夜明けの疾走
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東の空が薄い藍色を滲ませてきた頃。
トーラストの街の墓地では、本来はいないはずの【魔王】と、帰ってきたばかりのルーシャが睨み合っていた。
「【魔王マルコシアス】…………」
「ふん。クラスト以来か……そういえば、お前はここの街に住んでいたのだったな?」
「………………知らないとは言わせない……」
白々しく言うマルコシアスに対し、ルーシャは意外にも落ち着き払っているように見えた。
「【魔王】がここで何をしていた? 返答次第でオレはあなたを斬ることになる」
「ほう? それは威勢の良いことだ。やれるものならば、存分にやるがいい。やれるものならば…………な?」
先ほど見せた苦々しい顔から一転、マルコシアスはルーシャに向けて小馬鹿にしたような、子供をあしらうような笑顔で見下ろしている。
「さて、貴様に用はない…………ふむ、ロアンがいないな。ルーイ、あいつは何処へ行った?」
ルーシャから視線をルーイへ移す。
「はい、“裏”で暇を持て余したようで、墓地から出ていたと思います…………おそらく、目的の付近にいるかと……」
「ふん……一ヶ所で落ち着くことのできない奴だ。あれは誰に似たことか…………まぁ良い……」
視線を再びルーシャに向けた時、マルコシアスの口元からは一切の笑みが消えていた。
「我は用がある故に失礼する。貴様に構うほど暇ではないのでな…………」
バサッと大きな羽音と共にマルコシアスの姿が一瞬消えて、次に細い光が街の中心へと伸びた。
「……あっ! ま……待てっ!!」
“翼で飛び去った”というよりも、“魔法で瞬時に移動した”という方が正しいだろう。
「クソッ! 何処へ行くつもりだ!?」
マルコシアスらしき光を追って、剣を手にしたままのルーシャも墓地から駆け出して行った。
「……………………」
その一部始終をイリアは黙って見送る。いや、口を挟める状況ではなかったことくらい、察しの悪い彼女でも充分理解していた。
しかし…………
「…………魔王殺しは貴女を助けにきたのではなかったのでしょうか?」
ルーシャが出て行った方を見ながら、どことなく申し訳なさそうな口調でルーイがイリアに話し掛ける。
「あいつ…………一回もアタシと目が合わなかった。絶っっっ対、アタシのこと忘れてるわ……」
「まさか、そんなことは…………」
「いーや!! あいつはレイラが生きてた時も、他には目もくれず追い掛けてたもの!!」
「………………そう、ですか」
イリアの言葉に、ルーイはルーシャの擁護を諦めた。
そして、マルコシアスとそれを追い掛けるルーシャがいなくなり、墓にはイリアとルーイの二人だけが残されてしまった。
「「……………………」」
今まで魔力の強大な【魔王】がいたせいなのか、それとも他の要因か、墓地には魔操人形たちも寄り付かず静かである。
完全にルーシャに置いてきぼりを食ったイリアは、そのままケッセルの墓に寄り掛かって座っていた。ふと隣を見ると、ルーイも微動だにせず立ち尽くしている。
――――アタシは疲れて立てないからだけど…………何でこの人も動かないの?
