信頼の証明
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「…………こんなものか」
部屋をぐるっと一周して、レイニールがリィケの所へ戻ってきた。時間にして三分も掛かっていない。本当にあっという間の出来事だった。
レイニールは無表情で、淡々と壁にもたれて部屋を見回す。
彼がやったことは、走りながら喧嘩をする夫婦たちを軽く手で触れただけのように見えた。
「……みんなに触っただけでいいの?」
「ふむ。とりあえず、このまま見ておれ」
「……………………うん」
再びリィケが喧嘩をしている夫婦を見ると、分かりやすく言い合いが終息していっている。
途端に全員、戦意を削がれたような、困惑した表情になった。
だが、次の瞬間…………
「私…………最近はあなたに全然笑ってなかった。不愉快だったわね、ごめんなさい…………」
「いや、俺こそ……お前に対してぶっきらぼうだった。本当にごめん」
「お金なんかよりも、あなたと過ごす時間の方が大事です!」
「財産なんか君のためにあるんだ! 自分はなんて馬鹿だったんだ!!」
「子供たちにはオレたち両親がいるんだ。二人揃って幸せにしているところを見せないと……!!」
「そうよ! 私たちはみんな、あなたが大好きなんだからっ!!」
さっきまであんなに罵り合いをしていた夫婦たちは、まるでそれをすっかり忘れてしまったかのように、お互いに抱き合って号泣し、謝罪を繰り返している。
リィケは一変した光景に興奮気味にレイニールを見た。
「今のが【感情の檻】の能力? スゴイね、あっという間におさまったよ!」
「ふむ。しかし、それも今だけだな」
「今だけ?」
レイニールは一瞬だけ眉をひそめた後、コクリと頷いた。
「おそらく、今回は離婚届を取り下げよう。今はそんな気持ちも無くなっているからな。だが、あくまでも『仮』の感情だ。後日、何か些細な事で喧嘩になるやもしれぬ。それまでに本当の感情が落ち着いておればよいのだが」
レイニールが使える【感情の檻】という名の『神の欠片』は“感情”を操る能力だ。しかしその感情は本物ではない。
「相手に一時的な『仮の感情』を被せる。今回は『相手への尊敬の念』……と言ったところか。仮であったとしても、その場の物事を反転させるのには役立つだろう」
「そうなんだ、やっぱり近くで見るとスゴいね!」
「…………怖がる者が多いがな」
「え?」
レイニールの声が悲しげに聞こえて、リィケは思わず彼の顔を覗き込んだ。しかし、そのレイニールの表情には特に何も感情が浮かんでいない。
「皆さん、役所窓口までお見送りを…………」
「私ったら、大きな声で恥ずかしいわ…………あなたの髪型を責める理由なんてないのに……」
「気にするな、俺の毛が薄いのは本当のことさ。お前への愛だけは薄くなっちゃダメだってことだ」
「あぁっ! あなた素敵!!」
『祭事課』の僧たちが感極まって周りが見えていない様子の夫婦たちに、呆れたような表情を浮かべながら出口へと誘導して去っていく。
「「「……………………………………」」」
部屋にはリィケとレイニール、そしてライズだけが残った。三人の周りには何とも言えない空気が流れる。
「ふぅ…………二人には情けないものを見せてしまったな…………」
「え……ううん、これが連盟の仕事だもんね」
静かになったところでライズが小さくため息をつき、リィケが困ったように笑った。
三人で夫婦喧嘩で散らばった部屋を片付けながら、ライズが午前中からあった事を話す。
「何故か、今日はこんなことが朝から続いてた。役所の離婚届の申し出が異様に多く……調べたらほとんどの夫婦が“悪魔憑き”だった」
役所が同じ理由で立て込んだ上に、退治の案件が重なったので『祭事課』だけでは到底手に負えず、『退治課』の事務室で手の空いていたライズがすぐに呼ばれた。
「こんなに人数が多くて面倒臭いなら、ルーシャも呼んで手伝ってもらえば良かったかもな…………はぁ」
珍しくライズが疲れ切っている。
どうやら“悪魔憑き”よりも、その後処理の方が大変だったようだ。それはリィケとレイニールにもよく分かった。
