【魔王】との契約
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リィケがロアンに初めて会ったのは、クラストの町の“裏の世界”だった。
悪魔に追い詰められてたどり着いた先で、ロアンはリィケの前に突然現れたのだ。
初見の印象こそ、リィケが見惚れるほどの『美少年』だったが、その整った顔は恐ろしいほど感情の起伏がない。
しかも、後にその姿が他人のものだと判明し、未だにロアンの真の姿をリィケは知らなかった。
精霊が宿った武器を使い、悪魔との戦闘ではルーシャと並んで戦えるくらいの強さを持っていて、息を吸うように当たり前に『神の欠片』を使いこなす【サウザンドセンス】である。
子供とは思えないほどの戦い馴れをしているが、本当に彼が子供なのかどうかはわからず、そして何よりも、ロアンは母親のレイラの姿をした【魔王マルコシアス】を『ははうえ』と呼んでいる。
考えれば考えるほど、リィケはロアンのことが解らなかった。
…………………………
………………
リィケの問いにロアンが振り向く。
「……………………かんたん」
「へ?」
「『うらのせかい』、かぎも、どあも、けっかいも…………ぜんぶ、ない」
――――鍵もドアも結界も…………全部、無い。
「『ディメンション』つかえるなら、あくま、まちにはいるの、かんたん。ごねんまえが、そうだって……ははうえ、いってた」
「なっ…………!?」
最後にそう言い残しロアンは靄の中へ入り、彼を飲み込んだ靄も揺れて消えた。
『『オォオオオ…………』』
ロアンが消えたのを確認したように、泥人形もどんどん小さくなり地面に吸い込まれて見えなくなる。
通りにはリィケたちだけが残された。
「ロアン…………今の……」
「五年前…………」
リィケの隣でロアンの言葉を聞いていたライズも、彼が消えたあとを見詰めて立ち尽くしている。
……ロアンは五年前のことを知っている?
「リィケ、本当にあの子は何なんだ……?」
「わかりません……僕が分かっているのはロアンが【サウザンドセンス】だということだけで…………」
そこまで言った時、リィケの脳裏にロアンがクラストで戦っていた場面が浮かんだ。
――――あ……そういえば、あの時…………
リィケが思い出したのは、本来ならばルーシャが使う『宝剣レイシア』を手に悪魔と対峙していた姿。
――――ロアンもケッセルの宝剣を使えていたんじゃ…………
あの時、悪魔を斬ることはできなかったが、ロアンはあの十字架に宝剣の刀身を出現させていたのだ。
背中に冷たいものが通った気がする。
「ロアンは――――――」
「リィケくんっ!! 大変!!」
リィケの肩を掴んだアリッサが揺さぶってきて、ロアンのことでいっぱいだったリィケを現実に戻した。
「リィケ! 大量に来るぞ、構えろ!!」
ライズが指差す方向。夜明け直前のうっすらと明るくなってきた大通りに、わちゃわちゃと忙しなく動く影が見える。
それは三十体ほどの魔操人形だった。
仲間や壁にぶつかったり通りの幅いっぱい何度も回りながら進んできたりと、どう見ても真っ直ぐに動けていないが、少しずつリィケたちの方へ向かってくるのがわかった。
「燃え尽きる前の足掻きか。夜明け前に片付けよう」
ライズの手にはいつの間にか小型のサブマシンガンが握られ、前方から統率も失くなりばらばらに走ってくる魔操人形に照準を合わせている。
「いくぞ!」
「…………はいっ!!」
声は聞こえなかったが、ライズの手の合図でリィケも銃を構えた。
…………………………
………………
少し前。
ルーシャは『裏の世界』の時計塔の内部へ入り、螺旋階段を必死で駆け上がっていた。
――――あの『創造者』は何だったんだろう?
わざわざルーシャを『裏の世界』へ呼んで、マルコシアスを追う手伝いをしたように思える。
「オレの味方…………の訳はないか」
彼がルーシャの味方をする理由が思い当たらない。だいたい、彼とは一度しか会ったことがないのだから。
もう少しで一番上に到着するというところで、急に空気の抵抗のような圧迫感に襲われ、堪らず目を閉じて立ち止まった。
次に目を開けると、螺旋階段はほぼ光のない暗い空間となっている。
「…………“表”と“裏”の境目?」
試しに二、三歩戻ってみるが、ルーシャが再び『裏の世界』に戻ることはない。やはり、こちらから“裏”に入るのは難しいようだ。
「上にマルコシアスが…………」
頂上に【魔王】が居ることに、ルーシャは思いの外冷静だった。天井を見上げ、仄かに蒼白く光る『宝剣レイシア』を手に一歩一歩階段を上がっていく。
階段が終わりルーシャが顔を出すと、こちらに背を向けたマルコシアスが立っていた。しかし、ただ立っているだけではない。
…………何を……?
