表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鬼哭終終

作者: 向行彼方

まぁ色々微妙なシロモノですが

鬼哭終終




 鬼哭剣。

 そう呼ばれる刀がある。

 幾千、幾万の屍横たわる戦場にて、その屍体の山を鋼に練りこみ、その場で鍛え上げられたと言われるいわくつきの、眉唾刀。

 その刀身は万の命を宿すが故に、折ろうと折れず曲げようと曲がらず、不滅のような鋼であるとされ。

 またその鋭さは万の怨みをもっているが故に、斬ろうとせずとも斬れ殺さずとも殺す、鬼さえ哭いて逃げるほどの刃であると言われる。

 いわゆる妖刀である。

 妖刀、そんなものは実在するはずがないし、してはならない。

 ただ、してはいけない、と語るのは、してしまった、からである。

 

 藩中において夜討ちが頻発したのが始まりだった。

 辻斬り魔の仕業、それ以外にあろうか。

 同心達が見回り、及び、捕り物のための罠を張るが、あえなく返り討ちで全滅。ただの一人も生きて帰らず。

 すわ化物か、と凶報に揺れる藩内を収めるため、剣術指南役であるところの二人、頚城くびき 主計かずえ両角もろずみ 直衛なおえに沙汰が降りる。

 辻斬りを手討ちにせよと。

 それは両人にとって、ただ辻斬り魔を成敗せよというだけの意味を持っていなかった。

 

 指南役が二人。その時点ですでに異常。

 しかも同門の出であり、その教える流派に違いなく、禄の無駄以外の何物でもない。

 技の頚城と力の両角、かず『え』となお『え』の『え』が二人で「二重」、そう呼ばれ並べられ二人はその時代の門下で最強の名を競った剣客だった。

 いずれかは雌雄を決さなければならない、そんな間柄。にもかかわらず親友として、流派を道場を共に盛り上げていこうと馴れ合い十重二十重。明確な決着もつかずに時が訪れた。

 先代に引き続き剣術指南役の指名がなされる時が。

 しかし当代を二人のどちらかに決められない。本人達の意思も両者に譲って動かない。ここは立会いの末に決めるしかなかろうと、自然に事が収まろうとした。

 が、藩主のきまぐれで、剣術指南役を二人共にやらせ成果の良いほうを最終的につけると引っくり返される。

 かくして指南役二人の構図が出来上がった。

 故に今回のことは、時が再び動きその決着がつこうとしているに等しかったのだ。

 辻斬りを討ったほうにおそらくは決まる、と。

 

 「主計」

 陽も落ちて紫が濃くなった時間、城下のはずれの一軒家、頚城家、直衛は奥に向かって急くような声を放った。

 「おう、直衛、もうちと待てや」

 対して主計は女、妻のはしらにお仕着せを直してもらいながら、豪放磊落に泰然と答えた。

 「あなた、またそんな」

 「おい、お前が引きとめたんだろうが」

 「それはあなたが悪いのですよ、だらしのないのが」

 主計とはしら、二人の会話にやれやれと直衛は首を振る。

 「まったく、相変わらずこれは当てられるな。先に行っているぞ、ゆるりと来い。いや・・・なんなら来ずともよいぞ?」

 皮肉気に口の端を歪ませて、直衛は背を向け去ろうとする。それを見た主計は、はしらを強引に振り切ると追いすがる。

 「ああ、もういいわ!どうせ辻斬り退治だ、格好を気にすることもないだろ。俺は行くぞ」

 「・・・仕方ありませんね、気をつけてくださいね」

 「は!あんじょう任せておけい」

 はしらに捨て置き、言葉通り先に行っていた直衛の背に追いつき、横に歩き並ぶ主計。

 夜を迎える城下へ向かう。

 「わかっているのか、主計?」

 と、追いついた主計に何事も言わなかった直衛が、しばらくしてから、すなわち頚城家から離れてから、含めるように問いかけた。

 「あ?ああ、言いたいことはわかる、わかるぞ。むしろ、わからいでか!!」

 「お前は、本当に、わかっているか?」

 主計は茶化すかのようにあっけらかんと受け答えるが、直衛はそんな主計に冷たい一瞥を放る。

 「問い直すかよ。やけに今回は真剣だな」

 さすがに主計も居住まいをただし、ただし口はへの字に曲げる。直衛はいつものようにあきれた風を装いもしない。

 「そうも、なろうよ。お前がおかしい」

 ましてやお前は所帯持ちだぞ。とまでは言わない。しかし含めた。直衛が言いたいことは明らかに下世話。ただ現実的には言うまでもない。

 「まぁ、俺は柄じゃない。前より言ってきたことだ。禄が減るのは、そりゃあ困るけどな。役どころなんぞ、別にお前でかまわん」

 「なら、どうして来た?いや、問うまでもないな。そんなに死合いたいか?」

 「応よ」

 主計の顔が無邪気に笑み、同時に鬼気に染まる。だが本当に嬉しそうだ。直衛は瞑目するように納得するしかない。そして、

 「・・・本当は。いや、なんでもない」

 俺とやりたかったか?そう聞こうとしただろう事は、主計でさえ察した。しかし問い返さない。それが二人の関係性だった。

 少なくともこの時までは。

 

 行灯や提灯の光が四方八方から照らし、影が万華鏡のように花開いている。

 中心には血風、そして赤黒く濡れた刃、捧げ持つ影。

 すでに五人が斬られた。

 先に飛び出たのは主計だった。数で押してはいけない道理がない。わざわざ二人共で追いついたのだ、順繰り待つ必要がない。

 しかし直衛は飛び出さなかった。今までも囲ってきた者達が数による包囲、圧殺というどんな剣客だろうとほぼ致死に等しい暴威を受けても辻斬り魔は生き延び、返り討ってきた、からではない。

 主計の邪魔をしないため、死合いは一対一であってこそ、というのも理由の一部。直衛はしかしただ知らない敵相手に手を控えただけ、様子見をしたというのが正直なところ。主計は様子見などしない、態のいい先駆けになる。

 もしも主計の手で一刀に切り伏せられたのなら、それまでの相手だっただけのこと。功を欲するのはやぶさかではないが、逸るほどもないというのが直衛の心象だった。

 まずは一見、抜き身を引っさげ間合いを計る主計。猪突猛進な性格に見えても技のと呼ばれるだけあって、基本的に敵を驕りも侮りもしないし全力を尽くしてかかる。

 辻斬り魔はざんばらに髪をふりみだし、いかにもといった錯乱状態。眼光に力なく、動きも精彩を欠いているのか、千鳥に近い。いや、それ以前にこいつは、と直衛は不審を覚える。

 正眼から切っ先を突きつけ間合いを詰めだす主計。主計も同じことを察したろうと、その動きで気づきながらも、真偽を見守る直衛。

 辻斬り魔の片手が伸びる。刀が手からすっぽ抜けてもおかしくないような非常識な振り。瞬時に下がりつつ主計は切っ先でいなし払おうとする、が、珍しく引きつった顔で瞬時に間合いを広げて離れる。

 「主計!!」

 主計の刀の切っ先が飛んでいた。主計の力量を考えればありえない。刃筋どころか力さえ入らないだろう状態での、さして勢いもなかったように見えた一撃が、どうして刀の切っ先を切り飛ばせる。

 一回転するように振り切り、そのまま間合いを異常な動きで詰めてくる辻斬り魔。明らかに動きは素人、剣法のさわりさえ見出せない、そんな相手だというのにこれはなんだ。二重の二人は同時に思う。

 直衛が動く、刀身はすでに抜かれている。居合いなどというような馬鹿らしいことはしない、この状況では堅実さと慎重さが重要だ。そもそも流派や得意手にそのような手もない直衛だが。

