幼い日の幻影
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…………なんか、前にもこんなことあった。
リィケは立派なベッドに腰掛けながら、その部屋を見回した。
部屋は普通の家庭のリビングよりも広く、置いてある家具も上等なものだ。そして、所々に子供のものと思われる玩具や、絵本などが置かれていた。
言ってしまえば『お金持ちの子供部屋』という印象である。
「…………レイニールの部屋とちょっと似てる…………はっ!!」
リィケは慌ててその辺の物に手で触ろうとした。しかし、リィケの手は物をすり抜けてしまう。その後によく見ると、手や体のあちこちが透けて向う側が薄く見えている。
「やっぱり…………これ、夢だ。あの時はレイニールのちっちゃい頃の…………」
以前、リィケはレイニールの過去の場面を見ていた。
見た内容をリーヨォやレイニール本人に確かめたので、それが実際にあった出来事だと認識している。
「『渡り人』の能力かな…………じゃあ、これは誰かの過去?」
さすがにリィケもこれまでの経験で理解し、落ち着いて状況を判断できていた。
…………いったい、誰の……?
リィケはベッドから降りると、部屋に置いてあるものをしげしげと眺めてみたが、これといって人物を特定するものは見当たらない。子供のものだとは分かっても、あまりその玩具で遊んでいる様子がなく、どれも新品のように綺麗なままだった。
「あんまり玩具とか好きじゃない子かな? それとも、まだ小さい子?」
置いてある玩具は難しいものはほとんど無く、幼児用の簡単で安全なものが中心だ。
部屋の隅にリィケが好きなボードゲームを見付けたが、それも一度も遊んでいないように感じる。
「外に出て、ここがどこか確認しないと……」
神の欠片の『渡り人』が発現したのなら、そこに何か意味があるのではないか?
「ここ、何階かな…………よっ、と…………」
外を確認するため窓に頭を突っ込むと、リィケの体はスルリと窓ガラスをすり抜けた。
以前は知らずに窓から身を乗り出して地面まで落っこちたことがある。いくら痛みを感じなくても、頭から落ちるのは気分のいいものではない。
「三階かな……中から行こう」
少し見た感じでは、ここはラナロアの屋敷ほどではないが、かなり立派な古い建物のようだ。
内部に通じる扉を見付けてくぐり抜けると、そこは普通の家とは違う造りの廊下であった。
「わぁ……」
思わず小さな歓声をあげる。
その廊下の天井はとても高く、上の方にある飾り窓からは光が惜しみなく降り注いでいた。
廊下には『世界の創世』の様子を順番に描いた宗教画が並び、それを辿るように光が当たっている。
それはまるで、貴族の屋敷というよりは、古い教会のような荘厳な雰囲気が漂っていた。
「陽の光の入り方…………」
いつか、リィケはルーシャから教会の造りについて教えてもらったことがあった。
立地の良い教会というのは、太陽の光を上手く入れて神秘的に魅せるようにする……と。
これはまさに教会の造りである。
この家の人は、きっと聖職者だ……。
そう確信して、廊下を進み階段を降りていく。
途中でこの屋敷の使用人らしき者たちとすれ違ったが、やはりリィケのことは見えていないようだ。
二階、一階……と降りて、廊下、客間、台所…………そして、小さな礼拝堂と通り過ぎて、やっと屋敷のエントランスホールまで辿り着いた。
「う〜ん…………」
リィケは腕組みをして考え込んだ。
ここに到着するまでの間、特に屋敷の一階部分の造りに、どこか見覚えがあったような気がしてきたのだ。
「ここ、どこだっけ……?」
この五年と少しの人生において、大きな屋敷の出入りなど数えるほどしかない。まして、こんな立派な屋敷、忘れようにも忘れられないはずなのだが。
「絶対にわかるはずなんだけど…………とにかく、外に出てみればわかるも……!」
記憶に“これだ”という決め手がなく、何とももどかしい気持ちで入り口の扉の前に立った。
