抜け道で待つ者
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短い黒髪、左に白い眼帯、右の紅い瞳。
十二歳くらいの美しい少年は、二年前まで『レイニール』と呼ばれていた人物だった。
現在、中身は別人である『ロアン』だ。
この『ロアン』が何者なのか、リィケはまだ知ることができていない。
思わぬ所に、相変わらずの無表情でロアンが立っていた。
「何で、ロアンがここに……?」
「………………リィケも、なんで…………?」
「何でって、ここは僕の…………あれ、何で僕の耳聞こえるんだろ?」
ロアンに質問で返されたが、聴力を切っているはずのリィケにその声はハッキリと聞こえる。
……もしかして、ロアンが【サウザンドセンス】だから?
これまで、同じ“神の魂の欠片”を持つ【サウザンドセンス】には『感触』『体温』『痛覚』などが、リィケの人形の身体にも伝わった。聴力も同じなのではないか。
そう考えるときっと、先ほど話し声がしたのはロアンのものだったのだろう。しかし、今立っているのはロアンだけで周りに人はいない。
「リィケくん!」
「リィケ! 一体、どうし――――…………あっ!!」
リィケを追ってアリッサとライズが駆け付ける。アリッサはすぐにリィケの体を抱き締め、ライズはロアンを見詰めて立ち尽くした。
「何で、王…………あの子が?」
ライズは“王子”と口に出しそうになったが、アリッサがいることを思い出して止める。
そんなライズの様子を見て、リィケはアリッサから離れてロアンの前に進み出た。
――――ロアンは僕と話した方がいい。
リィケは静かにロアンと対峙する。
「…………ロアン。今、誰かと話してたよね?」
「…………………………」
「もしかして…………『ははうえ』?」
「…………………………」
『ははうえ』という言葉に、無言のロアンの眉が微かに動く。リィケとライズには答えはそれで十分である。
「何で『ははうえ』がトーラストにいるの? どこに行ったの? 何かしようとしているの?」
「……………………」
「…………ロアンの後ろ。そこから『ははうえ』のところへ行ける?」
「――――……っ!?」
今度は解りやすく、ロアンが目を見開いた。
ロアンの背後、そこには黒い靄のような塊がゆらゆらと揺れている。ロアンはその靄を守るように立っていた。
その靄をリィケはクラストの教会で見たことがある。
マルコシアスとロアンがその場から立ち去る際に、その靄の中へ消えていったのだ。
「ロアンが答えてくれないなら、僕が直接『ははうえ』に聞きに行く」
「――――……だ……ダメッ!!」
ガァンッ!!
ロアンの声と共に、リィケの目の前に巨大な鉈のような大剣が降ってきた。石畳を砕いて突き刺さるその剣は、以前にロアンが使っていた精霊憑きの『知性の剣』だ。
リィケが驚いて後ずさると、ロアンは靄に手を突っ込み二本のダガーナイフを取り出し両手に持って身構える。確かこのダガーも精霊憑きだったはずだ。
「『ははうえ』が、だれもここを、とおすなって……いった。だから、ボクはここをまもる…………もし、とおるなら、リィケでも、ゆるさない…………」
「ロアン……」
ロアンにとってマルコシアスの言葉は絶対であった。
何故そうなのか?
