その日の様々
今回は補足的なお話です。
忙しい昼の時間が終わった頃、アリッサは客が帰った店のカウンターで頬杖をついて宙を見つめていた。
彼女は今日は特別に疲れた訳ではない。
ただ何となく、ボォーとしていたかった。
「ちょっと、アリッサ。休むなら奥に行ってちょうだい。ここにお客さん来たら、それじゃみっともないでしょ!」
「うん……ごめん、母さん…………ねぇ、ルーシャさん、ちゃんとリィケくんに会えたかな?」
「え? あぁ、そうねぇ。充分間に合ったとは思うけど……」
「ふーん…………」
アリッサは時計を見上げると、そのまま再びボーッとし始める。ハンナはそんな娘の様子に呆れた視線を送った。
ガランガラン……。
ドアが開き、誰かが店に入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
「…………すみません。こちらの店長様は…………」
「はい、私ですが……」
ハンナが店の入り口で客と話しているのだが、アリッサはそれにも気付く様子がない。
「ルーシャさん、ここにはもう、来ないのかな……?」
深いため息と共にアリッサはカウンターに突っ伏した。
時間は二時間ほど前。
駅の町のホームでは、ラナロアが走り去っていく汽車を黙って見守っていた。
汽車が見えなくなると、ラナロアは後ろを振り返り、そこに立っている人物ににこりと笑い掛ける。
「無事に行きましたね」
「ぼっちゃま……間に合って良かった……」
辿々しい言葉遣いで、ラナロアに一礼をした人物は全体的に頭から布を被り、子供ほどの身長であるのに、同じくらい横幅がある体型。例えるなら『子供がシーツを被って変身した太ったオバケ』である。
「ええ、そうですね。セルゲイ、あなたもお疲れ様でした。私は連盟に寄ってから帰りますので、あなたはそのまま屋敷へ戻りなさい」
「はい……では、旦那さま……おれ、帰ります」
シーツオバケはセルゲイという、ラナロアの屋敷の庭師だ。彼の容姿は少し訳ありで、外へ出る時はこんな風に全身を隠している。
実は汽車が出る数十分前に、彼はルーシャを宿場町まで迎えに行った。
さらに時間はもっと前。
ガララン!
ハンナの店のドアが開き、ルーシャが顔を出した。
「いらっしゃ……あら、ルーちゃん?」
「おはようございます。手伝います……」
今は朝食時の忙しい時間帯。
いつもならハンナとアリッサの二人で何とか回しているのだが、今日はルーシャが途中から入って朝の時間帯は回転良く終わった。
「ルーちゃん、今日はずいぶん早く来たのねぇ。どうかしたの?」
朝の営業が終わり、昼の準備を始める前にハンナはルーシャに尋ねた。今日のルーシャはいつにもまして、口数が少なかったからだ。
「……あの、店長……その……実は…………」
「…………どうしたの?」
ルーシャが斜め下を見ながら、何とも気まずそうにしている。それと同時に、全体的にそわそわと落ち着かないようにも見えるのだ。
ルーちゃんが落ち着かない理由は……。
ハンナが思い当たる事はひとつだけだ。
「ルーちゃん、あなた……退治員に戻るつもりね。リィケちゃんのところに行くのよね?」
「…………すみません」
「何で謝るの…………別にいいのよ」
下唇を噛んで俯くルーシャに、ハンナはできる限りの優しい声を掛ける。
いつかこの日が来るのではないか?
ハンナがこの五年、心の片隅にいつも思っていたことだ。そしてついにその日は訪れ、自分はそれを見送る義務があると考えている。
「……でも、その格好で行くの? 退治員の服とかあるんじゃないの?」
「一応、連盟の制服は持ってきました。でも、もともと退治員の仕事の服はオーダーメイドなので、有って無いようなものです。昨日行くことに決めたので、特に作っていませんし……」
ルーシャは奥から荷物を出してくる。
完全に遠出をするための準備をしていたようだ。
「どうやって行くの? ここから駅の町まで行く乗り合い馬車はあんまり無いわよ?」
「ええ、もしちょうど良いのが無かったら、全力で走って行きます」
本当なら店を手伝わずに挨拶だけしていけば、馬車も徒歩も間に合ったはずだが、ルーシャは変なところで申し訳ないと思ってしまったようだ。
大丈夫かしら?
