街道での記憶
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【聖職者連盟】の建物からそんなに離れていない、通り二本を過ぎた商店が連なる市場。
アリッサの家でもある、ハンナの食堂はこの通り沿いに店を構えている。
客層はほとんどが、連盟の職員や神学校の生徒であった。
「結婚が人生の墓場って言った奴!! そいつが今日あの場に居たら、大いに笑い転げていたでしょうね!!」
イリアはそう言い放つと、ジョッキに注がれたラズベリージュースを一気に飲み干した。しかもこれは食後である。
その勢いに、隣りに立っているエプロン姿のアリッサと、向かいの席にいたルーシャは顔を引きつらせている。
昼の時間が多少ズレたためか、店内には昼のピーク時よりも客の姿はなく、ルーシャたちも厨房に近い席でハンナやアリッサと会話をしながら食事を摂っていた。
「ほんっと、今日は朝からとんでもなかったわっ!!」
「……荒れてるなぁ」
「イリアさん、ジュースのおかわりしますか? 一杯くらいサービスしますよ」
「…………じゃあ、香茶にする」
「無糖で淹れてきますね」
「濃いめの、目の覚めるやつ……」
アリッサは厨房へと引っ込んでいく。
イリアはテーブルに突っ伏して、う〜う〜と低く唸り声をあげている。
「みんな忙しかったみたいねぇ。今日は連盟の職員のほとんどが、食事じゃなくて持ち帰りのランチボックスだったわ」
「たぶん、事務仕事メインの職員だろうな……」
アリッサと入れ替わりでホールにハンナが顔を出した。テーブルの空いた皿を片付けに来たのだが、手にはエッグタルトが入った紙袋を持っている。
「お仕事お疲れ様。こちらサービスするわね」
「うぅ、ありがとうハンナさ〜ん……今日の夜食にします〜……」
「残業確定なのか……オレたちも手伝ってたのに?」
「今日中にやりたい仕事がまだあるのよ」
今日の仕事内容なら、午後からでも『退治課』も手伝えば終わるはずだ。しかし『研究課』はいつもどこからともなく仕事を増やしてくる。
イリアもリーヨォも根っからの“仕事中毒”なのだ。
「あんまり残業されると、イリアの親父さんが恨めしそうに通りから連盟の敷地を覗いているんだけど…………」
「ほっときゃいいわ。先週も、嫌だって言ったのに縁談の話を持ってきたのよ! ほんと最悪!!」
どうやら、朝からの怒りを過保護な父親へ注いでいるらしい。
「だけど、離婚届け出しに来た人たち悪魔憑きだったんだから、原因を除けば少しはマシになるんじゃ……」
「甘いわルーシャ! 今日の離婚申請してきた集団を見ると、あいつら悪魔憑きなしでも、そのうち相手の荒が見えて離婚しそうじゃない?」
「あ、あぁ……」
悪魔を払って元通り……となればいいのだが、悪魔憑きになっていた時の“売り言葉に買い言葉”が次の不仲の原因になってしまえば、そこは連盟の責任とはならないのだ。
「あれ? そういえば、ルーちゃんは悪魔祓いの仕事、しなくて良かったの?」
他のテーブルを片付けながら、ハンナがルーシャに尋ねる。
「めんどくさい事後処理があったら頼む……って、ライズに追い出された。特に強い悪魔じゃないなら、二人も退治員はいらないし……」
「悪魔祓いだけなら楽だしねぇ」
「祓うだけならな……」
めんどくさそうなのは、その後の接客対応だと感じたからだ。イリアにつられたように、ルーシャからため息が漏れた。
「オレら『退治課』からしたら、この後その悪魔の出処を突き止めないといけないんだよ。この間のこともあるし…………」
突如、結界のある街の中での悪魔憑きが現れたことだ。それはつい最近、この街に起きたことと似ている。
「考えられるのは、この間の魔操人形の騒ぎですね。まだ敷地に人形を棄てた人や、人形を操っていた人は見つかってないんですよね?」
「うん……まぁ……」
「そ、そうね……」