マルコシアスは手にオレンジに光る巨大な弓を構えていた。
おそらく魔法で作られた弓だろう、ビリビリと強い魔力の圧が空気を伝わってくる。そのせいなのか、マルコシアスはすぐ後ろにいるルーシャに気付いていないようだ。
弓には魔力で固められたと思われる矢が番えられ、時計塔からやや下へその鏃が向けられていた。
――――あの方向は……連盟の建物!?
「…………待っ……!」
「――――やっと、見付けたぞ……!!」
ルーシャが飛び出すと同時に、矢は強烈な光を放ち真っ直ぐに建物へ突き刺さる。
「……っっっ!?」
ルーシャは思わず衝撃に備えるために身構えた。
しかし、
「…………………………え……?」
矢は建物に吸い込まれるように消え、爆発や破壊などは起こらなかった。光が消え、あとには何の音もしない。
…………何もない……じゃあ、マルコシアスは何をして……?
「逃げたか…………」
そう呟くと、マルコシアスの手から完全に魔力の気配がなくなった。そしてすぐに、マルコシアスが振り返り、呆然と佇んでいたルーシャを見た。
「やはり追ってきたか……」
「っ……!!」
その瞳にはうんざりしたような、呆れたような色が滲んでいる。
「貴様のしつこさには閉口する。貴様は我の夫気取りで、行動を見張っているのか?」
「なっ、何を言って……!! それより今、何かしていただろう!?」
「ふん…………街が滅ぼされるとでも思ったか。まぁ、それも面白かったかもしれないが…………ククク……」
「なんてことを……!!」
マルコシアスは自身の言葉に慌てたルーシャの様子に愉しそうに笑みを浮かべた。
「残念だがトーラストを滅ぼしたところで、我には何の利点もない。何をしたか……か。良いだろう、それには答えてやる」
スッと片手で連盟の建物を指差す。
「今回、この街で起きた一連の騒ぎは『あそこに居た者』のせいだ。我は奴が目障りだ。仕止めてやろうと思ったが……まんまと逃げられてしまったというわけだ……」
「あっちは連盟の中……」
指差した場所は連盟の二階部分だった。通常なら、そこには一般人は近寄らない。
「誰が……?」
「気になるのなら調べるがいい……そこに居た奴の目的くらいは分かるかもしれぬ。さて、我の用事はこれで終いだ。帰らせてもらおう……」
「っ!! 待て!」
――――ここで帰せば、何も聞けないままだ!
「…………なんだ? 我と殺し合う気にでもなったか?」
マルコシアスが目を細める。それだけで、周りの空気がぐっと重苦しくなった。その雰囲気に後ろへ下がりそうになるが、ルーシャはその場に踏み留まる。
「違う、戦いたいわけじゃない。でも…………まだ、聞きたいことが山ほどある」
「警告はしていた。我を追えば喪う……と。これ以上のことを追及するなら、貴様にはここで一つ喪ってもらうことになるぞ…………」
「……………………」
――――今ここには、オレと【魔王】しかいない。何を『代償』にするつもりかはわからないが…………少しでも、こいつらの事を聞き出したい。
ここにリィケがいなかったことがルーシャの救いだった。マルコシアスの言う通り、何かを失うにしてもリィケがいなければ大丈夫だと考えたからだ。
「…………お前たちの目的はなんだ?」
「………………………………」
ルーシャが口を開くと、マルコシアスは顔を顰めた。
「覚悟のうえか。ならば…………」
「……………………」
「――――…………ロアン、来い」
「え…………」
少しの間を置いて、マルコシアスの背後に黒い靄が出現する。
「……ははうえ、きたよ」
「早かったな、偉いぞ」
「うん」
マルコシアスは今までにない優しい笑顔で、隣に来たロアンの頭を撫でた。ロアンも大人しく目を閉じてされるがままにしている。
その光景は本当の親子のように穏やかだった。
「さて…………」
しかし次の瞬間、ロアンから目を逸らしルーシャへ向けられた視線は、気の弱い人間ならばそれだけで射殺せそうなほど冷たい。
「我の名は【魔王マルコシアス】。魔界での“本体”及び我は『実直』を旨とする。我とロアンは嘘偽りを棄て『創世の神』の御名に誓い真実を語ろう」
【魔王】が真実の宣言をする。
『創世の神』に誓うことは、例え【魔王】といえど嘘を吐くことは許されない。
