真実の入り口
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ここから新章開幕です。
――――――三十五年前。
街道を一台の馬車が走っていた。
中に乗っているのは二人。
一人は三十代半ばの筋肉質で大柄な男性。銀髪と紫紺の瞳が特徴的で白を基調としたコートを羽織っている。着ている服の刺繍などを見ると、この男性が聖職者で司祭以上の位置にいる人間だとわかった。
もう一人は十代半ばくらいで金髪に碧眼の少年。こちらも白いコートを羽織っているが、銀髪の男性に比べると刺繍や装飾は全く無い。こちらは司祭ではなく一般的な僧である。
この二人は【聖職者連盟】の『トーラスト支部』の退治員だ。
司教で剣士の『サーヴェルト』と、まだ見習いで銃使いの『ランディ』という神学校の学生だった。
仕事を終え、トーラストへの帰路へついている途中、サーヴェルトはずっと黙って眉間にシワを寄せたままだった。
「……あの、サーヴェルト様?」
「…………なんだ?」
「あのことでサーヴェルト様が気に病まれることは…………」
「大丈夫だ。わかってる…………」
今回、ランディは初めてサーヴェルトの悪魔退治の仕事について行き、そして『稀に見る状況』に出会してしまった。
――――まさか、依頼の内容が『悪魔憑き』ではなく『魔王の器』だったとは。
『悪魔憑き』というのは、人間に悪魔が取り憑いた状態であり、その悪魔を上手く取り除けば元の人間に戻ることができる。
だが『魔王の器』というのは全くの別物だ。
『魔王の器』とは人間の身体に【魔王】の魂を持つ者。
産まれた時こそ普通の人間であったのに、生活の中で突然、己が【魔王】であると自覚して強大な魔力を有する存在として覚醒する。
しかし、それは覚醒が上手くいけばの話。
ほとんどの場合は完全に覚醒はせずに、身体の魔力を暴走させ、周りを巻き込んで消滅するのだ。
仕事を終えてすぐに帰りの馬車に乗り、もうそろそろ丸一日が経とうとしていた。
ガラガラと馬車の車輪の音だけが響く。
馬車に乗ってからというもの、休憩を挟んでほぼ二人きりで向かい合っているがほとんど会話はない。
窓から見える風景の奥にトーラストの街の門が見えてきた時、サーヴェルトが小さく息を吐いて呟いた。
「他にやり方があったかもしれない…………」
本当に小さな呟きだったが、それは自身を責めているような口調でとても重苦しい。
「…………ですが、サーヴェルト様、他に犠牲を出さない方法はあれしか―――――」
向かい側に座っているランディは今にも泣きそうな顔で言葉を口にした。一瞬、彼と目が合ったサーヴェルトだが、すぐに窓の外へ視線を戻し唇を噛んだ。
「一人の女の子を犠牲にした。あの子の両親は『ありがとうございます』って言ったんだぞ…………娘を殺したオレに向かってな」
「…………………………」
ランディを追い込むつもりはなかったものの、サーヴェルトの口調は苛立ちを含んでおり、その後は二人とも馬車の中で押し黙ってしまった。
――――初めての退治の現場だったのに、ランディには可哀想なことをした。このケースはどうあっても救いようもない。この子にはまだ、簡単な現場を見学させてやりたかったのに……。
昔から懇意にしているフォースランの家から、退治員の見習いであるランディを預かっていたサーヴェルトの胸中は苦々しい思いでいっぱいだった。
サーヴェルトは窓の外に向けて再びため息を漏らしたが、その時ふと、馬車の外……街道の脇の森から悪魔の気配を感じた。
「………………?」
「サーヴェルト様、どうかしましたか?」
「…………いや……外に悪魔がいるな…………と」
「悪魔ですか? 特に気配は感じませんが……」
「………………」
確かに悪魔の気配だ。いや、気配そのものは町の外ではいくらでも感じる。
問題はその悪魔の数と質だ。
街道にいる小物の悪魔の気配が薄く、それでも数だけはうじゃうじゃと感じるというのに、今はたった一つの気配だけしか感じない。
いつもなら見習いのランディも悪魔の気配は簡単に探れる。しかし、それに気付いているのはサーヴェルトだけ。
たった一つ。
良質で澱みのない、それでいてゾッと体の底から冷えるような魔力の気配。
ガタンッ。
速度を落としていた馬車が停まった。
サーヴェルトたちが窓から前方を見ると街の入り口がある。入り口は何台かの馬車で列を成していた。
「あ、街に着きましたね。何だか混んでますね、検問までしばらく掛かりそう……」
「この時期は各地から、神学校への入学や連盟への入所準備で人が集まるからな」