 主計へと伸びる凶刃を遮るように刀を振り入れる。鎬で滑らせ辻斬り魔の刃を払いのける。力は異常なほど強いと感じるがやはり技は未熟以前、このまま返す刀で、そう思った瞬間に異様な寒気。直衛は刀を放り出して飛びのいた。

 かすった額が割れて血が撒かれる。直衛は驚愕するよりも先に、恐怖さえも感じず、怒りを覚える。こいつは詐欺だ、と。

 払われる刀の刃を辻斬り魔は無理矢理に立てた。ただそれだけ。刃を無理矢理にあてがっただけ。それで鋼の刀身が切断された。

 ありえない。いや、ありえていたとしても、ふざけている。それではまるで触れるは全て切り裂く魔剣ではないか。

 目の前にあるのは、しかしそれ以外の何物でもない。ならば、どうするか。

 瞬時に二人は理解し、納得しない信じない以前に受け入れた、主義主張は思考の二の次だ。あるのはただ怜悧な戦術と体動かす戦意のみ。他はいらじと、ただ往くのみ。

 額の割れた直衛へと追いつく凶刃、予備の脇差を抜く暇がない。しかし直衛は冷静に脇差を抜き放つ。無理矢理に跳んできた主計の両足の蹴りが辻斬り魔を吹き飛ばす。見ていなかった、しかし動くのはわかっていた。信じていたのではない、知っていた、そのぐらいのことだ。

 無理な体勢からの飛び蹴りに転がる主計。辻斬り魔は吹き飛ばされて離されたが、信じがたいことに転がりながら地面を叩き跳ね起きる。あれでは体に負担が掛かるどころか、壊れていて不思議はない。それでも動きは緩まない。

 驚きはない、ただ有利に事態が動かなかっただけ、それ以上は思考に値しない。脇差を八双気味に切っ先を下に向け構える。向かってくる辻斬り魔に真っ向から相対する。大上段から魔剣が袈裟斬りで落ちる。

 幾ら刀が化物でも、使い手が常軌を逸していても、所詮は素人剣法。軌道は透けて見えるし、隙が多すぎる。掻い潜るように懐に潜ってかわし、同時に突きを放つ。脇腹に突き刺さり、抉るように抜ける。

 普通ならばそれで終わり。運が悪ければ内臓損傷の大量出血ですぐにショック死、運が良くても出血死は免れないだろうし、でなくともほぼ動けなくなることは確実。だが、動く。

 落ちた刀が返ってくる。防げないわけではない、しかし受け流すことが出来ない、受けてはもろとも切り裂かれる。だから直衛は転がって、前転し、無理矢理に振り返らずに抜けていた。背を切り裂けずに魔剣は振りぬかれる。

 そこへ体勢を立て直した主計が疾る。担ぐような大上段からの振り下ろし。だが間合いがわずかに遠い、辻斬り魔には届かない。臆したわけではなく当然狙い通り。さらに返す刀で主計へと振り下ろしてきた刃に、その上から峰へかぶせるように落としたのだ。地面へ叩きつけられ突き刺さる魔剣。

 あの切れ味で豆腐をすくうように、すぐに地面からは抜けるだろう。しかし叩き落した主計の刀がすでに返っていて逆袈裟気味に抜ける。首筋から血飛沫、動脈を絶った。普通なら死ぬ、確実に死ぬ。それでも、動く。

 囲みが縮む。二人以外の人員が様子を察して包囲をつめてきた。動いているが長くはもたない。それに賭けて取り押さえる気か。だが、それではおそらく犠牲が出ると、直衛は制し任せろと頭を振る。

 直衛の前に主計が立つ。その顔は嗤っていた。いや、何かが違う、と直衛は気づく。この状況が楽しいからではない。

 こんな無様で、貧弱で、器物に頼るしかないような相手と死合って、何が楽しい。いや、死合いですらない。おそらく相手は命さえ賭けていない。ただ熱に浮かされたように鬼と化しているだけだろう。そう、――まるで刀に取り付かれでもしたかのように。

 「っ、主計!!」

 気づいた。直衛は止めようと叫ぶが、主計は振り返りもしない。それ以前に辻斬り魔が雄叫び上げて斬りかかってきていた。主計は無防備、一直線に走る、どうなるか知っている動き。

 罵声を内心で上げながら動くしかない直衛。主計に並ぶ。落ちてくる振り抜かれた刀身、横合いより一閃を走らせる直衛。弾くように受け流し、跳ね上げようとするが、無理矢理刃を立てた刀身が切り落とす。鋼が断ち割れる、その瞬間主計の刀も翻る。

 手首が飛んだ。握られた魔剣、いや、妖刀を硬く握ったまま飛んで落ちていく。その間に奥へと歩を進めていた主計の二の太刀が辻斬り魔の胴を薙ぐ。致命傷に継ぐ致命傷、確認すら必要ないだろうが、確認すらせず主計は奥へ。

 支えを失ったかのように辻斬り魔が転んで、そして二度と立ち上がらないし、動かない。糸が切れるようにおそらく死んだ。だが、直衛は途中で断ち割れた脇差を降ろさない。むしろ掲げ直す。

 「止まれ、主計」

 声は背に止まるが、背に止まっただけで心は動かさない。腰を落として転がった刀を拾い上げ、握って放さない手首を払い落とす主計。

 「おいおい、どうした、直衛、もう終わったぞ?折れていようが、もういいだろうが、刀は、なぁ。降ろせよ」

 嗤っている。そして嗤い出す。どちらの狂気だ、考えたくもない、直衛はそう思い顔をしかめる。

 「そいつを、捨てろ」

 「捨てなきゃ、なんだ?どうするって?」

 聞くのかそれを。手遅れか、魅入られている?ああ、だから妖刀なんだろうな、そいつは。直衛は無言になって間合いを一歩、一歩、つめる。

 「おい」

 主計が舌打ちするかのように、しかし何故か喜色が浮かんでいるかのように、一声。直衛は止まってしまう。いや、竦んだ。

 囲みが再び動き出していた。囲みを解くためではない、異変に気づいて包囲しなおすために。

 主計が妖刀を振る。血糊が飛んで、その鈍い輝きの刀身が地金を晒す。ただそれだけでその場の全員が凍りついた。

 「おいおい、なんだよこいつぁ。辻斬りはもう退治したろ。物騒なもんは納めようや」

 そう言う本人が刀を納めない。片手で弄びだす始末。悪寒が直衛を支配している。手から脇差が滑り落ちる、はっとして真心に気づく直衛。

 さっきの辻斬りは素人だった。どこかで、それこそもののはずみでその妖刀を手にしたのではないか。そして魅入られてしまった。それはいい。もはや些細なことだ。

 ただ、素人ではない、それこそ技量に優れた本物の剣客がその妖刀を手にしたなら?あまつさえ、鬼となってしまったなら?

