確認事項
「レイラの…………」
リィケのベッドに腰掛けていたイリアがふらりと立上がり、下唇を噛み怒りとも悲しみとも取れる表情をした。
「本当にベルフェゴールはその、レイラを殺した奴を知っているって言っていたの?」
「あぁ、でも……本当かどうかは……」
イリアがルーシャにゆっくりと詰め寄る。
大きな茶色の瞳はいっぱいに涙が浮かんでいた。
「そいつの名前は? やっぱり【魔王階級】なの……!?」
「……イリア、話がまだだ。気持ちは分かるが、とりあえず……聞くぞ。ルーシャも疲れてるんだ」
「あ…………うん……つい……ごめん、ルーシャ……」
「いや、大丈夫……」
彼女はレイラとは神学校に入る前から、家族ぐるみで仲が良かった。親友と言ってもいい。ルーシャもイリアの気持ちは痛いほど解る。
リーヨォに促されて、ぐすぐすと鼻を鳴らしながらイリアは再びベッドの端に腰掛けた。
「他には……? 何か有益な情報は無いのか?」
「……すまない。あとはあまり……オレもリィケと逃げることで手一杯だったから」
「そうか……そうだな。生きて帰っただけでもたいしたもんだ。五年のブランクがあっても、さすが『魔王殺し』ってとこか……」
「いや…………さっきも言ったが、リィケがいなかったらオレは死んでいた。【魔王】を退けたのはリィケだ」
思い出すのは赤い稲妻が辺りに飛び交う光景。
まるでベフェゴールの中から全てを絞り出すように出ていた。現にその稲妻がほとんど出なくなったら、ベルフェゴールはその場から消えたのだ。
ルーシャはリーヨォとイリアに、街道で起こった事を出来る限り細かく話すことにした。
二人は黙って聞いているが、時折、リーヨォが話の内容を紙に書き留めている。その度に難しい顔をしているのが、ルーシャは少し気掛かりだった。
【魔王】の事を話し終えて、ルーシャはふと、街道でベルフェゴールが残していった、小さな水晶を持って帰って来たことを思い出した。上着のポケットを探り、ビンをリーヨォに差し出す。
「ん、何だ? 水晶?」
「ベルフェゴールが消えた跡に落ちていた物だ」
「お、マジか。後で調べるとするか……」
リーヨォは水晶の入ったビンを受け取り、心なしかウキウキと懐へ仕舞い込む。
「で…………平気そうだから聞かなかったが、お前はどこも怪我はしていないのか?」
「え? あぁ、少しはしていたんだけど……赤い稲妻が絡み付いてきた時に、いつの間にか治ったんだ……たぶん」
ベルフェゴールの炎に巻かれた時、法術の結界で防いでいたとはいえ、肌の表面や喉に軽く火傷を負った。その証拠に、ルーシャの服のあちこちは焼けて変色しているところがある。しかし、体にその痛みや不快感はほとんど無いのだ。
ルーシャの話にリーヨォとイリアが眉をひそめた。
この二人は魔術師であるためか、ルーシャより魔力や悪魔の性質について詳しい。
「「………………」」
リーヨォがメモしていたものを、イリアが目を通し何かを説明している。二人で頷いたり首を振ったりと、ルーシャにはよく分からないやり取りをしていた。
「あの……オレ何か変なこと言ったか?」
「…………俺の知る限り、魔術には回復術はない」
「回復の力は聖力…………つまり、法力による法術よ。解るわよね?」
「まぁ、学校で習うからな……」
他の国では少し違うと言われているが、この国で魔法と呼ばれるものは『魔力』と『法力』という区分で存在する。
『魔力』は、悪魔や魔術師が使うものであり、その性質は攻撃・防御・呪術などが一般的である。
魔力が多すぎると、草木は枯れ水源は枯渇する。空気は淀み、毒素を含む瘴気も発生するため、人間は住むことができなくなる。
この国はその流れが多く、そのために魔力を糧にする悪魔が自然に発生するのだ。
そして『法力』とは『聖力』であり、魔力とは対照的な力である。
『聖力』の性質は攻撃・防御・浄化の力があり、この聖力は法術の素である法力に変えることができるものだ。自然界では草木や水辺にいる、精霊が持つ浄化の力になる。
『聖力』が多い土地は、水や土が豊かで植物の育ちが良い。悪魔も近寄らず、人間が住むには最適な場所だ。
