聞こえない声
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「レイニール!! いるなら返事して!!」
リィケはできる限りの大声で呼び掛けた。
――――……レイニール……王子?
その光景を地面に倒れたライズは、ぼんやりと目を開けて眺めていた。その間に体は指一本も動かせず、視界の端にリィケが駆けていく様子をとらえるのがやっとだった。
…………くそ……こんなところで動けなくなるなんて……それにまさか…………
まさか、目の前にバラバラに動いている魔操人形の中にレイニールがいるとは思わなかったのだ。直前に会ったロアンがいたなら分かるのだが。
――――でも……リィケがそう思ったのならそうなのだろう。少し、都合が良過ぎる気もするけど……。
リィケが持つという『千の心』の能力は未だ計り知れない。
それに自分がこうなっている以上、悪魔の中にレイニールが紛れていた可能性を否定する要素が見当たらない。
「…………………………」
意識を集中させると、ほんの少しだが脚を動かせるようになった。
――――……『守護の支配』に背けば身体の自由を一定時間奪われる。
ペナルティを課せられるわけにいかないので、ライズは慎重に動いていたが、この様子では数分は立ち上がれない。周りが結界の効く雑魚だから良かったものの、強敵が相手であればこれは致命的な時間になっただろう。
王都にいた時、普段の戦闘では上級護衛兵であるライズは単体では動かない。もしも王宮で何か謀反や反乱が起きた時は、他の兵士が応援に来るまで主であるミルズナの護りを徹底することになっていた。
何故なら、もしも反乱軍の中に王族がいた場合に一人で攻撃に出て、今のように動けなくなってしまえばミルズナが危険に晒されるからだ。
だからミルズナの命令以外は、攻勢に出ないように日頃から心に留め置いている。
――――マズイな……リィケを一人で戦わせることになるなんて。
リィケがレイニールを捜すために大声をあげたことで、周囲にいた魔操人形はワラワラとリィケの方へ向かっていく。倒れて動けないライズには目もくれない。
――――ルーシャが来るのを待つか、リィケだけでも教会の中へ…………いや、きっと退けと言っても無駄だろう。
「レイニールっ!! レイニールーっ!!」
悪魔を寄せ付けてしまうのは分かっているはずなのに、リィケはレイニールがいることを確信して呼び続けていた。
『ギギギッ!』
「うわっ……よっと!!」
リィケも自身の銃では戦い切れないを理解しているようで、群がる人形を避け、近くの柵から街路樹、街灯などを伝って逃げながらレイニールを捜している。
――――……意外にやるな。あれなら武闘僧の稽古をつけても大丈夫かもしれない。
その時ふと、ライズは姉のレイラを思い出した。
退治の仕事の時に、嬉々として悪魔を素手で殴り倒していた『鋼拳の淑女』の異名を持つ一応シスターの資格を持った姉。
レイラは父親からフォースラン家の象徴である『聖弾の射手』の名も一時期継いでいた。
だが正直なところ、弟の目から見ても彼女の銃の腕はイマイチであった。“数撃てば当たる!”という大雑把な射撃技術だったからだ。
だから退治に行く時も銃は持っていっても、レイラは素手での戦いを好んでいたのだ。
もしも彼女が生きていたならば、こんな混戦を笑いながら身一つで突っ込んで行ったに違いない。
――――リィケが好戦的な姉さんに似なくて良かったというか……というか、あの子はケッセル家の人間なんだから、ルーシャと同じような退治員にすれば…………
そこまで思って、ライズはある疑問が浮かんだ。
――――なんでリィケの武器を銃にしたのか?
レイラに似せるつもりなら、銃使いよりも武闘僧の方が才能を開花させる可能性があるだろう。
それよりもケッセル家の人間ならば、まずはルーシャと同じ剣士に育てようとは思わなかったのだろうか。
その方がルーシャとリィケを『師弟』ということにして、それを理由にパートナーにさせた……と言い訳もできただろうに。
――――ラナロア様やサーヴェルト様なら、当然この案は考えたのでは……?
