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ニジコン  作者: 倉木さとし
第一章
5/5

4

 かごつきのママチャリを二人乗りして、茂と沙耶は学校にやってきた。


「チャリ任せたわよ。アンタのせいで、遅刻しそうになったんだからね!」


 校門を抜けたころ、背中越しに沙耶が叫んだ。

 直後に荷台が軽くなる。

 茂が振りかえったときには、ボサボサのポニーテールの沙耶が、校舎の中に入っていくところだった。

 校舎の壁に取り付けられている時計を見ると、始業ベルの十分前を指し示している。

 鞘香の素晴らしさは、一晩では語りつくせなかった。

 ちなみに、茂が熱く語るのに比例して、沙耶は鞘香のことが嫌いになったそうだ。


 自転車置き場にママチャリを駐輪してから、茂は教室にむかう。

 道すがら、茂にきづいた奴らが、脅えた反応をみせた。

 都市伝説のことを思い出して、気が重くなる。噂を払拭するための打開策を考える必要があるだろう。とはいえ、いまは眠たくて頭が回らない。考えるのは、夢の中でやろう。

 三年二組の教室が見えたとき、茂は大きくあくびをした。夜通し大好きな鞘香について熱弁したことで、おもいのほか体力を消費しているようだ。


「おい、待てよ」


 教室に入る直前、呼び止められる。舌打ちをしながら、声のしたほうに体をむける。


「なんだ、小松か」


 どことなく小松はやつれて見えた。茂の家からの帰り道、近所の中学生にいじめられたのかもしれない。

 小松をみつめている茂の耳に、遠巻きで騒いでいる男子生徒たちの声が聞こえた。


「あれが、『熱死威』と『畏獲帝』を震え上がらせたにらみか。普通にこわいぞ」


 どうやら、自覚なしに茂の目つきは鋭くなっていたようだ。これもきっと、寝不足の影響だろう。


「で、どうしたんだよ。用事があって呼び止めたんじゃねぇのか?」


 茂がたずねても、小松の口は真一文字に閉じたままだ。まわりの連中の声が、いやでも耳に入ってくる。


「小松のやつ死ぬ気か? そこまでしてカッコつけたいのか」


 それにしても、小松への評価がいつも低すぎやしないか。都市伝説の影響でおそれられている男に話しかけているのだから、なめてやるのも可哀想だろう。


「なんかわかんねぇけど。喋らないんだったら行くぞ。俺は猛烈に眠たいんでな」

 手をひらひらと振って、茂は教室にむかう。

「昨日の夜――」

 背後から小松の声がした。緩慢な動きで、茂は振りかえる。不幸話を語るように、深刻な顔で小松は続ける。


「――偶然だけど、前嶋さんがおまえの部屋に戻っていくのを目撃したんだけど」

「いっとくけど、俺の部屋は五階だぞ。偶然なんの用があったんだよ」

「僕は耳を疑ったぜ」

「あ、無視すんだ。てかさ、目撃したんだったら目を疑うっていうんじゃねぇか?」

「いや、耳だね。だって前嶋さんが部屋に入って一分もしないうちに、あんな喘ぎ声を出してたんだからな」

「おまえ、そうとう気持ち悪いな。どんだけ俺の部屋に近づいてたんだよ」

「ただ、聞き間違いの可能性もあるよな」

「そうだ、そうだ。おまえの勘違いだ。あれは別に沙耶じゃないからな」


 あくびをしながら、茂は事実を述べる。喘ぎ声を出していたのは、沙耶ではない。鞘香なのだ。

 沙耶の喘ぎ声など聞いたこともなければ、想像をしたことすら無い。まぁ、どうせ鞘香の喘ぎ声に比べたらしょうもないものにちがいない。

 廊下からでも沙耶が見えた。あいつみたいに、早く机に伏せて眠りたい。


「おい、どこ見てんだよ。こっちだ、こっち。こっちに顔みせろよ。そんな言葉で、僕が納得すると思ってるのかい? 今朝おまえらが、同じ部屋から徹夜明けの顔で出てきたのを僕は見てしまったからね」