 素人の振った剣とはいえ、剣速が十分乗っている刃に振りを合わせて叩き落してみせ、手首とはいえ骨すら絶つ、その技量。ましてや直衛はそんな程度どころではないと知っている。

 断ち割れた脇差で立ち向かおうなどというのは、馬鹿げている。だから取り落としたのはいい。ただ、足が徐々に後ずさっているのは何故か。直衛はすでに知っていた。

 脱兎する。思考が追いついたときには、直衛はすでに退転していた。他の大勢が凍りついたように動けないのを尻目に、ただ逃げる。

 「直衛ぇ!!」

 主計の声が雄叫びのように聞こえる。事実、絶叫が同時にあがっているのも聞こえる。直衛は振り向かない、絶対に振りかえらないと決めていた。

 「俺は、待っているぞ!!」

 だから、後追うように聞こえたその言葉にも、直衛は振り返らなかった。

 

 追って沙汰が下る。そう下命を受け蟄居すること三日。事態は急変した。

 直衛にとっては予想できていたことだった。

 あの場から生還したのは直衛一人ではなかった、が、たとえ事実が語られていなくとも、生きて帰っただけであの場、あの状況では罪だったろう。

 よくてお家取り潰し、順当にいって自害、悪ければ打ち首獄門すらありえたかもしれない。

 しかしそんなことは直衛の意識の片隅にはあっても、実際に気にしていたかといえば、まさしく否だった。

 そんなことを気にする前に、訪れるべき現実がある。

 (・・・主計)

 直衛は一度たりとも、何故か、とは問わなかった。想像上の相手にさえ、いや、だからこそか。

 何度も何度も、あの夜以来、直衛が想像上の相手に対して思い浮かべていたのは、ただ一つのことのみだった。

 「――直衛様!!」

 側役の堂太が正座し瞑目し続ける直衛の下へと、戸を勢いよく開け放ち息せき切って入ってきた。よほど急いだのだろう、普段ならば何らかの合図をしてから入ってくる。

 直衛は毛ほども動揺しない。それどころか妙に冷めた態度で未だに目すら空けずに、伏せたままで言った。

 「斬れ、と言われたか?いや、それならお前もそこまで慌てんだろうな、今更のことだ。なら、・・・はしら殿か」

 堂太が目をむいて息をつめる。同時に吐き出そうとしたのだろうが、出来はしなかった。

 「まぁ・・・だろうな。あの奥方ならば、そうするだろう」

 ひきつるように、慟哭するように、堂太は叫びを上げようとするが、声がでない。出さなかった。直衛の心情を図りかねてはいたが、何か違うのだと、そう気づいた。少なくとも、堂太はそのように思いたかったのだろう。

 実際その通りか。いや、違う。しかし冷淡でもなければ、無感動だったわけでもない。単に直衛はすでに、知っていた、だけのこと。

 はしら、というあの女人ならば、自死を選ぶ。そうだろうと。

 「どうして、どうして、自害、など・・・」

 堂太は何故か涙を流し、くやしげに感情を直衛にぶつけてきた。答えてやるのは簡単だ。だが、それに意味はない。求められているのはそんなことではない。返せるものも、そこにはない。

 だからこそ直衛は怒りさえもたない。

 「――堂太よ。指示したものは集めたか?」

 他事にとらわれずに、ただ必要なことを聞く。直衛の問いに、堂太は必要以上の、今や別物と化しただろう感情で答える。

 「はい。ありったけを。やってくださいますか」

 静かに、力強く、暗い期待に満ちた声で堂太は撃てば響くように言い切った。ああ、その期待は間違っている、必ず裏切られる、それ以前の問題ですらある。だが、それでいい。人はつまりそういうものだ。

 だから主計は鬼となり、俺は逃げて、はしらは死を選んだ。同じだ。直衛は思う。

 直衛は目を開き、顔をゆがめて涙で濡らしぐじゃぐじゃにした堂太を直視する。

 「・・・何人、斬られた?」

 「もう、数えては・・・・・・。酷い有様です。機に乗じて無法に走る者までいる始末で・・・。なのに、上はまだ直衛様を繋いでおいて!!」

 主計はあれからも斬り続けている。夜どころか昼にさえ。

 三日。それだけあればどうなるか、目に見えている。正攻法であれに勝てるものなどいはしない。

 文字通りの虐殺以外に何も残るものはない。

 もっとも、藩が本当に犠牲を厭わずに持久戦に持ち込めば、あるいは、だが。踏ん切るには、そうとうの狂気か鬼気、あるいは冷淡さが必要だろう。そもそも志願したいものが、この太平の世にいくらいるか。主計の体が弱るまで、その体力を奪うために、休ませることなく『斬られ続ける』など、出来ようはずもない。

 ならば圧殺すればいい。数で押せばいかな妖刀だろうが、無意味。ただ単によく切れるだけ、それだけの代物では数には勝てない。しかし主計もそれは理解しているのだろうから、安易に持ち込ませるとは思えないし。どちらにせよ相当数は斬られるだろうことは目に見えているのだから、踏ん切りは簡単につかないだろう。

 つけたときにはもう遅いか。もっと事態は悪化しているだろう。

 ただ、いずれはそのような幕切れを迎えることは目に見えている。主計は無敵だが、勝ち目はない。

 たかが妖刀、されど妖刀、本当にその程度。

 藩を傾けることすら出来ないし、大事を成すには剣では無意味。

 主計の目的。そこにはそんな考えなど入る余地もないだろうが。

 そんなことはどうでもいい、のだ。

 だから直衛も、もはや気にするべきものではない、そう考えていた。

 「沙汰はいずれは降りるだろう。しかし、・・・もはや待つまでもない」

 一人が駄目なら二人。二人が駄目なら三人に。そのように数を出すにしても最初から軍団規模の必殺を期した仰々しいことはしないだろう。それがいたずらに被害を拡大させる、ただの愚昧だろうがなんだろうが、命の勘定では仕方ない。狂っているのが通常の算盤だ。

 だから直衛に声が掛かるのも、もしかしたなら逃げたにせよ比肩しうる腕前ならば、と重い思考が仕方なしに鉈を振るったときだろう。

 別にそれまで待っても、なんの問題も直衛にはなかった。

 ただ、主計には都合が悪かろう。時がたつほど主計は不利になっていく一方だ。

 だから、準備が整ったならば、待つ必要は何もない。他に考慮するべきことはもうないのだから。

 主計と同じく。

 直衛は立ち上がり、傍らに置いていた刀を手にする。

 堂太は頷き、感涙にむせび泣くように顔面をゆがめながら、力強く拳を握って応えた。

 なんのために逃げたのか。その答えは直衛の心に明確にあったが、実のところを直衛さえ見違えていたことに、気づけるものなどいはしなかったが。

 外から見れば、あまりに明白なことだったろう。

 

 ***

 

 世が太平と呼ばれるようになってから、幾年月経ったか。

 封建制による支配構造の確立が功を奏し、身分の明確化と固定化に成功し、変化の少ない緩やかな社会が出来上がっている。

 良いことなのか悪いことなのか、その時点どころか、いつになろうとあえて問うべきでないだろう。

 後世の歴史家が判断することでさえ、その時代の観念から見たおかしな判断に過ぎない。個々人にとってその時その時の幸福の総量以外に、絶対の基準はないだろうからだ。

 ただ、本当に世は太平だったろうか?

