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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

愛する人のために~

愛する人のために心を捨てたはずの、王妃のお話


 ローレイラが第二王子のハーキースと初めて出会ったのは、王宮の書庫だった。彼女は16で、彼は18だった。
「――その本、面白いのかい?」
 そう、ハーキースが問いかけたのが、二人のきっかけだった。
 ハーキースは博学な王子だった。大人しく目立たないように装っていたが、その優秀さにローレイラは何度も目を見開かされた。
 小麦色の髪に榛の、薄茶色い目をしていた。どこまでも淡く、害のないような見た目をしているのに、彼は何度も兄である第一王子からの嫉妬にさらされていたようだ。
「ねぇローレイラ嬢。国王に向いている人間って、どういう人間なんだろうね?」
 ある日、薄暗い書庫の中で、そこだけ日差しが当たって明るいソファーに座って、語らったことがあった。
「僕の好きな、トマス教授の本にはこう書いてある。『国民の生活を保障するために全ての力を注ぐのが王である』って。でも、兄上の好きなシモンズ教授の本にはこう書いてある。『王は全てを統治し、民の上に君臨する存在だ』と。……結局、王とはなんだろうね?」
 ローレイラの好きな本は、甘くくすぐったい恋の物語だ。それか、普通の人間には触れることのない、精霊や妖精の出てくる幻想的な物語。
 だが、ハーキースに”良い女”だと思わせたくて、つい優等生な答えを返してしまう。
「どちらも、王の側面を表しているのではありませんか?全てを統治し、君臨することはすなわち、民のために全力を注ぐことに他なりません。……同じ事でしょう?」
 ハーキースはローレイラをじっと見つめ、ふわりとほどけるような笑みを見せた。安堵しきった幼子のような笑顔は、いつもどこか警戒しているようなハーキースに似つかわしくなく、だからこそローレイラは……恋に落ちたのだった。



 それから一年後、国王が崩御し、継いだのは第一王子のエドガストだった。ハーキースは穏やかな顔で兄の即位を祝っていた。

 ローレイラが王宮の書庫に出入りできたのは、ひとえに彼女の父親の身分にあった。
 彼女の父はダラム侯爵。末端とはいえ、大臣の一人だ。宰相の腰巾着と言う者もいたし、宰相の親しい友人という者もいた。ローレイラはそのどちらも真実なのだろうと思っている。

 それは、なんでもない日だった。
 雨でもなく、かといって燦々たる晴天でもなく、ただいつものようにどこか霞がかっている白い空。石造りの王宮に射し込む光はいつもと同じようにどこか鈍く、それでいて重苦しい石の壁を内側からうっすらと光らせているようだった。
「陛下……?どうなさいました……?」
 栗色の髪に赤茶けた目をした新国王が、ぎらつく目でローレイラを見ていた。いつもと同じように書庫に来たのに、そこにハーキースの姿はなく、代わりにハーキースを厭う兄が険しい顔でローレイラを見つめている。二人きりだ。危機感を覚えないほど彼女は愚かではなかったが、同時に、最善の選択をすることもまた、できなかった。
 恐らくは、叫ぶべきだった。それも、瀕死の獣が上げるような恐ろしい悲鳴をあげるべきだった。
 だが、ローレイラの喉は縮こまり、追い詰められて後ずさるだけだった。
 そして、暴力が始まった。


 全てが終わった後、穢され傷つけられたローレイラは、侍女に発見された。そのまま隠れるように自宅に戻ったが、噂を止める、何の役にも立たなかった。
「陛下に、責任を取っていただく」
 そう言ったのは、父だった。
 若き21歳の国王は、未婚だった。婚約者はいたが、病弱を理由に結婚は先延ばしにされていた。
「……お父様……?」
 信じられなかった。責任を取らせるということはつまり、国王(あの男)の妻になるということだ。あの暴力を、日常的に受け続けるということだ。それを止める人間は、もはや誰もいないというのに。
「やめてください……やめてくださいっ!」
「お前はダラム侯爵家の名誉を穢すつもりか?!」
 娘の悲鳴じみた拒絶の声は、父親の怒鳴り声にかき消された。母親は泣くばかり。その涙が何を思っての涙なのか、ローレイラには全く想像もできなかった。
 そうしてローレイラは、蒼白な顔で豪奢な花嫁衣装に身を包むことになった。