疑問が出てくると同時に、胸の中がザワザワと波立っていくのを感じる。
「レイニール…………どこ……いたら……」
リィケの声が遠ざかっていく。
それを追うように、辺りの魔操人形がゾロゾロと同じ方向へ移動していった。
「……………………俺も、行かないと……」
少し痺れてはいるが、なんとか体を起こすことが出来る。きっと少しでも動けば、だんだんと能力は解けていくはずだ。
――――俺だけであの子のことを考えても仕方ない。あとでルーシャにも考えを聞いてみないと……。
ライズはやっとの思いで立ち上がり、人形たちに遅れながらもリィケの後を追った。
…………………………
………………
『人間を襲え! 街を混乱させろ!』
そう頭に響いていた声はいつの間にか
『墓地へ向かい、この街で一番大きな墓を壊せ!』
という命令に変わり、それがしばらく続いたら
『あー、もういいよ。昼になるまで好き勝手に暴れてて』
と何ともいい加減な命令を最後に、頭の中には何も響かなくなっていた。
これには単純に生きている……ように見える魔操人形たちも困ったのか、それとも本当に勝手にし始めたのか、あちこちに意味の無い行動をし始めているのが目に見えて分かる。
その命令の移り変わりを、レイニールはただただ受け入れるしかなかった。
「ギ…………」
『やっと命令が途絶えたというのに…………』
時々、自分の周りの悪魔がレイニールにぶつかってくるが、彼はそれを避けようともせずにユラユラと同じ方向へ歩くしかない。
今のレイニールの『人形の身体』は何も纏っておらず、素材こそ周りの魔操人形と違うものだが、パッと見の姿はほとんど見分けがつかないものだった。
――――――現在。
もはやレイニールの人形の身体は、自分の意思ではなく『何者かの命令と魔力』によって支配されていた。
今までは自分で身体を動かせる分の魔力は、自分で補給していたので誰からも干渉されずに済んでいた。
しかし二番目の命令が下される少し前、レイニールの身体は自身が『魔力栓』で補充した魔力を使い切ってしまったのだ。
渇いた土が雨を欲するように、魔力の無くなった身体は他人の魔力でも抵抗なく受け入れてしまう。
そのせいで、魔力にもれなく付いてきた『命令』が容赦なくレイニールの身体を襲った。
本来、魔力で動く魔操人形と同じ身体はレイニールの意思から離れ『何者かの命令と魔力』を優先して動き始める。
幸いだったのは、レイニール自身の精神まで支配されなかったこと。
しかし、自らの意思の届かぬ身体の中で、自分を保っているのも限界がきていた。
「ギギィ…………」
『ダメだ、そっちへ行けば連盟の建物がある…………』
この数日の間、レイニールはトーラストの街を散策して、建物施設などの配置や特徴を全て把握していた。
だから、この先にある一番近い施設が教会とそれに併設している【聖職者連盟】の支部であることもわかっている。
――――ダメだ……行ったら退治される!!
人間と意思疎通が出来ていない、今のレイニールではこの大勢の魔操人形と見分けられずに一緒に退治されてしまう。
何度も自分の身体に『ダメだ!』と言い聞かせても止まらない。
行きたくないのに、今のレイニールの身体はどんどん連盟の方へと流されていた。
「……ギ……」
『…………これまでか……』
連盟の建物が見えてきた時、遠くで銃声が聞こえてきた。おそらく、退治員が悪魔を倒しているのだろう。
――――あぁ、これではまるで、処刑を待つ罪人の列に並んでいるようではないか。
二年間、山に閉じ込められていた時は、どうやって人と接触しようかと考えていた。人里に行けば活路が見いだせると思っていたからだ。
だが現実は、退治員を避けるために街での潜伏を余儀なくされ、何も出来ないまま日にちだけが経ち、身体を維持するための魔力も補充できなくなった。
自分の考え方が甘かった――――と反省するよりも、どうしようもなかったと思えてならない。
――――きっと、余もこの人形たちに紛れてバラバラにされる。そうなれば、もう人間に戻ることも叶わぬのだろう………………母上、仇を討てず申し訳ありません。
諦めずに二年間で培った希望が、全て崩れ去った気がする。
――――こんな所で人知れず死ぬのか。いや、本当ならば二年前に死んでいたはずなのだ。くく……余もずいぶん粘ったものだな。
自嘲の念が湧く。
これは心が折れてしまった証拠だ。
――――やっと山から出られて……希望が持てたというのに。
リィケという少年に出会って、おそらく彼の『神の欠片』によってトーラストに辿り着いた。しかし、それが運の尽きだったのかもしれない。
――――もう一度、人間と…………あのリィケという者と話してみたかったな……。
前方で白い光が広がっていく。
あれは法術を発動させる前兆だった。
本当は眩しさに眼を閉じたかったが、レイニールの人形の顔には瞼がない。心の中で閉じても光は容赦なく入り込んでくる。
「ッ…………」
光を焼き付けながら覚悟を決めた時、その光は急に消えて代わりに紅く細い稲妻が現れた。
――――な……? 何が起きた?