 主計や直衛は戦場を知らない。

 人を斬ったことは、あった。

 しかし命を奪ったことがあるのと、戦争をしたことがあるかどうかでは、意味合いがまるで違う。

 子供が虫を遊びで殺すのと、獣に追い詰められて返り討つこと、そのぐらいの違いがある。

 殺すのは簡単なのだ。殺人は人間の伝統だ。同種殺しや同族殺しは他の種にしても枚挙に暇がないが、人間もまた準じるように同じなのだ。

 というよりも、物理的に生命があるならば、死ぬ。死ぬのならば、殺せる。それが自明だ。

 だから殺せることになんの不思議も大した意味もありはしない。

 ただ戦争は違う。戦うということには、意味や目的が必要だ。

 魔が差して、あるいはつい頭にきて、殺してしまった。というだけでも意味や目的はある、のかもしれない。

 ただ、それは生命として、生物として、当たり前のことだ。

 思って実行する。ただそれだけのことだ。

 戦争は違う、そんなことでは行われない。根本に生命の存在があるからこそだが、その生命、あるいは個の思惑を越えたところにある集合意識、社会などの外側の概念に指向されて、個が振り回されることで感化され志向されて現象となって起きるものだからだ。

 つまるところ、自らの考えや思惑以上の何かに理不尽に突き動かされることで、追い詰められて行うのが戦争行動だと言える。

 逆に言えば、だからこそ個が意図的に追い詰めることで、全体を引きずって戦争というものを引き起こすことが出来るのだが。

 肝心要なのは理不尽であるかないか、ということ。

 自由意志とは何であるかを云々するのは別にして、意思に反して行われる、行わなくてはならない、そういった極限状況に追いやられること、というよりは、『楽しくない』ということが肝要なのだ。

 戦争を楽しむ人間もいるが、それは状況を個人として楽しんでいるというだけだ。楽しい戦争、である時点で、それは戦争ではなくその個人のための遊びなのだ。

 だから望んで斬った、求めて斬った、というのと、しなければいけないから斬らざるを得なかった、ということとの違いこそが問題なのだ。

 主計と直衛がかつて人を斬った時、そこには理不尽があったのか。

 状況としてはお咎めなしだった時点で知れることだが、決して両人の意向通りに行われた仕儀ではなかった。

 が、両人は望んで、願って、求め、行った。

 理不尽とは呼ばないし、呼べない。遠いどころか、真逆だ。

 武を、剣の道を、歩むものとしての興味や必要性からしたまでのこと。実のところその程度。

 武人としては正しい、と思われる。が、果たしてそうか?

 楽しんで武器を振れる時点で、それはもう、遊びである。

 武とはすなわちそういうものだ、などという真があるにしても。

 戦争経験者の一部、特に被害者に属するものは声を大にしてよくぞ言う、「あんな悲惨なものは二度と行うべきでも、起こすべきでもない」と。

 しかしその声は全てに届かず、ある種の人間達には流される。

 それは少数ではなく、実のところか半数にくだらないほど。どころか、実際に心に刻めたものとそうでないものを篩い分ければ、百人に一人も残るまい。

 簡単な話で、実感がないからだ。

 その人の感想はその人のみの感想で、人にとってはその感想を咀嚼した自分の感想にする。そんな当たり前の話以前に、人生を楽しんでいるからだ。

 星の数ほども男女がいる中で、たかが一人に大した理由も意味もなく懸想して、挙句に告白して振られたからといって、それが全てだったとばかりに心が砕けたと、不幸の理由にする。本当の自身の心を詮索さえせず決め付けてしまう。それほどに。

 極端な例ではあるし、不幸の重さに比重をつけるのは愚かだが、不幸でさえない不幸に酔えるという点で、多くは同じではある。

 それは仕方がない、そうあることが、自分の自身の心の比重で全てを判断することが、平和の内ではすべからく許されているのだから。自分の不幸を、自分の尺度で判じて語るのは当然だ。

 平和であるとは、幸福であるとは、そういうことなのだから。

 それ故に実感がないし、持てないというより、持たない。持つ必要がない。

 不幸を感じて、わざわざ理不尽に浸るなど、それこそ馬鹿のすることだからと。

 そもそも誰でも大なり小なり、そうでないわけがないということもある。人間とは、生物とは、そういうものだ。

 ただ、それは理不尽ではないのか?

 世は太平、多くのものが理不尽に社会の法や因習に囚われながらも、その理不尽になれて、あるいは気にもせず、むしろ好都合と楽しんでいる。

 故に太平。少数の怨嗟は常にある、そんなものは埒外だ。

 ただ、その太平の世と、その昔の戦乱の世と、何が違うのか?

 大いに違うが、おそらくではなく、違いなどない。

 忘れてはいけない、忘れたとしても変わりもないと。

 戦争は起こらない、起こってもいない、今もその世は太平の内にあるのだと。

 平和が人を殺さないなどと、誰が言ったと嘲るのも、その内に。

 

 ***

 

 同道の最中、直衛は呼び止められた。

 相手は雪村ゆきむら 五六ごろく、火付盗賊改の与力。こんな事態の城下で、夜半にしては珍しく一人。

 いや、わざとか。と、直衛は目を細める。

 「あいや、悪いな。邪魔のつもりはないんだよ。ほれ、この通り、な」

 両手を広げて脇を示し、共がいないことを示す五六。

 「・・・察しは、つきます」

 迂遠な話は必要がないと、そう言外に直衛は返した。見て取っただけでおおよそのことは把握出来たからだ。

 「ほう?貴殿とは、まぁ顔見知り程度だったが、なるほどなるほど、話に聞いていたより中々というわけですかな」

 頭頂をぺちんと一叩きで道化のように振舞うが、五六のその目は初見よりも危険な光に彩られた。思惑を隠す気がないな、と相手の立場を思い知る直衛。

 五六は一見うだつの上がらない風采で、その態度も飄々だが、実際は送り狼のようなもので間違いがない。

 「・・・急ぎですので、これで」

 それでも今や立場など。直衛は一言言い捨てると、その場を置いて先へ行こうとした。

 「いやいやいや、止めているのはわかるでしょうに。というよりも、今の立場、わかってますよね?それがどうして、というところですよ、ええ」

 堂太が目配せを送りながら五六の前に立ちふさがろうとする。自分が食い止めるから行ってくださいとでも言いたいのだろう。それを手で制する直衛。

 「察しはついていると言い置きましたね。それで十分でしょう。どうしてもと言うなら、鬼がもう一匹増えることにもなりましょう」

 瞠目する堂太。五六は返った言葉に少し目を丸くするが、一瞬、あっさりと笑みを浮かべてぽんと手を打った。

 「これはこれは、さいですか。いえね、別に止める気はないんですよ。その点はご安心してください。ただ、手前も同道させてもらいたいんですよ。よろしいですかな?」

 笑っているが、これを笑みと思う輩はいまい。笑みは本来攻撃的なものであると言われるが、それは能動的だという意味においてだ。実際には笑みは笑みとして通常考えられている意味であっているし、解釈に問題がない。だからこそ、五六の笑みは笑みではない。

 「・・・・・・いいでしょう」

 直衛はだから読み違えたことに気づいた。故に首肯した。短く言い捨てると、そのまま先へと進みだす。勝手についてくるなら来るがいいと、背で語り。

 堂太は訳がわからない風で、しかし直衛が許すならばと、すぐに後を追い出す。

 雪村五六は再び笑った。そして何も言わずに後を追う。一瞬背後に一瞥くれて。

 まさか一人のわけがない。火急のときに用のないことはしない。だとすれば、知れたことだということだった。

 だが、それはそれで都合がいいときもある。それだけの話で。

 

 一行に会話はなく、人気の絶えた通りを過ぎる。

 市中廻りの灯すら見えない。

 静かだ。静かに過ぎる。まるであつらえたかのように。

 直衛はだからか迷えなかった。何かに導かれるように人気のない郊外へと入り込んでいく。

 川べりの芒野原。月下の下で光の露に濡れて陰に伏せ、一人の鬼が茫漠と在る。五六と堂太が凍りついたように動きを止めた。直衛は違う。

 「・・・待たせたな」

 第一声は直衛から放った。

 ゆらりと傾いて動きだし、影だった鬼の面が上がる。主計の瞳に力はなく、顔どころか全身返り血に汚れ格好は襤褸同然、まるで生気が感じられない。疲労の色が濃いせいだと、誰でもわかる。手負いの獣というには、すでに追い詰められた後か。

