最後の頼み
「ルーシャ――――っ!!!!」
ルーシャを包んだ炎は竜巻のように、周りの空気を取り込んで勢いを増した。
周りの草花はその熱風でどんどん萎れていく。
街道の石畳も熱で赤くなっていくのが、リィケから見て分かった。
あまりの風に近くの岩の後ろへまわる。
リィケの人工皮膚は、普通の人間の皮膚よりは強い性質だが、それでも表面が柔らかくなっていくようだ。
――――ルーシャ! そんな……!?
この炎の柱の中、普通の人間は生きていられるのか。
答えは『否』である。
おそらくは、一瞬で炭になってしまっているはずだ。
しかし、やや弱くなった火柱の中心に、揺らめく人影が見えて、リィケは顔を上げそれを必死に見詰めた。
「う…………」
「ルーシャ!!」
赤い炎の中心、足下で青白く光る円陣の上。
大剣を石畳に突き刺し、それに寄り掛かるようにルーシャが立っていた。口元を袖で覆い、苦しそうにしてはいるが、体や服や髪などが焦げた跡もない。
足元の光る円陣は法術による防御結界だ。おそらく、炎がぶつかる直前にルーシャが張ったのだろう。
もしかしたら、逃げる時にすでに予想をしていたのかもしれない。
しかし、炎は結界を完全に包む形で燃え続けていて、一向に消える気配がなかった。それどころか、炎自体が結界の表面を、意思が有るもののようにぐるぐると撫でている。
もし、結界を少しでも解いてしまえば、炎は一気にルーシャに襲い掛かるはずだ。
「あーぁ、大人しくしてれば良かったものを…………」
リィケからルーシャを挟んで反対側、黒煙が立ち込める場所から女が姿を現した。
ルーシャが切り落とした片腕、その肩口ところから炎が出ている。それ以外、先ほどルーシャが宝剣から繰り出した攻撃も、女の体には当たっていなかったようだ。
「……ったく、大人しく坊や渡して帰っていれば良かったのよ。言っとくけど、その火はちょっとやそっとじゃ消えない…………アタシの魔力が尽きるか、あんたを焼き付くすかまでは……ね」
女は顔を怒りとも笑顔とも取れる、歪んだ表情で炎に巻かれているルーシャを見ている。
「あはははっ! どこまでもつかしらねぇ!? あんたの法力がアタシ以上に有れば助かるけど、アタシも【魔王】の端くれだもの。簡単には魔力は尽きないわよ!!」
肩から出ている火が笑い声と同時に強く燃え、ルーシャの周りの炎も同じように反応している。女は確実に自分の勝利を確信しているようだ。
ルーシャの結界の中の空気が、どんどん薄く熱くなっていく。おそらく、ルーシャの法力がもう間もなく底をつくのだろう。服の袖を口元に当てて、熱気を直接吸わないようにするが限界が近くなっているのが分かる。
炎の勢いは衰える気配はない。
「う……ぐ……くそっ……!」
「まだ結界があるけど、もう限界ね。さぁて、結界が切れて炭になるのかしら? それとも、肺の中から蒸し焼きになる方が早いかしらねぇ」
女は満足そうな笑顔でルーシャを眺めている。
ルーシャが宝剣にすがるように両膝を突いて座り込んだ。リィケが遠目から見ても、ルーシャの顔は紅潮し、かなり辛い状況になっているのが分かる。
「ルー……お父さん……!!」
片脚の無いリィケはルーシャの近くまで這っていこうとするが、ずるずると体が滑って思うように進めない。
「……の……かけ……にげ…………ゴホッ! ゴホッ!」
「え……?」
浅い呼吸でルーシャが何か言っている。リィケは何とかもう少し近付こうとすると、ルーシャが険しい顔を向けていた。
「……『神の欠片』……が……使えるなら逃げろ……!! ぐっ、ゲホッゲホッ!」
「でも……お父さんは……!?」
「ゴホッ……こんな……の…………何ともない……」
「お父さん!?」
噎せながらも、ルーシャは「平気だ」と言わんばかりの、強気な視線をリィケに向けているが、その体はだんだん地面へと伏していく。
リィケが思わず手を伸ばした時、体が急に浮いた。
「さて、坊やはもう行きましょう。それとも、全部終わるまでここに居てあげようか?」
「なっ…………」
女が片手でリィケを体の脇に抱えて持ち上げている。
リィケが暴れてもやはりびくともせず、ルーシャの様子を歪んだ笑顔で見詰めていた。
「やだっ! 放して! 僕、あなたと一緒に行くから、ルーシャの火を消して!!」