コンコン。
馬車の窓から御者をしていた男が声を掛けてきた。
「サーヴェルト様。すみませんがだいぶ検問が立て込んでます。このままお待ちになってもいいのですが、降りて徒歩で入場した方が早いかもしれません」
「ふむ…………」
馬車はすぐには動きそうにない。
急いでいれば降りて歩いていく方が街に入るのは早い。
このまま乗って入れば時間は掛かるが、連盟までは寝ていても辿り着く。
「オレは降りる。ランディ、お前は……」
「はい。私も一緒に検問へ……」
「いや、お前は先に連盟に戻れ。オレは……………………ちょっと街道を散歩してくる」
「散歩!?」
突然のサーヴェルトの発言に、ランディは思わず声をあげた。
「街の外を、悪魔がいるところを散歩って……!」
「えーっと……すまない、少しだけ独りにしてくれ。悪魔なら大丈夫だから…………」
「あ…………わ、分かりました」
『あんなこと』があった後だ。きっと少しだけ静かに物思いにふけりたいのだ……と、気の利くランディは察する。
それにサーヴェルトならば、こんな昼間に街の近くを彷徨いている悪魔など敵ではないだろうと考えた。
「……では、お気をつけて。なるべく夕方前には連盟にお戻りください」
「ああ。あ、ついでに連盟にもどったら、ラナロアに伝えてほしいことがある」
「はい、何でしょう?」
「『オレの帰りが遅いと思ったら、その時に迎えに来てくれ』って……」
「はい……? 伯爵に迎えを……?」
ランディは首を傾げながらも、サーヴェルトに言われたことをメモして街の門へ向かっていく。
彼の背中が見えなくなったのを確認して、サーヴェルトは馬車できた街道を辿っていった。
どんどん街から遠ざかり、街道の脇にある小さな森へ足を運ぶ。
そこはさっき、馬車から感じた魔力の根源があると思われる場所。
「…………出てきたらどうだ? 丸一日、ずっと追い掛けてきたんだろ?」
一瞬の間のあと、ガサガサと近くの茂みが揺れて、そこからサーヴェルトが見たことがないほど大きな『白い狼』が姿を現した。
『…………………………』
狼はサーヴェルトの正面で立ち止まる。
じんわりと辺りを包む狼から発せられる魔力は、ほんの一日前に嫌というほど浴びせられたものと同質だった。
サーヴェルトは静かに腰に差している『金の十字架』に手を掛ける。
「やはり、お前はあの村の…………あの時確かに、オレはお前を斬ったはずだ……!! こい!『光を示す者』!!」
手に取った十字架は蒼白い光を放つ大剣へと変化した。
剣を構えたサーヴェルトと狼が対峙する。どちらも動かずに相手を見据えた。
「………………………………」
『………………………………』
しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは狼の方だった。
『…………剣を収めよ。創世の神の名の下、我はお前とは戦うことは許されない』
「………………何?」
狼はその場に座ると、サーヴェルトに向けて頭を下げる。
『我の名は【魔王マルコシアス】。眷属として、主か我の命尽きるまでこの世界に留まることとなった』
「………………は?」
この時のサーヴェルトは『魔王殺し』としての能力を知らず、ラナロアが迎えに来るまで、マルコシアスと向き合ったまま途方に暮れていた。
…………………………
………………
――――――現在。
「はぁ…………」
「ルーシャ、それが終わったらこっちの書類に目を…………って、おい……ボーッとするな」
「え? あぁ、すまん……」
【聖職者連盟】の『退治課』の事務室。
相変わらず退治員の出張の多い『退治課』では、ルーシャとライズが山積みになっていた悪魔関連の依頼書を片付けていた。
ほとんどが街の住民からの浄化や、結界を自宅に張るための依頼である。
トーラストで悪魔の騒動があってから五日。
連盟内も街の中も、ほぼ通常と変わりなく動いている。しかし、街の中でも大量の悪魔が出現したことにより、住民が自宅を個別で強化したいと連盟に申し込みが殺到していた。
本来は役所から『祭事課』へ依頼されるのだが、あまりの申し込みの多さに、司祭資格を持つ退治員にも仕事が回されているのだ。
「…………トーラスト支部は規模の大きさの割には『退治課』の退治員も少なければ、その中でも司祭資格を持っている職員も少な過ぎるんじゃないのか?」
「オレに言うな。本部と比べたらそりゃあ少ないが、普段はこんなに事務仕事が回ってこないんだよ……」
配属されたばかりの司教であるライズも、事務室内に席を決められた途端に書類の束を手渡された。