 新しく夫婦となった閨で、エドガストは言った。
「ハーキースの顔を見たか?実に愉快な顔をしていた。まるでこの世の終わりのような。……あぁ、なんと面白い。俺を貶め、馬鹿にするあいつの大切な者を奪うのはな!」
 夜着は裂かれるような勢いではぎ取られた。
 ろくに触られることもなく始まった蹂躙は恐ろしいほどの痛みをローレイラにもたらした。
 あるいは、痛みから逃避するために生まれた考えだったのかもしれない。
 人としての尊厳を踏みにじられる、心が生み出した狂気だったのかもしれない。

 壊してやる。

 エドガストの御代を、決して祝福されたものになどしてやるものか。
 不和と争いをまき散らし、炎と血潮で終焉を飾ってみせる。
 呪いと毒を。怒りと憎しみを。破壊と暗闇を。

 ローレイラは、痛みの中で、生まれ変わったのだ。



 ローレイラは微笑んだ。
「陛下、どうぞわたくしの父を宰相に任じてくださいませ」
 家の名誉にこだわる父が、このアールトン王国をまとめる宰相に相応しいとはとても思えない。だからこそ適任であった。腰巾着であったはずの男に宰相の座を奪われる。そこに蒔かれる不和の種を思うと、自然とローレイラの顔は美しく歪んだ。
「ダラム、か。……いいだろう」
 だが、エドガストが同意したのは少々意外なことでもあった。
 認めるのは悔しいが、エドガストの治世にそれほどの乱れはなかったのだ。第二王子のハーキースが継承争いから引いたことにより、王位の継承はすんなり行われた。そうしてエドガストは、強引な政策を取ることなく、既定路線を歩んでいる。王座の交代が行われても大きな乱れがないのは、そのせいでもあった。
 だが、それをローレイラは壊す。
 前宰相と現宰相の不和を、まずは呼び起こす。権力争いを加速させ、無能を高位につける。近衛には、ローレイラに反感を持っている者をあえて着任させる。そうすればいずれ、実質的な力を持つ者達がローレイラごと、エドガストを滅ぼしてくれるはずだ。
 その破滅の、最初の一歩。それを無造作にエドガストは許可したのだった。



 次は無能な者を、とローレイラは思うものの、彼女は宮廷の人事に詳しくない。
 まずは情報を集めるべきと、様々な集まりに顔を出していた。
 今夜訪れたのは、とある公爵家の夜会だ。新王妃に群がり、あわよくば甘い蜜を啜ろうと企む人間の中から、最も無能そうな者を物色する。
「――まぁ珍しい。ハーキース殿下ですわ」
 遠くからの囁きがローレイラの耳に入った。人々のさざめきで賑やかな夜会。その中でも思わず拾ってしまう、愛しい人の名前。
 思わず視線が彷徨った。
 婚礼の日から、ずっと目にすることのなかった人だ。一目でいい、その小麦色の髪を目に映すだけでも……。
「っ!」
 吸い寄せられるように視線が向かった先に、じっとこちらを見るハーキースがいた。ハーキースは僅かに目を細め、そうして身を翻した。誘われている、とローレイラは感じた。
「――王妃様?」
 群がる男女に言い捨てる。
「気分が優れなくなりました。庭で涼んで参りますわ」
 共に、と申し出た者は数多いが、みな視線で断る。
 夜の灯りに吸い寄せられる虫のように、ローレイラを吸い寄せたハーキースは何を言うのだろう。きっと心を切り裂く何かだ、そうローレイラには予感があった。それでも、その痛みすら恋しい。無惨に生まれ変わった己をさらしてでも、ハーキースからもたらされる痛みが欲しい。
「――ハーキース様」
 きっと自分を裁くのだろう男の前で、ローレイラは恋する少女の顔をして、微笑った。



 闇に紛れる四阿で、ハーキースは片膝をついてローレイラに頭を下げていた。
「――義姉(・・)上」
 ローレイラは、愛する人からもたらされた痛みを、目を強く閉じて抱きしめた。生きている、そう深く思えるほどの痛みだった。
 もはや彼にとって、自分は女ではなく兄の妻なのだ。分かっていても胸を切り裂く痛みを、ローレイラは両腕で自分を抱きしめることで噛みしめた。
「……何の、ご用でしょう」
 掠れた声が、彼女の口から洩れた。
 王妃が国王以外の男と密会している。そのこと自体はローレイラにとって、好都合でもあった。”王妃”の価値が下がれば下がるほど、”国王”の価値も下がる。それが分かっていたからだ。だが、その醜聞にハーキースを巻き込みたくはない。会いたい、会えて嬉しい、そう思う気持ちと、早くこの場を去らなければならない、という気持ちで心が揺れる。
「……良き王妃に、なってはいただけませんか」
 だが、ハーキースの懇願に、ローレイラは目を見開いた。
「このままでは、あなたが憎まれる。兄と共に、あなたが憎まれる未来などごめんです。どうか……どうか、生きて、欲しい」
 ハーキースは、分かっていたのだ。そう、ローレイラは痺れるような頭の片隅で思った。エドガストを巻き添えに死に絶える未来をローレイラが望んでいる。それを、ハーキースは察知していたのだと。