そんな疑問が湧き、イリアは思わず尋ねてしまう。
「ねぇ、ルーイ」
「はい」
「あなたは【魔王】を追い掛けなくてもいいの?」
「何故ですか?」
「だって、あなたマルコシアスの信者なんじゃ…………」
「違います」
思わぬ返答にイリアは目を見開いた。
何故なら、人間が悪魔と一緒に行動する理由の多くが、“悪魔崇拝”によって得られる利益を人間が欲するからである。
当然、ルーイも【魔王マルコシアス】を崇拝し、何かしらの恩恵を受けているものだと思っていたからだ。
「じゃあ、何で【魔王】といるのよ……? あなた、人間なのに…………」
「…………………………」
「なら、隷族契約をしたんでしょ? 忠誠を誓ったんじゃなければ、【魔王】が人間を傍におくなんて…………」
「それも違います。私とマルコシアス様は…………共闘はしていますが、私はあの方に忠誠を誓った訳ではありません」
「何、それ?」
『共闘』ということは、ルーイとマルコシアスの利害が一致しなければならない。
「…………悪魔と何の考えが同じに……?」
「…………………………」
ルーイはイリアの質問には答えず、ただひたすら街の方へと視線を向ける。イリアもそれ以上は余計な質問をするのをやめた。
かなりの時間が過ぎた。
沈黙が続き、その間に空の色はどんどんと変化していく。夜明けはもうすぐだ。
ルーイが何もせずに立っているだけだったので、イリアはすっかり緊張も解けて油断していた。その時、
「―――――だけ……」
「ふぁ、え? 何?」
ボソリとルーイが何かを発したのを、眠気に襲われつつあったイリアは聞き逃しそうになる。
「少しだけ言うと…………私は、マルコシアス様に忠誠を誓ってはいませんが…………【魔王】と契約した人間がそう望んだので、私もロアンもあの方の傍にいるのです」
「契約した人間が望んだ……?」
つまり人間の世界にいるためには、マルコシアスには『契約者』が必要であった。
「契約を結ぶには、マルコシアスを喚び出せる力が要るのよ…………そんな、誰が【魔王】と契約を?」
「見れば、解ると思います……」
「見ればって…………」
「…………………………」
見た目で解る『契約者』。
イリアは一人しか思い付かない。
それはマルコシアスが使っている身体の元の持ち主である。
「………………まさか、レイラ? レイラが自分の身体と引き換えに契約した? は!? あり得ない!! こう言っちゃなんだけど、あの子は『法力』も『魔力』も並みの退治員より少なくて、悪魔退治も力押しだったのよ!?」
現役の頃、レイラは退治員としては実力者であったが、魔法を使うということでは『祭事課』の新人シスターよりも弱かった。
「悪魔召喚なんて絶対無理――――」
「いえ、召喚したのではなく………………あ、そろそろ終わりますね」
「…………え?」
東の空に白い光が射し込んでくる。
それと同時に、ルーイが見ている街の中心でも強いオレンジの光が広がり、すぐに消えていった。
「あっちは…………連盟の……時計塔……?」
「朝になってしまえば、街の結界が最大限に強力になり、さらに領主のラナロア様もお戻りになるでしょう。もちろん魔操人形も、もうこの墓地には来ることはありません……」
イリアは魔力を使い果たし動けない。もし魔操人形が来ても、一人では対処できなかったはずだ。
「もしかして、あなた……朝までアタシに付いていてくれたの……?」
「さあ……」
「そう。重ね重ね、ありがとう……」
顔は別の方を向いているが冷たい態度には見えない。敵か味方かもわからない人間ではあるが、悪魔と置き去りにされるよりはずっとマシだった。
「…………では、私もあるべき場所に戻らせていただきます。あなたも帰った方がいい」
「あ、ちょっと! さっきの話の続きは!? 意味深なこと言ってるから気になるわよ!!」
暇潰しに話したとは思えない、重要な話題を途中で切られたのだから当たり前である。
「レイラはどうやってマルコシアスと――――」
「それは、もっとよく知る方がいます」
「よく知る……?」
「マルコシアス様がその方に話しておりました。その方が目覚めたら聞いてみてください」
「え……?」
ルーイはイリアに向き直り頭を下げる。そしてフッと口の端を上げた。ルーイが片手をイリアへ向けて伸ばす。
「…………『フィリス』、ご苦労様です。戻ってきてください」
『フシュウッ!!』
「きゃあっ!?」
ルーイの声と共にイリアの耳の近くで音がした。
驚いて顔を横に向けると、自分の服の肩口がもぞもぞと動いて手のひらほどの黒い布切れが飛び出す。
