退治家系の“ケンセイ”
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ぼんやりと開いた目が最初に見たのは、研究室の天井だとすぐに理解した。
「今のは…………」
ソファーの上で上半身を起こして呆然とする。
ケッセルの屋敷と幼いルーシャ。
少し若いサーヴェルトに…………
「マルコシアス…………」
リィケが見たものは過去の話だ。
【魔王マルコシアス】がケッセル家と交流のあった悪魔ということを、リィケはこの時知った。
過去の幼いルーシャはもちろん、サーヴェルトともマルコシアスは親しそうに見えた。
「『渡り人』の能力……」
以前にもレイニールの過去を夢でみたことがある。
あれは本当の出来事で、リィケはまさにその時間のその場所に紛れたのだ。
でも……“ケンセイ”ってなんだろう?
あの時、マルコシアスが言っていたことが思い出される。
ルーシャには“それ”が無い。
“それ”が無いまま、悪魔に魅入られれば死ぬことになる…………と。
「………………死ぬ……」
改めて口に出すと、人形の身体といえど身震いが起きそうだった。
……そんなの、絶対に嫌だ。お父さんが危険な目に遭うなら止めなくちゃ。でも…………どうすれば?
ソファーに座ったまま考え込んでいると、急に部屋の入り口の扉がノックも無しに開いた。
「すみません、失礼…………あれー、リィケくんじゃないか。ここで何しているの?」
「あ…………レバン神父……」
入ってきたのは『祭事課』の司祭レバンだ。
両腕にいくつかの資料の束を抱え、ぎこちなく扉を開けていたので、リィケはすぐに駆け寄ってそれを持つのを手伝った。
「ありがとう、助かったよ」
「これ……リーヨォの……」
「うん。昨日、神学校の授業用に借りたから返しにきたんだ。まさか、リィケくんがいるとは思わなかった」
そう言うと、レバンは棚に資料を丁寧に並べて入れる。いつも資料だけはキレイに保管しているリーヨォの棚に、レバンが持ってきた物は隙間なく収まった。
「でも、どうしたの? この時間は、もう『退治課』へ行っているんじゃないの?」
「……僕、寝ちゃったみたいで…………たぶん、ここに置いていかれたんだと思います。本当は……訓練だったんですけど…………」
時計を見ると、あと少しで午前の仕事が終わってしまう。本当なら今日の午前中は、地下の訓練場でライズから体術と銃術を習うはずだった。
「ライズさん……待ってたかな……」
「え? ライズくんなら、午前中は『退治課』で他の退治員が持て余してた仕事を手伝ってたよ。ちょっと面倒くさそうな依頼みたいだったから、昼休みまで戻ってこないと思うよ」
「そうですか……」
表向き、ライズは【聖職者連盟本部】から“人手不足”のための出向として来ている。
いつ起きるか分からないリィケをただ待っていることはできず、他の職員から仕事を回されてしまったのだろう。
「あ、あとルーシャくんは、レイニールくんに訓練場へ剣術の相手として引っ張られていったよ。リーヨォくんとイリアちゃんたちも『研究課』の依頼で、役所の窓口対応をしているのを見たなぁ……」
「え……詳しいんですね?」
やけに皆の居場所に明るいレバンに、リィケは思わず尋ねてしまった。レバンはリィケのポカンとした顔を見て、くすくすと愉しげに笑う。
「ボクも忙しく連盟の建物をあちこち走り回っているから、結構他の人たちの動向も目撃するんだ。頭の片隅に覚えておくと、用ができた時にすぐに会いに行けるからね。いつも他に頼み事のある『祭事課』の癖だよ」
「へぇ……」
『祭事課』は人数は多いが、それに加えて細かい仕事も多く、他の課にまたぐ依頼も抱えることがある。
「で、リィケくんは午後から活動するのかな?」
「そう、ですね……みんなそれぞれ忙しそうだし……昼休みが終わるまで待とうかな……って」
「じゃあ昼まで、ここでボクが話し相手になろうか?」
「え?」
「たぶん、昼になったらルーシャくんも来ると思うけど、独りで待つより寂しくないよ?」
「は、はい……」
唐突な提案だが昼まで暇なのは事実であり、リィケはレバンに対しては嫌な気持ちは持っていない。
リィケとは少しの付き合いだが、ルーシャとは仲が良いためレバンのことはたまに話題になるからだ。
……そういえば、レバン神父なら知ってるかな……?
