夢と現実のうたかた
『悪魔』にも、それぞれ階級がある。
大きく分けると、『下級』『中級』『上級』だが、その他にも、実体の無い魔力の塊や、霊体だけの存在、小動物のような無害の悪魔を『低級』と呼ぶこともある。
しかし、この階級は人間が決めた基準であり、同じ種類であっても個体によって強さはまちまちであった。
だが、悪魔の中では、それとは別に特別な個体が存在する。
それが【魔王階級】と呼ばれる大悪魔だ。
強さとしては上級かそれ以上。
実体をもち、魔力も高く、人間と同じく意思の疎通もできる者。
【魔王階級】と呼ばれる彼らは、それ本体が別の次元、“魔界”に存在する者のことである。
つまり、ここにいる【魔王階級】はこの世界で何かしらの方法で実体を得た、悪魔本体の魔力の一部と言われている。
例え魔力の一部だとしても、並の悪魔よりも高位な存在であり、本体の魔力が強大な証拠であった。
さらに言えば、これに正面から太刀打ちできる人間は殆どいない。
ましてや、見習いの退治員は動くことすら無理だろう。
「そぉねぇ……【魔王】って呼び方がおっかないわよねぇ? アタシだって、あなたみたいな可愛い子と遊ぶのは大好きだし。偏見もいいところだわぁ……」
「……………………」
リィケのすぐ耳元で愉快に囁く女の顔。
恐怖で指ひとつ動かせずに、リィケはただ立ち尽くす。
「ん…………あら? あなた……何か変ね?」
「……!?」
女が何かに気付いた。リィケの肩を掴んでいた手が、確認するように動く。
頭、腕、胴体、脚……。
「やだ、坊や……人形? なんだ、人間じゃないんじゃない!」
「違っ…………僕は……」
「誰かに作ってもらった身体ね。坊やみたいな子は“生ける傀儡”って言うのよねぇ」
「…………僕は……」
リィケは「僕は人間だ!」と言うつもりだったが、言葉が途中で詰まる。言い返す言葉を考えれば考えるほど、どんどん自信が無くなる気がした。
その横で女は、ますます嬉しそうに笑っている。
「ねぇねぇ、そんなことよりも何して遊ぶ? 追い駆けっこ? かくれんぼ? それとも…………」
女の両腕が前に回され、片手はリィケのアゴを撫で、もう片方には蔦で編まれた『小箱』が握られている。
「…………変身ごっこが良いかしら?」
じわり……と、黒いものが小箱から滲んだ。
「や……やめ…………」
「だぁいじょお~ぶ。完璧な悪魔になったら恐いものなんて、何にも無くなるわよ~」
「っ…………!?」
小箱の煙を取り込んだら『悪魔になる』。
これがスキュラを強化したものの正体。おそらく、黒い煙は魔力の塊だと思われた。
「い、嫌だ!! 放してっ……!!」
リィケはそう理解した途端、女の腕を両手で掴み、抜けようと必死に身体をばたつかせる。なんとか脱け出そうと試みた。
しかし、首もとに巻かれた片腕はびくともしない。
小箱から煙が流れて地面に落ち始めた。
「ほらほら、じっとして~。すぐ終わるから~」
「うぁ…………あ……あ……」
このままじゃ、悪魔にされる!?
…………お母さんを殺した――――悪魔に。
そんなの絶対嫌だ!! ……お父さん!!
「…………っあぁあああ!!」
パリッ……。
一瞬、リィケの手元に赤く細い稲光が一本走った。
パリパリパリッ……!