「……いや、です」

 ローレイラの唇から、本音が零れ落ちた。
 口からだけでなく、瞳からも、ポロポロと。
「いや……」
 ゆっくりと首を振る。それでも、焦がれるようにハーキースから視線を剥がせなかった。
 膝をついたままのハーキースは、深く首を垂れた。
「ローレイラ、どうか……どうか」
 初めて、名前を呼び捨てにされた。残酷な願いを口にする、愛する人。それなのに、心は喜んで彼の口から紡がれる、自分の名前を聞いた。
「……殺してください、どうか」
 夜ごと繰り返される、意に沿わぬ交わりにはもう耐えたくない。あの男の隣で、良い妻として微笑みたくなど、ない。
「あなたは残酷だ」
 ハーキースは、掠れた声でそう言った。残酷なのはあなたの方だと、言いかけた口が閉じる。伏せていた面をあげた彼は、歪んだ微笑みを浮かべながら、泣いていた。
「兄を殺して、それであなたが手に入るならそうしたい。血塗られた王座でも、あなたがいるならそれでも構わない。……だが、きっとあなたは殺される。()を惑わした女性だと疎まれて、暗殺されるでしょう。どれだけ私が守ろうと、悪意はあらゆる所からあなたに襲いかかる」
 まるで無力な自分を嘲っているような歪んだ笑顔で、彼は綺麗な涙をまた一つ、零した。
「あなたを失うくらいなら、兄の横で笑っているあなたを見る方がましだ」
 獣が傷を負って呻くような声で、歯を食いしばりながらハーキースはそう言った。そうして首を垂れる。深く、深く。

 ローレイラは空を振り仰いだ。
 月のない曇り空は、星の光さえ届かない。それでも、どこかに淡く光る星を見つけようと、滲む視界を払うために何度も瞬いて目を凝らした。
 初めて出会ったのは、まだ寒い春のこと。それから年が巡り、同じ春がとうに過ぎた。夏も消え去り、秋は盛り。
「……全ては、あなたのために」
 震える声で、ローレイラは星のない夜に誓った。か細い吐息は、震えながら夜空を目指し。
 そうしてローレイラは、心を捨てたのだった。



 良い王妃になるのは簡単だと、そう思っていた時期がローレイラにもあった。
 王朝を破滅に導く動きをしていた彼女のことだ、それと反対のことをすればいいのだろうと、単純にそう思っていた。だが、悪いことの反対が良いことではない、ということに気づくのは早かった。
「ダラム侯爵は良くやっているな」
 満足そうにエドガストは笑った。
 まず、ローレイラが着手しようとしていたのは父の解任だった。だが、それまでの硬直した政策を打ち崩し始めた父は、娘が思うより有能だった。
「……本当に、わたくしは見る目がない……」
「ん?どうした、王妃」
「いえ、なんでもございませんわ、陛下」
 初めは、憎しみの籠もらない笑顔をエドガストに向けることは苦痛だった。だが、エドガストはそうしたローレイラの微笑を見ると、火傷をしたように目を逸らすのだ。最初こそ、笑顔を浮かべ続けなくていいことに安堵を覚えていたローレイラだったが、最近ではその不審な動きに本物の笑みさえ浮かべてしまっている。

 良い王妃であることを続けていると、自分が自分のままではいられなくなる。時々、焦燥に駆られてあの暴力を思い出し、憎しみを焼き付けようとする。そうして自分は変わっていないことを確認して、心底安堵するのだ。
 宮廷に現われるようになったハーキースを見て、思いを確認する。確認しなければ揺らいでいるのだと、どこかで自嘲する自分もいるが、ローレイラはその声を、固く目を閉じて追いやっていた。

「王妃、顔色が悪い。戻って休んだらどうか」
 夜会に疲れた時、そう言われて。
「王妃、滋養に良い果物が届いた。そなたもどうか」
 珍しい異国の果物をおずおずと差し出され。
「……眠るだけで良い」
 そう言って隣で横になるだけの夜を過ごして。