「余のことを呼べば良かっただろうに」
「一応、新人の退治員は『祭事課』ではいい顔をされない…………それにあまり子供には、見せたくない光景だったものですから」
「貴族の罵りあいよりも健全であった。これからは後学のためにも見学くらいはさせてもらいたいが?」
レイニールに見詰められ、ライズは再びため息をついた。
「わかりました。でも、本当ならレイニールのことを知らない、他の人間の前で『神の欠片』を使うことはさせたくありませんでした」
「ふむ……?」
「あ、そっか。今の大丈夫だったの……?」
レイニールは何の躊躇もなしに能力を使ったが、あの場には『祭事課』の僧や一般人がいた。見られても良かったのかと、リィケの胸に不安が過ぎる。
「たぶん大丈夫だろう。反応が特にないから、精神に作用する魔法か何かと思われたはずだ。周りに【サウザンドセンス】だと言ってなければ、他の人間が『神の欠片』に気付くことはほとんどないだろう」
「よかった……」
「意外に世間の『神の欠片』に対する認識は低いのだな」
「二人の周りが特殊なだけだ。普通、【サウザンドセンス】が連盟に一人いたら大騒ぎになるからな」
リィケがよくよく考えると、今まで会った【サウザンドセンス】は、本来なら簡単に会うことのない者たちだらけだった。
「……この街には能力者はいないのだな?」
「えぇ。リィケ以外、トーラストには確認されてませんね」
「聞いたこともないもんね」
「それでも、他から集まってきてるな……」
街の中、その辺に普通に暮らす中に、ポコッと能力者がいるということも想像ができない。それくらい【サウザンドセンス】は希少な存在だということを、リィケはうっかり失念していたのだ。
“能力者は能力者と引き合う”
類は友を呼ぶということだ。
リィケ自身が【サウザンドセンス】だからこそ、同じ能力者を引き寄せていたと考えられた。
「ふむ、そろそろ行くぞ。休憩時間が終わってしまう」
部屋をある程度片付け、三人はやっと移動を始めた。
ズンズンと進むレイニールの背中に、リィケとライズは顔を見合わせる。彼が進んで行く先は地下の訓練場だ。
「二人は……俺に用があると言ってたと思ったが、訓練場で何かあるのか?」
「レイニールは、ライズさんがいないといけないって言うから……」
「あぁ、そうだ」
説明も無しに進むレイニールは振り向きもせずにリィケに答えを返す。
「ライズ、まずはお前がいないと繋がらないのでな」
「つながる……って?」
「あれですか」
「あれ……?」
リィケは首を傾げるが、ライズは思い当たるのかハッとした表情をする。
話が終わる前に、リィケたちは訓練場の前へたどり着いた。
地下への階段を進み扉を開けると、昼休み中の訓練場には誰もいない。
「確認したが、昼から午後一番で訓練場の使用許可は入ってなかった。やるなら今だな」
「レイニール……おそらく、あの方は今仕事中だと思う…………」
「緊急連絡だ、致し方あるまい。ミルズナも許してくれよう」
「えっ!? ミルズナさんに連絡するの? どうやって、ここの通話石で……?」
ここの地下訓練場には一応通話石はあるが、極弱いものであるため内線として使われている。
街の外、それも遠く離れた王都へ繋げようとするならば、外部専用の立派なものでなければならない。
「通話石などいらん」
「え?」
「ライズが通話石の代わりだ。あと、大きめの鏡があれば良い」
「???」
言葉の意味が解らず、リィケはライズの方を見上げる。
「これはあまり大声では言えないが、ミルズナ様やレイニール様が使える『神の欠片』がある……」
「それって、通話石みたいに離れた所と話せるんですか?」
「【千里の光源】……そう、呼ばれている。王家特有の『神の欠片』だ」
「王家特有?」
そういえば、リィケはミルズナからそんなことを聞いていたかもしれない。
まだピンときていないリィケに、ライズは説明を続けた。
「リィケも見たことがあるものだと……王家特有の能力には他に【守護の支配】というのもある。俺が人形を王子だと気付かずに、銃を向けて動けなくなった時のアレだ」