二本、三本……と、発生した小さく細い雷が多くなっていく。
「……何? これ…………」
女の顔色が変わる。
「……っっっ放せ――――――っ!!」
リィケの身体から、纏わり付いていた稲光が当たりに爆発のように広がる。
「うっ!?」
刺すような光に、女は思わずリィケから手を離す。
パァンッ! と、膨らませた紙袋を潰すような音が響くと、光は一瞬で収まり、辺りは元の街道の風景に戻った。
「え? ウソ? 何処に行ったの?」
女はキョロキョロと周りを見た。今まで腕に捕らえていたはずのリィケが急にいなくなったのだ。
ここは街道であり、後ろの方に森はあるが今の一瞬で行けるほど近くはない。他は見通しが良く、辺りに人影は見えない。
「あははははっ! あの子、面白いわ。アイツへのおみやげにしたら、きっと気に入るわ! 絶対見付けなくちゃ!」
女は金色の目を輝かせて、ひとり高笑いをする。
その笑いにつられるように、実体の無い悪魔や悪霊が集まり始めた。
一瞬のこと。
リィケは初めて眩暈というものを体験した。
視界がグニャリと歪んで、天地がひっくり返ったかと思った。思わず目を瞑る。しかし、それもほんのわずかな間だ。
それが収まると、リィケは恐る恐る目を開けた。
「……………………どこ?」
今、リィケは街道ではない場所に立っている。
女も、他の悪魔もいない。
周りは崩れかけ、苔が生えた瓦礫の家ばかりが並ぶ。足元の石畳はあちこち抜けており、隙間からは年季の入った雑草が生い茂っている。
廃墟の町…………?
「あれ……? でも、この建物…………」
目の前の建物に、リィケは見覚えがあった。
木とレンガで造られた、そんなに大きくない建物。どうやら二階建てだったらしい。入り口と思われる場所には腐って落ちた、木の看板が転がっている。
「ハンナさんの店だ…………」
もちろんハンナの店はこんなにボロボロではない。だが、どう見ても、店の外観の作りが似ている。
入り口から覗くと、店内の床も抜け落ちたり、壁も壁紙が剥がれてボロボロになっていた。
あらためて周りを見れば、どことなくリィケが通った宿場町に似ているような気がする。
まるで、人がいなくなって何十年も経ったような風景だ。
「何が………………ん?」
その時、リィケの耳に誰かの話し声が聞こえた。
微かに聞こえた方を見ると、崩れた建物の間から十字架を掲げた建物が確認できた。
宿場町の教会だ。リィケはまだ行ったことはない。
しかし、現状が解らないのも困ったリィケは、教会へ小走りで向かった。
教会にはすぐに到着し、その建物を見上げた。
やはり、他の建物と同じように廃墟にしか見えないが、扉だけはきちんと閉まっている。
そして、その扉の向こうから、複数の声が聞こえてくるのだ。
「……誰か……いるの?」
リィケが近付いて扉に手を掛けようとした、その時。
バァン! と、扉がひとりでに開き、中から幻のように透けている人影が数人、慌てたように飛び出てきた。
「わあっ! ……え? アリッサお姉ちゃん?」
リィケが驚いて走り去っていく人物たちを見ると、その中にシスターの格好をしたアリッサを見付けた。
周りもシスターたちのようだ。
透けているアリッサたちは、すぐ近くの建物の入り口で何かをしている。
しばらくすると、大きな樽を二人ほどで斜めにして転がして教会の入り口に戻ってきた。すると、今度はリレーのように、井戸から水を汲んで樽に注いでいる。
「…………何してるんだろ?」
教会の中はボロボロで、誰もいない。
『お待たせしました、ルーシャさん』
「え?」
アリッサが教会の中に向かって言った。
その瞬間、ボロボロの部屋だった内部が、急に小綺麗な礼拝堂に見えてくる。
その中には、透けているがルーシャの姿がはっきりと見えた。
「ルーシャ!」
『思ったより早かったな……』
ルーシャが入り口近くへ来たので、駆け寄り腕を掴もうとしたが、リィケの手はルーシャをすり抜けてしまう。
どうやら、ルーシャからはリィケが見えていないようだ。
……きっとこれは幻だ。
リィケはそう思い、とりあえず目の前の光景を見ることにした。
礼拝堂の中には、先ほどスキュラに連れていかれた、退治員の姉妹が寝かされている。動いているので、どうやら生きているようだ。
ホッとしているリィケの側で、ルーシャは樽の水で聖水を作り、姉妹の前で福音を唱えてナイフをかざす。
取り憑いていた実体のない悪魔はすぐに消された。
「すごい……」
この流れは全て、数分しか掛かっていない。
リィケから見ても、ルーシャは司祭として充分の実力がある。街道を徒歩で通勤できるくらいだ。きっとこの五年の間も、退治員としての能力は落としていないのだろう。
やっぱり僕は……お父さんと一緒に戦いたい。
お父さんと一緒に、お母さんの仇を――――。
――――あなたはルーシャを、二度と復帰できなくさせる気ですか?
