真の復讐者
「なるほど。それが魔王殺しが使う“宝剣レイシア”…………それでアタシたちの仲間を散々、屠ってくれたわけだ……」
「宝剣……レイシア……」
リィケはルーシャが構える大剣に目が釘付けになった。
魔王殺しの血統、ケッセル家。
ルーシャの家系は代々、司祭の力を持つ退治員が多く輩出され、トーラストの街では知らない者はほとんどいない名家である。
その家系の中でも、魔王殺しの名と共に受け継がれるのが、家宝の『宝剣レイシア』だ。
普段は金色の十字架なのだが、正統な使い手が法力を込めれば、どんな大きさの刃でも出せる剣になる。
ルーシャはこの宝剣をまだ幼い時に受け継ぎ、その時から使いこなしているという話を、リィケはラナロアからよく聞かされていた。
「…………その子を返してくれ。なるべくなら戦いたくない」
ルーシャが女を睨み付けながら、顔の横、上段に剣を構えた。刀身は絶えず薄く青白い光をたたえている。
女はリィケの首を掴んだまま、にんまりと含んだ笑顔をルーシャに向けた。
「嫌よ。こんな珍しい子、あんたら人間には勿体ないもの。アタシたちなら、この子を大いに活用してあげられるわ」
「…………返してくれ」
「だったら、力尽くで来なさいよ。魔王殺しのクセに魔王を殺せない?」
「…………返せ」
「あっはっはっはっ! できないの? ズタズタにされたあんたの奥さんも浮かばれないわねぇ!!」
「なっ……!?」
「えっ……!?」
ルーシャとリィケは同時に声をあげ、女の言葉の意味を理解しようとするのに、一瞬だけ間が空いてしまう。
この女【魔王】は……今、何て――――
「あんたの家族殺した悪魔、知ってるわよ」
「「っ…………!?」」
全く悪びれた様子も無く、女はカラカラと笑いながら言い放った。
その様子を間近で見ているリィケは、目を見開いたまま硬直している。頭の中では突然のことにパニックを起こしていた。
「そんな……デタラメな事を…………!!」
ルーシャは冷静に女に言葉を返しているが、少しだけ声が震えている。
女は笑うのを止め、真顔でルーシャを見た。
「本当よ。それに、当時『取りこぼし』が有ったって、ソイツがぼやいていたもの。それってたぶん、この坊やのことじゃないかしら?」
「僕…………?」
スゥッと、目を細めて今度はルーシャとリィケを交互に見る。先程から女の言葉は静かになり、冗談を言う口調ではないことが二人にも解った。
「偶然って恐いわよね。今日、アタシは『ある条件』に合った人間を探しに来たの。まさかピッタリ合う子供が……魔王殺し、あんたの子どもだったとはねぇ…………」
「条件……?」
ピクリとルーシャの眉が動いた。
この女はこの街道で騒ぎを起こして、その『条件』とやらを満たす人間を探していた……と、いうことだろうか?
リィケの一番の特徴は『生ける傀儡』であることだろう。しかし、それは一目で見抜けるようなものではない。きっとこれは条件ではない。
「何が…………その子に何が有るって…………」
「トボケなくていいわよ。さっき分かったから」
にやりと口の端を上げ、女はリィケを前に突き出す。
リィケの泣き顔が、ルーシャからはっきりと見える。
「この子【サウザンドセンス】でしょ?」
「………………え?」
「……………………っ!?」
女が言ったと同時に、リィケがじたばたと体を捩って逃げようとした。しかし、片手だけだというのに、女の手はリィケの首を放さない。
「この子、アタシから『神の欠片』を使って一度は逃げたの。まぁ、あんまり力を上手く使えてないみたいだから、すぐにアタシが見付けちゃったけどね」
「違っ…………」
「本当に正直な子ね。顔に全部出てる」
女を睨もうとしているが、リィケの顔がどんどんひきつっていく。
確かにこの反応は、否定と言うよりも図星だという表情にしか見えない。
「さ……【サウザンドセンス】って…………」
「神父様じゃなくても、この国の人間なら知っているでしょ? 創世の神の魂の一部、選ばれし『神の欠片』を持つ者。神もしくは魔王の器……」
【サウザンドセンス】