 「あぁ、――待った」

 泣き出しそうな、そんな声が返る。だが、込められたのは紛れもない喜色。そしてみすぼらしいはずのその姿から、堂太どころか、五六も後じさるほどの鬼気が迫る。

 それでも堂太は歯を食いしばり、背に負っていた篭を降ろして包みを取り去る。そこには十数本はあろうかという打刀の群。それが直衛が指示していた用意の正体。

 「・・・話せる、のか?」

 五六が冷や汗流しつつ、心底驚いたかのように呟いた。何かこちらが知らないことを知っているらしい、と直衛は察する。しかし今はどうでもいいことだ。

 腰のものを抜く。白刃が月光を鈍く受け止める。言葉はこれ以上ない。あとはもう交わすだけ。直衛は呼気すら吐かずに、端緒を割った。

 芒が舞う。主計が無造作に下げていた妖刀が払われて、構えへ移行したのだ。正眼、狂気に飲まれた動きではない。足運びも切れている。

 直衛が笑った。破顔したといってもいい。そして瞬時に冷めた顔に戻って、目つき鋭く睨み据える。

 「・・・・・・はしら殿は、自刃なされたぞ」

 冷や水をかけるように、誰にとでもなく呟くが如く、ふと思い出してみたように直衛は言った。主計は動きをほんの刹那止め、悲しむように目を伏せながら、しかし浅く微笑んだ。

 夫の所業にいたたまれなくなって、ではないと知っている。そんなに気弱で浅はかな人ではなかった。

 一蓮托生で罪を償ったか、あるいは累が及ぶ前に事を成したか、というのも違うだろう。それならば相応の言伝でも残すだろうし、そもそも今回のような罪が係累に及ぶとするのはこの時代ですらすでに時代錯誤。

 ではどうしてかと考えれば、主計のためだろう。

 生きていれば主計の道行きに邪魔となろう。ただそれだけのことだ。

 人質として使われるとしても、ただ生きていて心残りになるにせよ、主計は揺るがなかったろうが、そんな些細なことすら嫌ったに違いない。

 少なくとも直衛と主計の二人はそう解釈した。

 だからというわけでもないが、悲しみはあっても嘆くようなことではない、受け止めて終わり、それだけの話。

 そもそも今の二人には縁の切れた、過ぎ去った世界の話でもある。だからその程度。

 その程度のよそ事を前にして、踏む二の足はない、が、それでも数瞬だけ揺らいだ。そのぐらいには重かった。おそらくそれは他に多くの世界がない人間にとっては、半分ほどの、といえるほど。

 それでも、その程度。

 伏せた目線を通すと同時、主計の剣閃が迸る。直衛は大きく後ろに下がって一合も合わさずに回避する。

 しかし読んでいたというよりもわかりきっていたか、主計の振りは小さく、幅を浅くに振り回すように追いかけてくる。普通なら踏み込んでいなして簡単に切り込める、浅はかな攻め方。しかし直衛には踏み込めない。

 剣を合わせることが出来ない、打ち合ってはいけない、そうすれば負ける。刃に触れただけで刀は紙切れ同然なのだから。妖刀の存在が圧倒的に立ちふさがっているのだ。

 だとしても逃げ続けることも不可能。追い詰められれば受けるしかない。迫る刃に直衛は手を出した。

 体ごとぶつかるように踏み込んで行き、振るのではなく、明確に盾にするように腹にあわせて鎬と鎬をこするようにぶつける直衛。瞬時に鍔迫り合いに移行するように崩していこうとするが、瞬間すべるようにして刃が立てられる。

 割れる金属音すらなく二つになっていく直衛の刀、すでに予期していた直衛は刀を切られながらも斬線からずれてかわす。問題は返る刃。押し付けていただけの刃なればこそ、返す刃に振りが必要、普通ならそのはず、だが、妖刀ならばこれもまた。

 押し付けられる刃に、腰の鞘を跳ね上げ阻む直衛。その鞘さえすぐに刃を立てて斬り通してこようとするが、断ち割れた刀をさらに打ちつけ跳ね除ける。出来た隙に直衛は一気に間合いを開くように飛びのいた。

 逃れた先で断たれた刀を捨て、同時に背後から投げ入れられたものを直衛は掴む。用意してきた刀の一本を堂太が投げたのだ。このための用意。しかしそれは当然の用意かもだが、秘策では断じてないし、勝利へ手を伸ばせるものではない。

 直衛が以前に逃げたのはなんのためか。

 勝てないと判断したからに他ならず、逃げたのに舞い戻っているというならば、その心はおのずと知れる。

 掴んだ鞘から直衛が白刃を抜く。仕切りなおし。主計は余裕を見せるように踏み込んでこない、待っている。だがそれこそ直衛にとってやりづらい。守るに易くというよりも、妖刀の存在は守勢でさえ攻め込んだ相手への攻勢へとなりえるからだ。攻めてこられても困ることに違いはないが。

 抜いたのに直衛は鞘を捨てずに構えた。二刀流のような変則の構え。どうせ斬られるならば刀と鞘に違いはない、そうとでも言うような。しかし二重の流派に二刀はあらず、付け焼刃。

 ただ、そもそも技量では直衛は主計に及ばない。それは技の主計と、力の直衛と呼ばれたことからも自明。外見や言動だけの印象ならば、いかつく豪放磊落な主計が力に寄っていると見えるし、実際にその躯体に見合った膂力を主計は持つ。

 それでも直衛の細身に詰まった筋量は、主計と組み合えば組み伏せられるほどに鍛え抜かれていた。技よりも体力、基礎の訓練に比重を置いた結果だ。主計は恵まれた体躯から技に寄り、恵まれない体躯から直衛は力を求めた、それだけのこと。

 ただ、現在においては妖刀によって抑制を解かれた主計の力は直衛と互角か、あるいはそれ以上に違いない。だとするなら技で分がある分直衛の不利は否めない。そこに妖刀があればなおさらに過ぎる。

 剣術もまた他と同じく心技体の複合で決まる、運動競技の一種に違いない。斬れるか斬られるかの精神論は実際において別問題で、益体もない。心は故に戦術のことだと言える。技と体で負けているならば、そこでなんとかする他ない。

 直衛に策はあるか?無論ある。ただ、実行できるかどうかは、出来てみてからでなければなんとも言えまい。

 二刀は策のうちか、といえば、答えは否。ただのその場の即興だった。しかしそれでこそ、力のと呼ばれた直衛の、らしさ。剛よく柔を制する道が彼の我道。

 技では絶対に主計に勝てまい。それが直衛の結論。だとするなら力押し以外に方はない。

 しかし単純な力押しでは、それもまた絶対に勝てない。技以上に妖刀があるからだ。技というよりも策で詰めて倒す以外にどうしようもないのだ。

 文字通りの小手先の技ではどうか?相手を殺すよりも無力化するために、刀を振るうために前へ出る手首などを狙い打つ方法なども直衛は考えたが、逆撃をこうむるのが落ちだろう。小手先の技が小手先と言われる最大の所以は、その狙いを逆用された場合一気に押し込まれかねないからだ。命と相手の負傷を秤に賭けるのは、この際上手くない。主計を止めるために来たのではないのだから。

 最大効力を発揮する攻撃である突きで攻めるとしても同様。繰り出すのは速く、斬線を気にする必要もないことから殺傷力は高いが、点の攻撃であるのと、突き込んだ後に無防備になりやすいことから、必殺出来なければ不利に過ぎる。技量の差が在る以上、読まれること前提では不用意に放てない。読まれるのを承知で平突きで薙ぎ払うのを前提にしたとしても、これもまた妖刀がある以上伸びた刀自体を狙って斬られれば終わる。二段構えの動作では遅すぎるのだ。