「ダメよ。こいつは取り引きを邪魔した。骨の欠片も遺さず、灰になってしまえばいいわ! あはははっ!!」
「っ!? お父さん!! お父さんっっ!!」
「………………っ」
結界を抱え込む炎の中、ルーシャが片手を地面に落とす。もう片方の手はまだ、石畳に突き立てられている宝剣の柄を握ってはいるが、その指の間隔は開き、今にも放れそうになっている。
まずい…………もう……。
呼吸がほぼ出来なくなってきたと同時に、体の全ての感覚が曖昧になっていく。
意識が朦朧とし始めたルーシャが顔を上げると、リィケが必死に泣きながら暴れているのが見える。それを抱える【魔王】が、リィケに何を見せようとしているのかに気付いた。
ルーシャは噎せるのを抑えてリィケに向かって口を開く。
「…………リィケ……オレが、いいと言うまで…………目を……つぶ……ってい……ろ……!」
「おと…………何で……?」
「……頼むから……目を閉じ…………」
「だから、何で!?」
リィケはルーシャの意図が分からなかった。
『頼むから』という言葉が、リィケには泣きそうな声に聞こえる。今まで、ルーシャがこんなに弱々しく言ったことがあっただろうか?
その時、リィケの頭の中に色々なことが駆け巡った。
少し前。
聖職者連盟トーラスト支部、研究課の一室。
部屋の古いソファーに、フワッとした長い金髪、黒尽くめのローブを着た若い女性が座っていた。
その膝には、3才くらいに見える子供の人形が乗っているが、その人形がカタカタ動いている。
女性はその人形に絵本を広げて見せていた。
『“お父さん”? “お父さん”ってどんな感じ?』
リィケがまだ仮の身体の時、絵本でたまたま聞いた“お父さん”という言葉をその女性に尋ねた。
連盟の研究課の死霊使いである女性は、ちょっと考えながら答える。
「う~ん、子どもに優しい男の人……かな?」
『みんな子どもに優しいの?』
「だいたいはそうかな。うちのお父さんは優しいよ」
「ふん、全部の父親が優しいとは限らねぇだろ。うちの親父なんか、子供は放ったらかしだぞ?」
こちらも真っ黒なコートに、ボサボサの黒髪を適当に束ね、無精髭と黒縁の眼鏡をかけた青年が、分厚い本を何冊も抱えて部屋に入ってきた。
同じく研究課で人形使いの男性は、皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
しかし、絵本に夢中のリィケには男性の言葉は入ってこず、初めて知った“お父さん”という言葉にリィケはラナロアを思い浮かべていた。
…………そうだね。ラナは優しい。
うんうんと、リィケが心の中でに頷いていると、側の二人はまだ父親について話している。
「リーヨォ~……あんた、そういうひねくれたことリィケの前で言わないでよ~」
「いやぁ、男なんていうのは優しいっていう意味が、女の解釈とは違う訳でな…………」
「えー、『ルーシャ』はきっと、子煩悩な親になるわよ。あいつったら子ども生まれる前から、子ども部屋がーとか、おもちゃ屋で通って選んでたり…………」
…………あれ?
……ラナじゃない名前………………
『“ルーシャ”? って誰?』
「「あ…………」」
二人はリィケの方を見ながら、あからさまに『しまった』という表情をした。
また別の日。
ラナロアの屋敷のリィケの部屋。
「何でお父さんは連盟を辞めちゃったの?」
就寝前、リィケはメイドのマーテルに着替えを手伝ってもらっているところだった。
“ルーシャ”という名を聞いてから、リィケは周りの人間からルーシャが本当の父親だと教えられた。もちろん、その時に母親が悪魔に殺されたことも。
リィケにはかなりショックな話ではあったが、一度でもルーシャの事を聞いてしまうと、次々に知りたくなるのは、子どもとして当たり前である。
与えられた人形の身体もだいぶ馴染み、普通の人間としての訓練も開始していた。リィケはその頃にはルーシャとパートナーになって、母親の仇を討つという目標も意識も持っており、自分の周りの状況も理解したつもりである。
しかし、ラナロアやルーシャの祖父母である支部長たちは、あまりルーシャについて深くは教えてくれない。退治員になりたいという、リィケの申し出にも難色を示していた。
ラナやおじいちゃんたちが教えてくれないなら、別の人からも聞いてみよう!
