【魔王】と『淑女』
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サーヴェルトと向き合った女性は【魔王マルコシアス】ではない。
疲れ切った表情のせいで少々判断が鈍ったが、彼女は間違いなくかつてのルーシャの妻『レイラ』である。
「レイラか……?」
「サーヴェルト様……」
ふらりと身体が揺れたかと思うと、レイラはその場に倒れ込むように平伏した。
その姿には現役の退治員だった頃の、勇猛な『武闘僧』であった気迫などは感じられない。
「申し訳ございません!! 私はっ…………私が浅はかだったために……!!」
悲鳴に近い嗚咽混じりの声に、サーヴェルトは訳も分からず呆然と立ち尽くす。
「レイラ? 何を、言っている? それよりも……何でこんな……君は亡くなったはずでは…………」
今回、サーヴェルトがここまで来たのには、この五年にあった出来事を【魔王マルコシアス】に意地でも聞き出そうという強い思いがあってのことだ。しかし、身構えて来たところに出迎えたのは、五年前に確かに死んだはずのレイラだった。
地面についたレイラの両手がギリッと握られる。
「私は…………死んでない……」
「はっ!?」
一瞬、耳を疑った。だが、サーヴェルトは五年前のあの凄惨な現場を見ている。
「……君は、いや…………君たちの遺体は確かに現場にあった。検死もして、君やフォースラン夫妻だと特定もしている!」
「……………………っ……」
サーヴェルトがそう言い切った時、地面から顔をあげたレイラの表情が歪んだ。唇が震えて、ハクハクと力無く開く。
何かを言おうとして、それを言えずにいる……そんなふうに思えた。
まさか、何かの喩え……?
いや…………だが……
「どういうことなんだ……?」
「話し……できるのは、ここま……で……」
「何……?」
カクン。再び、レイラは地面に倒れ込む。
しかし彼女はすぐに顔を上げ、何事もないように身体を起こした。
「……ふん。もう充分、謝罪は述べたであろう」
片手で髪の毛をかき上げ、不満を募らせた表情でサーヴェルトの方へ向き直る。
彼女の瞳は『金色』だった。
「マルコシアス……」
「やはり、この『裏の世界』での活動は負担になるか…………所詮、レイラもただの人間よの……」
フィッと、明後日の方向を見て独り言のように呟くマルコシアスに、サーヴェルトは頭に血が上っていくのを感じた。
「だから……だから何だ!! 何でお前はレイラの姿をしている!? 五年前に何かあったんだな!? この状況は何だ!? 説明しろ、マルコシアス!! これは『命令』だ!!」
「……………………」
サーヴェルトとマルコシアスには主従関係がある。彼の眷属であるマルコシアスは、その命令に対して答える義務があった。しかし…………
「無理だ。我はケッセルの“利益”になる事しか答えられぬ」
恐ろしく静かな声。
「“利益”? どういう意味だ…………」
「そのままの意味だ。我はケッセルの…………お前の不利になることはできない」
「え?」
マルコシアスの顔には何の感情も無いように思えたが、いつもの上から押さえ付ける【魔王】の威圧は無い。真剣さだけが伝わってくる。
「…………じゃあ、答えられる範囲だ。何があった? 五年前に……何でお前はレイラの姿を……」
「我がレイラを取り込んだからだ」
「っ!? まさか、殺し…………」
悪魔は殺した人間の姿を奪うことができる。
「レイラたちを襲ったのは別の者だ。我はレイラから同意を得て、この姿をしているのだ。れっきとした『契約』の下にな」
「悪魔のお前と契約って……レイラも元は退治員だ。そんな馬鹿なことを……」
「フッ…………」
ここで、マルコシアスが鼻で笑った。レイラの姿がぼんやりと霞のようになり、徐々に翼の生えた白い狼へと変貌していく。
『我は“実直”を旨とする【魔王】だ。だが、我の言葉をお前は簡単には信じないだろう。退治員が悪魔と戦う上での業のようなもの……それは我も充分理解している』
「……………………」
ふぅ……と、小さなため息が聞こえた。
白い狼はその場に座り、サーヴェルトへ向けて軽く頭を垂れた。
