覚悟の言葉
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時計塔の最上階。
ここから見える東の空は、地平線を境に白く染められ、それに照らされた上空も紺青から青に変わりつつある。
「……………………………………」
ルーシャは宝剣を片手に床を見詰めたまま、一人だけでこの場に立ち尽くしていた。
ほんの数分前。
ルーシャが対峙していたのは、街を滅ぼすほどの力を持つ【魔王マルコシアス】とその息子だと名乗ったロアン。
『ほんみょうはロアレイン・ケッセル』
『レイラの願いは、夫、弟、我が子……三人の無事だ。はて……リィケとはどこの子供か?』
ロアンとマルコシアスが言い放った言葉に、ルーシャの頭の中は真っ白になり、最早これ以上【魔王】を追及することはできなくなった。
どういう魔法か、ロアンが左目に眼帯を着けると、その姿は再びレイニールのものとなる。彼は『自己紹介』の前後、ルーシャに対して何の感情も向けていないようだった。
半ば放心状態のルーシャを横目に、マルコシアスはロアンの手を引いて黒い靄へ向かう。
しかし、靄へ入ろうとした直前、マルコシアスは足を止めてルーシャの方を振り返った。
「……今しがた、我が言ったことは全て真実だ。我は『実直』を旨とする【魔王マルコシアス】。レイラの願いは全て叶えることを優先とする。そう…………全ての願いを、だ」
「…………………………」
マルコシアスはそれだけを言うと、ロアンを連れて靄へと消えていった。
どこからか、チチチ……と朝の鳥の鳴く声が聞こえる。
「…………………あ……」
無意識に出た自らの声で覚醒した。
たった数分、放心状態になっていただけなのに、体を動かそうとすると最初の一歩が鉛のように重い。
…………マルコシアスはもう…………いない……か。
『レイラの願いは全て叶えることを優先する。そう…………全てを、だ』
最後に念を押すように言われた言葉が耳に残っている。彼女が何を言わんとしたのか気になったが、今は【魔王】の心理を考えている余裕はない。
「…………行かないと……」
いつまでもここに留まっている訳にはいかない。
のろのろと身体を引きずるように移動し、時計塔から降りようとした時、遠くの方で銃声が聞こえた。それも複数回、連続している。
「……リィケ……ライズ……!」
ハッとして、時計塔の窓辺で身を乗り出す。
二人がこの近くで、残りの悪魔と戦っているのだろうと思った。
夜明け頃の悪魔は、近くに人間がいると最後の力を振り絞って襲ってくることがあるのだ。
「…………オレも行かないと……!」
――――下へ、外に…………
その瞬間、頭の中にリィケの顔が浮かんだ。
胸に苦いものが込み上げてくる。
「リィケは……まだ、知らない…………」
ルーシャが言わなければ、マルコシアスに言われたことやロアンのことをリィケは知らずに暮らせるのだ。
「……………………」
大きく息を吸うと、ルーシャは螺旋階段を駆け降りた。
…………………………
………………
――――アリッサお姉ちゃん、無事に教会に入れたよね?
教会の大扉はリィケからは見えない。先ほど、ライズがアリッサの退路を確保していたので無事を信じるしかない。
そうこう考えている間にも、リィケの正面の細い路地から、足許が覚束無い魔操人形一体がフラフラと出てきた。
ズガァンッ!! ガラガラッ!!
リィケが撃った弾は一発で一体の魔操人形を仕止めて崩す。
「…………やった!」
連盟の壁際でリィケはライズと背中合わせになり、横の路地裏から出てくる悪魔を倒していた。
リィケの背後の広場と、真横の大通りから来る魔操人形はライズが撃ち抜いているので、リィケは裏路地から来る悪魔への攻撃に集中した。
「……っ! 弾切れ……!」
リィケのリボルバーは威力はあるがすぐに弾がなくなる。慌てて弾を込めていると、一つ二つは手を滑らせて地面に落ちた。
「慌てるな。終わるまで俺がこっちも撃つから」
「は、はい! すみません!」
リィケがパチパチと新しい弾丸を装填している間、攻撃の隙間をライズが補っていたので何も問題は起きなかった。
そういえば、ライズさんって弾を入れている暇ないよね?
