プロローグ
いらっしゃいませ。
良い作品を目指して頑張ります。
聖書の言葉にはこう書いてある。
『神は自らの命から全てを創造した』
『それは生物であり 植物であり 善悪である』
『神は言った 光の子らも闇の子らも皆 同等だと』
『子らのために恩を働く者は十倍の祝福を』
『子らのために仇を働く者は百倍の報復を』
『何人も己の憎悪を他に向けること赦さず』
『己を律し 天の裁きを待て』
人間も悪魔も等しい存在。
他を害した者は必ず天から裁かれる。
憎しみだけの復讐を行ってはいけない。
行えば天の怒りを買うことになるだろう。
――――この国で聖職に就く者は必ず、この言葉を胸に刻む。
決して忘れてはならない。
例えそれが、どんなに足枷になろうとも……。
ここに、ひとつの日常があった。
『いってらっしゃい。この子と待ってるよ』
彼が最後に聞いた妻の声は優しかった。
仕事を終えて帰ってくれば、また妻の声が出迎えてくれると、彼は当たり前に信じていたのだ。
しかし、その日は突然訪れた。
時刻は夕方、労働者達が多く集まる街の中心部に比べ、住宅ばかり並ぶ通りは人通りも少ない。
長いローブを着た魔法使いらしき老人、仕事を終えた煙突掃除夫、お茶会から戻ってきた貴婦人の馬車などが、心なしか早めに白いレンガの路を過ぎ去っていく。
一日の最後、中心にある教会の大聖堂の鐘が街中に響くと、少なかった通りはますます静まり返った。
歩道のガス灯だけが静かに灯りはじめた。
そんな、通りに面した一軒の家。
黒い格子門を抜け、ひとりの人物が玄関のベルを鳴らしていた。
成人を少し過ぎたような若い男性で、少し固そうな質の青みがかった銀髪。瞳は濃い青紫。
服装は膝まである白いコートのような上着に、太いベルトをつけていて、そこには金色の十字架が収められていた。
彼はもう一度、玄関のベルを鳴らす。
しかし、何度鳴らしても家の中から何も反応は無い。
首を傾げてドアノブに手を掛けると、鍵は開いているので中に入ることにする。
「ただい…………ま?」
彼が自宅の扉を開けた時、家の中はまるで廃屋のように静寂に包まれていた。玄関は屋外よりも暗闇に覆われている。
不審に思いながら玄関に入り、暗がりを灯りの場所まで手探りで進む。
玄関から続く廊下から奥を覗いたが、どの部屋からも人工的な光は一切見えない。
――――おかしい。
帰宅すれば、家族の誰かは必ずいる。
特に今日は全員揃っていてもいいはずだ。
彼は急に胸に生まれた不安を押さえ付けながら、進路方向へひとつずつ灯りを灯していく。
真っ暗な居間と台所を通り過ぎ、最大の目的地である奥の寝室へ足を運ぶ。部屋の少し前に立った時、彼は自分の呼吸が浅くなっているのに気付いた。
部屋のドアは指一本分ほどの隙間ができていて、その奥は一層暗く淀んだ空気がそこから流れてくる。
――――このドアの向こうには…………。
彼はドアノブに手を掛けて、ゆっくりと手前に引いていく。
開け放たれた部屋の中から、湿った鉄錆びの匂いが家中に広がっていくのを彼は感じた。
「おい、ルーシャ? もういいか? 入るぞー」
「どうかしましたか?」
玄関のドアから、顔だけを出して声を掛ける人影が二つ。
ひとりは黒髪に眼鏡を掛けた真っ黒な衣装の青年。もうひとりは白い帽子とマントを身に付けた中年の紳士だ。
外で待っていた知り合いたちは、いくら待っても呼びに来ない家人に、しびれを切らせて呼び掛けたのだ。
返事が無いのを不審に思い、二人は薄暗い玄関から、ぽつぽつと灯る灯りを追うように家の奥へ進む。
遅れること十数分後。
彼らはその部屋の前で立ち尽くした。
「うっ…………何だよ……これ…………!?」
「……………………な……」
月明かりが入る窓にはカーテンが無い。そこからぼんやりと浮かび上がったのは、現実離れした光景。
部屋の壁や家具は、何かに引っ掻かれたように深く傷付き、カーテンやカーペットはズタズタに引き裂かれていた。
さらに噎せかえるような匂いは、床や壁から発せられている。
総てを染め上げるような大量の『赤』
冗談のように散らばった『人間の部品』
「……あ……うぁ…………」
小さな声にもならないような、絞って出たような音を辿って視線を向けると、部屋の真ん中に血の気の引いた顔で“彼”は居た。
「おい…………ルーシャ……?」
「ルーシャ……これは一体…………?」
おそらく、この質問は意味のないものだと、訊ねた方も分かっていはいる。
「わ…………分から……ない…………」
やっと発せられた声は、呼び掛けに応じたものではなく、独り言のように茫然としたものだった。
家人である、ルーシャは床に沈んだものをゆっくりと見回す。
それがこの家では『意味の無いもの』だと祈りながら。
しかし、その中に愛しい顔を見つけた。
「嘘……だ…………レイラ……?」
叩き付けられた現実の中に、ルーシャは佇んでいる。
後日。
この家の人間の死は、ありふれた事故として発表された。
『悪魔に殺された』
この真実を知る人間は、少ない。
――――そして、これより五年後。
物語はそこから語られるのである。