『カード』 その2
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「うぅ……えぅ…………」
「泣くことないよ。君は悪くないし、ルーシャも悪くない」
「……………………」
背後から掛けられた声に、リィケは振り返って男性を見上げる。彼は音もなくいつの間にか子ども部屋までついてきていた。
「そんなに睨まないでよ。良かったじゃないか、本当のこと聞けて」
「良くないっ……!!」
思わず男性に向けて怒鳴ってしまい、リィケは口を抑えて床にうずくまった。
「うん、その……『良かった』……は無いか。ごめん、謝るよ」
「……………………」
片手を上げて、謝罪のような仕草をする男性からは軽い空気しか感じない。
しかし次の瞬間、
「…………でも、君は“真実”という『カード』を手にした。この先、ルーシャ以外の者からこの“真実”を突き付けられても、冷静に対処できるだろう」
「え…………」
目の前の男性の雰囲気がガラリと変わる。
軽かった口調が、厳かな神聖なものへと急に変化した。
「“真実”というものが、当人以外のところからもたらされた時、君はまず信じることはできない。もしくは混乱し身動きができなくなる。もし、それが敵と相対する時だったら? 心を乱された君の敗北は濃厚になる」
「っ…………!!」
リィケはその言葉にハッとする。
必ずしも、ルーシャからこの“真実”を教えられるとは限らない。リィケを動揺させるための武器として“真実”が用いられることがあるのだ。
「でも、僕は…………どうしたら……」
「どうもしなくていいよ。知っておくだけでいい」
「え?」
「これが君が得た切り札。この『カード』は持っているだけで効果がある」
再び、男性が纏う空気は軽くなる。
男性はしゃがんでリィケの顔を覗き込んだ。やはりどこから見ても、男性の顔がルーシャに似ているのでリィケは落ち着かない。
「“真実”を教えてくる相手が敵だったら、鼻で笑って『知ってる』って答えてやればいいよ。それだけで、相手の方が慌てるから」
「ふ…………」
さっきまで絶望していたのが嘘のように、心の底からおかしさが込み上げる。
「君は、黙っているルーシャのこと嫌い?」
「ううん、嫌いじゃない。黙ってるのは、仕方ないと思ってる。ロアンが戻ってきたら、いつかは言わなきゃいけないんだろうし……」
「そう。ありがとう……解ってくれて」
男性は立ち上がって、リィケに背を向けた。
「あっ、待って……!!」
「ん?」
「あの、あなたは……誰ですか?」
「……………………」
振り返った男性はちょっと苦笑いをする。
「僕の名前は『ジェイド』。この世界を創った『創造者』であり、この世界の住人だよ」
「え……!」
以前、ルーシャとライズを『裏の世界』へ飛ばしてしまった時にルーシャが出会ったという人物だ。
しかし、聞いていたその人物の容姿は、顔が見えていなかったはずである。
「その顔…………」
「あぁ、顔なんてのはどうでもいいんだけど…………この顔、けっこう気に入ってるんだよね」
「あなたは、何なんですか?」
「うん? それは僕が『ルーシャにとっての何?』って意味?」
「………………はい」
「う〜ん……そうだねぇ……」
ジェイドは腕組みをして天井を仰ぐ。しばらく考えてから視線をリィケに戻した。
「僕とルーシャは『双子もしくは他人』かなぁ」
「へ……?」
「今はどっちかというと、他人の方が強いけどね」
「…………???」
訳がわからずリィケは首を傾げる。
ジェイドは笑いながらリィケの頭を撫でると、三歩ほど後ろへ下がってリィケから離れた。
「そろそろ君を戻さないとね……」
「………………」
パチン。小さく破裂音がする。
「『リィリアルド・ケッセル』……君は自分の名を忘れないよ……に…………」
ジェイドの声が次第に遠く聞こえ、リィケの視界は徐々に暗くなっていった。
