研究員
今のところ、この町でリィケが人形の身体だと知っているのはルーシャだけだ。
宿場町に着いたルーシャは、眠ったままのリィケを抱えて真っ先にハンナの店に向かおうと思った。
しかし、町の入り口に二人を心配して、アリッサが待っていたため、少しだけ教会に寄ったところ、たまたま町に立ち寄った旅の法術師が怪我人の治療を行っている。
「ルーシャさんやリィケくんも怪我してますよね? 丁度良いから、治してもらえば…………」
「……あ、いや……そういう訳にも…………」
「……? 怪我治すだけですよ?」
リィケを普通の人間だと思っているアリッサは、ルーシャがリィケの治療を行わないことに疑問を抱いたようだ。
ハンナの店へ急ぐルーシャに、ぴったりとくっついて来ている。
「……店長、いますか?」
「あっ!! ルーちゃん!! リィケちゃんは無事だったの!?」
どうやら、ハンナはリィケが街道に置き去りにされたのを知っているらしく、ルーシャが腕に抱えたリィケを見るなり、飛び付く勢いで駆け寄ってきた。
「ああ、良かった、見付かったのね! リィケちゃん、何かボロボロに…………ん? えっ!? やだ、リィケちゃん息してない!?」
「えぇっ!? ほんとだ……まさか死ん……」
「あー…………これは、その…………」
やっぱり、近付いてみたらそうなるよなぁ……。
ハンナもアリッサも顔を真っ青にしてリィケを見ている。ルーシャが困って言い澱んでいるため、更に二人は最悪な状況に気持ちを持っていってしまったようだ。
「なんて……何てこと!! こんな小さな子が殺されるなんて!! かわいそうよ! う……うぅ~、あぁああっ!!」
「うぅ……やだぁ……何でリィケくんがこんな目に……!! うううっ……」
これは完全に、リィケの遺体を持ち帰ったと思ってしまっている。二人が店の入り口で大号泣をしてしまい、ルーシャは途方に暮れてしまった。
言った方が良いのかなぁ……?
ハンナとアリッサは、ルーシャが退治員を辞めてからすぐの付き合いだが、お互いに顔と存在はもっと前から知っている。
ハンナの店は昔、ルーシャの死んだ妻のレイラが、学生の頃に時々アルバイトをしていたのだ。
ルーシャとは違い、気が強く愛想の良かったレイラは、店ではとても人気があった。ハンナも気に入っていたし、小さかったアリッサもレイラによくなついていて、彼女に憧れてトーラストの神学校に入ったほどである。
ルーシャはレイラより三才年下だった。
下級生のルーシャは年上のレイラに好意を寄せていたが、年齢と家柄のため一緒にアルバイトをすることも許されず、彼女に会うためハンナの店へ頻繁に足を運んでいた。
ちなみに、レイラも学生から退治課だったので、トーラストの街から宿場町までトレーニングを兼ねて徒歩で通っている。
まさに、現在のルーシャとリィケは、当時のレイラとルーシャの立場と同じことをしているのだが、その事は棚に上げている、当のルーシャはすっかり忘れているようだ。
そんなこともあり、ハンナもルーシャのことは子供の頃から知っている。
レイラが亡くなった時も、ルーシャに深く聞くことなく受け入れた。ハンナは商売柄、客の内緒話も聞くせいなのか、とても口が固く、話も茶化したりはしない。
ルーシャは軽く息をつくと、二人を連れて奥の休憩室の中に入り、ベッドにリィケを寝かせた。
リィケの身体に掛けていた上着を取ると、二人はリィケの身体に開いた穴や、外れた脚に目が釘付けになっている。
「えっ……と、リィケちゃんは………………」
「人間の身体じゃ…………」
「身体は人形ですが、中身は生きた人間です」
なんとなく『人間ではない』とはっきり言うのが躊躇われて、ルーシャは少しだけ説明を入れた。しかし、この短い説明はかえって二人の疑問を大きくしてしまった。
「ルーちゃんは知っていたの? こんな重要なこと……リィケちゃんがルーちゃんに話したの?」
「リィケくん、ルーシャさんのこと好きだと思いますけど、何でここまで……ルーシャさんも……」
「……………………」
心配のあまり、いつになく突っ込んでくる二人に対して、今度は何を話せばいいのか。ルーシャは再び黙り込んだ。
ハンナもアリッサも信用できる人物だ。
でも、話して良い範囲がどこまでか……ルーシャには判断できない。
その時。
ガランガランガランガラン!!