 弁解するのも面倒になった。だいたい、何時間こいつは人の家を見張っていたのか。気持ち悪いにもほどがある。


「ああ、おまえが見たのは間違いなく俺と沙耶だよ。でも、なにもなかった。俺たちはただの幼なじみだからな。それで納得しろって」


 こいつに解放されて、早く眠りたい。その思いから、茂はあとのことを考えずに事実だけを伝えた。

 小松の整えるのに失敗した眉毛が、情けなく歪んだ。


「ぼ、僕は高校に入ってから、ずっと前嶋さんを狙ってたんだよ。だから、本当にただの幼なじみなんだったら、もう前嶋さんに関わるのはやめてくれないか」


 丸二年間もあって、沙耶を口説けていないらしい。それはもう脈がないからあきらめたほうがいいだろう。

 そもそも見た目から判断して、小松は沙耶が嫌いそうなタイプだ。だいたい昨日だって茂の部屋で全く相手にされていなかったではないか。


「不満そうなツラだな――そうだ。手を引くんだったら僕が女を紹介してやるよ」


 さすがにこれは、不愉快だ。小松がどれだけの女を抱いてきたか知らない。ただ、そいつらカス女どもよりも、価値のある存在を茂は知っている。

 鞘香でのオナニーをなめてもらっては困る。

 あれは、生きながらにして、極楽浄土に触れられる行為なのだ。


「おまえに紹介されるまでもねぇよ。悪いが、俺には結婚相手がいるんでな」

「自己紹介のときにもいってたな。まさかとは思うが、それは前嶋さんのことか!」


 小松のテンションは上がっている。自覚していないのか、声が大きい。

 辺りを見回せば、ことの顛末を楽しむような連中がいた。廊下や教室に、観客はたくさんいる。野次馬の中には、自分と沙耶を交互に見比べている者もいる。そんな奴がいるものだから、沙耶がついに目覚めた。彼女はいぶかしげな顔で、茂のほうを見る。


 いい加減にしてほしい。

 沙耶と結婚するわけがないだろう。本当にただの幼なじみだ。仲のいい異性の友達だ。

 そう思ってしまう根底には、明確な理由が存在している。

 沙耶の魅力的な部分は、残念ながら神楽木鞘香と比べたら、全て劣っているのだ。


「ちょうどいい。こんな勘違いに振り回されるのは、今回が最初で最後にしたいからな。小松だけでなく大勢に聞こえるようにいってやるよ!」


 沙耶にも茂の声が聞こえたようだ。

 それより先のことをいってはだめだと、首を横に振っている。

 心配してくれてありがとう。やっぱりあいつは、いい女だ。

 遠くにいる沙耶に、ほほえみかける。

 そこから小松に視線をむける短い間に、茂はその笑みをかき消した。

 気おされた小松が一歩後ずさった。


「耳をかっぽじって、よく聞きやがれ」


 オタクだとなんだと揶揄されてもかまわない。新しい都市伝説がうまれても別にいい。

 声を大にして、好きなものを好きといってやる。


「俺は夏までに、鞘ちゃんと結婚する! 久登に戻ってきたのは、そのためだ!」


 自分をさらけ出す行為は、ものすごくこわいことだが、同時に気持ちがいいものだ。

 顔はもとより、手足の先まで熱くなっていく。

 言ってやった。もう後には引き返せない。だが、後悔はなかった。

 この先どうなろうと、自分の選んだ道を突き進んでみせる。バイトをして鞘香との結婚資金を貯めた過去も。高校三年になって転校してきたことも。全て正しかったのだと、死ぬときに胸を張ってやる。