…………………………
………………
「…………ん?」
しばらく静寂が支配していた居間だったが、ライズが何かに気付いて天井を見上げた。
「どうした?」
「あ、いや……二階から音がしたけど……」
しかしそれ以上、何かの物音はしない。
リィケが階段を降りる気配もないし、もちろんドアに近付いた訳でもない。
「リィケが寝ぼけてベッドから落ちたかな。寝る前に様子見るか…………」
ルーシャは飲み終えたマグカップを台所へと下げ、寝る準備を始めた。
「…………意外にお前も、父親らしいことはしてるよな」
「何だよ……急に……」
「いや……俺にはまだ解らない感覚だなって…………」
「オレだってまだよくわからない。でも、できる事はやろうと思っている」
そういえば、最初に言われたことは“絶対に死なないで”ってお願いだったっけ…………。
それが、ずいぶんと遠く感じる。
「できる事は、まだたくさんあるはずだ……」
ルーシャは静かに階段を上っていった。
…………………………
………………
ゆらゆらと揺れる景色が完全に闇に溶ける。
それは、見ていた場所の灯りが消えたためだった。
「…………もう、あちらは寝る時間なんだよな」
廃屋のような部屋でジェイドが片手を上げると、居間に浮かんでいた黒い景色は消え去った。
暗い景色が無くなると、部屋は昼間のように明るくなる。
「僕にできるのはここまでか…………あー、なんか疲れたぁー……」
ジェイドは部屋から出て玄関で伸びていると、そこへ玄関の扉を開けて入ってくるものがいた。
「やぁ、いらっしゃい。えーと、こんばんは……かな?」
「えぇ、こんばんは。ジェイド」
入ってきたのは、狼の面をつけた『精霊使い』のルーイである。
「ふぅ…………彼女なら、いつもの奥の部屋だよ。今日はその部屋しか許されなかった」
「そうですか。ありがとうございます」
ルーイは静かに廊下を進んでいき、突き当たりの部屋のドアを開ける。
ドアの正面の壁には窓があり、その下に膝を抱えて座り込んでいる女性がいた。
窓からの光が、彼女の長い金髪と赤いドレスを鮮やかに照らしている。
「レイラ、もうすぐマルコシアス様が目を覚まされる時間です。ひとまず、教会へ帰りましょうか」
「………………………………」
ルーイの声にレイラはピクリとも動こうとしない。小さくため息をついて、ルーイは再び声を掛ける。
「…………素直に帰らないと、今度はこの部屋にも出入りさせてもらえなくなりますよ?」
「っ…………」
緩慢な動きで彼女は頭を上げた。
彼女の表情は暗く、『濃い緑色』の瞳が涙で濡れている。泣き腫らした目の下には薄く隈も見えた。
「あー、ずいぶんな顔になったねぇ。そんなの、ルーシャに見せたら嫌われるよ〜?」
「っっっ……!?」
廊下からひょっこり顔を出したジェイドの言葉で、身体を起こしかけたレイラは再び顔を伏せてしまう。
余計な一言を放ったジェイドに、ルーイは低い声で呟く。
「……お静かにしてもらえますか」
「あ、ごめん。でも、もう時間切れじゃないの?」
「え…………あ……」
ルーイが窓辺の方を向くと、レイラが立ち上がってドレスの裾の埃を払っていた。彼女の腕には一匹の緑色の蛇が巻き付いている。
「ふん…………また、レイラが駄々をこねたか」
「マルコシアス様、申し訳ありません」
「毎度、教会までの移動が億劫だな……」
マルコシアスの強い『金色の眼』がルーイを見据えた。
先ほどまでの弱々しい表情は消え、今は彼女の全身から威厳のようなものが漂う。
普通であれば臆する雰囲気だが、そんなマルコシアスを前に『創造者』のジェイドはめんどくさそうな顔をする。
「移動が嫌なら、レイラに生活の拠点を合わせてあげればいいのに…………彼女、この家に戻ってきたいんだし…………」
「ほう? 主である我が、従属しているレイラに行動を合わせろというか? なかなか興味深いことを言う。さすが『異界を創る者』は違うな」
