【魔王】と『淑女』 その3
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うっすらと埃を被っても尚、その部屋の装飾は美しく、床のど真ん中さえ崩れて落ちていなければ、すぐにでも人が住めるだろうと思えてしまう。
「……………………」
部屋の入り口でボォっとした瞳で、一人の少年が立ち尽くしていた。
見た目は12、3才。
全身良質な布地で作った黒い衣装、所々に立派な宝石が縫い付けられている。
左眼には眼帯を着け、右眼は深紅。
顔貌はまるで人形のようで、艶のある黒髪がキレイに整えられていた。
黒髪の少年はひたすら、出入り口のところから部屋の全体を見ている。
ピクリとも動かないその表情からは、彼が何を考えているのかはまったく分からなかった。
長い時間立ち尽くしている少年の背後に、スゥッと背の高い人影が近寄ってきた。
赤いドレスを着た、背の高い金髪の女性である。しかし、女性の姿は一瞬にして“翼ある白い狼”へと変貌した。
『ロアン、何か進展はあったか?』
「……………………」
声を掛けられ、少年……ロアンはゆっくり後ろを振り向き、クキンッと首を真横に倒す。
「…………しん、てん……?」
『あぁ。何かお前が知らなかった事でも、奴らは話しているか?』
「…………ない。ぼく、ぜんぶしってる」
『そうか……』
――――記憶力と状況理解力は高いが、語彙力はこれからか。年齢を考えれば仕方ない。
ロアンは難しい言葉をあまり理解できていない。何故なら、彼の中身はまだ人間の五歳児である。彼を育ててきた【魔王マルコシアス】は、それをよく理解していた。
「……でも、ちょっと、ヤなことある」
『“嫌な事”とは?』
「………………」
無表情だったロアンが口をへの字に曲げ、ギュッと眉間にシワを寄せた。さらにビシッと部屋の奥を指差す。
「あいつ、さっきからリィケのとなり、すわってる…………」
『そうか。残念ながら、我には見えんが……』
試しに朽ちた部屋をじっと見るが、マルコシアスには古いカーテンくらいしか見えない。
ここは『神の欠片』の能力のひとつ、『忘却の庭』で造られた場所。
リィケたちのいる場所が現実で“基本的な表の世界”とすれば、ここはその世界とは幻に近い“次元がズレた裏の世界”だ。
この『裏の世界』は、その世界を創造した者によって違う。
ロアンたちが居るのは現実のトーラストの街並にそっくりだが、何十年も経った廃墟が並ぶゴーストタウンのような姿をしている。
そして、この朽ちた部屋があるのは『表の世界』でリィケたちが集まっている場所、つまり元はラナロアの屋敷ということになるのだ。
ロアンはこの世界に存在できる能力、『忘却の庭』を使える【サウザンドセンス】だ。
それ故に、この場に居て『表の世界』の様子を覗き見ることができた。
現実の部屋では話し合いの真っ最中であり、リィケの隣りにレイニールが座っていることへ、ロアンは不快感を隠そうともせずに顔を顰めていた。
『あやつがリィケの隣りに座ったからといって、何か起きる訳ではないであろう?』
「なんか…………ヤ、だ…………」
『………………ふ……』
今度はぷぅっと頬を膨らませるロアンに、マルコシアスは思わず口の端を上げた。
「あいつ、ぼくと、おなじかお。リィケ、だまされてる……」
“あいつ”とは、レイニールのことである。
どうやら、ロアンは仲良しのリィケをレイニールに取られたと思っているようだ。
『同じ顔をしているのは、お前がレイニール王子の“身体”を借りているせいだ』
「…………じゃあ、かえす」
『今、王子に身体を返却すれば、お前自身がどうなるかわからん。不快だろうが、短気を起こさん方が良いぞ』
「………………………………………………」
ぐぅっと口を結び、ロアンは黙って部屋の真ん中へと視線を戻した。その様子にマルコシアスはククッと喉を鳴らす。
『お前も“嫉妬”をするようになったか。だいぶ成長したものだ』
「しっ、と……?」
『嫉妬』という言葉に、ロアンは前を見たまま再びクキンッと首を曲げる。
『知らぬなら、まだ覚えずとも良い。それよりも“表”の状況を我も知りたい。見えるようにしてくれるか?』
「はい、ははうえ」