紅茶をトレイに乗せて、厨房から顔を出したアリッサの疑問にルーシャとイリアは目を逸らして生返事をした。
正直に言うと、連盟の敷地に魔操人形を廃棄したのはレイニールだ。
そして、それはリィケがうっかり使った神の欠片で、彼と一緒に山の中から転送されたであろうものだということも推測されている。
これはレイニールとリーヨォの立場上、関係者だけの極秘情報にされた。
しかし問題は、壊されたはずの魔操人形が勝手に動いて増殖し、“誰か”の命令に従って街中を練り歩いていたことだ。
レイニールが人形に出していた命令とは明らかに違う、街を混乱させるようなめちゃくちゃな命令。
住民に大きな被害は出なかったものの、一晩続いた命令でレイニールとリィケにはかなりの負担が掛かっている。
「今回ことは魔操人形を操った奴の可能性が高いか…………いや、そう考えた方が自然?」
「同じ悪魔でしょうね。そうじゃなきゃ、トーラストの結界が無能ってことになるもの…………」
「潜伏させてるだけで脅威だな……」
ルーシャは内心頭を抱えた。
五年前のトーラストや二年前の王宮も然り。
悪魔に対しての防衛が完璧かと思われる場所なのに、度々悪魔が引き起こす事件が多発するのは何故なのか。
「潜んでいるであろう、その命令をして悪魔を操った奴を見付けて捕まえるか、目的をつきとめるかしないと、またあんなことを起こされるかも……」
「でも、なんの痕跡も無かったのよ。アタシやあんたたちも全力で魔力の追跡をしたのに……」
「………………うん」
今回のことで一番の不安は、その悪魔は何一つ手掛かりを残さなかったこと。
イリアは店内を見回し、ハンナやアリッサが厨房へ引っ込んでいるのを確認する。
「…………魔力を完全に消す方法もあるにはある。でも、消せるだけの技術とやっぱり膨大な魔力がいるわ。それを、上級悪魔のラナロアが治める街でやったのよ?」
「と……なると、今回のことは…………」
「【魔王階級】及び、ラナロア以上の上級悪魔の仕業」
「…………【魔王】……」
そう。それは並の悪魔には到底できない。
「正直、五年前のレイラの事件もそれが問題になってたのよね……」
「……………………」
並の悪魔ではないなら、追える人間も限られてくる。
「今回、【魔王マルコシアス】が来たことで、悪魔が簡単に街に入り込める方法もあったし」
「人間、それも【サウザンドセンス】の協力者とか……」
「うん、厄介よね。人間なら結界に弾かれない。手引きもできるから、招かれた悪魔はすんなり街に入り込める」
「そうなれば……悪魔だけが敵じゃない」
人間が悪魔と結託する。もしくは、悪魔を崇拝する邪教の仕業か。
人間が人間の敵になる理由は様々だが、それを見付けて被害を出さないようにするのも『退治課』の仕事である。
「とりあえず、また明日も離婚届けを持った奴らが押しかけたら、『研究課』だけじゃなく『祭事課』も『退治課』も他の仕事どころじゃないわね……」
イリアの目下の心配は仕事が進まないことだ。しかし、今回はルーシャもその気持ちは解る。正直に言うと、他人の離婚問題に悩んでいる暇は無い。
「…………もしも、この嫌がらせめいた騒動が悪魔の仕業なら、人間に対して相当ひねくれた考えの奴だ」
思わずボソッと呟いたルーシャだが、それに反応したのは紅茶を淹れてきたアリッサだった。
「ふふ、何かそんな悪魔いますよね? 勉強した悪魔学で見たんですけど…………え〜と、ほらなんでしたっけ、“人間の結婚に幸せなんて無い!”とか云ったの…………」
今は『研究課』で悪魔について学んでいるアリッサは、知識内に引っ掛かった話題に嬉しそうに食い付く。
「あぁ、それは確か…………【ベルフェゴール】って奴ね。“人間嫌い”って有名な……………………………………あ」
「え………………」
ルーシャとイリアはその場で顔を見合わせて固まった。
「そうそう! 【ベルフェゴール】ですよね。【魔王階級】になってる悪魔で……」
ガタンッ!