突然、自分たちを狙っていたものがなくなった。
紅い稲妻は『神の欠片』を使った時に何度も見たことがある。
犇めく悪魔たちの隙間から見えたのは、地面に倒れる金髪の青年の姿だ。あの青年が法術を使おうとして、急に倒れてしまったらしい。
赤を基調にした戦闘用の服を着ている。
青年の両肩には『ユニコーンの紋章』が刻み込まれていた。あれは王家が使っているものである。
――――あの者は……王宮の上級護衛兵か!
つまり、あの兵士は知らずに王族であるレイニールに銃を向けてしまい、王家特有の『神の欠片』である【守護の支配】を発動させてしまったのだ。
――――おかしなものだ。こんな身体でも『神の欠片』は余を王族と認識したのか。
さらに、倒れている青年にも見覚えがあった。
あれはミルズナと常に行動を共にしていた銃使いではなかっただろうか。
――――確か……ライズという者だったはず。王宮でミルズナといるはずの兵士が、何故トーラストの街にいるのだ?
疑問に思っていると、ライズの傍らで必死に彼に呼び掛けている人物に気付いた。
その人物の正体がわかった瞬間、レイニールは身体に無いはずの心臓が止まりそうになった。
――――リィケ……!?
紛れもなく、山の中で会ったリィケである。
リィケはライズの様子を見たあと、今度は周りを見回して立ち上がった。
次の瞬間、彼は近くにいた魔操人形に体当たりを食らわすと、そのまま弾かれたように走り始めて大声をあげた。
「レイニールっ!!!! いたら返事してーっ!!!!」
――――っ!? 余がいることに気付いたのか!?
この状況で気付いてもらえたことに、レイニールは喜んで駆け寄ろうとするが、身体は自分の意思では一歩も動いてくれない。
――――リィケ! おい、聞こえるか!?
ならばと、レイニールは思いきり叫んでみた。
しかし、どうやらその声は表に出ていないらしく、人形の口からはいつもの金属音すら発せられていない。
金属音が出なければ声にもならないのか、リィケはレイニールに気付かずに人形の群れを避けながら走る。
――――ここだ! 余はここにいる!!
何度も力一杯叫んでみるが、人形の口は堅く閉ざされていてカチリとも音が出ない。
なんのアピールも出来ないまま、リィケが目の前を通り過ぎて一段高い場所へと移動していく。
「レイニールーっ!!!!」
リィケが大声を出す度に魔操人形たちはゾロゾロと付いていくので、彼を見失わずに済むのだけが救いだ。しかし、この大勢に黙って紛れていては見付かるはずもない。
――――ここだ!! ここに……いるのに!!
リィケにさえ会えれば伝わるはずなのに、今は身体を別の何かが支配して邪魔をしている。
――――リィケ! 頼む、気付いて…………
群がる人形から逃げて、リィケは街頭などを伝ってどんどん上に向かう。
――――気付いて…………
リィケは完全にレイニールから遠く、建物の二階ほどの高さはある、広場の石像の上に立っていた。
広場の悪魔たちを見渡せる場所ではあるが、ちょっとやそっとの声では聞こえない位置だ。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!
像の下では犇めきぶつかり合う人形の音が響いて、レイニールの微かな声などかき消されそうである。
――――…………あ…………
リィケの背後、空に太陽が昇っているのが見えた。
街が朝を迎えたのだ。
シュウ……と音がして、徐々に身体から魔力が抜けていくのがわかる。完全に抜けてしまうまでは時間は掛かるが、倒れればもう他の悪魔たちと見分けることは不可能になるだろう。
――――……時間切れか…………
このまま、悪魔たちの残骸として片付けられ、悪魔としての“死”を迎える。
そう考えた途端、レイニールは叫ぶのを止めた。
カタン、と自分の身体の部品が外れるような音がした。
『……………………………………………………………………………………………………………………………………たすけて……』
諦めきれずに出た、普通の声よりも小さく誰にも聞こえない声が漏れた。
その時、
「……………………」
石像の上でリィケが急に動きを止める。まるで何かに集中しているように。
――――…………?
リィケが振り向きまっすぐに一点を見詰めた。
その視線が間違いなくこちらを向いている。
「今…………“たすける”から待ってて!!!!」
それが自分に向けられた言葉だと、レイニールは一瞬にして理解した。