店の入り口のベルが乱暴に鳴った。
「あら、誰か来たんだわ。準備中にしていたのに……今日はお断りしないと」
ハンナが急いで部屋を出て店の方へ向かおうとしたが、廊下で慌てるような声がする。
『えっ!? あの、ちょっと……!!』
『あ、すみません。お邪魔しまーす!』
『ちょっと邪魔します…………ルーシャとリィケがここに来てるって聞いたんで……』
部屋のすぐ近くでハンナと鉢合わせしたのだろうか、男女の声が聞こえてくると、どかどかと足音が休憩室に近付きノックもせずにドアを開け放った。
「おぅ、やっぱり居たか。リィケはどの程度無事だ? すぐに検査するから退いてろ!」
「ルーシャ、久しぶり! あんたの怪我は治す気無いけど、リィケが心配だから来たよー!」
一切の遠慮もなしに部屋に入って来たのは、全身黒ずくめの服の男女二人。どちらも二十代半ばから後半に見える。
「…………リーヨォ……それに、イリアも来たのか……」
ルーシャは入るなり挨拶も特に無しの二人に呆れてしまうが、この二人はいつもこんな感じだったと思い出す。
この黒ずくめの二人は【聖職者連盟トーラスト支部】の『研究課』の研究員である。
よれよれの黒い上着に、ボサボサの長い黒髪を無造作に束ね、黒い瞳に黒縁の眼鏡と不精ひげ。猫背で入ってきた痩せている中背の男性。
この人物は人形使いの『リーヨォ』
そのリーヨォに続いて入って来たのは、同じ黒でも小綺麗なローブにアクセサリーをつけている女性。長い金髪を緩くウェーブにし、濃い茶色の大きな瞳、スタイルも良いなかなかの美人。
こちらは死霊使いの『イリア』
二人ともルーシャとは顔見知りであり友人だ。
そのせいで、ルーシャには遠慮がない。
研究員の二人はベッドに寝かされたリィケを見ると、すぐに自前の荷物から本や何かの器具を取り出し身体を調べ始めた。
「あ~あ~……、随分と派手にやってくれたなぁ。でも『核』が壊されなかったから、一応無事ってところか…………どうだ、イリア?」
「うーん、循環用の魔力がほとんど無くなっているわ。さては……アレ、使ったわね?」
たぶん『アレ』というのは……『神の欠片』のことだ。
当たり前だとは思うが、二人はリィケが【サウザンドセンス】だと分かっている。
ルーシャには二人の手伝いが出来ないので、近くの壁にもたれて見守るしかなかった。
イリアがぶつぶつと何かを呟き指を動かすと、イリアの手が青白く光る。そのままリィケの身体に向けて、光る手を撫でるように動かした。
おそらく、鑑定などの調べるための魔術だろう。リィケの身体の上を一通り過ぎた後、リーヨォに何か数字や専門用語をいっている。
「あー、ここじゃ『修理』は無理ね。魔力の喪失もあるし、設備がないとやりにくいし…………気分的にも、ね」
「…………すまん」
イリアがチラリと目で合図を送ってきた。
ルーシャの背後には、部屋の入り口で心配そうに、ハンナとアリッサが痛いくらいの視線をルーシャたちに向ける。
ルーシャがたまらず顔を上げると、書き物をしていたリーヨォがルーシャの方を見て、思い切り口をへの字に曲げて睨んでいた。
「おい、ルーシャ」
「……何だよ?」
「そこの二人にどこまで話した?」
「……今、目に見える範囲だけだ」
「そうか……」
眉間にシワを寄せて深くため息をつくと、リーヨォはヅカヅカとハンナたちの前に不機嫌な表情で近付く。
「……リィケは俺が作った『生ける傀儡』だ。それで、リィケはルーシャの親戚になるんだが、ついでに言うと、この子は【サウザンドセンス】という希少な人間になる」
「「え…………?」」
「リーヨォ!?」
リィケがルーシャの子どもだとは言わなかったが、リーヨォはいきなり二人に真相を話した。
「この事は連盟の中でもトーラスト支部の上層部、数人だけが知っている極秘事項だ。はっきり言うと、バレるとトーラストの街そのものの存在が危うくなりかねない。それを今、あんたらは知ってしまった訳だ…………」
その極秘事項、お前が喋ったんだろ!
