クラストの町
ルーシャとリィケが向かうのはクラストの町だ。
クラストの町はこの国の南東の端にあり、ルーシャたちが住んでいるトーラストの街から、汽車や馬車を乗り継いで丸一日以上掛かる。
今回の退治課の依頼は、その町で行われる祭りの警備が中心となる。
一般的に警備員はどの町にもいるが、連盟が用意する警備員は、悪魔関連のトラブルの防止や抑制のために呼ばれることが多い。
「二日ほど前に祭事課の四班が先に現地入りしているんだ。たぶん、そこの班長は、ルーシャくんと仕事をするの初めてだと思うよ」
「どんな人なんです?」
「真面目で良い人だよ。ボク、学生の頃から寮の部屋も同じでね。出世は遅かったけど、他の司祭よりも努力はしてる……かな」
「そうですか……」
駅からクラストの町へ、予め用意をされていた馬車に乗り込んだ。ここからさらに走ること三時間は掛かる。
馬車は何台か用意されていて、ルーシャとリィケ、それにレバンが小さな馬車に乗ることになった。レバンの班の班員はもうひとつの大きな馬車に乗り込んだ。
馬車は四人乗りで向い側と膝が付きそうなくらい狭く、ルーシャとリィケが並んで座り、向い側にレバンが座っている形になる。
本当はハーヴェ支部の二人も、ルーシャについて乗ってきたそうだったのだが、ルーシャが乗るのが小さな馬車だったので諦めたらしい。二人はハーヴェ支部が全員乗れる馬車があったためそちらに乗り込んだ。
ルーシャが内心ホッとしていると、レバンが「ボクがいて良かったね」とニヤリとしていた。
「……クラストの町って初めてなんですけど、けっこう遠いですね」
「うーん、国境の近くにあるからね。でも、ここもトーラストやハーヴェ支部の担当になることもあるし、ボクは毎年、年に一度は来ることになるなぁ」
汽車の疲れは残っていなかったようで、リィケは馬車での時間も平気そうである。リィケはだいぶレバンと仲良くなり、二人がニコニコと会話をすることが多くなった。
レバンは昔から人当たりが良いので、年下や女性に人気があり、よく結婚式の依頼がはいるため、彼が班長を務める三班は『祝福の三班』と呼ばれている。
「……結婚式は祭事課の花形だな。定期的に呼ばれるの、先輩くらいじゃないですか?」
「まぁ、そんなことはないけど……他にも、お祭りなんかもよく呼ばれるよ。でも、今回のクラストの町のお祭りは、どちらかと言うと鎮魂祭ってところだけど……」
「鎮魂祭……?」
「そう、クラストの町には別名があるのだけど……ルーシャくんは知っているよね?」
「……確か……【魔女の墓標】って……」
【魔女の墓標】
クラストの町の通称である。
クラストはトーラストの真南に位置している。その辺りはちょうど国境も近く、大昔は隣国の商人や芸人が許可証も無しでクラストから国の中へ出入りしていた。
ところが、リルディナ王が治めるこの国土は魔力や聖力の流れが強く、そのせいで悪魔や精霊が頻繁に人間に憑いてしまう。
他の土地から来た者は対処が解らず、憑かれた人間を【魔女】や【魔物】として処分してしまっていた。
そのため、自分の国へ戻る際に教会のあるクラストへ【魔女】たちを葬ったとされている。
「今は大昔と違って、この国の特性を他国が認知しているし、町や団体が勝手に“私刑”を執行することは国が禁止しているから、悪魔憑きが何の取り調べもなく殺されることはなくなったけどね」
「今の時代ならすぐに教会に引き渡されるはずだし……」
「あ、でも……あの町は、クラストはちょっと気をつけた方がいいかな…………」
「何でですか……?」
にこにこしていたレバンの顔が急に曇った。ルーシャとリィケを交互に見てため息をつく。
「二人は大丈夫だと思うけど……もし、トーラスト支部のメンバーの中に【サウザンドセンス】がいると、いい気分はしないかもしれない」
「「えっ!?」」
ルーシャとリィケは揃って体を揺らした。
そんな二人の様子に、レバンは少し目を見開く。
「え……? まさか………………リィケくん?」
「はっ……ち、違っ……違います! …………たぶん」
そこで「たぶん」はまずい。