ハンナが不安に思った時、外で店の前に馬車が止まる音が聞こえてきた。
ガランガラン!
扉が開き、そこに立っていたのは、布を頭からすっぽり被った奇妙な人。しかし、人と判断するのも疑わしいほど、背丈以上に横幅がある。
ハンナとアリッサが目を丸くして見ていると、その人物はのしのしとルーシャへ近付いて行く。
「ぼっちゃま……駅の町、行くか?」
「…………セルゲイ……か」
「ルーちゃんの知り合い?」
「ええ、ラナロアの家の庭師です」
ルーシャはセルゲイのことは子供の頃から知っている。外出時にこの奇妙な姿になることもよく分かっていた。
「これ、旦那さまから……ぼっちゃまに」
「何だ?」
どこに持っていたのか、セルゲイがルーシャに大きくて平べったい箱と、長めの大きな箱を手渡す。
ルーシャは少し首を傾げながら、箱を少し開けて中を確認した。その途端、ルーシャが眉間に深いシワを寄せて、セルゲイの方を睨むように見た。
「くそ……ラナロアの奴…………。すみません、店長。ちょっと休憩室借ります」
「え? えぇ、構わないわよ」
ルーシャは箱を持ってぶつぶつと呟き、面白くなさそうな顔をしながら奥の部屋へ向かって行く。
「………………」
「「………………」」
店の中には、ハンナとアリッサ、そしてセルゲイ。
初対面であり、セルゲイの姿に慣れない二人は、微妙な沈黙から抜け出せなかった。
「………………」
「「………………」」
「………………」
「「………………」」
「………………店長さん、娘さん」
「「………………は、はいっ!?」」
急にセルゲイに呼ばれて、二人は揃って声を裏返して返事をする。
「お二人とも……旦那さま、と、ケッセルの旦那さま、感謝してた。おれ、からも……ぼっちゃまが、お世話になり……ました」
「そんな……私たちは何も……ねぇ?」
「うん…………」
「後日、あらためて、お礼、伺う……と」
「いえいえ……別にそれは……」
ぎこちなくゆらゆらしているセルゲイは、たぶんお辞儀をしていると思われた。
ハンナがどう対応するかと内心慌てていると、奥の扉が開き、ルーシャが歩いてくる足音が聞こえる。アリッサが真っ先に気付いて声をかけた。
「あ、ルーシャさ……ん…………え?」
「悪い、待たせたな。セルゲイ」
全身白い退治員の服を着たルーシャが、口を半開きにして硬直したアリッサの前を横切った。
膝まである長いコートのような法衣、右肩の近くには連盟トーラスト支部の紋章が刺繍されていて、ブーツも法衣に合わせたような白色。
腰の太い茶色の革ベルトには『宝剣レイシア』の十字架が納まっていた。
「ぼっちゃま、服、ちゃんと合うか?」
「…………ぴったりだ。ラナロアの奴……いつの間に……」
「ぼっちゃま、五年間、そんなに体型変わってない」
退治課の制服、特に戦闘服はオーダーメイドである。
それは退治員一人一人の戦い方に合わせられるようにするためだ。それと、中には聖職者ではない者もいるのでそのためでもある。
ちなみに、オーダーすると一ヶ月は掛かるので、学生は在学中に退治課に入所が決まると、それに合わせて服を作りに行かなければならない。支給ではなく実費。
「馬車、乗る。乗り合いや、徒歩、間に合わない……」
「……すまない。ありがとう」
色々と言いたいことは有るが、ルーシャは大人しくセルゲイが乗って来た馬車へ向かう。
ルーシャがハンナとアリッサに手を振り、二人も応えて返すと、馬車はすぐに走り出し、あっという間に見えなくなった。
「たぶん、間に合うわね……良かった……」
ハンナが目を細めながら、馬車が走り去った方を眺める。
この五年、彼女が自主的に見守ってきたものが終わり、少しの寂しさと共に肩の荷が降りた気がした。
しかし、ハンナが横を向くと、アリッサは今までにない顔をして呆然と立っている。
「アリッサ、大丈夫……?」
「何が? 私は大丈夫だけど…………ルーシャさん、別人みたいだったよねぇ…………退治員の服、似合ってたよねぇ…………」
