【魔王】と『淑女』 その2
ルーイの妹はレイラ。
では、レイラの息子とは……
「レイラの子供と言えば、お前であろう?」
「あ………………うん」
今のリィケは頷くしかない。
みんな、知らないから。
レイラとルーシャの本当の子供はロアンだ。偶然にもリィケはこの事実を知っている。
おそらく、確実にそれを知っているのはこの場ではルーシャ、ライズ、サーヴェルトだけ。アルミリアとラナロアが知っているかは分からない。
イリアとリーヨォ、レイニールは知らないはずだ。
それを踏まえて、リィケはこっそりと全員の様子を窺った。
「「…………………………」」
その事実を知っている、ルーシャとサーヴェルトが黙り込んでいる。よく見ると、二人とも少しだけ目が泳いでいた。
二人から視線をずらすと、同じく事実を知るライズの方は少しも表情が崩れていない。さすが、王女付きの『上級護衛兵』である。
「どうした? お前はこれについて何か言いたいことでもあるのか?」
「へ? う、ううん! ただちょっとビックリしただけだよっ……!」
怪訝そうに自分の顔を覗き込んできたレイニールに、リィケはできる限り平静を装った。
「ふむ。驚くことはないだろう。お前がルーシャの息子なのは皆知っておるのだし」
「う……うん…………」
レイニールが珍しくにこりと笑ったので、リィケは思わず見惚れてしまった。元の顔が良いので笑顔の破壊力が半端ない。
リィケが気恥ずかしくなって顔を逸らしたところ、離れた席にいたリーヨォにバチッと視線がぶつかった。
「………………?」
「っ…………」
……今、リーヨォが変な顔して僕のこと見てた?
パッと手元の書き物に戻ったが、明らかにリーヨォが顔を歪めてリィケとレイニールのやり取りを見ていたのである。
書き終わったのか、手を止めて口を開くリーヨォ。
「…………あー、それはそれとして、サーヴェルト様……話を戻すと、大本の原因は『ブラッド公爵家』ってことになるのですか?」
リーヨォがすかさず話の修正を入れてきた。どうやら、レイラの子供の話を終わりにさせるようだ。
「そうだな、それと話はもう少し続く……」
話の中心部を逸らされ、サーヴェルトとルーシャがホッとしたような表情をしたのをリィケは見逃さなかった。
もしかしたら、あの後すぐにロアンのことが話され、サーヴェルトが『子供』の真実を知ったのかもしれない。
やはりまだ、リィケのことは伏せるつもりでいるのだろう。
サーヴェルトは再び、ルーイとの会話へと話を戻した。
…………………………
………………
「本当に……今、お前たちが言ったことは真実なのか……?」
『先に、我は誓ったであろう? ルーイもロアンもこの場で嘘を言う利は無い』
「…………だが……」
にわかに信じ難い。
「今、私が言ったことを直ぐに証明することは難しいのは確か。しかし、そのせいで問題が起きたのは事実です」
目の前に佇む『狼の面』が少し俯いた。
今の話を整理すると、このルーイという男はベルアークという街を治めていた『ブラッド公爵家』の人間である。
そして、レイラとメリシア妃は姉兄妹だと。
「…………今までレイラは、一般人であるフォースラン家の者として育てられた。ブラッド家だと……公爵という後ろ盾を隠していたんだ?」
この際、サーヴェルトはレイラがどこの出自だろうと構わないと思った。
しかし何故、国でも地位のある家柄を隠さねばならなかったのか?
昔からサーヴェルトのみならず、根が実直で曲がったことを嫌い、不正には一番に声をあげるランディが嘘偽りを通してまで庇っていたのか?
「…………はぁ……」
ルーイが小さくため息をついた。
「その経緯を話すのは、私でも少し躊躇われるほど…………“一族の恥”でもあります……」
「…………恥?」
「ランディ様は……いえ、フォースラン夫妻は、血の繋がりの無いレイラをブラッド家から匿ってくださったのです。レイラは一族に狙われ、殺されかけていましたので……」
「は? 何だって?」
レイラが……一族から殺されかける?
サーヴェルトの頭は、ますます混乱しそうになった。
ランディがレイラたちと暮らし始めたのは、今から二十年以上前だった。正確に言うと、レイラがまだ3才くらいだったから、今から二十五年前だ。
それくらいの幼子が何故、一族から命を狙われなければならないのか?
