始まりの少年
カランカランカラン……。
ドアに付いている鉄製のベルが鳴る。
「いらっしゃいませぇ~! お好きなお席にどうぞぉ~!」
ベルの音で人が入ったことがわかり、反射的にカウンターの向こうの厨房から元気な女性が大声で挨拶する。
ここは何の変哲もない飯屋だった。
特に大きくもなく小さくもなく、個人で経営するにはちょうど良い大きさ。特徴があるとすれば、昼間は飯屋で夜が酒場になるという点である。
この店は大きな街から伸びる街道沿い、それなりに人通りが多い宿場町にあった。
しかし、今は昼の時間もだいぶ過ぎ、店には従業員以外の客はいない。
「こ……こんにちは……」
恐る恐るとドアを開けて店に入ってきたのは、見た目12、3才くらいの小柄で華奢な一人の少年であった。
肩につかないくらいの無造作に切ったような硬めの金髪、瞳は濃い緑色。上下に別れたコートのような白い服装で、後ろ姿だけ見れば女の子にも見えた。
しかし、彼の腰には本人の雰囲気には不釣り合いな、革製のガンホルダーがぶら下がっている。
少年が店の中へ進むと、カウンターに身を乗り出すように、大柄のやや厳つい中年女性が顔を出した。この店の店長である。
「あらぁ、リィケちゃん! いらっしゃい、ゆっくりしていってね!」
「こんにちは、ハンナ店長。あの……」
「えぇっと、ルーちゃんよね。裏で薪割りやってるのよ。呼んでくるから、ちょっと待ってて!」
「あっ……いえ、その…………はい……」
少年は小さな声で返事をすると、店の一番隅の席に小さくなって腰掛けた。
カタン! カラン。
店の裏口付近では軽快に木の割れる音が響く。
ハンナはその音を作っている主に近付いた。
「ルーちゃん! リィケちゃん来たわよ!」
「……………………」
「ルーちゃん! ルーちゃんってば!!」
「……………………」
しゃがんで薪割りをしている人物の三歩ほどの距離で声をかけたが、聞こえているのに返事は返ってこない。ハンナはため息をついて、呆れた様子でその人物を見下ろした。
「待ってるわよ。行ってあげなさい、店長命令!」
「………………いない、って言って下さい……」
小型の斧を台座の切り株に突き立て、立ち上がったのは二十代半ばくらいの男性だった。
背が高く、筋肉質だが細身の体型。青みがかった銀髪に、瞳の色は濃い青紫。整った顔立ちだが、その表情は硬く不機嫌そうだ。
ウェイターの腰エプロンを叩き木くずを払う。
その動きはとても面倒くさそうに緩慢である。
「もう、いるって言っちゃったわよ。お水を持って行って注文を聞く! それがあなたのお仕事でしょう!」
「…………分かりました」
青年は裏口から店に入り、厨房でグラスに入れた水を用意して、少年が座る席に歩いて行く。
途中、少年と青年の目が合った。
「ルーシャ……!」
「………………来たのか。リィケ」
にっこりと嬉しそうに笑顔を向けるリィケとは対照的に、テーブルに水を置いたルーシャは、リィケの来訪を煙たがるように眉間にシワを寄せた。
「さっさと注文して帰れ。言っただろう? もうここには来るんじゃ……」
パァン! 言いかけたルーシャの頭を、ハンナが銀色のトレイで叩く。そして、リィケの前に手書きのメニューを置いた。そこには『本日の持ち帰りメニュー』と記されている。
「…………店長、何するんですか?」
ルーシャは後頭部を軽く撫でながら、じと目でハンナの方を見た。当のハンナはルーシャを完全に無視するように、リィケだけにニコニコと優しい笑顔を向けている。
「ほほほ……。リィケちゃん、今日の持ち帰りのサンドイッチは、フルーツサラミとオリーブチキンだから。あとエッグタルトもおまけで全部セットにするわ。ゆ~~っくり作るから、リィケちゃんはのんびりくつろいでいってちょうだい!」
「あ…………ありがとうございます。ハンナ店長」
ハンナは無愛想な店員のルーシャよりも、客であるリィケの味方だ。最上級の笑顔で頷いて、そのままクルリと後ろのルーシャに振り返る。
その途端、ハンナから笑顔は消え去り、口をへの字にした怒りの形相をルーシャに見せた。
「ほら、ルーちゃん! ちょっとこっち来なさい……!!」
後ろの襟首を掴まれ、ハンナに引きずられるように退場していくルーシャを、リィケは首をかしげながら見送った。
二人は裏口から外に出た。ハンナが厳つい顔をさらに険しくしてルーシャを睨んでいる。
「ルーちゃん。あなたは……そうね、もともと愛想はそんなに良い方じゃないわよ。でも、顔が良いからあなた目当ての女の子も時々来るのよね。分かるかしら?」
「分かりませんが」
ルーシャは無表情にハンナから視線を逸らした。そんな様子を見ながら、ハンナは深いため息をつく。
「そう……まぁ、そういう狙って近付いて来る娘に、素っ気なく対応するのは大目に見ていたけど…………リィケちゃんにあの態度は酷いんじゃないの?」
ルーシャの眉がピクリと動く。口を固く結び、眉間のシワをますます深くした。