返事と共に、ロアンが両手を重ねて前にかざした。
ぐにゃんと部屋の景色が一瞬歪んですぐに戻る。すると、ボロボロだった部屋は一瞬で立派な調度品の置かれたものへと姿を変えた。
それから、ぼんやりと部屋に置かれたソファーやイスに人影が浮かび上がる。それらは半透明であったが、ハッキリと『表の世界』にいるリィケたちだと判った。
『…………………………』
一瞬だけ、マルコシアスがルーシャの方を見詰めて眉をひそめたが、すぐに顔を逸らし話をしているサーヴェルトの方へと向き直った。
『あの日の事を、皆に話しているようだな』
「…………ごねん、まえのことも、だよ」
『そうか』
彼らがサーヴェルトが倒れていた『あの日』から、マルコシアスたちに関する『五年前』の事を話しているのは想像出来ていた。
むしろ必然であると考え、マルコシアスは『表の世界』にいる面々を見回した。
『王女に王子、研究者…………まぁ、この面子ならば良いだろう。サーヴェルトなら上手くまとめて話すはずだ』
サーヴェルトが話す声が所々聴こえてくる。
『レイラたちを襲ったのは、知り合いに扮した悪魔だった』
『知り合いって…………』
『フォースラン夫妻とも面識があって、レイラも一瞬だけ躊躇したはずだ。本当に…………顔だけはルーシャがそっくりに育ったからなぁ』
『まさか、五年前にライズとルーシアルドの家族を襲ったのは…………』
聡いミルズナはすぐに解ってしまったのだろう。サーヴェルトに恐る恐る尋ねる。
『マルコシアスが言った。レイラたちを襲撃したのは、うちの息子…………ルーベントの“姿”を奪った悪魔だと……』
幻影を通しても、その場が凍りついていくのが判る。
マルコシアスはすっと両目を細めて、その言葉を苦々しい気持ちで聞いた。
『ルーベニアルド・ケッセル』
愛称は『ルーベント』
マルコシアスはルーベントとはあまり関わることは無かったが、彼の容姿と性格はよく知っていた。
容姿はサーヴェルトやルーシャによく似た青年。しかし、ケッセル家の特徴である『銀紫の髪』と『紫紺の瞳』とは違い、彼は『黒髪』に『黒曜の瞳』だった。
ルーベントは良く言えば『優秀な聖職者』、悪く言えば『特徴のない司祭』だった。法力は悪くはないが凡庸で、直接悪魔と戦うことのない『祭事課』の司祭をしていた。
性格は聖職者らしくおっとりしていて、家族にも他人にも優しく接する人物。今思えば、父親のサーヴェルトよりも、母親のアルミリアに似ていたのかもしれない。
そんなルーベントが『祭事課』から『退治課』に転課したのは、息子のルーシャが生まれた直後だった。
彼はよく出張に出掛けて家を留守にしていた。彼が『ブラッド』の家系と関わりを持ったのもこの頃だったようだ。
代々『ケッセル』は【魔王殺し】と呼ばれる退治員の家系だが、当時のルーベントがそれになるのは正直“微妙”であると周りの誰もが思っていた。
剣術は弱くはなかったが嗜む程度しか身に付いておらず、法術も回復や攻撃以外のものしか使えない。
そして、彼が【魔王殺し】にはなれない決定的な理由がある。
二つ名を名乗れる条件のひとつ、ケッセル家の『宝剣レイシア』をルーベントは扱うことができなかったのだ。
だからこそ、サーヴェルトは息子に退治員を強要せずに好きにさせていたのたが…………
――――自由にさせた結果がアレとはあまりにも残酷なものよ。
二十年前、彼は死んだ。
そして“姿”を悪魔に奪われ、それが後に利用されてしまった。
ケッセル家にとっては『最大の恥』とも言える案件だ。しかし、サーヴェルトはマルコシアスのことと、『五年前の事件』を話すにあたり、この事にも触れなければならなかった。彼は当主として覚悟を決めたのだ。
『表の世界』での話を聞きながら、マルコシアスは静かに眼を閉じる。
彼女はレイラの身体を取り込んだことで、レイラが生前体験した記憶を視ることができた。
つまり、五年前の『あの日』を知ることができたのだ。
閉じた瞳の裏側でアルバムを捲るように、様々な情景が流れていく。
…………………………
………………
――――五年前。
レイラはルーシャと結婚し、現在はその身に子供も授かっていた。
彼女はシスターの資格を持った優秀な退治員である。