レバンは人当たりが良いため相談されることも多く、またケッセル家の遠縁になるためにルーシャやリィケの事情も聞かされている。
「あの……レバン神父は、ルーシャのことどれくらい前から知ってますか?」
「うん? あぁ、生まれた時の話はルーシャの父親のルーベントからよく聞いていたよ。実際にルーシャに会ったのは彼が五歳の時だね。ボクがトーラストに移り住んだ時だ」
「ルーシャが五歳なら…………」
「二十年前だね。彼が『宝剣レイシア』を継いで【魔王殺し】になった頃かな」
「僕と同じ五歳で……宝剣を…………」
リィケはその話を初めて聞いた訳ではない。
ルーシャが二十年前に父親が亡くなってすぐに【魔王殺し】になったことは、本人にも他からも聞いていた。
その頃からルーシャは剣術や法術などの習得に励み、確実に【魔王殺し】として実力をつけていたという。
しかしその話を今聞くと、ルーシャの子どもが自分ではなくロアンなのだと改めて思い知らされてしまう。
「…………僕は、宝剣を使えない……」
「え? リィケくん、宝剣に選ばれてないの?」
「あっ…………」
「……………………………………」
うっかり口に出してしまい、じっと見詰めてくるレバンにリィケは誤魔化す暇もなかった。
「は……い…………」
「ふ〜ん、でもそれって大事?」
「…………え?」
レバンは小首を傾げて不思議そうにしている。
「ルーシャくんは大して気にしないと思うよ。別に【魔王殺し】じゃなくても、君はルーシャくんにとって大事だもん」
「…………………………」
「君には十分、価値がある。自信を持ちなよ」
「………………はい」
ルーシャが気にしないことも予想できたし、リィケを大事に思ってくれているのも知っていた。
だから、それを他人に言われると答え合わせをしてもらえたようで、リィケは少し嬉しくなった。
「うんうん。君はニコニコしている方が可愛いね。それにルーシャの子供の頃とやっぱり似てる」
「それは…………リーヨォが作ってくれた顔だから……」
「あはは。違うよ、外見じゃなくて中身。ルーシャのちっちゃい頃がそんな感じの雰囲気だった」
「本当ですか? あ、あの……」
「うん? 何だい?」
「レバン神父はケッセルの家系だから、屋敷のこととか知ってますよね?」
「ま、ボクは直系ではないけど一時期住んでいたし、あの家系のしきたりとか少しは知ってるつもりだよ」
もしかしたら、レバン神父は知ってるかも……。
「あの……ケッセルの家で“ケンセイ”って言葉を聞いたことありますか?」
「ケンセイ……?」
少し考え込んだあと、レバンは眉間に軽くシワを寄せる。
「……それは、ケッセルの家系でのことだよね?」
「は……はい。たぶん……」
「ボクも専門家ではないけど…………ケッセルで“ケンセイ”っていうと……『剣精』のことだね」
「『剣精』……?」
「そのまんまの意味。『剣の精霊』のこと」
「どういうものですか?」
「うん、例えば…………一般的に『剣精』は剣に憑くもので、“精霊憑き”…………通称『知性の剣』と呼ばれるね」
「…………え……」
『知性の剣』
ロアンが使用している大剣やダガーがリィケの脳裏を掠めた。
「まぁ、“精霊憑きの武器”はけっこう昔から存在する。あと『剣精』が人間に憑く場合もある…………ケッセルはその家系だね」
「“精霊憑き”の家系……」
“こやつには『剣精』もいない。その状態で悪魔に魅入られれば………………死ぬぞ”
ドキンと、有りもしない心臓が跳ねる。
「あの……もしも、ケッセルの家系で『剣精』が無いと……どうなるんですか? まさか…………死……」
恐る恐るレバンの顔を見あげると、彼はきょとんとしてあっけらかんと答えた。
「どうもしないよ? 確か、宝剣が使えないとか、法力が弱いとかだったはずだね。長い歴史でそんな人間は、あの家系にだっていくらでもいるよ」
「っ…………」
ルーシャは『宝剣レイシア』を使っているし、法力も他の退治員よりも強い。そして何より、今はどんな悪魔とも戦える力がある。
そう思い至って、リィケは胸を撫で下ろした。
「ルーベントも…………ルーシャの父親もそういう人だったし、おそらく彼にも『剣精』はいなかったんじゃないかな?」
「そっか…………いなくても平気なんですね」
「うんうん。だから、リィケくんもそうなら気にしなくてもいいはずだよ」
「良かった。じゃあ、後から“つく”こともあるんだ……」
「…………後から?」
きっと後から、ルーシャに『剣精』がついたということ。
リィケは嬉しくなって思わず口走る。
「はい。“無い”って言われたのに、『宝剣レイシア』が使えているなら今は“いる”ってことですよね?」
「まぁ……そういうことだね」
「…………良かった……」
『剣精』が無事についたのなら、マルコシアスが言ったようにルーシャが死ぬことは低くなるはずだと考えた。
カラァ――――ン……
カラァ――――ン……
昼休みを報せる鐘が鳴る。
レバンと話しているうちに、あっという間に時間は過ぎていったようだ。
「ルーシャくんも、もうすぐここに来るね。ボクは昼休み中にやることがあるから『祭事課』へ戻るよ」
「はい。色々とお話してくれて、ありがとうございました!」
「あはは、話ならいつでもしてあげる。じゃあ、またね」
にこやかに手を振りながら、レバンはリーヨォの研究室を出ていく。リィケもそれを笑って見送る。
コツコツ…………レバンの足音が遠ざかるのを聞いてから、リィケは安堵の表情でソファーにもたれかかった。
「……ルーシャは大丈夫。うん、良かったぁ」
リィケはルーシャがくるまで大人しく部屋で待っていた。
…………………………
………………
コツコツコツコツ…………
「…………おかしいな」
廊下を歩きながら、レバンは先ほどリィケが言っていたことに首を傾げて呟いた。
「ケッセル家の『剣精』は、生まれつき宿るものなんだけどなぁ…………後から憑くなんて……ありえない」