 何度も言い聞かせる。
 心は捨てた。捨てた心はあの人が持っている。だから……。
 だから、の先を自分でも続けられない。だから、エドガストに動かされる心はない、といえば認めたようになってしまう。だから何も感じないように日々を過ごそうとしているのに、王と王弟のどちらかが、彼女の心を容赦なく揺り動かすのだ。
 ローレイラの煩悶は、それから7年も続いた。



 世継ぎがいない。
 アールトン王国に、世継ぎの王子はいない。そして王弟は未婚のまま。
 いくら良い王妃を演じようと、最低限の義務である王子の誕生を果たせないローレイラに、宮廷の目は冷ややかになっていった。
「……お前も、もう休んだらどうだ」
 王妃の私室に訪れた父はそう言った。
 7年も宰相を続けている父は、不思議なことにとても頼もしく、優れているように見えた。
 ローレイラは首を傾げた。
「わたくしも、そう思ったのです。もう、休んでしまおうと。薬も取り寄せたのですが、いつの間にか消えてしまって……」
 そう言うと父の目がかっと見開かれた。
「誰が死を賜れなど申した!!……違う、その……実家に、戻ってはどうか、と言ったのだ」
 娘は目を丸くした。王妃になる一件で、ずっかりローレイラの父への信頼は失せていたから。
「まぁ……てっきりそうかと。だって、何代か前にもございましたでしょう?」
 寵愛の失せた王妃が死を賜り、寵姫がその座を継いだこと。
 夫婦の離別は許されず、王の後継者は正当な結婚から生まれた者にしか認められない。なれば、子を生まない王妃は死ぬしかないのだ。去れないのだから。
「わしなら、死を装うくらいできる。……安らかな余生を過ごしてはどうか」
 ローレイラは微笑った。不器用な父の有様が垣間見えて、どこかくすぐったいような気持ちになったのだ。
「……陛下の寝所に侍れとは仰いませんのね」
「何度も試すようなことでもあるまい」
 今度こそローレイラは声に出して笑った。数年前から寝所を分けている。言い出したのは王だ。結婚当初だけあった夜の義務は、今ではほとんどない。ほとんど、というのは月に一,二度あるからだ。怯えたような冷たい指先でそっと彼女に触れ、口移しで薬を飲ませる。薬が効いてぼんやりしている間に、全ては終わっているのだ。
 やはり子供が宿らない体質なのだろうと、ローレイラは思っていた。欲しいと思うのは、義務を果たしたいという気持ちに似ている。あの人が願った”良い王妃”に、息子は必須だったのだから。だが、そうした冷えた気持ちこそが懐妊を妨げているのかもしれない、と思うことはあった。
「……宿下がりを、お願いしてみますわ」
 父は、目の光を和らげてそっと微笑った。



 宿下がりを申し出たのに動けなかったのは、体調不良のためだ。
 起き上がることすらできず、ひたすら長く眠る。ローレイラ自身にも、己の不調が異常だと分かっていた。
 目を覚ますと、そこは真っ暗闇。眠さに負けて目を閉じたのが夕暮れだったのに、もう深夜のようだ。
「……わたくし、死ぬのかしら……」
 殺される前に死のうと、毒を取り寄せた時には感じなかった怯えが背中を駆け上がる。
 横臥していた背中からぐいっと抱き寄せられ、ローレイラは悲鳴を飲んだ。強ばった体は、だがすぐにほどける。馴染みのある気配だったからだ。
「……許さぬ」
 ローレイラを抱きしめる男はそう言って、痛いほどに彼女を抱きすくめた。
「死ぬなら俺を殺してから逝け」
 血を吐くようにエドガストが呻いた。
 ローレイラは困ったように笑う。実際、困惑していた。今さらエドガストを殺したいと思うほどの情熱はないのだ。それに、傲慢な男が彼女に縋りついてくることへの戸惑いもあった。戸惑い、だと思った。思いたかった。だがそこには、確かにほんの一筋の愉悦があった。
「世継ぎを産めませんもの。どうぞ、次の方には優しくなさってくださいませ」
「次は要らぬ」
 ほとほと、困惑する。
 困る。
 あの暴力を、許すわけにはいかないのだ。新婚の間続いた陵辱を、認めるわけにはいかないのだ。あの人と無惨に引き裂かれた苦しみを、心を捨てた痛みを忘れるわけにはいかないのだ。
「置いて逝くな」
 エドガストの顔が強くローレイラの髪に押し当てられる。ほぅっと吐かれる吐息が湿気を帯びて熱い。男の喉からぐぅっと言う苦鳴が洩れて、ローレイラは彼が泣いていることにようやく気づいた。
「お前が望むなら、死んでやる。――だから。……だから」
 吐息だけでエドガストは囁いた。
「死なないでくれ――」