ルーシャはリーヨォの奇行に驚愕する。
その横でイリアはリィケに毛布を掛けながらにんまりとしていた。彼女はリーヨォの言動を楽しんでいるようだ。
腕組みをしたリーヨォは、まるで二人を威圧するように低い声で話を続け、ハンナとアリッサはパクパクと口を半開きにして、顔を蒼くして直立する。
「もし、そっちが良ければこれからも、ルーシャとリィケを助けてやって貰いたいんだが…………お願い出来ねぇかなぁ?」
「「っっっ…………!!」」
もはや『お願い』という『脅し』だろう。涙目のハンナとアリッサは高速で縦に頭を振っている。
二人の反応に満足したのか、リーヨォは懐から煙草を取り出しマッチで火を点けると、ニヤリと笑って深く吸う。
「…………で、俺らはちょっとばかし、ルーシャに話を聞かなきゃならないから、この建物に他の奴が来ねぇように、店の入り口で見張っててくれねーか?」
「わ、解ったわ!」
「いいい行ってきます!!」
ハンナとアリッサは揃って部屋から出ていった。
ルーシャは気の毒な気分になりながらも、二人が居なくなったことに安堵する。
リーヨォは煙草を咥えながら、リィケの側に有った椅子に座り、ルーシャを険しい目で見上げた。
「ったく……秘密ってのは中途半端に言うな。中途半端はあの二人の中で『憶測』を生む。秘密を守らせるなら二人が納得できるとこまで話して黙らせろ。あの二人が信用できる人物なら、協力してもらった方がいいだろ」
「だからって、あんな態度で……」
「まぁ、リーヨォの持論だけど、それが楽よね~。あたしここのエッグタルト好きだし」
「何でそこでエッグタルトが? …………あ……」
どうやら、リィケがこの店に通い詰め、毎回持ち帰りで買っていった物は、この二人がお金を渡して頼んだものらしい。
子供の小遣いで何故、毎日のように買いに来れるのか?
ルーシャはいつも疑問に思っていたのだ。
「…………リィケがラナロアに内緒でここに来てたの、お前ら知ってたのか?」
「まぁ、な。ラナロアにバレた時、最上級の笑顔で『グルでしたか』と言われた時はマジで怖かった……」
「元はあたしたちがうっかりリィケの前で、ルーシャの名前出しちゃったせいなの。それで会いたいって言い出しちゃって……。ごめんね、リィケ……」
寝ているリィケの頭をイリアが優しく撫でた。
「それで……街道で何があった? ここへ来る前に、街道の一部に魔力や聖力の流れがおかしくなった場所があったんだ。たぶん、リィケのせいだと、ラナロアが調べているんだが……どうなんだ?」
「リィケが【サウザンドセンス】だって……オレは今日まで知らなかった……。でも、リィケがいなかったら、あそこで死んでいたかもしれない……」
「ルーシャがそこまでやられるなんて、随分な大物が出たみたいね……」
「――――【魔王階級】が出た」
「「………………」」
ルーシャの言葉に、二人は目を見開いて固まった。
リーヨォは危うくまだ燃えている煙草を落としそうになり、慌てて近くの灰皿に押し付けている。
「リィケはそこで『神の欠片』を使ったようだ。それで……そいつにオレたちは目を付けられたみたいなんだ……」
部屋の中が静まり返る。二人とも座ってはいるが、顔をしかめながら、落ち着かない様子で腕や脚を組んでいる。
ルーシャは息を吸って再び口を開く。
「そいつは【魔王ベルフェゴール】と名乗った。五年前……レイラを殺した悪魔を知っていると言っていた」
「そう、か……」
リーヨォは懐からまた煙草を取り出したが、火を点けずに咥えたまま、片手で額を押さえて俯いた。