『我、創世の神に誓い、これより偽りを口に出すことはしない………………これで良いな?』
「…………あぁ」
マルコシアスの言動に、サーヴェルトは頷くしかなかった。
例え【魔王】といえど、この世界では『創世の神』に誓ったことを破るのは許されない。つまり、人間も悪魔も『創世の神』の下では“平等”になるからだ。
誇り高い【魔王】が、自ら人間に向けて誓いの言葉を述べた。そこまでさせて、納得しない訳にはいかない。
『聞きたいなら聞け。制限の無い範囲で答えてやる』
「まずは……お前とレイラは、何処で出会った」
『…………直接会ったのは、ケッセルの屋敷でのことだ。ルーシアルドと婚約した時だったか、あっちは我を犬だと思って近付いてきた。そして、すぐに我の正体に気付いた。そこはさすがに名のある退治員というところか』
出会った経緯は偶然とも取れる。サーヴェルトは黙って聞き、次の言葉を繰り出す。
「では…………何で、お前はレイラの姿をすることになった? 五年前に何が起こったのか?」
それは全ての核心となる質問であった。
マルコシアスは少し下を向く。
『我が言えば……お前はルーシャにも言うのだろうな』
「当たり前だ」
『そうか、そうだな……あやつにも聞く権利はある』
「…………何が言いたい?」
『さっき言った通りだ。我はケッセルの利益になることしかしない。いや…………この場合は最悪から最善を考えた結果だ』
「いい加減に教えろ……」
曖昧な言い方で躱されたようでサーヴェルトは苛つきを隠せない。
ふぅ……と狼の口からため息が聞こえた。
『お前たちケッセル家は………………偶然、巻き込まれただけだ』
「なに……?」
『レイラが……あの者がルーシャと結婚しなければ、お前たちケッセル家は何も無かったのだ……!!』
「っ……!?」
ゆらり。
顔を上げたマルコシアスからは、明らかに殺気を含んだ怒りの気配が漂う。さすがのサーヴェルトも本物の【魔王】の覇気に一瞬たじろいだ。
その時、マルコシアスの横に人影が立つ。
「マルコシアス様…………」
『なんだ、ルーイ? 今回、お前には発言を許してはいない。黙って見ていろ』
今まで背後で沈黙していたルーイが、マルコシアスの横で頭を下げて跪いた。
「どうか、私の発言をお許しください。五年前、レイラの身に起こった事は私のせいでもあります……」
『フン……では、レイラの代わりに言うがよい。どうなっても知らんがな…………』
「ありがとうございます……」
スッと立ち上がったルーイは、そのままサーヴェルトへと向き直った。
「………………」
「………………」
お互いに距離を取った状態で黙って向き合っていたが、少ししてルーイが静かに会釈をしながら口を開いた。
「改めて、サーヴェルト様にご挨拶申し上げます。私の名前はルーイ…………『ルーイ・ブラッド』といいます。生まれはこの国の北方【ベルアーク】の街です」
「ベルアークの街…………それに……その『ブラッド』の姓は…………」
「はい。かつて【ベルアーク】を仕切っていた『ブラッド公爵家』です。二十年前、ベルアークと共に血筋の人間はほとんどが亡くなりました」
「…………なるほど。では、現在は君が当主か?」
「年齢順で言えば……」
「他にも、ブラッド家の人間が?」
「……………………」
ルーイはチラッと後ろにいるロアンを見る。
ロアンはボーッとしながらも、ルーイとサーヴェルトの会話を聞いていた。
「……生きているブラッド家の者は、私と“妹”、“妹の息子”…………そして、私の“姉の息子”の…………レイニール王子です」
「王子が……? だが……メリシア妃は……」
公では、レイニールの母親は一般の出身で、聖リルダーナ王都に住む貴族に養子に向かいえれられてから、王宮に寵姫として嫁いだとされている。
「国の正式な貴族であるブラッド公爵家ならば、何も身分を隠す必要は…………」
「隠す必要がありました。あの二人は特別でしたから…………」
「あの二人? メリシア妃とレイニール王子のことか?」
「いえ……姉メリシアと“妹”です」
「妹…………」
ルーイの“妹”…………まさか……?