その時、ふっ……と、ラナロアに言われたことを思い出した。
店で寝てしまい、馬車で連れて帰られた次の日、ラナロアはリィケの目をまっすぐ見てそう言った。
怒っているというより、悲しそうな顔だった。
その顔を見てからリィケは今日まで、ルーシャの所へ行くのが躊躇われたのだ。でも、納得ができない。
何で、父親と一緒にいてはいけないのか。
人形だと告白したことがダメなのか。
子どもだと名乗ったことがダメなのか。
パートナーになってと願ったのがダメなのか。
そもそも、会いに行ったのがいけなかったのか。
もしかしたら、
ルーシャはとっくに仇の事など、諦めているのか。
だから、子どもだと言っても信じてくれなかったのでは――――
『どこに……最後、アイツはどこに居たんだ!?』
ルーシャの焦燥したような声が響く。
真剣な顔で、正気に戻った姉妹に詰め寄っていた。
姉妹たちは自分たちが遭遇したものを事細かく説明している。会話の内容で“アイツ”とは、自分のことだとリィケは気付いた。
アリッサが樽からビンに移した聖水をルーシャに手渡している。どうやら、ルーシャは町の外に行くつもりのようだ。
『もし、法力が使えるなら、通話石でトーラストに連絡してください。その間にリィケはオレが連れて帰ります。だから、ここにいる退治員で町の守りを……』
『ち……ちょっと待って!? どう見ても、高位の……知性のある女の悪魔がいたのよ!? たぶん、あなただけじゃ……リィケは……うぅっ……』
『う……うっ……私たちのせいで…………リィケくん……』
姉妹たちはグスグスと泣いている。きっともう、リィケが殺されていることも念頭に置いているのだろう。
おそらく、このような場合は、応援を待ってからの捜索が正しい。
退治において最も恐いのは、感情だけで動いて、その心理を悪魔に利用されることだ。悪魔は人の情に漬け込む。
アリッサがもう一本、聖水の入ったビンを作ろうとしていたが、ルーシャは首を振り入り口の方を睨む。
『…………応援を待つ時間はない。アリッサ、聖水はもういい。ここにもだいぶ、残しておかないといけないから』
『わかりました。気をつけて……』
『行ってくる……!!』
言うと同時に金の十字架をベルトに挟め、銀のナイフと聖水のビンを手に持ち、ルーシャは教会を飛び出した。
入り口に立っていたリィケにぶつかるが、透けた身体はリィケを通り抜け、気付いた素振りはない。
しかし、ルーシャが通り過ぎる時、周りにはほとんど聞こえないような声で呟いたのをリィケは聞いた。
『頼む……無事で……』
ルーシャが教会から出ていくと、内部はまた元の廃墟の姿に戻る。走っていたルーシャも見えなくなり、人影も話し声も全て消えていた。
「…………お父さん」
廃墟の教会に立ち尽くし、リィケは壊れた天井から空を見上げる。空に色は無く、ただ白い。
これは夢なのだろうか?
自分の願望を映した夢。
ルーシャが自分を助けようと急いでいるのだ。
子どもとは認めていないはずなのに、顔に焦りの色を浮かべて向かってくれている。
これが、現実ならどんなに嬉しいか……。
パリッ……。
顔の横を赤い光が走っていく。
リィケがまばたきをすると、宿場町の廃墟は消えていて、元の街道に立っている。
遠くに宿場町の輪郭が薄く見えた。
やっぱり……あれは夢なんだ。
今起こった現象に頭がついて行けず、路の真ん中でぼんやりと考えた。
『ギャギギギィッ!!』
真後ろから聞こえた咆哮に思わず振り向く。
…………あぁ、こっちが現実か。
リィケがそれを頭で理解した時には、スキュラの触手に胴体を貫かれていた。