ここ、リルダーナ王国は大昔は、人間よりも悪魔が多い土地だと言われていた。しかしある時、この国は『聖力』で土地を浄化できる力を手に入れる。
そこから、浄化された土地を中心に人間が多く住むようになった。
国ができると悪魔に対抗するために法力を使える人間、つまり聖職者や法術師を積極的に育成するようになったのである。
リーヨォが先ほどから火を点けずに咥えていた煙草を、そのまま灰皿に置いた。
「国が聖職者や法術師、精霊術師なんかを重用するのはそのせいだというのは、だいたいの奴らは知っている」
「…………まぁ、な」
「じゃあ、この国の王の特徴も知っているな?」
「…………【サウザンドセンス】だ」
大昔、土地を浄化したこの国の初代の王は、強力な浄化の『神の欠片』を持つ【サウザンドセンス】だったと云う。
誰がなるか分からない人種だと云われた【サウザンドセンス】だが、意外にもそれが生まれやすい家系があることが解り、それ以来、この国の王家では【サウザンドセンス】が次の国王に選ばれるようになった。
しかし、それでも希少であることには変わりなく、多くの【サウザンドセンス】を集めるために、王宮に勤める者には優遇措置まで有るのだ。
「今の王家が在るのは【サウザンドセンス】という能力者のおかげだ。言ってしまえば、能力者は国が欲しがる人材だ」
「……だから、優遇される?」
「そうだ。だが、恐れられた存在でもある。大昔、まだ【サウザンドセンス】の事がよく分からなかった時代、魔術でも法術でもなかった『神の欠片』は迫害の対象だった」
それは大昔だけではない、現在でも外国では異端者と思われている者が、この国に来て【サウザンドセンス】だと分かる場合もある。
それまで彼らは同じ人間でありながら、迫害と排除に苦しんでいるという。
「そこを悪魔に付け込まれて、悪魔側になってしまう人間も多数いる…………それこそ【魔王】と同等の力を持って、な」
「…………あ」
ベルフェゴールは執拗にリィケを欲しがってはいなかったか?
『魔力』でも『聖力』でもない『神の欠片』
――――覚醒した能力次第では、神にも魔王にもなる。
「リィケがやったのは、ひとりの人間が『聖力』と『魔力』をごっちゃに使ったことよ。普通ではあり得ない……昼と夜を一緒に出来ないようにね」
イリアが口元を押さえながら俯く。
そこへリーヨォが続けて説明をする。
「たぶん、リィケが使ったのは魔術や法術で言うところの『生命吸引術』と『聖魔転換術』、それに『回復術』だ。最低でもこの三つを同時に行ったことになる。百合の花は……よく分からないが……」
説明によると、ベルフェゴールの魔力を抜き取り、魔力を聖力に換え、さらにそれをルーシャや草花に流したため、体の傷や土地の損傷が治ったということだ。
「どうやら今回は、力の方向が良い方に働いたみたいだが、もしこれを逆に使われたら? それこそ、悪魔が欲しがる能力だよな……」
土地の『聖力』を『魔力』に換える。
これを大規模にやられれば、人間は簡単に滅ぶ。
悪魔が溢れて、草木は枯れはて水は毒に変わり、大地は瘴気に沈む。
悪魔にとっての楽園が人間界に築かれる。
――――魔界の出来上がりだ。
頭に浮かんだ想像にルーシャは身震いをする。
「……それがリィケの『神の欠片』なのか?」
「いや、今日初めて聞いた。それが凄いのは解ったが、リィケが大規模に使えるかどうかは知らん」
「へ?」
「……リィケはまだ、あたしたちの前で使ったことがなかったの。【サウザンドセンス】だって分かったのも、ラナロアが魂の状態だったリィケを調べて解ったものだったし」
【サウザンドセンス】は覚醒するまでは普通の人間。
しかし、同じ能力者や高位の魔術師などは、魂の質を見抜き、判別することができるという。
「へ……じゃあ、覚醒したばかり?」
「そういうことだ。つまり、こいつの『神の欠片』が未知数のうえに、早々に悪魔に見付かっちまったというわけだ……」
まずいよなぁ……と、リーヨォは両手で顔面を擦っている。まずいよねぇ……と、イリアもこめかみを押さえて大きなため息をついた。
二人はついでにチラリとルーシャを見てくる。
…………これ、オレのせいじゃないよな……?