 技の優劣では追い込めないし、そもそも刃を合わせることが出来ない。

 刀での攻防は、もとより刃同士を直接ぶつけ合うものではない。刃の腹、鎬と呼ばれる、大雑把に菱形とした刃の前部、尖端ではなく側面の平たい山の部分を基本は使い、相手の刀と交える。鎬を削る、と形容されるようにぶつけ合うというよりも、鎬を当てあい、相手の刀を払うのが基本なのだ。

 そして刀で切るには「引き」が重要だ。刃を押し当てただけでも切れるには切れるだろうが、肌を裂く程度に過ぎない。肉を絶って、あるいは骨すら断とうとするならば、包丁で刺身を切るように、対象にあてがった刃を引いて滑らせなければ切り裂くことなど叶わない。素人が刀で巻き藁を斬ることさえ難しい、とされ実際そうなのは、西洋剣などと違い重さで叩きつけて潰し切るのではなく、そのように引いて斬るためなのだ。だからこそ刀には反りがあるし、忍者刀のような特殊用途が存在しない限り直刀にして強度を第一としていないのだ。鎧などの防具を想定していない時代で主にされた、レイピアなどと同じような思想の元から生まれた武器であることも含めて。

 そう、刀は柔い。刃部分は特に消耗が激しい。達人が骨などを避けて斬線を通し、極力傷つけないように二、三人斬って捨てても、人脂で汚れただけで切れ味が落ちるというほどに。実際に刃部分で打ち合わないのは、打ち付けるには狭いという以上に、刃の消耗を防ぐ目的がある。

 だからこそ鎬での払い合いや打ち合いが主となり、斬りに行く時でさえ腹を盾にするように刀を振るうことが剣術の要の一つといえる。現代剣道などが、木刀や袋竹刀などの非殺傷訓練具を主にした剣法によって競技化していることよりも、そうした刃としての刀の概念、想定した技術が存在しないからこそ別物と言われるのだ。それが優劣の問題に繋がるものではないが。

 直衛はその鎬の払いや打ち合いでは、主計には勝てない。さらには主計のほうは常識を無視して鎬を使わずに刃を直接打ち付けるだけで、刀をそのまま切り落とせる。力技で叩き折るのではなく、斬鉄を可能とするほどの手練がいるとしても、それは刃筋に斬線を通せてこそだろう。させないために動く相手の刀を切ることは、素人剣法相手でなければ普通は不可能に近い。それが技術も糞もなく、押し付けるだけでさえ斯様に容易く可能なのだ。反則にも程がある。

 別にまともに戦わず、無茶に打ち合い、主計の妖刀を叩き折ればいい、と考えても。相手の刀の強度はどれほどのものか知れたものではないし、そもそも相手の切れ味が、と堂々巡りだ。

 では直衛は相手の刀と一度も合わせることなく、刃を主計の身に届かせるしかないのか?

 実際その通りとも言えるが、それがどれほどの難事かは、今まで出来ていない時点で十分にわかること。出来ればすでにやっている。そう言うまでもない話だ。

 たとえば有名な超攻撃的剣術に、示現流がある。大上段どころか、担ぐように刀を構えて、気合の雄叫びを上げながら吶喊し、勢いもろともで相手が振るより早く振り切り、初段で全てを決する考えの、二の太刀いらず、雲耀とも呼ばれる剣法だ。

 それは剣術、というよりも武道における最大の正答の一つであり、先の先を取ることは全てを制するに通じるといっても過言ではない。だが、実際にそれが完璧に出来るならば、だ。

 二の太刀いらず、はつまるところ、二の太刀を出すような状況になる時は、すでに負けて死んでいるだろう、だから一撃で倒せ、という意味でもあるのだ。大上段から全てを賭けて一撃振り落として、絶対に殺す。それが出来なければ隙だらけで、胴でもなんでも薙いでくださいと、そう頼んでいるに等しいわけだ。

 覚悟はあるか。武士道とは死ぬことと見つけたり、などというような葉隠に書かれていることを間違った解釈で認識するような意味でではなく。本当の意味で、死ぬのを前提としただけの生の覚悟は直衛は持っている。でなければ今ここにいない。ならば賭けてみればいい、そう思うか?

 成功する確率、などという生易しいものではない、失敗が技量の差から目に見えているのだ。いくら力が上でも、剣速は技量で読んで埋めることが出来てしまう。そもそもそこまでの差が簡単に出来るものではない。ましてや今の主計の身体能力には抑制が効いていないし、妖刀もある。吶喊、馬鹿のすることだ。勝つ気があるならば、他にも方があるならば、下策にも程があるし、選ぶべきではない。

 本当に覚悟があるならば、自らの最大の得手で潔く挑むべきだし、そうするしかない。

 だから、すなわち力押しだ。

 一歩出る。摺り足が下地をけたぐる。直衛はするすると間合いを潰した。

 対する主計は泰然と出方を待つのみで、動きもしない。

 先に出るのは鞘のほう、振りかぶるのですらなく前へと突きつけるように。直衛は後から追うように抜き身を突きつけ、両刀をかざして主計の間合いへ入る。

 二刀流の基本は、片方を盾としてもう片方で相手の刀を受けながら打ち込むか、逆に一方で攻撃し受けさせている間にもう一方でさらに打ち込むか、とにかく二刀の連動、攻防の複合、交差法を簡易に実現するような動きにある。直衛の動きは一応はその基本を踏襲する気があるように見えるが、どうも一貫性が感じ取れない。

 主計も主計で振りかぶることすらなく、一見投げやりに見える動きで正眼で妖刀を前にしたまま直衛への踏み込みに合わせた。しかしこれは正しい、妖刀で押し込むだけで効果があるのだから。無闇に振り抜き隙を作る意味がない。

 直衛は主計の刀をまともに受けることが出来ない。これはわかっていること。ならば最初に手を出して相手に受けさせる、これが肝要のはずだ。しかし前に鞘を出した挙句、振りぬいていかないのでは話にならない。もしも受けて返すつもりだとしても、前に出しているのではどうぞ斬ってくださいといっているに等しい。

 実際、斬られた。鞘と押し込んできた主計の妖刀がぶつかり、透過する様に割れていく。だが、その瞬間を待っていたかのように、ではなく、待っていた直衛が反応して鞘を押し上げる。一瞬の抵抗、にしかなれないが、妖刀の腹を捉えた鞘の断面が引っ掛けたのだ。振りぬかれていては出来ない芸当、狙いはこれだった。

 すかさず直衛の抜き身が突くように重ねられ、妖刀を挟んでいる。一瞬の遅滞の隙に本来ならば主計を直接狙うのが定石だ。しかしそれでは今までどおり妖刀の切れ味だけで対処されてしまう。主計自身よりもまずは妖刀をどうにかしなくてはならない。だから最初から二刀は妖刀を止めるためだけにあった。

 鞘と刀で妖刀を挟み込んで止め、そのまま組み打っていこうとする直衛。技では勝てない、なら正答はこれしかない。そのまま鍔迫り合いの体勢へ移行しようとする。

 剣術において体力はもちろん必要だが、斬るためにすら技術がいることからわかるように、術としてみるならば技が一番重要だといえる。むしろ余計な筋力をつけすぎることは問題になるほどに。ただ、術ではなく実戦で考えれば技よりも体が重要な場合は多い。

 その一つにして、最たるものが鍔迫り合い、というよりも組み打ちである。

 鎬を削る過程で相手の刀を払うのではなく、そのまま力押しに押し込み相手の体制を崩す術がある。その際剣の腹と腹を合わせあったままでは体勢が崩れるのは必死なため、鍔元へと接点を移動して相手と組み合う。それは力点を定めるためでもあり、鍔元で相手の刀との接点を増やして防ぎ止めるためでもある。