『フシュウウ!』
「いやぁぁぁっ! 何っ…………て、これ『闇の精霊』じゃない!」
イリアの黒い服に紛れるように、ペラペラの『闇の精霊』が隠れていたようだ。
「以前、連盟の敷地内でお会いした時に、“表”の様子を探るためにあなたに憑かせていただいておりました」
『フシュシュ~!』
精霊はルーイの手のひら着地すると、そのまま煙のように消えてしまう。
「その子、あの時からずっとアタシに憑いていたの!?」
「この子のおかげで、閉じ込められた我々が“表”で何が起きているのか知ることができたのです。だから、あなたから離せなくなってしまいまして……申し訳ありません」
「くっ…………全然、気が付かなかったわ……!」
悔しそうに拳を握るイリア。
「あぁ、そうだ。もうひとつ」
「なに?」
「……あそこの枯れ井戸」
「井戸?」
イリアが振り向くと、ルーイが指差した方向に墓地では使わなくなった枯れた井戸がある。
「夜の間、あそこに誰か落ちたようなので、あとで助けてあげてください」
「あんな所に? ねぇ、一体誰が………………あれ?」
イリアがほんの少し井戸の方を向いていた間。
視線を前方に戻すと、そこにたった今居たはずのルーイはどこにもいない。
「また……消えた……」
旧礼拝堂で出会った時と同じ様に、跡形もなく消えてしまった。
「まったく、もう…………え~と……井戸だっけ……?」
墓石に掴まりながら立ち上がり、イリアは体を引きずって井戸へと近付く。
使われていない枯れ井戸は普段なら木製の板で蓋をしてあるのだが、その蓋はどこにもなくポッカリと真っ暗な穴が見えている。
イリアはソッと井戸の中を覗き込んだ。
「…………………………あ」
…………………………
………………
リィケがルーシャと別れた直後。アリッサから最近の事情を聞きつつ、ライズと三人で連盟の建物を目指していた。
しかし、その道中には攻撃をしてこないまでも、大量の魔操人形が行く道を阻んでいる。
「『雷帝の襲弾』っ!!」
ズダダダダダダッ!!
光の線が雨のように魔操人形に降り注ぐ。
大通りや裏通り、四方をうろうろとしていた悪魔たちは聖なる法術での攻撃になす術なく崩れていった。いっぺんに倒されたのは、ざっと見て三十体はいるだろう。
一度に多くの攻撃ができるのは、聖弾の射手であるライズの法術の一つだ。
「ひぇええ……広範囲攻撃の法術……初めて見ました!」
「ライズさん、スゴーい!!」
「二人とも、立ち止まらないで走ってくれ!」
ライズの攻撃にいちいち見惚れる二人を促す。
ここまで来るのに、どれくらいの悪魔を倒したのか数え切れない。そのせいで、連盟の正面門が見えたのは予定よりもだいぶ時間が経過した頃だった。
「誰かー、誰かいませんかー? 開けてくださーい!」
「門に鍵掛けられてるね……」
呼び掛けたが、ちょうど門の近くに人がいないのか中からの返答がない。リィケはアリッサから手を離し、ライズの服を掴んで彼の意見を求めた。
「ライズさん、どうしましょう?」
「そろそろ朝だな。この辺に悪魔は見当たらないし、完全に陽が昇るまで門の前で待機しても平気だろうが……念のため、大聖堂の方へ回るか……」
「大聖堂の大扉の方なら人がいるかも……?」
「そうですね。私とイリアさんも、そこから街へ出ましたから……」
連盟の入り口と、一般人が入れる大聖堂の入り口は離れている。一般人が避難するなら、そちらの出入り口の方に職員が待機していてもおかしくはない。
「じゃあ、リィケとアリッサさんはそちらへ。俺はルーシャの手伝いに行くから」
「はい。わかりました!」
そう言って、リィケがライズから手を離した時だった。
――――――…………で………………うえ……
「――――え?」
音を遮断したはずのリィケの耳に、微かだが人の話し声が聞こえた。
「どうした?」
「リィケくん?」
「……………………」
――――――……い、ぼく…………いく…………て……
確かに誰かの声だ。
今のリィケは触れている人間以外には声が聞こえないはずである。
「誰の……声?」
疑問に思った途端、リィケはすぐに声が聞こえた方へ駆け出した。
「リィケ、何処に行くんだ!?」
「ちょ、ちょっと!」
ライズとアリッサの呼び止める声も聞こえず、リィケはある通りを走り抜け角を曲がる。
「――――あっ!!」
「………………っ」
すぐに目的の人物が見付かった。あちらもリィケの声に驚いて振り向く。
「………………リィケ……」
「……ロアン…………何でここにいるの?」
思わぬ再会にも、ロアンは相変わらず無表情であった。