何となく、自分が責められている気分になり、ルーシャは顔をひきつらせた。
「別にあんたのせいじゃないわよ……」
「お前のせいじゃねぇんだよなぁ……」
「…………逆に責めてないか? その言い方……」
明らかに、リィケをそこまで追い詰めた原因のルーシャを責めているような口調で、二人はわざとらしくルーシャを見上げている。だが、その表情の中に少しだけ疲れが見て取れた。
二人は昔から、年下のルーシャをよくからかったが、今日はそのおかげで少し場を和ませているのだと、ルーシャは気付く。
きっとこれから、この二人は死ぬほど忙しくなるのだろう。
「まさか二人とも、これから連盟に戻って徹夜か?」
「いーや、さすがに一晩じゃまとめられねぇし、リィケの身体も夜が明けてから作業する。明日からの激務を考えると、早く帰って寝といた方がいいかもな……」
「今日は夜食のエッグタルトも無いしね」
「そうだな……」
研究課の二人は、よく徹夜で作業をすることが多い。
リーヨォなどは自分の研究室があるため、寮の部屋にはあまり戻らず、研究室に寝泊まりをしているのもザラにある。
その時、外から馬車が店の前に停まる音がした。
店のドアベルが鳴る。
「たぶんラナロアだね」
「じゃあ、帰る…………あ、そうだ、すっかり忘れてた。おい、ルーシャ」
「何?」
「お前、ベルフェゴールの顔は見て覚えているよな? 覚えているなら、忘れないうちに似顔絵描かねぇと!」
「そうだったね。じゃ、あたし下に行ってラナロアにちょっと待っててもらうわ」
「おう、頼む。あ…………ちょっと時間掛かりそうだから、お前も下でラナと待ってろよ」
「了解。終わったら呼んでね」
イリアが部屋から出て行くと、リーヨォは持ち物からスケッチブックと木炭を取り出す。
「んで、特徴だが……まず顔の輪郭は…………」
「えぇっと……」
ルーシャは思い出しながら、ぽつりぽつりと特徴を上げ、リーヨォがさらさらと描き出す。人形使いであり、リィケの顔の造形に係わっているだけあって、リーヨォは絵が上手い。
しばらくすると、ルーシャが言った通りの特徴が紙に描かれ、街道で会ったベルフェゴールの顔が出来上がる。
「おぉ~……凄いな、リーヨォ。そっくりだ」
「………………」
ルーシャは思わず感嘆の声を上げるが、リーヨォは自分で描いた絵を見詰め、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「どうした? 良い出来だけど……」
「あ……いや、本当にこんな顔だったのか?」
「信用無いな…………左目の下にホクロが有ったことまで覚えているくらいだ……。忘れたくても、しばらく頭をかすめるだろうよ……」
「そうだな…………悪ィ……」
「…………?」
リーヨォは再び絵を睨むように見たが、何も言わずにスケッチブックを閉じて片付ける。
「さて…………お前も今日は大変だったな。一緒にラナロアの馬車に乗せてもらって帰るか?」
「大丈夫なら、そうさせてもらおうかな……」
リーヨォは立ち上り伸びをする。大きく息をつくとルーシャの方を向き、真顔で口を開いた。
「なぁ、ルーシャ。帰る前にひとつだけいいか?」
「ん? まだ何かあるのか?」
「これは……ラナやイリアに……あと、リィケには言えることじゃないんだが…………」
真顔で、とても言い難そうに、リーヨォはルーシャにひとつの『確認』をすると決めた。
日付が変わって間もなく、ルーシャたちはトーラストの街へ向けてラナロアの馬車に乗った。
二台あるうちのひとつにリィケを寝かせて、ルーシャはラナロアと一緒にそれに乗り込む。
“ラナロアに色々問い詰める”と、決めていたはずのルーシャだったのだが、これまでの緊張がほぐれた途端に疲労と眠気が襲ってきて、街へ着くまでリィケの隣で眠っていた。
自宅まで送ってもらい、眠い眼を擦りながら暗い玄関に入る。何もする気も起きず、そのまま部屋にあるソファーに倒れ込む。
「もう、ダメだ……疲れた……」
さすがに、あんな事があった後なので、ハンナに言ってしばらく休みをもらった。
しかし休みの間、ルーシャはずっと同じ事で悩むのだ。
それは、リーヨォが『確認』した事。
――――お前は、退治員に戻るのか?