放って置けば、明らかに図星になるような受け答えだ。ルーシャはリィケが慌てているのを見て、そのフォローをするようにレバンに返す。
「トーラスト支部に【サウザンドセンス】が居たら、もっと話題になっていると思いますよ。期待の新人……とか、言われて……」
「あぁ、普通はそうか。トーラストじゃなくても、本部が大喜びするはずだよね」
「「………………ふぅ」」
レバンの納得した顔を見て、ルーシャとリィケは同時にそっと息をつく。
普通はそうなのだ。たぶん世間の反応はそうだろうと、ルーシャは考えて言った。
この国の国王も能力者であるため、普通は【サウザンドセンス】であれば、王宮で優遇されるくらいの扱いは受けるのだから。
「でも……何でクラストでは、能力者が嫌な思いをするんですか……?」
リィケが恐る恐るレバンに尋ねる。
「うん。実はあの町で『処分』された人間の大半は、能力者だったっていう話があるんだ。しかも、悪魔憑きじゃないのを分かっていて処刑された……とか」
「【サウザンドセンス】なのを分かってて……何で……」
「さぁ……大昔の話だけど、悪魔憑きを利用して能力者を集めて、本物の『悪魔』にしようとした奴がいたんじゃないかな? もしかしたら、クラストの教会に悪魔信仰の人間が紛れていたのかもしれない。普通の人間より、能力者の力を欲しがったと思うよ」
「「………………」」
馬車の中が静まり返った。
特にリィケは、生身だったら青ざめていたと思われるほど、ピクリも動かずレバンを見ている。
「……リィケくんには、ちょっと怖い話だったかな?」
「は、はい……」
レバンが苦笑いをして静寂を破った。そこで、やっとリィケの体から力が抜けていく。
「でも、君は退治員になったんだよね。例え悪魔が恐ろしくても、それに立ち向かわなきゃならない……」
「え?」
「……? 先輩?」
「…………君が自分で動いたのか疑問だけど」
レバンは軽くリィケの全身を見回した後、目線を合わせて口を開いた。
「リィケくんはレイラの仇を探して、退治員になったんじゃない?」
「――――っ!?」
「……その顔は当たりだね」
「………………」
にこりとするレバンに対して、リィケは分かり易いほど険しい表情をして警戒の色を濃くする。
一瞬にして緊張が走ったが、ルーシャはあることを思い出し、「あ……」と小さく声をあげてリィケの肩に手を置いた。
「この子はレイラの遠い親戚の子供で、退治員になるというので、オレを頼って来たんです。レイラが悪魔に殺された件は、パートナーになる時に、退治員の覚悟と教訓のために教えました」
「ルーシャ……」
自分のためにルーシャが嘘を言っているのを、リィケはすぐに理解して体の力を抜いた。
ルーシャはまっすぐレバンを見据える。レバンも正面から向き合うが、フッと目を臥せて笑いながら顔を逸らす。
「なるほど……君が復帰したのは、リィケくんのためだったんだ」
レバンもケッセル家の人間とはいえ、さすがにリィケがルーシャの子どもだということは、ラナロアや支部長たちは彼に教えてはいないだろう。
つまり、レイラの旧姓を名乗り、ルーシャと行動を共にする理由を『敵討ち』と言ったのは、レバンの勘だろうとルーシャは思った。
「連盟でもリィケのことは詳しく言っていないので、なるべくそこには触れないようにお願いしたいんです。フォースランの家系にも迷惑はかけられないので……」
「そっか、ごめんね。フォースランと名乗ったから……そう、かな……って、鎌をかけてみたんだ。リィケくん、かわいいから、ちょっと探ってみたくなっちやってねー」
「………………」
そういえば、この人……意外に鋭いところがあったな……。
昔から、レバンは話の裏をすぐに読んだり、人の嘘を見抜くのが得意だった。
学生の頃も優秀で祭事科を主席で卒業し、司祭になってから班を任せられるまで、そんなに時間は掛からなかったほどの人材である。
本人に言わせてみれば、「ケッセル家の血統が入っているのに、無能だと馬鹿にされるのは嫌だから」としているが、元々の彼の資質が良かったせいもあるだろう。