「そう、ね。腰エプロンよりは似合っていたわね」
「うん。ほんと、似合ってた…………ふぅ…………」
「……………………」
ため息をつき、最早一点しか見つめていないアリッサに、ハンナは一応声をかける。彼女を突如襲った変化は、しばらく続くだろうとハンナは思った。
そして現在、駅でルーシャたちを見送ったラナロアは、報告とルーシャの連盟入所の手続きをするために、聖職者連盟トーラスト支部へ戻ってきていた。
ラナロアが退治課の事務室に入ると、ちょうどそこへ研究課のリーヨォが来ている。
「よぉ、おかえり。お前が帰ってきたってことは、ルーシャは無事にリィケと出発したってことだな?」
「えぇ、ちゃんと引き継ぎもできましたし、ルーシャの口から連盟に戻る意向を聞きました。私はこれから支部長たちに報告へいきます」
ラナロアの言葉にリーヨォはニヤリとした。
「よーしよし、俺の狙い通りだな……押してダメなら、引いてみろって、な」
「……リーヨォ、あなた今……相当、悪い顔をしていますよ……。何だか、ルーシャに申し訳なくなりますねぇ……」
「はっ。俺だけ悪もんにすんなよ。お前だって、リィケが退治員になるって決まってから、こそこそとルーシャ復帰の準備を進めていたくせに……」
リーヨォは特に悪びれた様子もなく懐から煙草を取り出す。
「正直……俺は復帰しようが、しまいが、どっちでもいいんだよ。死んで帰ってこなきゃ、な…………」
「あなたはちゃんと本音を言ったのですね」
「うるせぇ…………それより、アレはちゃんと渡してくれたか?」
「ええ、もちろん」
リーヨォは「そうか」と頷くと、煙草に火を点けてゆっくりと吸い始めた。
同時刻。ラナロアの屋敷。
セルゲイが戻ると、カルベリッヒは慌てて彼に駆け寄り、全ての経緯を聞き出した。
「そうかそうか……無事にぼっちゃまはリィケ様のところに……。ご自身でお決めになったのなら、ワシは何も言うまい……」
カルベリッヒは白いハンカチで目頭を押さえる。
前日、主人であるラナロアが、出掛ける支度をするというので手伝おうとしたが、すでに荷造りは終わった後だった。
なんと、数日間もリィケについていくはずなのに、ラナロアの荷物は一泊分の着替えと分厚い本だけだったのだ。
何故かと尋ねると、ラナロアは笑いながら「もしかしたら一泊もしない、汽車にも乗らないかもしれない」と答えた
どうやら、ルーシャが駅まで来ることは、彼の想定内だったようなのだ。
「やりきれないのぅ……ぼっちゃまは、年齢の割には素直でいらっしゃるので……」
「ルーシャぼっちゃま、完全に、旦那さまに行動……読まれてる。たぶん、ずっと、手のひらの上……」
カルベリッヒとセルゲイは揃って、うんうんと頷いていた。
それから時は過ぎ、その日の夜。
ルーシャたちの乗る汽車は、特に何の問題もなく走っていた。
ルーシャと一緒に行くのが嬉しかったのか、リィケはずっと話し続けていたが、今は疲れて座席のソファーですやすやと眠っている。
「はぁ…………」
ルーシャはひとり、ため息をついて項垂れていた。その手には分厚い本を持っている。
これは駅に着いた時に、ラナロアから手渡されたものだ。
最初は聖書かと思ったが、ラナロアがあまりにも真剣な顔で渡すので、ルーシャに緊張が走った。
『これを読んで覚えなければ、あの子の父親は務まらないかもしれません。ですが、あなたにはリィケのために頑張ってほしい』
そう言われたら、ルーシャは意地でも読まなければならない。
しかし、これには向きと不向きがあると、ルーシャは感じてしまったのだ。
【生ける傀儡取り扱い説明書】
たぶん、リーヨォが書いたんだろうな……。
中には、リィケの身体の手入れや、故障などのトラブルに対応する項目が、びっしりと専門用語で並び、聖書よりも魔導書の方が近いかもしれない。
「オレ……いい父親になれる気がしない……」
別の意味での不安に、ルーシャは悩んでいた。