それもまだわかっていないことだ。
動けないでいるリィケの肩に手が置かれる。
「……リィケ、この子の説得は無理か?」
「…………たぶん」
「そうか……」
ライズは二人のやり取りを見守っていた。いつもなら、リィケに任せることはせずに自分から前に出るのだが、今はロアンに向けて銃を構えて威嚇などもしていない。
まるで苦いものを噛んでいるように、ロアンを難しい顔で見詰めている。
「ライズさん、どうかしましたか……?」
「すまない、俺はあの子とは戦えない……と思う」
「え?」
「俺はミルズナ様専属の上級護衛兵だ……あの方より上の身分の王族とは戦えない……」
いつの間にか、離れた位置まで下がっているアリッサに聞こえないくらいの声で、ライズは自分の置かれた状況をリィケに教えた。
攻撃できない原因は、ロアンの身体がレイニールのものだと思われるということ。
レイニールはミルズナよりも、王家での身分は上とされていたからだ。
「ミルズナさんの命令?」
「正確にはミルズナ様の『神の欠片』だ。命令を聞く代わりに身体能力を高める……【守護の支配】という能力のせい」
ライズは肩に画かれているユニコーンの紋章に触れている。それは見た目ではただのタトゥーのように見えるが、どうやら能力を行使された証であったようだ。
「それがミルズナさんの能力……」
ミルズナは【絶対なる領域】の他に王家特有の『神の欠片』を使える。その一つが【守護の支配】なのだ。
「もし、攻撃したら……?」
「俺はその場で動けなくなる」
「……………………」
リィケとライズが話す間も、ロアンはその場から微動だにしていなかった。二人が何もしなければロアンは動くことはないとリィケは確信する。
全員が身動き一つできぬまましばらく経ち、薄く頭上の空が藍色から青に変わり初めていた。
おそらく夜明けまで一時間もない。
――――このまま、朝になったらどうなるんだろう?
街の中に【魔王】がいるという、とんでもない状況がまさに明るみに出るのだ。
きっとそうなる前に、彼らは帰ってしまうだろう。それはそれで、リィケたちはまた何も聞けずに彼らを見逃してしまうことになる。
リィケとライズの脳裏に焦りが過った。その時、ロアン背後の遥か向こう、街の中心の高い場所からオレンジの一筋の光が飛ぶのが見えた。
「な、何っ!?」
「………………ははうえ……」
リィケの驚きとロアンの呟きが重なった。
光は街の時計塔の頂上から、連盟の建物へ向けて放たれたように見える。ただ放たれただけで、その後に爆発などの音は聞こえてこない。
「今のは……?」
「……はい、わかった…………いまいく……」
ロアンが石畳に刺さっていた大剣を引き抜き肩に担ぐ。
その直後、ロアンの足下が波立ったようにぞろぞろと動いたかと思うと、それは急に噴き出して壁になった。
『『オォオオオオオッ……!!』』
「泥人形!?」
「ライズさん! たぶん、あれ精霊だよ!!」
ロアンへ近付くのを邪魔するように、二体の泥人形がゆらゆらと立ちはだかった。
リィケはクラストの町で見たことがある。クラストでロアンと共にいた『泥人形』は悪魔ではなく精霊だった。
決して強くはないが、精霊は法術が効かないため悪魔よりも倒すのに手間取るのだ。
「ははうえが、よんでるからいく。じゃあね、リィケ」
「あっ……!!」
泥人形の隙間からロアンが手を振りながら黒い靄の中へ入りかけたのが見える。
「ま、待って、ロアンっ!! 君はどうやってトーラストに来たの!?」
ロアンが行ってしまうと思ったリィケは、咄嗟に彼に向かって思い付いた言葉を投げた。
もちろん、これで呼び止められるとは思わなかったが…………ピクリと、ロアンが動きを止めて、ゆっくりとリィケの方へ振り返る。
「……………………かんたん」
「へ?」
「だって……『うらのせかい』は、かぎも、かべも、けっかいも…………ぜんぶ、ない」
予想に反して、ロアンはリィケの問いにあっさりと答えた。
…………………………
………………
リィケがロアンと対峙していたのと同時刻。
墓地からマルコシアスを追ってきたルーシャは、その足跡を見失って立ち止まっていた。