その時、リィケの背後からトトト……と小さな足音が近付いてきて、扉をゆっくりと押し開けていく。
「え………………あぁっ!!」
リィケの腰くらいの位置に、子供の頭が見えた。
華奢で女の子のようにも見える幼児らしい体つき。
透かすと一瞬だけ紫に光る銀色の髪の毛。
「『銀紫の髪』…………まさか……!?」
子供は扉をくぐって庭に駆け出していく。
リィケはそれを猛然と追い掛け、子供の前に回り込んだ。もしも、姿を認知されていたら相手にとっては恐怖でしかないが、リィケはそんなことお構いなしに子供の顔を正面から見る。
子供らしくも整った顔。そして大きな瞳は、リィケも毎日よく見ている『紫紺』である。
幼いが、しっかりと面影があった。
「ルーシャだ!! ちっちゃいお父さんがいる!!」
リィケはその子供が幼い頃のルーシャだと確信する。
「それじゃ、このお屋敷って……!!」
ルーシャに続いて外に出て建物の外観を見上げる。装飾は少なく、白を貴重にした落ち着いた佇まいはリィケの記憶にちゃんと存在した。
「やっぱり。『ケッセル家の屋敷』だ……」
人形の身体を得てから、ルーシャに会いに行く前に二、三度ここを訪れたことがある。
いつも客間でラナロアと一緒にいたので、二階や三階には上がったことがなかったのだ。
「お父さんはここで育ったんだね。教会に入るのは当たり前だったんだ……」
ケッセル家の屋敷の内部は教会のようだった。
ここでルーシャは生まれて、聖職へ就くことが当然として育ってきた。
さすがは、トーラストに古くからある聖職の家系といったところだろう。いつかは、ルーシャも当主としてこの屋敷に戻ることになるはずだ。
「あ、そうだ! お父さんは…………」
先に外に出た子供のルーシャを捜して、リィケは庭へと走る。
庭は見渡しが良く、ルーシャはすぐに見つかった。
ここも飾り付けられた庭園と言うよりは、連盟にある訓練場を思わせるように地面が整備されている。
ルーシャはそこを蝶を追い掛けて、キャッキャと嬉しそうに走っていた。
わぁあ……お父さん、可愛い~。
どう見ても三、四才くらいのルーシャは無邪気で可愛かった。リィケは思わずニコニコと笑いながら後ろをついて行く。
うぅ~! すり抜けるけど、頭なでなでしたい~! ちょっとくらいなら良いよね? どうせ見えないし……。
もはや小動物の扱いだが、可愛いもの好きのリィケはそっとルーシャの頭に手を置こうとする。
『あっ! わんわん~!!』
「え?」
子供のルーシャは急に方向を変えて、庭の奥へと走っていった。この頃の子供はなかなかにすばしっこい。
「ま、待って~!」
リィケも思わず追い掛けると、その先にあったのは馬小屋や納屋がある裏庭だ。
「あれ? どこ行ったんだろ…………あ、いた!」
『わんわ~ん、どこ~?』
舌っ足らずな子供の声が、馬小屋の脇の方へと消える。先ほどから『わんわん』と言っているので、ケッセル家の飼い犬でも追い掛けているのだとリィケは思った。
犬か……僕もちょっと見てみたいかも。
少しウキウキしながら、ルーシャの消えた場所まで急ぐと、そこには大きな真っ白いフワフワの塊が見えた。
『わんわん~♪』
「おっきい………………犬?」
確かに犬なのだが、その大きさは人間の大人くらいであり、犬と言うにはかなり巨大だ。
『わんわん、かあいいね~♪』
『………………………………』
傍に寄ってきたルーシャの匂いを嗅ぐように顔を近付けたあと、巨大な白い犬は地面に伏せるような形で寝そべった。
ルーシャが嬉しそうにその白い塊に抱きつく。首や背中に子供が乗っても白い犬は動く様子は見せない。
『きゃーーー♪』
『………………………………』
しかも時々、自らのフサフサのしっぽで、ルーシャをもふもふと叩いては、猫じゃらしのように彼の気を引いて動かしていた。
「あ……遊んでる……?」
犬は慣れているように、ルーシャを周りで好きに遊ばせているようにも思える。
…………なんか、平和だなぁ。
一人と一匹の様子を、リィケは嬉しそうに眺めた。