普通に生きて入れば到底、有り得ないことだろう。
もしかしてレイラの母親共々、命の危険があったのか?
「レイラではなく、母親のフォースラン夫人の方では…………」
「…………残念ながら、あの方はブラッド公爵家とは関係の無いメイドでした。狙われたレイラを連れて逃げたのです」
夫人も赤の他人であった。
「何故、命の危険に?」
「…………レイラは【魔王】を喚び出すための『生け贄』になるところでした」
「なっ!?」
「ブラッド公爵家は『悪魔崇拝』の家系でした。現代で、衰退しかけたブラッド公爵家は、再び権力を持とうと、数百年ぶりに【魔王】を召喚するつもりだった」
――――『悪魔崇拝』
はるか昔、この国でそれは珍しくなかった。しかし現在では崇拝の対象は『創世の神』であり、『悪魔』や【魔王】を崇拝することは厳罰の対象になっている。ましてや、生け贄などはどの国でも許されることではない。
「国から爵位を与えられている家系が、よりによって『悪魔崇拝』だと……? しかも【魔王召喚】を…………」
「大昔に【魔王】と契約して盛り立てた家柄だと伝わっています。ブラッド家は魔術師の血筋でもありましたから、この国で地位が無ければ生きづらいと思いますので……」
唯一見えているルーイの口許が歪んだ。
この国では聖力を使う聖職者が優遇される。魔力を持つ魔術師は、どんなにその力が大きくても、そうとうの信頼が無ければ世間からの評判はあまり良くはない。
だから、表向きは魔力の家系であることを隠して、社会的な地位を持とうと考えるのも無理はない話だった。
「しかし、ベルアークの街のことを思うと…………ブラッド公爵家はすでに滅んでいるはずだが……?」
「えぇ。仰る通り、すでに公爵家としては存在していません。ブラッド家は、幼い子供を【魔王】に捧げていました。滅んでも仕方のない家系です」
ルーイの穏やかな声色に似つかない、吐き捨てるような台詞。
「もしかして…………ルーイ、お前さんも…………」
「はい。私も、本来なら『生け贄』になるところでした。救ってくださったのは………………ルーベント様です」
「え……? うちのルーベントが?」
ルーベントとは、サーヴェルトの息子でありルーシャの父親である。
「ルーベント様には、いくら語っても語り尽くせぬ恩があります…………私も、レイラも」
「レイラを匿っていたのは、ランディだけじゃなく……?」
「そうです。最初に救われたのがレイラで、私は二十年前に。でも…………そのせいで、あの方はお亡くなりに……」
『――――ルーイ……』
突き刺すような低い声で、マルコシアスが二人の間に割って入った。
『話せば一夜でも終わらぬ。先ずはサーヴェルトの問いにのみ答えよ』
「はい」
ルーイは返事をして俯く。後ろにいるマルコシアスは目を細めてサーヴェルトを見ていた。
『サーヴェルト、望んでいるのは五年前の話であっただろう? それ以前の話は、後にゆっくりと聞くといい……』
「だが…………」
『今のお前たちが知ることは、五年前にレイラが殺されたことだ…………良いか?』
「わ、わかった……」
言葉の端々に妙な迫力があった。
「じゃあ、改めて尋ねる。五年前、レイラに起こったことはなんだ?」
サーヴェルトは息子の話を聞きたいと思いつつも、レイラの話を優先させることに気持ちを切り替える。
「先ほど、レイラがブラッド家で『生け贄』だった話はしましたね?」
「あぁ」
ブラッド公爵家の話を止めなかったところをみると、この話は根本に関わるのだろう。
「レイラは逃げ出すことで、それを回避したと思っていました。しかし『彼ら』の中では、そうじゃなかった」
「彼ら?」
「レイラを殺しに来た、別の『悪魔崇拝』の者たちです」
「……………………」
…………………………
………………
レイラが逃げのびて二十年。
彼女も大人になり、退治員として並の人間よりも逞しく成長した。そして、そろそろ母親になるという、幸せの絶頂とも言える時間を過ごしている。
すっかり安心していたランディだったが、ある日、トーラストの地域で『彼らの痕跡』を見付けてしまった。
ブラッド家の『悪魔崇拝』に関わった人間が生き延びていたのだ。
「本当に小さな変化だったそうです。『退治課』で立て続けに起こっていた悪魔退治の報告を見て、ランディ様はすぐに彼らが近くにいることを察しました」