「そりゃ、あの子は常連客ですから、店長が大事にしたいのは分かります……」
「まぁ、それはそうだけど……あの子、ちょっと気になるのよ」
リィケはこの一ヶ月、ほぼ毎日通って来ている常連客だった。
この店は宿場町の中という立地から、常連というのは宿場町の人間か、定期的に訪れる旅人だ。旅人は滞在している間の一日二日は連続で来るだろうが、ひとりが一ヶ月もの間、通い詰めるのはほぼ無いだろう。
それならば、リィケの家族がこの宿場町で働いているのかと思われたが、この町でリィケやその家族を知っている者は誰もいない。店へ向かうリィケの姿を見たというのも聞いたことがない。
さらに少し奇妙な事に、リィケは必ず独りで来て、必ずその場で食事をせずに持ち帰りにしている。毎回、サービスで出す水でさえ、一口も飲まずに帰っていく。
そこはハンナも不思議に思っている。
しかし彼女の立場から、それを聞くのは躊躇われた。
「あの子、初めて来たときから、ルーちゃんのことをず~っと、キラキラした目で見てるのよねぇ」
「………………」
ひとつだけ分かったのは、リィケの目当てがルーシャだということだ。
何故かリィケは初めから、ルーシャに会いに来ている。それもかなり好意的だ。
「それは……目的が有ったからです。オレに好意的だったわけじゃない」
「目的って……あんな小さな子、何があるのよ?」
ハンナの言葉に、ルーシャの目に怒りの感情がこもる。
「……小さくなんかありませんよ。あいつはトーラストの街からわざわざここまで通っていた。【聖職者連盟】の『退治課』の退治員だったんです」
大声こそは出さなかったが、ルーシャは下を向いて吐き捨てるように言う。ハンナはその言葉にぽかんと口を開けた。
「退治員として連盟に入っているなら、神学校を卒業後の年ですから15才以上のはずです」
「退治って……まさか、あんな大人しそうな子が、悪魔と戦うっての!?」
悲鳴のような声でハンナは驚愕する。
この国の『退治員』は、か弱い子供に務まる仕事ではないからだ。
この国の名は【リルダーナ王国】
首都は聖王都リルディナ。
広大な大陸の一部に属し、世界の中でも大国に位置付けされる国家である。
リルダーナ王国の特徴をひとつあげるとすれば、この国は教会や聖職者を中心とした宗教国家であること。各地に存在する町や人が集まる場所には、必ずと言っていいほど教会が在る。
他の国にももちろん教会は在るのだが、この国の教会はただの祈りの場ではない。基本的な冠婚葬祭はもちろん、学校や病院、役所や自警、研究施設に至るまで、人々の生活に関わってきているのだ。
さらにこの国は、他の国よりも魔力が多く流れる土地のため、『悪魔』の被害や問題も無数にある。
そのために教会は重要であり、教会や聖職者、教会関係者などの仕事をまとめる機関が【聖職者連盟】だ。
【聖職者連盟】には大きく分けると三つの課がある。
【祭事課】
主に冠婚葬祭、礼拝、洗礼、懺悔などの祭事に関わる部門。他には神学校の教師や役所の役割を果たし、生活に関する手続きや相談も受け付ける。一般的な聖職者や法術師が多い。
【退治課】
主に悪魔退治を行い、悪魔に関する厄介事を引き受ける部門。他には街の内外の自警、祭典などの警備も担う。また、司祭の資格を持つ者は祭事課の仕事を兼任する場合もある。聖職に就いている者もいるが、普通の戦士や法術師もいる。
【研究課】
主に他の課や一般の市民から依頼を受け、物事の検証や検査を行う部門。研究内容は個人で異なり、悪魔や精霊、魔法や魔導具の他にも、医療や生活に関する研究も受ける。聖職者よりも魔術師などが多い。
つまり、『退治員』とは【退治課】に属する者で、悪魔退治や悪魔に関わることを仕事にしている人間だ。
「ルーちゃんは元退治員だものね……」
「はい……」
「もしかして……リィケちゃん……」
「はい、オレに復帰をさせるために来たんです。本人から一緒に仕事をしてほしい、と言われました」
ルーシャが【聖職者連盟】を辞めて五年になる。
これまでも復帰を促す職員は多く、店に来る者もいなかった訳ではない。
そんな者たちが来る度に、ルーシャは頑として断ってきた。
「う~ん、まぁ、あんまりしつこいようなら考えるけど……。店にお客として来てくれている間は、普通に接してあげて。あなたは大人なんだから。いくら退治員でも、まだ子供なのよ……」
「はい……」
「お願いね」と言って、ハンナは店の中に戻った。
ルーシャはドアが閉まるのを見届けると、拳を握り締めて俯く。
「“子ども”…………か」
本当は、リィケに対して冷めた態度をとることに、ルーシャでも若干の罪悪感がある。しかしどうしても、ルーシャはリィケに気安くすることができなかった。
たった一言。
リィケがルーシャに向けて言った一言が、頭から離れない。
――――“お父さん”!!
この一言がルーシャを追い込んでいたのだった。