「元はレイラの身体だろ。【異界の王】には必須の器なんだから、ちょっとは気持ちに譲歩してあげれば?」
「「………………………………」」
マルコシアスがジェイドから十歩くらいの距離で止まって、そこで両者は静かに睨み合いを始めた。
しかし、それはすぐに邪魔が入る。
ルーイがマルコシアスとジェイドの間に立ち、互いの視線を断ち切った。
「マルコシアス様、全員あちらで待っています。ジェイド、これ以上は口を慎んでいただけますか」
それぞれの顔を見て言うルーイだが、マルコシアスもジェイドも眼の鋭さが消えない。
「ルーイはそっちの肩を持たないといけないから辛いよね。レイラやロアンがいなきゃ、この世界ごと沈めてもいいんだよ? ねぇ、マルコシアス……」
「ふん。貴様ごときに我が潰されるわけがないだろう。脅すにしても、己の力量を理解してものを言うのだな。『創造者』よ」
間のルーイを無視するように言い合う。
だが、挟まれるルーイも彼らに負けてはいない。
「…………無礼を承知で申し上げます。お二柱とも、それぞれご自身の『立場』というものを理解していらっしゃいますか?」
ふわりと、風もないのに床に積もった塵が舞い上がった。
ルーイの周囲にうっすらと、光る帯状の蒸気のようなものが揺らめく。建物の中の空気がビリビリと震えているのが伝わってきた。
「もしも、ここでお二柱がぶつかるようなことがあれば、この私も命懸けで引き離しに入らせていただきますが………………よろしいでしょうか」
「「…………………………」」
ここでの争いはまったくの無駄である。
『表の世界』を模して造られている『裏の世界』で、大きな力がぶつかればそれなりに『表』に影響が出るのは想像がつく。
そして、その争いでルーイに何かあれば、喜ぶのは彼らと敵対しているものたちだけだった。
マルコシアスもジェイドも、その事は重々承知している。
「我としたことが、戯れが過ぎたな。許せ、ルーイ」
「………………ルーイ、ごめんね」
「いえ、私も少々冷静さにかけました。申し訳ありません」
全員から覇気が引いていく。
「ではルーイ、行くぞ」
「はい」
マルコシアスはルーイを連れて外へ出ようとしたが、玄関の手前でピタリと足をとめた。
「…………誰か来ていたのか?」
「あぁ……やっぱり分かるんだ? 少し前に、リィケが来ていたんだよ。僕が呼んだ。彼にも『切り札』のひとつくらい必要だろ?」
「そうか……」
マルコシアスは玄関の扉を見たまま動かない。
「君がケッセル家の眷属になってること、ルーシャとライズは知ってるよ」
「……サーヴェルトから聞いたのであろう」
「ついでに、ロアンが【魔王殺し】の子どもだって…………君が教えたんだね?」
「…………あぁ、そうだ」
こちらを振り向きもしないマルコシアスに、ジェイドは肩をすくめてみせる。
「リィケの事は教えないのかい?」
「………………………………」
「ロアンと一緒に育てる気は?」
「………………………………」
「せっかく【魔王】の素質があるのに……」
「………………………………」
マルコシアスは扉に手を掛け開く。
門の所まで歩いて、そこで振り返った。
「……ロアンは選択肢がなかった。だが、あの者は違う」
マルコシアスの『金色の眼』が一瞬だけ『濃い緑色』に変わってすぐにまた戻る。
「せっかく解放してやったのに、また縛り付けるなど我が矜恃が許さない……」
そのままマルコシアスは、スタスタと早歩きで通りに向かっていってしまった。
取り残されたルーイをジェイドは横目で伺う。
「……悪魔なのに優しいねぇ。母性にでも目覚めちゃったのかな」
「絶対に本人には言わないでください」
「うん…………まぁ、どうかな」
ジェイドは笑ってはいるが、茶化しているような口調ではない。
たぶん、そこまで干渉する気はないだろう。
そう思ったルーイは、黙ってマルコシアスの後を追った。