フォースラン家の『聖弾の射手』や『鋼拳の淑女』の二つ名まで持った武闘僧でもあったが、結婚を期にそれらを手放してあっさりと連盟を退職した。
意外にも、かつて悪魔を震え上がらせた女性は家庭に入る道を選び、それらとは無縁の生活を好むようになった。
ある日の昼過ぎのこと。
同居する実父のランディが、家に入るなり神妙な顔で妻とレイラを呼んだ。
「お父さん、今日は早いのね? 何かあった?」
「……あぁ、とにかく座りなさい」
その時間、父と同じ連盟の『退治課』にいるルーシャと、神学校に通う弟のライズはまだ帰っていない。
真面目な父親が急に早退をするなんて……とレイラは首を傾げていたが、一緒に居間に入った母親も何か様子がおかしいことに気付いた。
「えっと……?」
どうやら、何も分からないのは自分だけだということをレイラは感じ取って戸惑う。
「レイラ。今から私が言うこと、創世の神に誓って全て嘘偽りはない……」
「…………………………」
真言の誓いだ。
まず一般家庭において、この文言を告げられることはないだろう。せいぜい、浮気をする旦那が妻に締め上げられた時に、悲鳴と共に発する言い訳でしか聞かない。
この間、息抜きにイリアと見に行った喜劇の内容がそんな感じだった。
しかし目の前にいる父親の次の言葉は、そんな彼女の呑気な気持ちをぶち破った。
「…………レイラ、お前は私たち夫婦の子供ではないんだ」
「え?」
当たり前に一緒に居た両親が、自分の親ではない……?
『あなたって、ご家族と似ているのは“金髪”だけね? 本当にあの優秀なフォースラン家の血筋なの?』
思い出したのは、学生時代に彼女とは反りが合わなかった同級生に言われた嫌味混じりの言葉。その場では腹が立ったが、後で思い返して納得して笑ってしまったことがある。
フォースランの家系は『銃術士』と『法術師』を多く輩出しているのが特徴で、神学校でもその能力を評価されていた。
しかしそれに対して、レイラは退治員としては優秀だったが、武器のひとつである銃はあまり使わず、法術の類はほとんど会得できなかった。
性格は大雑把で神学校での座学などは苦手であり、そんなに良い成績だったとはいえない。
気にしないようにしていたけど…………
今、目の前にいる両親と、この場にいない弟のことを思う。
真面目で信頼も厚い司教の父親。
温厚でしっかりした家庭的な母親。
そして、父親そっくりの優秀な弟。
今まで自慢に思っていた家族だが、どこか自分とは違うと思っていたのだ。
「お父さんたちの娘じゃないなら…………私はフォースランの血筋でもないの?」
「あぁ。今のフォースランの血筋は、私とライズだけになっている」
「そう。そっか…………」
正直驚いたが、彼女はそれを素直に受け止める。姿勢を正し、真っ直ぐな瞳で父親の顔を見た。
「…………私は“誰”なんですか?」
――――自分の知らなかった事実が明かされたのは、それについての避けては通れない問題が起きたから。
勘の良いレイラは、父親が話そうとしている本質をすぐに理解したのだ。
「「…………………………」」
両親が一瞬だけ目を伏せたが、その後はレイラの目を見ながら言葉を紡いでいった。
「レイラ、お前は『ブラッド公爵家』の人間だ」
「公爵……? 貴族の家?」
「あぁ。だが、そこはお前が居てはいけない家だったんだ」
ぐっ……と、両親の顔に険しさが増したように思えた。
「あの家ではお前を“生け贄”として…………いや、それどころか【魔王】の“器”として育てていたんだよ」
聞き慣れない言葉に、レイラの思考はしばらく停止した。しかし、今現在の自分に戻ってハッとする。
「生け贄って…………でも私、無事よね……?」
「お前を救けてくださったのはルーベント様だ」
「ルーベント様……」
名前だけは知っている。
夫であるルーシャの父親。つまり、レイラにとっては義理の父となる。
「でも……」
そのルーベントはいない。十五年前に亡くなったとルーシャから聞いていた。
「そう、彼は亡くなっているんだ。十五年前に、パートナーの私が駆け付けるのが遅れたせいで…………」
父のランディが深く項垂れた。
この時ほど、いつも自慢の父親が小さく見えた時はないとレイラは思った。