「あ、もうそろそろ着くかもしれないね」
レバンに言われ、リィケが馬車の小さな窓から外を覗くと、遠く丘を下った場所に町が見える
それは目的地のクラストの町だった。
町の規模はトーラストの街の三分の一くらいで、大きな建物は中心の教会くらいだという。
連盟の集団を乗せた馬車の団体は、クラストに入り教会の前に停まった。
降り立った者たちは皆、疲れた体を伸ばすように軽くストレッチをしている。
これから、ルーシャたちは町長や教会関係者に挨拶をして、今日から泊まる宿に移動することになっているらしい。レバンは毎年の流れなので、慣れた様子でルーシャに説明をする。
「町長への挨拶はボクとハーヴェの代表が行くから、君とリィケくんは教会で待っていなよ」
「分かりました……」
「あ、そうだ。あのさ……ルーシャくん」
「何ですか?」
キョロキョロと辺りを見回して、レバンはルーシャに耳打ちするように囁いた。
「知ってると思うけど……クラストの教会の奴らは、ケッセル家の本家の人間にあんまり良い顔しないから、単独行動は気を付けてね。何か困ったことがあったらすぐに言うんだよ。……じゃあ、また後でね!」
「はい、分かりました……」
レバンは手を振りながら、数人と大通りを歩いて行く。
それを見送ると、ルーシャは教会を見上げてため息をついた。
少し離れていたリィケが、ルーシャの隣に駆け寄る。
「どうしたの?」
「たいした事じゃない……でも、今回は大人しくしていた方がいいな……」
「何で?」
リィケは解らず首を傾げ、ルーシャは少し苦笑いしながら答えた。
「……クラストには伝統があっても、現在に通じる権力が無いってところが弱みなんだ」
「この町の弱み……?」
「クラストはケッセル家……トーラスト支部に自分の行事を任せるのを嫌っている」
【聖職者連盟】トーラスト支部の支部長と、その補佐官はルーシャの実の祖父母だ。つまり、トーラスト支部はケッセル家が運営している。
はっきり言ってしまえば、クラストの教会関係者はトーラスト支部を疎ましく思っているのだ。
クラストの教会はある意味、トーラストの教会よりも古い。しかし国境付近にあり、王都から伸びる街道から外れるためか、町の規模が小さく人口も多いとは言えず、支部を作ることが認められなかった。
その点、トーラストの街は領主がいて、人の往来がある街道沿いに位置している。クラストよりもずっと王都に近く、何より独自に神学校を作り、街の内外から優秀な聖職に就く人材を確保できていた。
そんな理由から連盟はトーラストに支部を置いた。そのため周辺の区域で行われる祭事は、トーラスト支部の管理することとなる。
ちなみに、トーラストの隣のハーヴェ支部は、ハーヴェの町こそ小さいが、町の周りに多くのさらに小さい集落が点在して成り立っているという。それらを合わせると、クラストよりも人口は多くなるらしい。
「教会が関わる行事は連盟が取り仕切っている。国が認めた行事には、司祭を多数配置させることが義務になっているから、その町で足りない人数分は近くの支部が補うことになるな」
「……クラストの町にはあんまり聖職者がいないの?」
「教会の規模で、抱えられる聖職者の人数が決まっているんだ。たぶん、クラストには司祭が一人、二人くらいしかいないから…………クラストにも支部があれば、多くの司祭を自前で確保できて行事を行える」
「……難しいんだね」
ルーシャが説明をしても、やはりリィケはよく解らなかったようだ。
連盟の支部が有るか無いかで、その地域での教会の権力はだいぶ違う。それが伝統ある町ならば、なおのこと。
指示は出せても、よそ者が多く教会という自分の縄張りに入るのだ。
…………クラスト側も“いい気分はしない”だろう。
「とりあえず、教会で待たせてもらうか」
「うん」
クラストの教会の扉を開ける。
ギギギィ……と、古めかしい音と共に乾いた空気が鼻についた。
その時、一瞬だけ胸に不安が過ったが、復帰後すぐの自分の勘をルーシャは信じていない。
しかし、その勘が正しかったと証明されるのは、それから数時間後のことであった。