魔操人形を攻撃しようとして、そこにレイニールが紛れてしまっていたために発動した力だ。王族に銃を向けたペナルティであり、ライズは一瞬で動けなくなってしまった。
「【守護の支配】【千里の光源】、そして【絶対なる聖域】。これがミルズナ様が持つ三つの『神の欠片』だ」
「前に【絶対なる聖域】以外はすぐに見せられないって言ってたのは…………」
「そういうことだな。特に【千里の光源】は王族の重要な話を聞くことにもなるから、最も信頼のおける側近だけに使われる」
「そうなんですか、ライズさんすごい!」
「え……? あ、いや…………俺は」
リィケが素直に賛辞を贈る。普通に『能力の説明』をしていたつもりのライズは、暗に“自分が一番ミルズナから信頼されている”と言ってしまったことに少し顔を赤らめた。
「ミルズナさんが頼りにしてるんだもん、やっぱりすごいんですね!」
「いや、ま…………そう、なのか?」
「うん!」
「………………………………」
ライズは密かに自己評価が低い。
相手が素直に誉めていても、社交辞令だと捉えてしまうことが多い。
しかし、裏表のないリィケに曇りのない瞳でじっと見つめられ、それを疑ってしまう自分に落ち着かなくなる。そこへレイニールが割って入った。
「もう良い、余もライズのことは信頼しておる。最大の味方であるミルズナが側近にしておるのだ。これ以上に信用に値する理由はない」
「王子…………」
「それに、お前はリィケの『叔父上』であるからな」
「……………………………………」
一瞬「ん?」と声を出しそうになったが、ライズはそれを飲み込んで状況を見極める。
隣りでレイニールはリィケに対して真っ直ぐ見つめながら言う。
「リィケ、余はお前の親しい者を信用する。無論、お前のことも信じておる」
「うん。ありがとう、レイニール」
「……………………………………」
ライズはその光景を黙って眺めた。ほんの少しだけ、レイニールの表情がいつもよりも生き生きしている気がしてならない。
どうやら自分は、リィケのレイニールへの好感度を上げるために利用されたのだな……と理解する。
レイニールがこういうことに積極的だと知って驚くが、今はそのことには黙っておこうと決めた。
「コホン。レイニール、時間もないことだし早く始めた方がいい」
「そうだな」
レイニールは稽古用の鏡の前に立つ。
「…………始めるぞ」
パリッ。
紅く細い稲妻が鏡の前で爆ぜる。
それに応えるように、ライズの肩の紋章が薄く光った。
しばらくして、鏡は眼鏡を掛けた少女がいる部屋を映し出す。
「ミルズナ様……」
『えっ!? まぁ、ライズ!?』
ミルズナは彼らに気付くと、慌てて鏡の近くまで駆け寄ってきた。
『レイニール!? それにリィケも……何かあったのですか?』
「ふむ。時間もないので要件を手短に言おう」
レイニールが真剣な顔で鏡に向かう。ミルズナも彼の言葉を逃さないように顔を近付ける。
「ミルズナ。お前の立場を活用して、調べてもらいたい者たちがいる」
『はい。どなたでしょう?』
「調べてもらいたいのは三人。元トーラストの司祭『ランディ・フォースラン』……そして、その妻と娘だ」
「「えっ!?」」
予想外に出た『フォースラン』という名に、リィケとライズは思わず声をあげた。
『その方々は…………』
「そうだ……ライズの両親と姉だ。調べてもらいたいのは『フォースラン』の人間だ」
「俺の……家族、ですか……」
一度後ろを振り向いたレイニールは、眉間にシワを寄せる。そしてすぐに鏡へと向き直った。
「兄上の部屋で資料を読み漁っていた時にふと浮かんだ事があった…………」
まるでため息をつくように静かな口調。
「もしかすると、フォースラン家のことはケッセル家よりも重要かもしれない……と。すまぬ、ライズ…………これは余の勝手な憶測だ。だが、一応調べさせてもらう」
「…………わかりました」
鏡にはミルズナが映っているため、リィケたちに背を向けたレイニールが、どんな表情でそう言っているかは分からない。
“余もライズのことは信頼しておる”
ライズは先ほど言われた言葉が、自分を落ち込ませないための予防線であったのだと感じた。