「………………レイラ……か?」
「はい。彼女は、二十年前に生き別れた私の“妹”です……」
「それじゃ、ケッセル家が巻き込まれたというのは……?」
「五年前と二年前……元々、ブラッド家だけが抱える問題でした。ケッセル家も王家も、ブラッドの『血』が入ったことで『関係者』になってしまったのです」
「なんだと……」
サーヴェルトはルーイ、マルコシアス、そしてロアンの顔を見比べ、しばらく立ち尽くした。
…………………………
………………
――――現在。
「ここで、レイラが本当はブラッド公爵家の人間で、あの狼の面を被ったルーイと兄妹だとわかった訳だ。そして、レイラはフォースラン夫妻に引き取られて、実の娘として秘匿され続けてきた……」
「「「…………………………」」」
部屋は一気に静まり返った。
この後に発言できる者を待っているように。
『…………意外に……』
やっと絞り出したようにミルズナが声を出す。
『驚いたり、動揺したりされないのですね? ルーシアルド』
「…………先に聞いてましたから」
『そうですか……』
ふぅ……とため息をついて、ルーシャはライズの方を見る。
「オレよりも…………ライズ、お前も落ち着いているな。レイラとご両親の事、知ってたのか?」
「…………つい先日。姉と両親を本部で調べてもらって、姉がフォースランとは血が繋がってないと分かった。そりゃあ、最初に聞いた時は混乱した。でも、それよりも…………サーヴェルト様、話を続けてください」
気丈にはしていても、鏡の横に立つライズは伏し目がちだった。
「ライズが言った通り、レイラはトーラスト出身のフォースラン家の人間ではなく、ベルアーク出身のブラッド公爵家の人間。しかも、レイニール王子とは親戚関係にあった……」
『そうですね。実は私も本部の記録から、ライズのお父上のランディを調べ、夫人を調べ…………そこでやっと、彼女とレイラさんが二重三重に住まいを変えていたことを知りました。最初の住まいだけがわからなかったのですが、おそらくそれはベルアークだということになりますね……』
ミルズナはレイニールからの疑問に見事応えた。しかしそれは思っていた以上に複雑で難解だったという。
『ですが…………まずひとつ、理解し難いことが……あの、サーヴェルト?』
「はい、何でしょうか?」
『フォースラン家の聖弾の射手のランディ司祭は、サーヴェルトが懇意にしていたのでしょう? 何故、今までその妻と娘の出自に気づかなかったのですか?』
「………………………………」
ミルズナは教会の婚姻届や、彼らの転居届けなどの記録を調べ尽くしていた。
ランディの妻は本当の伴侶であったが、彼女は彼と結婚する前にレイラを連れてトーラストに来ている。
『ライズがトーラストで暮らしている時、誰もレイラがランディの娘だと疑ってなかったそうですが?』
故に、レイラとライズは血が繋がっていると思われていたのだ。
「え〜と…………」
一瞬、サーヴェルトが気まづそうに皆、特にライズの顔を見回した。
「ある日、ランディがふらっと街の外から、一人の女性と幼い女の子を連れてきました。そして言ったんです…………」
――――『出張先で身分違いの恋をし、彼女と駆け落ちして子供がいます。追っ手の不安から、二人には別の街に隠れるように指示し、やっと連れて来ることができました』
「…………と、まぁ……」
「「「えええ〜〜〜っ!?」」」
ルーシャとアルミリア以外の全員が、サーヴェルトに向かって叫ぶ。
「サーヴェルト様。失礼ですが、それを信じて大して調べもせずに、父と母と姉をトーラストに引き受けたのですか?」
まさに家族だったライズから、鋭いツッコミが入ってきた。
外部から来た人間が、現地の聖職者と婚姻関係になる場合、そこに邪教徒や反国家組織などの不正が無いか『領主』や【聖職者連盟】が確認を取って承認するのがほとんどだった。
承認自体は特に国から定められた訳ではない。
だが、当時のランディは連盟でも優秀な退治員だったので、それを目当てで近付く女性もおり、警戒はしていたはずだった。
「うん……そう、本人からの申告だったもんでな。まぁ……当時は全然疑わなかった……」
「性格的に、疑いようがない子でしたから……」
「ははは、私もまったく疑いませんでしたねぇ」
サーヴェルトとアルミリア、ラナロアは困ったようにお互いを見て笑う。
「…………ランディは、息子のライズに輪を掛けたような『大真面目』な男だった。まさか、あんな“大嘘”をつくとは誰も思わなかったんだよ」
どうやら、ランディの必要以上の“お堅い性格”が災いしたようだ。
『あ、なるほど、よく解ります』
「「「ああ…………」」」
「こっち……見ないでくれませんか?」
集中した視線を振り払うように、ライズは誰もいない方へそっぽを向いた。
コホン。
咳払いが聞こえ、和みそうになった空気を一掃する。
「話がまだまだ途中だ。サーヴェルトの話、余はまだ他に聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
「フォースラン家の話も気になるが、もっと気になったのが……」
レイニールがリィケの方を向いて言った。
「ルーイの“妹”がレイラなら、“妹の息子”とは…………リィケのことなのか?」