ひとしきり犬と遊ぶと、子供は急に大人しくなって犬のお腹を枕に眠ってしまった。どうやら遊び疲れたらしい。
『くぅ……くぅ……』
「ふふ~、寝顔が可愛いなぁ」
リィケも寝そべってルーシャを見ていたのだが、遠くから何人かの声が聞こえてくることに気付いた。
『ぼっちゃま~!!』
『ルーシャぼっちゃま~、どこにいらっしゃいますか~!!』
「あ、みんながルーシャを捜してる……」
ガバッと起き上がって馬小屋から顔を出すと、屋敷の周りでは使用人たちが走り回っている。
「ルーシャ、こっちにいますよー!! …………って、聞こえないか…………どうしよう…………え?」
リィケが視線をルーシャと犬に戻した時、犬は顔を上げて庭の方へ向いていた。その表情が全て解っているように思えて、リィケは少しだけ怖いと感じてしまう。
「……………………」
『……………………』
犬の瞳が視えていないはずのリィケの方を見ている。
視えて……ないはずだ。 これは、過去の幻なんだし……。
それでも、犬の瞳の色が『金色』であるせいもあって、リィケはとても落ち着かない気分になった。
金色の瞳…………犬だから、関係ないと思うけど……。
人の形をしていて『金色の瞳』であれば、それは上級悪魔か【魔王階級】であると云われている。動物の場合はどうなのかリィケは知らない。
犬はお腹にルーシャを寝かせたまま、上半身だけを少し起こしてリィケの方を見ている。
視えてない……視えてない……よね?
威嚇するようにこちらを見据えている様子に、リィケはだんだん恐ろしくなってきた。もしかしたら、動物には自分が視えているのでは? という考えが頭を過ぎった。
だがその時、リィケの背後からザッザッと足音が聞こえた。
『はぁ…………またこんな所にいたのか……』
「え……?」
聞き覚えのある声にすぐに振り向くと、そこにいたのは少々若いサーヴェルトであった。
今のルーシャの年齢を考えると、このサーヴェルトはだいたい五十才くらいだろうか。
『まったく、みんな捜してるというのに……』
サーヴェルトはリィケを素通りして、犬を枕にして眠っているルーシャの元へ近付いた。
犬の視線は完全にサーヴェルトに向いている。
……そっか、おじいちゃんが来たから見てたんだ。
リィケがホッと胸を撫で下ろした時、サーヴェルトは犬の前にしゃがんでため息をついた。
『うちの孫を返してくれるか。マルコシアス』
『ふん。我を人攫いのように言うな』
「ーーーーーっっっ!?」
犬がしゃべっ……違っ……マルコシアス!?
驚きのあまり、リィケはポカンと口を開けて固まってしまう。そんなことは関係なく、サーヴェルトとマルコシアスの会話が続く。
『マル、いつもうちの孫と遊んでくれるのはいいが、急にいなくなられると困るのだが…………』
『言っておくが、毎回我に近付いてくるのはこの子供よ。どういう訳か、我が庭を通れば追い掛けてくる。貴様の孫だから少々の相手をしてやってはいるがな』
一人一柱の会話の内容から、どうやらルーシャは頻繁にマルコシアスを見付けては、こうやって遊んで寝てしまっていたようだ。
『ふっ……だが、悪魔をすぐに見付ける才は評価に値する。だから、早めに剣士としての訓練を始めよ。お前の孫はさぞ有能な【魔王殺し】に育つだろうな』
『待て、うちのルーシャはまだ三歳だ。それにこの子は、他の子供と比べても大人しくて…………』
『……またそんなことを。大人しいと言って、普通の僧侶に育てた息子のルーベントは、後に自ら剣士になってしまったではないか』
『それは……』
マルコシアスの言葉にサーヴェルトは顔を曇らせた。
『いいか、この子供は悪魔を寄せ付ける。身を護るためにも、必ず剣を握らせよ』
スゥッとマルコシアスから殺気のような、突き刺さる気配を感じる。
『こやつには“ケンセイ”もいない。その状態で悪魔に魅入られれば………………死ぬぞ』
…………“ケンセイ”って何?
リィケが疑問に思った瞬間、
バチンッ!!
何かが弾けるような音がして、リィケはソファーの上で目を覚ました。