「当時、ランディは『退治課』の課長だった。仕事の内容をまとめるのが日常だったからな……」
改めて、ランディが察しの良い人物であったと思い出してサーヴェルトは小さく頷く。
「そこでランディ様は思い切って、レイラに彼女の出生とブラッド家のことを話しました。レイラは動揺しましたが、すぐにその事を受け止めたそうです」
「まさか……死を覚悟して…………」
「いえ。逆です」
「ん?」
「『絶対に死なない、返り討ちにする』…………と」
「あの子らしい…………コホン。いや、すまん」
サーヴェルトは思わず苦笑いをしてしまう。
謝る彼にルーイを微かに微笑んだように見えた。しかし話は続いていく。
レイラとフォースラン夫妻は、近日中に彼らがレイラを狙ってくるだろうと予想した。そして自分たちの状況を整理していった。
おそらく、彼らが来るとすれば悪魔が喜ぶ“穢れ”が強くなるという出産前後を狙うこと。
トーラストの街にいる以上、簡単にレイラたちを襲撃することはできないだろうということ。
いくら勇猛な退治員であるレイラでも、身重のまま、もしくは産後すぐには戦えないこと。
そして何より、ルーベントのこともあり、ブラッド家の問題にケッセル家を巻き込む訳にはいかないということ。
「しかし、レイラたちだけではケッセル家に及ぶ害悪を止められないかもしれない……そこで、ケッセルの守護を別に頼もうとなりました……」
「つまり、レイラは偶然出会っていたマルコシアスに、ルーシャたちを護ってもらおうと?」
「はい。レイラはマルコシアス様に協力を仰ごうと考えたのです。自分の大事な家族を護るためにと……」
だが、マルコシアスにとってはブラッド家の人間の生き死になど関係のない話。最初は突然押し掛けた女の戯言など、聞く耳を持たないつもりだった。
邪険にされながらも、レイラは諦めずに彼女に交渉した。
『あら、いいのですか? ケッセル家は跡継ぎを失くすかもしれないのですよ?』
かなり乱暴な手段ではあるが、レイラはお腹の中の子供を理由に【魔王】であるマルコシアスに詰め寄った。
『もしも私が奴らに負ければ、ケッセル家にもその脅威がおよぶ。産まれてくる子供は、ケッセル家の次期当主ルーシャの子供なのだから』
そう言われれば、ケッセル家を護るマルコシアスは首を縦に振るしかない。
『我に何をしろと? 残念だが、お前たちの代わりには戦えぬぞ?』
『戦うのは私たち。ただ、死なせないでほしい人たちがいます』
レイラがマルコシアスに依頼したのは以下のことだった。
『自分がいなくなった後に、夫のルーシャと弟のライズ、産まれた子供を助けてほしい』
『ほぅ…………で? 我に対しての“対価”は何だ?』
『そうね……なら、“私の身体”は? 悪魔って、人間の姿が欲しいのでしょう? あ、もちろん、私たちが敗北した時に限ります』
『………………良いだろう』
ここで、二人の間に契約が成された。
それは、ルーシャとライズを出張に送り出した直後だった。
「…………なんて、馬鹿なことを」
話を聞いてサーヴェルトは愕然とした。
「ケッセル家を巻き込むことなど考えずに、全てを話してくれれば…………俺もルーシャも、それにマルコシアスだって最初から一緒に戦っただろうに…………レイラも家族なのだから」
やるせなさにギリッと下唇を噛む。そんなサーヴェルトに、ルーイが控え目に言葉を発した。
「それが、できなかったのです……」
「何?」
巻き込むという負い目以外に、なんの理由があったというのか?
「ケッセル家の家系も、彼らにとっては充分過ぎる『生け贄』に見えていたはず」
生け贄……という言葉が、サーヴェルトの頭の中でぐるぐると回る。
「いや、俺たちはブラッド家とは何も……」
「いいえ、関わってしまっています。レイラが嫁ぐ、ずっと昔に…………」
後ろで座しているマルコシアスの毛並みが、ほんの少しだけ逆だった。
「彼らは一度、ケッセル家の人間で【魔王】を喚び出すことに成功してしまった。それが……二十年前のこと……」
「………………二十年前って……」
「五年前、レイラの前に現れたのは……その、悪魔で…………」
ルーイが言い淀んだ時、サーヴェルトはそれが誰かすぐに思い浮かんだ。
「ルーベント……あの子の“姿”をした【魔王】が、この世にいるのか……?」