イリアが勢い良く立ち上がった。
「アリッサ。あなた、午後からはアタシの代わりに『祭事課』の事務仕事お願いできる? 今日の業務はそれだけで良いから!」
「え? あ、はい。大丈夫ですよ。イリアさんは研究ですか?」
「そうよ、急用ができたから早速帰って仕事! ルーシャ、あんたもすぐ来なさい!!」
「あ、あぁ! 店長、ここにお代置いていきます!」
「え? えぇ、ありがとう。気を付けてね!」
イリアとルーシャはバタバタと慌てて店を出ていく。その様子をハンナとアリッサはポカンと口を開けて見ていた。
「二人とも、どうしたのかな……?」
「さぁ……あ、ほらアリッサ。あなたも仕事に戻りなさい! 今日はうちの手伝いはいらないから」
「はい! じゃあ母さん、いってきます!」
アリッサはエプロンを脱いで上からローブを羽織ると、二人の後を追うように出ていく。
「やっぱり大きな町の連盟って忙しいのね……」
ハンナはため息をつきながらテーブルの上の食器を片付けていった。
…………………………
………………
バタバタと、イリアはリーヨォの部屋へと走っていく。ルーシャがそのあとに続いた。
研究室のある廊下は他の職員の姿もなく、ルーシャとイリアの足音が響く。
二人は極力、声を抑えながら話す。
「今回の件、あんたどう思う?」
「…………人形を操ってた奴のことか」
「そう、それ。どう読む? そいつ、リーヨォの部屋を荒らして、【マルコシアス】にも狙われてた」
「…………………………」
魔操人形の騒ぎは、リーヨォの部屋にあった『聖者の灰』というのを盗むため。
「あと、ケッセル家の墓も壊そうとしてたのよ?」
「…………ケッセルの墓には、一応レイラも眠っている」
「実際は起きて【魔王】になってたけどね。【魔王】……とくれば、街道に現れた【魔王ベルフェゴール】だけど…………奴だとしたら、随分と回りくどいことしてくれたわ」
「確かに……」
リーヨォの部屋の前に辿り着いた時、ルーシャの脳裏には【魔王ベルフェゴール】の顔が浮かぶ。
高笑いをして目の前に立ち塞がる美女。
当時、それがレイニールの母親の姿だと知らなくても、その風貌はとても印象に残った。
宝剣を手にしていたルーシャを真正面から睨み付け、リィケを連れていく時には、惜しげも無く強力な魔力を披露した。
これが【魔王】という存在なのかと痛烈に思い知ったのだ。
もしも今回の件に、ベルフェゴールが関わっているとすれば……?
ルーシャは首を傾げて考え込んでしまった。
イリアがドアをノックしても返事はない。ノブを回して押すと鍵は掛けられておらず、研究室の扉はすんなりと開いた。
「リーヨォも休憩かな?」
「う〜ん、たぶんどっか近くに資料取りに行ってるだけね。同じ階にはいると思う」
すぐに戻るつもりだったらしく、鍵は掛けてなかったようだ。
「それでも結界は張ってるから、誰が出入りしたかはすぐ分かるわよ」
ほら……と指さされたドア枠には、何かの文字がびっしりと書かれている。この扉を通った者を認識して、一ヶ月は遡って調べられるという気合いの入った防犯魔術だという。
「なんか……法術より魔術の方が進歩的だな……」
「魔術は生活用に使われることが多いからね。でも法術は対悪魔や信仰の対象になってるから、この国じゃそっちの方が目立つのよね」
「…………そうか」
悪魔に対抗しているこの国では、魔術師よりも法術師の方が位は高くなる。
「魔術師って、いつも損してる気がする」
「はいはい、同情ありがと。さて、ちょっと他の調べものでも…………あ、棚に鍵かかってる。さすが、用心深い奴ねぇ」
ガタガタと棚の扉を弄ってはイリアは苦笑いをした。
普段は掛かってないみたいだが、この間の件でリーヨォも少し警戒しているらしい。
「さて、リーヨォになんて言おうかな。街に悪魔が潜んでいる可能性……」
「なぁ、イリア」
「ん、何?」
「こんなこと言うのは変かと思われそうだけど…………」
ルーシャが腕組みをしながら俯く。
「ベルフェゴールは…………」
――――『我が名は【魔王ベルフェゴール】……覚えておくがいい』
ルーシャとリィケが向かいあった【魔王】。
手に持った白百合が霞むほど、ベルフェゴールの微笑みは妖艶で恐ろしかった。
街道で戦って生き延びたことが、今思い出しても奇跡である。
「【魔王ベルフェゴール】は、今回の事には関与してない……………………たぶん、違う」
「違う?」
あの時、去り際にベルフェゴールは言った。
――――『あんたたちのこと気に入ったから、また会いましょう……今度は、殺してやるわ』
きっとまた会う。
その時は彼の者は隠れることなどない。
妙な確信がルーシャにはあった。