げ道が無い!
ダメだ! どうしよう!?
リィケは後退りして空き地の中央へ立つ。
元々そんなに広くない空き地は、黒いグネグネとしたものでいっぱいになった。
落ち着いて……何か、悪魔の特徴は……!?
固まりながらも、落ち着くように自分に言い聞かせ、リィケは黒い悪魔に対峙する。
よく見るとそれは泥で出来ており、頭になる部分なのか、てっぺんのくびれた先の固まりには窪んだ目や口のようなものがあった。
えっと、泥……泥の悪魔…………物質系……?
そうだ、この悪魔は『泥人形』だ!
リィケは日頃勉強している、悪魔学の教科書を必死に思い出す。
泥人形はリィケを前後で囲んで、頭上から見下ろしている。姿を現してから、ここまでの動きは緩慢だが、行く先を覆われていては逃げようがない。
「……弱点は……法術……僕は使えない。本体への攻撃……法術と同じ退魔用アイテム……!」
リィケは腰の銃を抜く。リィケの手には少々大きなリボルバー銃だが、この中には対悪魔用の“銀の弾丸”が装填されている。
的は大きい。初心者のリィケでは核を破壊できなくても、怯ませて退けることくらいはできるだろう。
「よいしょっ、と!」
ガシャンッ!
リィケは銃を構えた。
普通ならこんなに遅く構えれば、とっくに悪魔に殺られている。しかし、泥人形はゆっくりとリィケに迫っており、ちょうど構えた銃のすぐ側に頭があった。
「ごめん、ちょっとそこ退いてもらうよ!」
ズガァン!!
銃声が響き、しっかり狙った頭部及び上半分は、銀の弾丸の聖力で吹き飛ぶ…………はずだった。
ポスッ。
『オゥ?』
「あれ?」
気の抜けた音がして、銀の弾丸は泥人形の頭部にズブズブと入っていくだけで特に何も起きなかった。
「何で……? よし、もう一回!」
ズガァン!
ポスッ。
「も、もう一回!」
ズガァン!
ポスッ。
「…………!?」
ズガァン!
ポスッ。
ズガァン!
ポスッ。
ズガァン!
ポスッ。
ズガァン!
ポスッ。
カシンッ、カシッ、カシッ…………。
「うぁ…………」
弾を撃ち尽くしたところで、リィケは上を見たまま固まった。撃った弾は全て泥人形の頭部の中で止まっているらしい。
『………………』
「………………」
固まっているリィケを伺うように悪魔も動かなかったが、痺れを切らしたのか急に体を揺らし始めた。
『オォオオオオオオッ!!』
「うわぁあああああっ!!」
八方を塞がれ、リィケの頭上から泥の塊が降ってくる。
聖力がこもった弾なのに悪魔に効かない!?
リィケはもはや為す術もなく、まるで大波がボートを飲み込むように、泥人形にゆっくりと覆われて見えなくなった。