「我らの言葉が真実であるということ。貴様にもそう受け止めてもらわねばならぬ」
「…………わかった」
「………………」
ルーシャが同意を口にすると、マルコシアスは小さく息を吐いて正面から向き直った。
「我の目的は『レイラとの契約の実行』だ。レイラは今際に、己の身体全てと引き換えに我と契約をした」
「何を……レイラは何を願って……」
「言ってしまえば『親しい者たちの無事』だ」
「無事……?」
「貴様と弟、そして子供を助けろ……と願った」
「………………」
レイラが願ったのが『親しい者たちの無事』だということだが、ルーシャはその条件に眉をひそめる。
「…………オレたちの“無事”がレイラの望みなら……何で、リィケは身体を取られたんだ?」
ルーシャとライズは色々な困難こそあったが、今日まで五体満足で過ごしてきた。“無事”ということが“身体の無事”というなら二人はその通り生きている。
しかしリィケは違う。
悪魔に身体を奪われ、魂だけで漂っていたところをラナロアに拾われて、リーヨォとイリアに『生ける傀儡』として生かされた。
運良く生き残ったのだ。『身体を取られた』ということ自体、本来なら無事とは言えない。
「マルコシアス、リィケは『無事』とは程遠い状態だ。つまり、お前は契約を完全には果たしていない。契約違反の場合、お前はレイラの“姿”を使う権利はないはずだが……?」
【魔王】からレイラの影を引き剥がす。
『創世の神』に誓ったこの場で嘘を指摘すること。それができればレイラは解放される。
このまま悪魔に囚われているのは、魂にとって地獄にいるのと変わらない苦痛なのだから。
ズキリと胸が痛む。ルーシャは五年前にレイラの死を受け入れられなかった。しかし今、レイラを天国に送るために行動しているのだ。
――――ここで言い負かせれば【魔王】との契約は無効に…………
「ふっ…………フフ、フハハハハッ!」
「……っ!?」
ルーシャの言葉にマルコシアスが口に手を当て笑い声をあげた。
「小僧、何を言っている? 先に宣言したが、我は『実直』を信条とする【魔王】だ。姑息な契約違反を犯して“姿”を奪ったと……そう言いたいのか? ハハハッ!!」
笑うマルコシアスに、ルーシャはそのまま硬直した。今の言葉に間違いがなかったか頭の中で繰り返す。
「ククク……貴様は何か勘違いをしている。レイラが助けたかったのは三人だけだ……」
「……………………」
夫であるルーシャ。
弟のライズ。
我が子のリィケ…………三人で間違いはない。
「どこも間違って――――」
「…………ロアン」
「はい、ははうえ」
後ろで黙っていたロアンを傍へ呼び寄せる。
「この男に『自己紹介』をしてやれ」
「…………? リィケのおとうさん、はじめまして、じゃない……よ?」
ロアンが不思議そうに、マルコシアスとルーシャを交互に見詰める。
「はじめましては要らん。奴に……サーヴェルトに言ったことを言えばいい」
「な……!?」
思わぬところで祖父の名前が告げられた。
「……うん、わかった」
動揺するルーシャを無視して、ロアンは一歩近付いてくる。
近付きながら彼は左目の眼帯を外す。すると、ロアンの身体は一瞬にして白い煙に包まれた。
それはほんの一瞬であった。煙が消えるとレイニールの姿であるロアンは無く、五、六歳くらいの男の子が現れる。
「ボクは『ロアン』…………」
レイニールよりも頭二つ分くらいの小さな男の子は、ルーシャの目の前に立った。
「あ………………」
まずルーシャの目に入ったのは、男の子の背中に掛かる長い『銀紫の髪』。
「ほんみょうは『ロアレイン・ケッセル』」
男の子が顔を上げると、瞳の色がハッキリと見える。
右目は『紫紺』で左目は『金色』だった。
「ちち、は『ルーシアルド』、はは、は『レイラ』…………ははうえ、は【まおうマルコシアス】……だよ」
「――――――っっっ!?」
「今一度、確認しよう。レイラの願いは、夫、弟、我が子……『三人の無事』だ。はて………………リィケとはどこの子供か?」
ぐらぐらと半ば意識が途切れそうなルーシャに、マルコシアスは満足そうに笑いかけた。
「言ったであろう? 我を追えば、喪うことになる…………とな」