 自らの行為に酔っている茂の周囲で、みんなが騒ぎはじめた。教室の窓ガラスが、大勢の声で震えている。


「聞いたか、いまの。サヤちゃんっていったぞ」

「おれらのアイドルが、すでに奴の毒牙にかかっただぞ」

「でもサヤちゃんなら、逆に後藤を真人間に戻すことだってできるかも」

「けど、リスクが高すぎるよ。失敗すれば、このクラスは、いや、この高校は終わってしまう」


 二次元と三次元。次元のちがう愛に対して、みなが様々な意見を言い合っている。

 最も近くで茂の言葉を聞いたのは小松だ。彼は、いまにも泣きそうな弱々しい顔になっていた。なにかしら心に響いたものがあったのだろう。


「やっぱり、そうだったのか。でも僕はあきらめないからね」


 それだけいうと、小物臭を漂わせて小松は去っていった。

 しかし、あきらめないとはなんだ? ちゃんと聞いていなかったのか。


 ――俺が愛してるのは鞘ちゃんであって、別に沙耶では。


 そこまで考えて、頭の中が真っ白になる。

 自分の愚かさにきづいて、体が震える。

 昨日から、沙耶がクラスメートに『沙耶ちゃん』と呼ばれているのを何度も耳にした。

 奇しくもそれは、ゲームのファンが鞘香を最高に愛でるときに呼ぶ名前と響きが同じだ。

 超能力疾患をプレイした人ならば、茂の気持ちもわかるだろう。テンションの上がったゲームの主人公が、神楽木鞘香を『鞘ちゃん』と呼んでしまう場面が何度もあるのだ。

 だが、クラスメートたち全員が鞘香のシナリオを知っているとは思えない。むしろ、誰も知らない可能性だってある。


 教室も廊下も茂の発言で持ちきりになっている。

 茂の言葉を聞き逃した者は、近くにいる誰かに説明をしてもらっているようだった。

 無論、それは真実とはかけ離れている説明だ。


「みんな『サヤ』ちがいだぞ。おーい、聞いて聞いて」


 あらためて茂は言ったのだが、誰も聞いていなかった。

 教室では、沙耶の机の周りに人だかりができていた。


「どんなになっても、私達は沙耶ちゃんの味方だよ」とかいう女子がいる。

「こんなときにあれだけど、おれ前嶋のこと好きなんだ。だから、後藤はやめるべきだ」と、どさくさに紛れて告白している男子もいた。


 周りが騒いでいるのに、渦中の沙耶だけは、白けている。

 鞘香について、徹夜で語った。その中で、神楽木鞘香を『鞘ちゃん』と呼ぶときもあると、教えた。だからこそ、沙耶だけは自分のことではないときづいているのだろう。

 巻き込まれただけの彼女は、茂を見てため息をついた。

 早いうちに沙耶に謝らないと、面倒なことになりそうだった。






 学校からの帰り道。線路沿いの掲示板の前で、今日も茂は足を止めた。

 九登に住む学生は、こんなにも素晴らしい鞘香のポスターを登下校中に見える。なんと幸せなことだろうか。


 茂の思いとは裏腹に、帰宅途中の学生で、ポスターに興味を示すものはいなかった。

 もしかしたら、他の人たちは茂に気を利かせてくれているのかもしれない。茂と鞘香を二人きりにしてくれているのだと、前向きに考えることにする。


「それ盗んだら犯罪だからね」

「盗むか!」


 叫びながら茂は振りかえる。ママチャリにまたがった沙耶が、白い目でこちらを見ていた。彼女は食べかけの棒アイスをくわえたまま、意味深にほくそえむ。


「どうだかね。いま犯罪者のオーラが完全に出てたわよ」

「いっとくけど、盗む必要がねぇんだよ。すでに持ってるからな」


 得意げになって、茂が胸を張る。沙耶は頭を抱えて、大きくため息をつく。


「アンタは何度、私を失望させれば気が済むのよ」

「今朝も、がっかりさせちまって悪かったな」


 流れに任せて、茂は謝った。

 心臓が暴れているのを沙耶に悟られないように、平静を装う。


「別に、あれはいいわよ」


 アイスをかじりながら、沙耶は答える。投げやりな感じはなく、ケロッとしている。


「いや、だって。迷惑かけちまっただろ」


 一日中、茂と沙耶の結婚の話題で教室は持ちきりだった。

 友達のいない茂は、弁解できずにただ時を浪費した。もっとも沙耶を見る限り、説明をしても連中は話をちゃんと聞こうとしないようではあったが。

 思い出すと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。茂がうつむくと、沙耶はその顔を下からのぞきこみ、ため息をついた。


「どっちかっていうとさ。今朝の一件よりも、聞きたくないことを朝まで熱弁されるほうが迷惑だったからね」


 知らず知らずのうちに、茂は沙耶に大迷惑をかけていたらしい。

 気まずくて苦笑いが浮かぶ。調子に乗って鞘香について話しすぎたかと後悔した。


「そういや、ひとつ疑問があったんだけど。茂がゲームにはまった理由って教えてくれてないよね?」


 教えなかったのではなく、教えられなかっただけだ。

 ゲームをするキッカケならば、答えることができる。だが、はまった理由というものを茂自身、言葉にすることができないでいる。

 なんでかわからないけど、超能力疾患の神楽木鞘香に、どうしようもなく惹かれているのだ。


「――熱弁されたくないんだろ?」

「言いたくないんならいいけど。じゃあね」


 気分を害したのか、沙耶は自転車を漕いで去っていく。

 その背中を見ながら、茂はひとりつぶやいた。


「来週になりゃ、答えられるかもな」


 今週末を利用して、茂は鞘香と結婚しようと考えている。籍をいれるときがくれば、ゲームにはまった理由もわかるような気がする。

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