 押し合い圧し合いの力加減は柔術にも似たもので、技が関係ないわけでもないが、勝負を決めるのは最終的には力による。何故も何も組み打ちを維持するその時点で、相手の刀を動かせぬように防ぎとめるだけの膂力が絶対に必要だからだ。たとえ技でより少ない力で出来るとしても、力があればあるだけ楽であり、有利には違いない。

 ただし、通常通りであるならば直衛の鍛え抜かれた剛力がここぞと活きるはずだが、簡単にはいかない。鍔迫り合いが鍔元で行われるのは、力点を固定するためと、鍔で防ぐためでもある、が、もう一つ鍔元に近い刃はそもそも切るために使われない、というよりも使えないため死んでいるが故に、直接当てあって消耗しようが問題ないからでもあるのだ。

 つまり、通常の鍔迫り合いでは鍔元の刃は鍔に当たっている。だからこそ力点の固定が出来るといってなんの過言もない。飾りと思われがちな鍔だが、かくに重要なものなのだ。だが、妖刀を相手にした場合、鍔を簡単に切り裂いて、押し入ってくるだろう。

 鍔迫り合いに押し込みつつも、実際には鍔を当ててはいけない。そうでなければ文字通り押し切られて、斬って捨てられる。直衛は鎬で押し続けて、切らせないように押し込めるしかないのだ。

 それが幾ら膂力に優れようが、剛力を誇って他を圧倒しようが、無茶苦茶で無理に過ぎる芸当ではあると想像するに容易かろう。

 実際、今度もまた切られた。鍔に食い込んだ刃が徐々に裂かれていくのに耐え切れなくなったか一気に爆ぜ割れるように断たれて飛んだ。

 予期せぬことではなかったことが幸いした。いや、そんな風に逃げ道を残していたせいで押し切れなかったのかもしれない、知らず及び腰だった。直衛は刹那に思いつつ、なんとか妖刀を受け流し、受け道にした鞘がもう使い物にならないほどの短さに割られて落ちる間に、返る刀が刃を向けてくるのに後背に跳びながら刀を投擲してさらに後退。主計はわかっていても、傷つくのを嫌い刀を落とすのを優先して刃の軌道を曲げて防いだ。

 刀の間合いから一瞬逃れることに成功した直衛だが、すぐに主計が追いかけてくる。新たな刀を手にさせないつもりなのは考えるまでもない、体勢的に不利で追いつかれるのは目に見える。どうするか。直衛は無手、無刀取り、などというような芸当は過分にして知らない、というより、出来るほうがどうかしている。どうしようもない。

 刀がそこに抜き身で飛来した。狙いは主計。一本、主計が叩き落す、二本、これも同じく、三本、さらに、だが、追う動きは止まった。そこで間合いをさらに開けて逃れた直衛へ四本目の刀が今度は鞘付きで投げいれられた。堂太の機転だ、直衛は感謝を覚えるどころか考える暇もなく、振り返ることさえせず抜く。

 主計は今度は待たなかった。いや、動きさえ変わった。直衛にしてみればいつもの主計の動きに戻った。そしてそれが一番にやっかいだった。

 前のめりの正眼。切っ先を突きつけるようにしての前進。刀身で間合いを計りつつ、相手の出方への対応も備え、かつ攻めとして相手の懐に分け入っていく、単純にして攻防優れた動き。主計の場合、ここから相手の刀を最小限で払いのけて、掻い潜るように放つ突きが得意手だ。そしてそれは直衛にとって最悪の攻撃だった。払いのける難易度は相手の刀を切ってしまえば格段に落ちるからだ。今の主計にそうやって間合いを詰めさせてはならない。突きを押し込まれるほどに入らせてしまえば終わる。

 直衛はそこで剣法を捨てた。摺り足をやめて、「引き」を得るため、あるいは斬撃に力を入れるために踏ん張る足元を放棄した。駆け出して一気に間合いを誤魔化す。主計は瞬時に構えを変え、前に突き出す上段気味の八双に。防御ではなく攻撃で合わせる気だ。

 直衛はしかし剣法は捨てている。まともに打ち合いにいく気はない。かといって早駆けで斬りつけ力押し、というのも考えてはいない。多数での戦いならばともかく、一対一ではあまり意味がないし、妖刀がある以上進路にそれこそ置かれるだけでどうにでもされる。

 だが、この動きで出来ることといえば、それは吶喊や突進以外にありえない。

 同心円を描くように主計の周りを疾る直衛。刀は下段に引き連れるようにして持っている。肩を先にするように、刀を陰に隠した形で直衛は進路を折れる、当然目標は主計。

 主計は突くように直衛へと刀を伸ばすと、そこから横殴りで斬撃を放つ。合わせるように突きを放つように見せかけて、妖刀の切れ味で進路ごとなますにする気だ。突きを待っていた直衛の読みは外れているし、理解できても動きが反応出来るほどの間があるわけもない、止まらない、止められない。

 しかしそこで直衛は勢い任せて前に跳んだ。本当に剣法も何もあったものではない動き。斬撃を足を上げて飛び越え、体ごとぶつかっていく。

 もつれ、絡む、が倒れない。主計は直衛を受け止めた。妖刀も取り落とさない。すぐに体捌きで体を捻り、妖刀を手元に引き戻して斬りつけようとする。そこに内側から主計を切りつけるのではなく、妖刀の進路を防ぐために直衛の刀が差し込まれた。

 そのまま主計を斬りつけていれば手傷を与えられたかもしれないが、同時に妖刀に切り伏せられていたのは確実。だとすれば相手は負傷でこちらは深手の可能性が高い。いや、必ずそうなったろう。考えればこの動きが最良。そして経過も形も大幅に違うものだったが、直衛の目的は半ば、どころか、目論見以上の形で達成されていた。

 両者内側からの組み打ち。通常ありえないことではある。相手側に刃があり、自分側に相手の刃がある。普通ならばそのまま相手へと刃が向かっていて当たり前で、逆方向に組み打つなど意味がないからだ。わざわざ相手の刀の内側に刀を侵入させてそんな状況を作るぐらいなら、そのまま相手を斬りつけにいくに普通は決まっているからだ。

 主計は直衛を斬りつけにいけば、あっさりと組み打ちを外せる。直衛にしても組み打つことなく、そのまま主計を斬りつけに行けばよい。だからこそ、お互いに刀を引くことが出来ないのだ。お互いの刀を動かさないためだけの膠着を作るために。

 それでも主計は刃を捻って刃を立て直衛の刀を切ればそれでいい、のだが、これもまた内側に相手の刀があるために明後日へ一時的にせよ刀を落とすことになる。それはあまり好ましい状況ではない。だからこそ力と技のせめぎあい、押し合い圧し合いで相手の体勢を崩して勝つことに心力を注がねばならなかった。

 直衛にしても刃は自分の側に向いているとはいえ、組み打ちの接点に刃がこない時点で、先程のように鍔ごと切り落とされることはない。それだけでこの体勢に意味があった。ただし、主計と違って自ら斬りつけに行けば不利でしかなく、相手を崩す以前に体勢を維持するために直衛のほうが無理にでも組み打ち続けなければいけない体勢であるため、どうしようもなく自分から動いて埒を明けるのが難しかった。

 主計が外側に刀を振る、押し込むように直衛は追随する。冷や汗。直衛は技では主計に及ばない、とはこのような力押しにしても、加減が必要な場合に劣るからだ。それでももはや勝機はここにしかない、不退転の心を持つのは今更だった。

 時間をかければ不利、動くしかない、勝負をかけて埒を明ける、直衛は前進の発条に力を込めた。

 瞬間、甲高い鳥の鳴き声を伸ばしたような音が外野で響き、邪魔をした。

 五六が小さな笛を懐から出して吹いている。堂太が何事かと五六を驚いた顔で見ている。まずい。今はまずい。直衛は焦るが、集中を乱されて仕掛けるのが遅れた隙に、主計に押し込まれた。