この国に住む者は、こう呼ばれる人種をよく知っている。しかしそれは、滅多にお目にかかれない希少な人間。
彼らの最大の特徴は『神の欠片』と呼ばれる、魔法や法術などとは全く異なる能力を持っていること。
能力に目覚めるまでは、普通の人間と何も変わらない。
しかし、覚醒した能力の種類によっては「神か魔王になる」とまで云われている。
「こんな小さな子供が……神か魔王…………ふふ、良いわ……ゾクゾクする。さて…………『パパ』はどうする? あ、そうだ。大人しくこの子をアタシにくれたら、奥さんの仇の悪魔の事、教えてあげる! 良い条件でしょ!?」
「…………ルーシャ……」
「一体……何が…………」
自分の子ども…………生ける傀儡
妻の仇…………そして【サウザンドセンス】
初めてリィケに会ったのは、たった一ヶ月前。
子どもだと言われたのは、ほんの十日前。
人形の身体だと知ったのは、わずか一週間前。
そして、悪魔の口から【サウザンドセンス】だと言われたのは…………たった今。
「……………………」
【魔王階級】を目の前に、体から血の気が引いてどんどん冷えて、動けなくなっていくのが分かる。
急に突き付けられる事実に、頭が付いていけず、心に言葉が染み込まない。手が震えて、大剣を地面に落としそうになる。
まずい……ここで動けなくなったら確実に死ぬ。
リィケを逃がすことを考えないと……。
ルーシャは必死に頭を働かせようとする。
正直、魔王相手に勝算はない。
しかし、隙ぐらいなら作れるかもしれない。
自分だけが逃げることは問題外だ。
まず、リィケだけを逃がす。
しかし、リィケを見れば片脚が無い。
一緒に逃げる。
そのためには、あの女と戦わなければならない。
出来るか?【魔王階級】だぞ……?
でも……戦うしか…………。
答えを出し切れず迷いながら、ルーシャは女との間合いを詰めようと足を引き付ける。
その時、
「……僕、あなたと一緒に行く」
唐突にリィケが女に言った。小さな声だが、声色はハッキリとしている。
「あら? どうしたの、急に…………」
「だって、僕は人間じゃないんでしょ? 悪魔と同じなんでしょ? ルーシャにお母さんの仇の悪魔、教えてくれるんだよね?」
「……っ!? おい! リィケお前、何言ってんだ!! 悪魔が約束守るわけな…………」
「僕が行くなら、もうここから帰るんだよね?」
――――付いていくから、この場から手を引いてほしい。
リィケの目がそう、訴えていた。
女はにっこりとしながら、リィケの頭を撫でる。
「うんうん、もちろん帰るわ」
「あと……お母さんを殺した悪魔も知ってるなら、僕をその悪魔に会わせてほしい」
「リィケっ…………!?」
今のリィケは首を掴まれ、片脚を失い、胴を貫かれた状態である。しかし、眼は……諦めていない。
バカなことをっ!!
ルーシャは剣を構え直し、駆け寄ろうとした。
「――――ルーシャ!! 来ないで!!」
「なっ……!?」
大きな緑色の瞳がルーシャに向けられる。
出会ってから初めて、ルーシャはリィケに睨み付けられていた。ルーシャは手も出せず、その場から動けなくなった。
「へぇ…………坊や、アタシと取り引きしようなんて……見掛けによらず、いい度胸しているじゃない。いいわ、会わせてあげる。それとソイツのこと、坊やのお父さんに教えてあげるわ」
女は笑いながらも、正面からリィケを見据えている。
「…………約束、守ってくれる?」
「ええ、もちろん。私も【魔王】の名を持つ者よ。創世の神に誓って、その約束を守るわ」
女は片手を胸に当てて頬笑む。
「リィケ!?」
「安心しなさい。あんたの子は立派な【魔王】に育ててあげる。いつか会える日が楽しみねぇ?」
女がクスクスと笑ってリィケのアゴを撫でた。
リィケは眉間にシワを寄せ女を一瞥する。その眼はルーシャが今まで見たことのない、冷淡で覚悟を決めたようなリィケの表情だった。
「もしも…………僕が悪魔にされても、その悪魔と一緒にいて『目印』になる。ルーシャならきっと見付けて、悪魔を全部倒してくれるよね?」