そしてこの日は、思いきってラナロアの屋敷の使用人であるマーテルに、ルーシャがなぜ退治員を続けなかったのか尋ねた。
マーテルは少し困った顔をして、リィケの前にしゃがみ目線を合わせる。
「申し訳ございません、リィケ様。私どもは旦那様たちの許可無く勝手に、ルーシャ様の事情をお答えできないのです」
そう言われ、これ以上何の進展も無いことをリィケは悟った。
会いに……行ってみよう……!
この時から、リィケがルーシャのことを、周りにしつこく聞くことがなくなった。
周りは安堵したが、彼らはリィケが意外にも行動的だったと、後々知ることになる。
しばらくして、ルーシャの事を少しずつ調べ上げたリィケは、ついに会うことができた。
だが、自分が近付くことで、ルーシャが辛い思いをすることも解ってしまったのだ。
リィケの思い切った勝手な行動は、すぐに周りの大人たちに知られることになる。だが、事情が事情だけに、ほとんどの者はリィケをキツく叱ることはなかった。
しかし『子どもであること』『人形の身体のこと』を話してしまったことは、さすがにマズイ行動であったと反省しなければならない。
何故なら、滅多にリィケを怒らないラナロアが、恐いくらいに真剣な顔で諭してきたからだ。
「ルーシャに会って分かったと思いますが……彼はあなたの事は何も知りません。それどころか、大変戸惑い悩んだと思います。ルーシャの気持ちを、あなたはちゃんと考えたのですか?」
「それは…………」
店で眠ってしまった次の日、リィケは朝から屋敷の書斎に呼び出され、ラナロアに正面から説教をされた。
「ルーシャは五年前、家族の仇を討とうと、かなり酷い無茶をしたのです。それこそ、自分が死んでも構わないくらいの自暴自棄に陥りました」
「でも……ルーシャはもう、退治員じゃ……」
「そう、私と彼の祖父のサーヴェルトで、ルーシャを止めたのです。詳しくは話しませんが、彼は『仇討ち』ではなく、悪魔への『復讐』に走りました。本当に酷い有り様だったのです」
「………………?」
『仇討ち』と『復讐』の違いをリィケは上手く理解できなかった。しかし、次のラナロアの言葉で、リィケに戦慄が走った。
「まだ、こちらでルーシャを迎え入れる準備が出来ていません。その間に……――――もしも、あなたが【サウザンドセンス】だと、力のある悪魔に嗅ぎ付けられ、ルーシャがあなたの弱点だと思われたら…………どうなります?」
「………………え……?」
「間違いなく、ルーシャを戦いの場に引きずり出し、あなたとの交渉にルーシャを使うでしょうね。最悪、ルーシャは悪魔に殺されます」
「………………そん……な……」
「あと、あなたに何かあった時、きっとルーシャは自分の命を投げ出します。その場合もルーシャは死ぬでしょう」
「…………あ……」
「退治員に戻る前に、彼は死ぬか壊れるか。…………あなたはルーシャを、二度と復帰できなくさせる気ですか?」
「……………………」
リィケは何も言えなかった。
――――そして今。
「……頼むから……目を閉じ…………」
「だから、何で!?」
ルーシャが倒れていくのが、リィケの目にとてもゆっくり流れて見えた。
リィケのすぐ近くで響く笑い声。
ルーシャの手が放れて、宝剣が傾いていく。それに反応するように、ルーシャを囲む結界の青白い光が薄くなった。
結界が消えれば……ダメだ、このままじゃ……
「……お前に…………死ぬところだけは…………」
「……っ!?」
『お前に死ぬところだけは見せたくない』
ルーシャは死を覚悟する。
そして、その最期の瞬間をリィケだけには、どうしても見られたくない。
体の感覚がなくなり、地面に倒れ込んだ。
宝剣が地面に倒れて、青白い光が消える。
――――――その瞬間、
パリッ……。
小さな音と共に、ルーシャを囲っていた青白い光が、急に現れた赤い稲妻に取って代わった。