同様に司祭のルーシャの机にも、まだ目を通してない書類が重なっている。
「トーラストは『上級悪魔』のラナロアがいるから、雑魚悪魔はほとんど街に近寄らない。だから、個人宅で結界まで張ってないのが一般的なんだ。街自体に連盟とラナロアの二重の結界があるからな……」
「それが油断に繋がっているんだ。王都でさえ、当たり前に住宅に悪魔除けを使っているのに」
ブツブツと言いながらも、ライズの机の書類は次々に消えていく。さすが、王女の側近であり連盟本部長のパートナーの『上級護衛兵』である。ライズは普段から山積みの書類には動じることはなかったようだ。
ちなみに、『退治課』の事務の要であるラナロアは、さらに忙しさを極める役所の方へ手伝いに行っている。
領主である彼をもってしても、住民からの要望が溢れかえっているということだ。
「そういえば、サーヴェルト様の様子はどうだった? 今朝、退院する時に会いに行ったんだろ?」
「ああ、元々怪我や病気じゃなかったからピンピンしてたぞ。念の為、仕事復帰は明日からみたいだが」
「そうか……何か話したのか?」
「この間、ずいぶん話をしたから今日は特にない」
「ふん……?」
ルーシャは書類に視線を落としたまま答える。淡々とした口調にライズは少し眉をひそめた。
「それより……お前のとこの坊っちゃんがうちのリィケを放してくれないんだが…………」
「そうか。王…………レイニールはかなりリィケを気に入っているみたいだな。そんなにひとりの人間を傍に置くのも珍しい方なのに……」
連盟の研究室にいるレイニールは、出勤から退勤までリィケを近くに置いて話し相手をさせている。
同じ【サウザントセンス】というのもあるが、自分が助かるきっかけになったリィケを気に入っている様子だ。
「“顔”ができたら二年前のことを話してくれるそうだ…………それまでは、少し落ち着いて過ごしたいと言っている……そのためにリィケには近くにいてほしいのだろう」
「…………まぁ、それは仕方ないけど……」
言いながら、ルーシャの表情は納得していなかった。
あのマルコシアスの一件から、ルーシャはリィケを自分の傍からなるべく離したくない。何か、傍にいないとリィケがいなくなってしまうような、そんな強迫観念のようなものが胸に湧いてきてしまうからだ。
実際に、クラストではロアンがリィケを放してくれなかったことがある。
マルコシアスやロアンが、リィケを連れていってどうしようとしたかったのか。その真意もまだ解っていないのだ。
――――じいさんの話から解ることを探っていくしかないか……。
サーヴェルトが目覚めてからルーシャに話した内容。
それを辿って真実を導き出すのが、今後のルーシャへの課題になるだろう。
「はぁ……やることが多い……」
「今は目の前の書類を片付けるのが仕事だ。ほら、とにかく手を動かして…………」
コンコンコン。
不意に、事務室の扉が叩かれた。
静かに開いた入り口には、サーヴェルトの少し前に退院したイリアが立っている。
「ルーシャ、ライズ、二人ともちょっといい?」
「「……?」」
手招きするイリアへ近付くと、彼女は周りを確認した後に小声で囁いた。
「リーヨォが呼んでる。レイニールの顔が完成した……って」
「わかった……」
すぐに二人はイリアと研究室へ赴く。
扉を開けてすぐに見たのは、嬉しそうに部屋のソファーに座っていたリィケだった。
「あ! お父さん、ライズさん!」
笑顔でルーシャに飛び付いてくるリィケ。
「えっと……レイニールは……?」
「うん、奥にいるよ。あ……でも……」
笑っていたリィケが一瞬、困ったような表情に変わる。
「その……本当は、リーヨォは反対していたんだけど……」
「え?」
「何を反対していたのか?」と聞こうとした時、奥の部屋の扉が勢いよく開いた。
そこから出てきたのはリーヨォと…………
「よぉ。やっとできたんだが…………こいつが色々と駄々こねてなぁ……」
「駄々? ん…………あっ!!」
リーヨォの後ろから、何の躊躇いもなくひょっこりと出てきたのはレイニールだ。
「それ…………」
「俺は、安全のため少し変えろと言ったが…………」
一目彼を見るなりライズは固まってしまい、一緒に来たリーヨォはため息をついた。
身長だけ見るとだいたい十八歳くらい。
短く整えた黒髪、瞳は両方とも紅である。
「なんだ? 余が『自分の顔』をしていて何がいけない?」
「だって…………その顔……そのまんまじゃ……!?」
身長も高く、左眼に眼帯などをしてはいないが、それはまさしく『ロアンの顔』だ。
ルーシャたちが知っている“レイニール本人”の顔をしていた。