ライズは間髪入れず悪魔を討ち取っている。素手でも闘える上に、攻撃の種類毎に銃も持ち替えているのだが、その銃を装備の何処から出しているのかも謎であった。
――――後で聞いてみよう……。
『カカカッ!!』
「わっ……この!!」
ズガンッ!! ガラガラッ!!
少しの考え事をしているうちに間近に迫っていた悪魔に驚いたが、リィケの手前に張られた結界に引っ掛かったため、落ち着いて正確な急所を撃ち抜いた。
――――結界があると安心しちゃう。気をつけないと……。
ライズが足下の半径五歩分ほどの結界を張ったおかげで、すぐに気付けなくとも悪魔の攻撃は結界にぶつかりリィケに届かない。
――――やっぱり、僕は護られてばかりだ。ライズさんもお父さんも、まず最初に僕のことを護ってくれる……。
子供だから仕方ない。
見習いだから仕方ない。
そう言われてしまえばその通りなのだが、同じ退治員として同じ場所で戦っている以上、やはり護られてばかりだということがリィケにはもどかしく思うことだった。
――――僕だって、お父さんを護れるくらいにならないと……
そう思った時だった。
急にぐにゃりと景色が曲がり、リィケの目の前が真っ白になる。
「え…………?」
何もない『真っ白な場所』にリィケは立っていた。
背中合わせに立っていたはずのライズがいない。周りにあった建物も、そして魔操人形の群れもどこにもない。
「えっ⁉ ライズさん、どこに⁉ ここは…………」
『――――ら…………』
「へ?」
聞こえた声に顔を上げ――――――
バチンッ!! と、激しい音にハッとする。
「………………う……」
再び立ち眩みに襲われたが、今度はちゃんと目の前にトーラストの街並みが在った。
「何…………っ⁉」
一瞬起こったことに混乱していると、リィケの真横で何かが弾け飛んだのが見えた。同時に肩に手が置かれる。
「リィケ、どうした?」
「え? あ……ライズさん……?」
リィケの横に接近した悪魔を、ライズが撃ち抜いたようだ。
「いくら数が少なくなってきても、戦闘中はボーッとするな」
「は、はい……」
…………今……違う場所に居たような?
真っ白な空間に飛ばされた気がする。
しかも、誰かに話し掛けられたような気も。
さっきは何も無かった?
しかし今はトーラストの街並みも、ライズも、ついでに魔操人形もちゃんと見える。
――――夢? こんな一瞬で?
リィケが周りを確認しようと顔を上げると、ライズが眉間にシワを寄せてリィケを見ていた。
「……………………リィケ」
「はい?」
「泣くほど疲れたなら遠慮なく言え。無理をしても良いことはない」
「……へ?」
泣くほど……と言われ不思議に思っていると、リィケは自分の頬からアゴが濡れていることに気付いた。
「え…………何で……?」
「全部は倒していないが、そろそろ切り上げて俺たちも教会へ入ろう。知らぬ間に思った以上の疲労が溜まっていたかもしれない」
「え! あ! だ、大丈夫です! それに、あとちょっとみたいだし!!」
先ほどの不思議な感覚は疑問に思ったが、今はそれどころではないと頭を振る。
――――これ以上、足を引っ張っていられない!
今見たものについては、一旦心に仕舞っておくことにする。
「そうか。でも、残りは俺だけで倒すぞ」
「は、はい!」
見渡せば、広場に少しの集団が見えるだけで、大通りと裏路地には動いている悪魔は見えなかった。
「あの団体を倒せば、一先ず終わりだな。だったらまとめて…………」
ライズは広範囲攻撃の法術で使ったショットガンを構える。
集団はもたもたと広場に集まり、こちらへ向かうのも遅い。ライズが法術の詠唱をする時間は充分にあった。
……さすがだなぁ。これだけ悪魔を倒しても、まだ法術を撃つ余裕があるんだもの。
叔父のライズも父親のルーシャに勝るとも劣らない退治員だと、リィケはちょっと誇らしい気持ちになっていた。
「――――下れ!! ストゥル・バレッ…………」
パリッ……………………
ライズが魔操人形に銃を向けて術を放とうとした時、リィケの耳に小さな音が響く。何も聴こえないはずの耳に。
「――――――っっっ⁉」
音とほぼ同時にライズの動きが止まった。
突然、構えた銃の引き金を引くことなく、前を見据えたままの体勢で固まったのだ。
「…………ライズ……さん?」
「………………………………」
ガシャン……! ドサッ!!