「…………おかしい。急に魔力が途切れた」
魔法で移動したと判ったルーシャは、気配ではなく魔力を追うように気を配っていたが、その魔力がぱったりと消えてしまったのだ。
……飛んできた角度から見れば、たぶんこちらで間違いないのに。
予測した方角の先には、連盟の教会と街の中心となる時計塔が在る。可能性としてそこが目的地でもおかしくはない。
しかし、連盟の建物及び教会と時計塔には法術で結界が張ってあり、いくらマルコシアスといえど結界を破らずに通るのは不可能だと考えた。
「確証がないのに行ってみるのも……」
連盟の建物、教会、時計塔……このどれかに【魔王】が行ったかもしれない。
もしもひとつの場所に行っている間に、別の場所へマルコシアスが行っていればそれは単なる無駄足だ。
あとは…………追うのを止めるしかない。
その場合はルーシャは教会へ行き、支部長や仲間の無事を確認するのが第一だろう。
「…………はぁ」
半ば追うのを諦め、教会の大扉の方へ向かおうと振り返った瞬間――――
「――――え?」
急に辺りが昼間になった。
「…………は? なんだ……?」
まだ夜明け前の薄暗い街並みが、急に明るくなったのだ。
「………………あ!」
思わず辺りを見回したルーシャは、すぐに自分の置かれた状況を理解する。
街は確かにトーラストだ。
しかし並んだ建物は所々崩れ、何年も経ったような廃墟になっている。
頭上には平面的で真っ白な空のような空間が広がっていた。
「『裏の世界』のトーラストか……」
ついこの間、ライズと一緒に飛ばされたばかりである。
「……リィケもいないのに何故――――」
「いらっしゃい!」
「――――へ? うわっ!?」
不意に、背後から妙に明るい声が掛けられた。
ルーシャが振り返ると、三歩も離れていない位置、背中にほぼぴったりとつくくらいにある人物がいた。
「あ、あんたは……!」
「やあ、数日ぶりだね」
ルーシャと差ほど変わらない身長。顔は布が巻き付けられており、フードを目深に被っているため素顔はわからない。
――――確か…………『創造者』という人……?
この『裏の世界』を創ったと言うが、本当かどうかは謎である。
「やだなぁ、何もしないから警戒しなくていいよー!」
「……………………」
『創造者』の口調は恐ろしいほど気安かった。顔も見えないので真意も見えず、この場面で警戒するなと言う方が難しい。
「あ、せっかく来たんだし、ゆっくりしていく?」
「……………………」
「茶菓子は? 甘いもの好き?」
「……………………」
あまりにも軽い『創造者』の様子に、ルーシャは正直困っていた。どう接するのが正解なのかと、ルーシャが応えずにいると『創造者』は首を傾げて顔を覗き込んできた。
「ごめん、怒ってる?」
「……………………」
ルーシャが対応に困り果て、黙って固まっていたのを『怒っている』と感じたようだ。
「さて、冗談は置いておいて………………君は誰か追ってたんだよね?」
「……はぁ…………まぁ……」
「彼女なら、そこから時計塔へ行ったよ」
「…………え」
指差した場所は、時計塔近くの塀にあった出入り口である。普段は扉に鍵が掛かった状態だが、今は扉が壊れて外れていた。
「彼女に追い付きたいなら、そこから頂上に登ればいい。途中で“表”に戻るけど、そのまま上に行くんだ。いいね?」
「何で…………?」
「だって、君たちだけ『裏の世界』が使えないの、不公平だと思ったから」
「え…………?」
彼の言った意味がルーシャには理解できない。
「ほら、早く行って!! ここで誰かに見付かったら、君を通せなくなる!!」
「は……はい……!」
バシンッとルーシャの背中を叩き、進む方向へ押しやる。ルーシャは戸惑いながらも塔の階段へ走っていった。
「……ふぅ…………やれやれ」
ルーシャを見送り、独り残された『創造者』は苦笑混じりにため息をつく。
『裏の世界』のボロボロになった時計塔を見上げ、
「すまないね、マルコシアス。僕はやっぱり、ルーシャの味方なんだ…………」
彼は嬉しそうに呟いた。