リィケが独り言のように呟いている。
どうやら、これがリィケの目的で自分への最後の頼みなのだと、ルーシャは気付いて薄く恐怖すら感じた。
「ふざるな……!! 何をバカなことを言って…………」
「ごめんなさい。本当はルーシャを困らせたくない。でも、僕は何をしてもお母さんの仇を討ちたいんだ」
「困るって…………オレは……」
「…………いきなり『お父さん』って言われたの、嫌だったよね…………最初から……ずっと、ルーシャ……困った顔、してたのに…………」
リィケが泣きそうな顔で笑った。
「……あ…………」
ルーシャの中で何かがストンと落ちた。
自分が何に『困って』いたのか。
それはあの日からずっと、ラナロアと会ってリィケの事を聞いた時にもっと感じたこと。
子どもである、という事実ではなく…………『パートナーとして退治員に戻ってほしい』と、事情を全て知っているリィケが、ルーシャに躊躇なく言ってきた違和感。
もし自分が復帰したら…………。
リィケが自分以上の“復讐者”になるのではないか? ――――と。
女はリィケを掴んだまま、空いている手の指で空中に何かを描く。目の前の空間に湯気のような、景色の歪みが発生した。
歪みの中は暗い。まるで、地下へ潜る洞穴の入り口のようにも見える。どうやら、移動のための魔術で作った通路のようだ。
「あんた、命拾いしたわねぇ。あぁ、そういえば、あんたの奥さんを殺したヤツは――――」
女がルーシャに話しながら、歪みに入ろうとした…………その時、
「……させるかぁ――――――っっ!!!!」
ルーシャが大きく前に踏み込んだ。
叫びと同時に、ルーシャの持つ“レイシア”の刀身が強く光る。
上から下へ。振り下ろされた大剣の軌跡が、白い光の柱のように一瞬で、リィケを掴む女の腕を切り落とした。
「何っ!?」
「うわっ!!」
女の片腕ごと、リィケが地面に落ちる。
「うぉおおおおおおっっ!!」
ルーシャが大剣を振りかざし、真っ正面から女に向かって行く。あまりにも単純に、真っ直ぐに力任せに大剣を振り下ろす。
ズガァンッ!!
女は素早く後ろへ跳び、ルーシャの攻撃は簡単に躱された。さらにダメ押しなのか、ルーシャは大剣を振りかぶり、前方の女に向けて刀身に帯びた光を連続で射ち放つ。
「“レイシア”!! 祓えっ! 祓えっっ!!」
「くっ!! しつこい!!」
ルーシャの目の前に、砂利と砂ぼこりの柱が次々と立ち上がる。
辺り一面、砂嵐が起きた直後のように、一歩先は何も見えなくなった。
「はぁっ、はぁっ…………くそ、手応えがない……はぁ……」
「る…………ルーシャ……?」
汗を流し、大きく息を切らせているルーシャの足下で、リィケはポカンとした顔で倒れていた。
リィケの腕を掴んで、雑に持ち上げる。
「帰るぞ!! 悪魔と取り引きなんか出来るか!?」
「ルーシャ!? で、でも……!!」
「頼むからこれ以上、オレに『オレの経験』以上のことをさせようとするなっ!!」
「え……!?」
リィケを脇に抱え、ルーシャは砂煙とは逆に走り出す。
そして、少し苛ついたような顔をして口を開いた。
「……急に『お父さん』って言われても困るんだ」
「…………ごめんなさい」
「オレはまだ、親になったことがない。オレはお前に何をすれば良いのか、全く分からないんだからな……!」
「…………ごめんなさい」
「で? 何をすればいいんだ、オレは……」
「え……?」
リィケはルーシャの顔を振り仰ぐ。
ルーシャはリィケの方を一切見ずに、ブスッとした顔で前を向いて走り続けている。
「…………何でもいいの?」
「今はひとつ、できる事だけ」
「ほんと!? じゃあ…………」
「っっ!?」
「ぅえっ!? わあっ!!」
走っていたルーシャが急に止まり、体の向きを変えると同時に、リィケを横へ思い切り放り投げた。
「伏せろっ!!!!」
「お、お父さ…………」
リィケが手を伸ばそうとした瞬間――――
ドォオオオオオンッ!!!!
爆音と共に、体を殴り付けるような爆風。
黒煙を含んだオレンジの火柱が、ルーシャを飲み込んでいくのが見えた。