手から銃が落ち、ライズが膝から地面に倒れ伏した。
「ライズさんっ!?」
突然倒れたライズを起こそうと、リィケは慌てて手を肩に置く。すると、パリッと肩から背中にかけて細く紅い稲光が弾けた。
「これは…………」
それはリィケは何度も見ているものであり、『神の欠片』が使われた時の残滓だ。
よく見ると、ライズの肩にある『ユニコーンの紋章』が真っ黒に変色している。原因はここにある気がした。
――――“ミルズナ様の『神の欠片』だ”
ライズが言っていたミルズナの王家の『神の欠片』で、【守護の支配】という能力だったはず。
「ライズさん、大丈夫ですか!?」
「…………う……」
どういう効果が出たのか、ライズは完全に気を失っている。
…………なんで? 急に?
リィケが周りを見ると、広場を中心に魔操人形が再び数を増やして押し寄せて来ている。
悪魔しかいないよね…………ロアンも…………いない。
一瞬、ロアンが戻って来たと思ったが、見渡す限りロアンはおろか人間の姿も見えない。
じゃあ……誰が?
まだライズの結界が効いているおかげで、周りの悪魔は簡単には近寄ってこない。
「考えないと……落ち着け…………悪魔は、来ないから……大丈夫、大丈夫……」
退治員は考えて行動するのが基本である。
ライズにの傍でリィケは繰り返し思案する。
「ライズさんは上級護衛兵だよね……ミルズナさん専属で…………」
ミルズナの『神の欠片』を施されている。
発動の条件は、ライズがミルズナ以上の王族を攻撃しようとする時。
ハッとして顔を上げる。
広場と大通りを見渡す限り人形の悪魔だ。
人形、人形、人形…………
「まさか――――」
ある一つの結論が出た時、背後の結界にガンッとぶつかるような衝撃を感じた。
『ギギギッ!!』
「うわっ!?」
一体の魔操人形が、リィケの真後ろで結界をガシガシと叩いている。
「このっ…………」
銃を構えるリィケだが、自分が完全に結界の中に入っていることを思い出す。
本来、結界は完全な防御であり、攻撃のための砦にはならない。
ミルズナの『絶対なる聖域』であれば内側からでも結界を壊さずに悪魔を攻撃できるが、通常は結界から少し腕を出して攻撃しなければ悪魔ごと聖なる膜を破壊してしまうおそれがあった。
「ここで僕が攻撃したら、ライズさんも危ないんじゃ…………」
目の前の悪魔を倒しても、その後にリィケではライズを抱えて移動は難しい。きっと、あっという間に囲まれてしまう。
……どうしよう……確かめなきゃいけないのに……。
ライズが攻撃しようとしていた方に視線を向けると、先ほどよりも個体数が増えている。
『ギギギギギギッ!!』
「…………い……て……」
『ギギ…………?』
「そこ!! 退いて!!」
ドカァッ!!
リィケは思い切り地面を蹴り、結界から出る反動で悪魔に体当たりを食らわす。
ガシャアアアアン!!
渾身の体当たりに悪魔は地面でバラバラになった。
「結界は……!?」
後ろを振り返ると、ライズが倒れている場所の結界は壊れていない。リィケはホッとしたが、すぐに前方に向き直る。
「……僕のお父さんは魔王殺しで…………お母さんは鋼拳の淑女なんだから…………大丈夫、いけるっ!!」
自分に暗示を掛けるように言う。
そして、顔を上げ大声をあげた。
「レイニールっ!!!! いたら返事してーっ!!!!」