 しょうがない人だな、とローレイラは遂に諦めた。
 見たくなかった自分の感情に、ようやく渋々と向き合うことにする。
 時々、自分の横顔に注がれる王の視線を感じた時。おずおずと差し出される贈り物を、自分が受け取った時のほっと安堵した顔を見た時。
 恋ではない。恐らく、愛だってきっとない。でも、どこか見捨てられない憐憫を、自分は感じたのではないか。初めから破壊されていた関係に、他ならない彼が苦しそうな顔をしていた時、背筋を這い上がったのはほの暗い満足感だった。

「しょうがない方……」
 自分に縋るように抱きついてくるエドガストの腕を、ローレイラはそっと抱きしめた。
「……可哀想な方」
 違う方法だってあったはずなのに。
 いつから彼に芽生えていた感情かは知らないが、もっと違うやり方だってあったはずなのに。
「――愛しているのだ」
 遂にエドガストはそう認めた。
「……しょうがない方」
 ローレイラはそう言って、しかし暗闇の中でそっと微笑んだ。
「しょうがないから、最期まで側にいてさし上げますわ」
 微笑んだローレイラの顔が、不意に歪んだ。
「――痛い――っ」
「王妃――ローレイラ?!」
 がばっとエドガストが身を起こす。素早い動きで灯をつけ、大声で侍女を呼ぶ。
「誰か!誰か侍医を呼べっ!!」
 慌ただしい空気の中、ローレイラの意識はゆっくりと消えていった。



 久しぶりに見た父の顔は、これ以上ないほど崩れていた。
「おぉ、なんと可愛い御子だ!」
 母は、また泣いていた。泣きながら子供をあやし、あやしながら泣いていた。
「よくやった。よくやったな!」
 ローレイラは苦笑する。
 今にも死ぬのではないかという夜に侍医が出した診断に、宮廷中が沸いた、そうだ。
「……これほどお産が大変とは……」
 腹に留めるだけでも大変な妊娠だった。その分、出産の痛みには耐えられたのだから人生は分からない。
「王妃、横にならなくて良いのか」
 エドガストはいつまた王妃を失うか分からない、とばかりに彼女に安静を呼びかけてくる。
「もう一生分横になりましたわ。今は散策したい気分です」
 ローレイラの言葉に青ざめる王を、彼女は軽やかに笑って見守っていた。



 息子が3歳になった時、ローレイラは遂に重い腰を上げた。
 年の近い者達と遊ぶ息子を遠目に見ながらの四阿で、ローレイラはハーキースと向かい合っていた。
「いやです」
 王妃の提案を真っ向から拒否するハーキースに困惑する。
「ですが――」
「心に決めた方がいるのでお断りします」
 ハーキースは清々しい顔で笑った。
 王弟に、結婚を勧める。気の向かない仕事だったが、誰の言葉にも耳を傾けない彼に、ようやくの思いで告げたというのに。
「その方が、ようやく心から笑えるようになったようなので、その幸せを見守るまでは結婚できません」
「……それっていつまでですの……」
 一生見守るとでも言い出しそうなハーキースに、王妃は眉を寄せた。
「えぇまぁ、一生ではないかと」
 予測通りの言葉を返されて、思わずローレイラは彼を睨みつけた。その視線を柔らかな眼差しでくるまれて、思わずローレイラは赤面しつつ目を逸らした。
「――私のために、良き王妃になってくださった。だから私は、一生見守りたいのです。……王子もお健やかだ。私の出る幕はないでしょう?」
 彼女は言葉に詰まった。
 嬉しい、と感じる己の心が浅ましく見苦しい。
「あなたが、穏やかに笑ってくださるなら、それでいい」
 嬉しい、とは言えない。代わりに涙が答えた。
「あなたに、生涯の忠誠を」
 王妃の前で、片膝をついてハーキースは頭を下げた。嬉しくて切なくて、幸せになって欲しい人なのに、力になれなくて。
「……ありがとう、ございます」
 それでも、彼がそうと決めたことならその気持ちを受け取る。受け取って抱きしめる。
 ひどい女。
 自分を罵る声さえ、どこか甘く。
 受け取るばかりの愛を返すこともできない愚かな女の、これは物語。


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