 体勢が崩れ始める。踏ん張り直衛は持ち直す。主計の顔がすぐ傍にあった。狂気の笑顔、直衛は自分はどんな顔をしているのか、と思う。

 気配が近づいてくる、足音と共に、大勢だ。火灯りをぶら下げた者に続くように現れた者達は筒を下げていた。鉄砲隊だ。

 五六の目的ははじめからこれだったのだ。妖刀に真っ向勝負する必要も、犠牲を出しつつ包囲して押し殺す必要も、銃で囲んで鉄量を持って面で攻撃すればありはしない。ただ、鉄砲を前にして、安易に囲まれてやろうと思う馬鹿はいない。囲まなければ、囲まなくても有効とはいえ、失敗の可能性も高い。逃げられるのが最悪だ。だからこそ直衛に目をつけ、こうして囲め、かつ逃げられない状況を待ったのだ。直衛ごと、だとしても、直衛はすでにそうされても仕方のない身だ。

 包囲が敷かれ、十字に砲火が通るように直衛と主計の二人が焦点とされる。もちろん二段構え。主計も笑いを引っ込め、事態を理解したか不機嫌に目を細めたが、それよりも結局直衛との攻防に集中した。今更、というわけだ。

 直衛は、もう見ないことにした。どうせすぐに終わる。元からそのつもりだった。それだけのことだと。全身に再び力を込めた。

 それでも後は五六の号令を待つだけか、筒先が構えられて火縄が点る。五六は腕を上げて指示をしようとするが、そこに堂太が走りこんだ。

 筒先の火線を遮るように場の中へと踊りこみ、手を広げ堂太は叫んだ。

 「邪魔をするなぁ!!」

 「邪魔だ、小僧ぉ!!」

 五六が怒気も露に駆け込み、連れ戻そうとする。さして時間は食うまい。それでも勝負の時間は作られた。

 爆発するように押し合い圧し合いの力加減を無視して直衛は主計を押し込んだ。一気呵成に対して、主計は引いて勢いを吸収する。直衛はしかし止まらない、体勢が崩れていくのも無視して押し込みをやめない。

 理解不能、それは底知れぬのと表裏一体か?だとしても付き合ってやる必要がないならそれでいい、とばかりに主計は一気に刃を立てて降ろしてみせる。

 根元から切れ飛ぶ直衛の刀身、直衛は無視してさらに押し込む。もはや小柄ほどどころか、簪程度もない切れた刀身が、妖刀を下方へ落としている主計へと迫った。受ければ痛いが、殺すことは絶対に出来まい。その時点で受けて切り返す、それで終わりだろう。主計が思って無理はない。だから直衛の動きを許してしまった。

 切れた刀を放り捨て、直衛は掴んだ。主計の体ではなく、妖刀のその刀身を、峰から被せるように。

 上から止める気か、それに何の意味があるのか?主計は引いて刀を戻そうとするが、動かない。刃に触れたら指でも掌でも切れてしまうために、包み持つことが出来ない。その時点で保持力などたかが知れているはずなのに。

 上から被せられているためか、根元付近に近いからか、いや、それ以前に何か、と主計は違和感に気づきつつも、それでも冷静に動いてしまった。そう、冷静に。

 片手を離して、直衛へ主計は殴りかかる。顔面を狙って、虎爪気味に眼球や鼻、口腔を引っ掛け抉るように腕を振りぬこうとした。

 瞬間、体が浮いた。何が起こったか、片腕で掴んだままの妖刀がその腕ごと振り上げるように持ち上げられたのだ。何が、どうして、どうやったらそんなことが出来る?

 主計は困惑していることに気づき、さらにもっと重大なことに気づいた。直衛の目的は最初から掴むことにあったのだ、妖刀に。何のためにか?妖刀が妖刀だからだ。

 そこに一匹の鬼がいた。

 鬼だった男は、すでに鬼ではなかった。

 振り上げられて、振り払われ、主計は振り落とされた、その刀から。

 そして瞬時に持ち替えた直衛が妖刀を振るって追いかけ、追い抜いた。

 「お、前が、・・・鬼か・・・」

 半身が分かたれる。遅れるように倒れた後に臓物が撒き散らされる。主計は呟くように言った後、もう口さえ開けない。落ちた地面で、物言わなくなった。そのくせ、最後の言葉と表情は――。

 五六は堂太を抱えて引き戻しながら、結末を見て凍り付いていた。

 いや、妖刀を手に佇む直衛を見て、だ。

 

 鬼とは何か。

 

 鬼とはすなわち人のことである。

 人を外れた人のことだとも言える。

 しかしそれは人である。

 魔が差した、と形容されるところの、その『魔』であるのだから。

 外側のよからぬもの、変容した邪悪な何か、だろうと、元は人であり、変わろうと人なのだ。

 例えば鬼子母神などが良い例だ、他人の子を喰らって喰らって、しかし自らの子を拉致されれば悲しみを知り、後に改心したなどというが、改心も何も、喰らっていた時点で何をやいわんだ。

 もっとも有名な鬼である酒呑童子が実在の人物の話から出来た伝承だったかの真偽はともかく、彼の鬼が鬼として語られたのは、何を言わずともその所業によるところで間違いがないだろう。

 が、それが鬼でなければ出来ないか?といえば、答えは否であろう。

 人がそのように振舞えば、それは鬼なのだ。

 鬼とそれでも分けて呼ぶのは、正義と悪を分けたようなもので、人を鬼とは違う、よきものとあしきものだとしたいがためである。

 さて、それで人と鬼は分離されたのだろうか?

 最初から人は鬼で、鬼は人だ。

 振る舞いと結果で、ただ判断されるだけに過ぎない。

 ただ同じものを、同じでないとしただけのことなのだ。

 分離ではなく、ただの区分けである。

 

 直衛は妖刀に触れることで、その妖刀を振るう鬼となった。

 宿主であった主計より上位の鬼となることで、支配権を奪ったのだ。

 辻斬り魔が狂気していたことや、その異常な身体能力や動向で、妖刀が何らかの影響を及ぼしている、というのは誰にでも推測できた。

 だとするならば、と考えるのは、おそらく誰もではないだろう。

 特に相手が握っている刀を自らも握れば、などと考えるようなことは。

 直衛はそれでもそうした。結果こうして成功したとしても、普通出来ることではないし、考えること自体がすでに、だ。

 ただ、そんなことよりも大きな疑問があろう。

 こんな勝ち方でよかったのか、ということだ。

 直衛はなんのために逃げた?なんのために再び戻ってきた?

 おそらくこうでもしなければ勝てなかったろう。ただしそれはもう剣術勝負でもなんでもないものだった。

 単にどちらがより鬼であるか、それだけの勝負だった。

 直衛はそんなことが望みだったのか、そして主計もまたそんな結末を望んだのか?

 おそらく上辺は違った。ただ、実際はそうだった。それだけのこと。

 主計がそうしたように、直衛がそうしたように、剣で勝ちたかったから、その道で己が生の証を打ち立て、生き様を示したかったから、そのために刀を欲したとして、何も間違いはないはずだ。

 そのために、で、本当にあったというならば。

 理由はそうだったはずだし、得る目的も勝つためで間違いがなく、主客転倒は起こしていないように思える。

 現実では往々にして起こることで、最終的に帰結が繋がっていればそれでよいというのは、本当にままあることだ。

 一々それらを主客転倒と呼んでいたのでは、この世のほとんどは主客が転倒していることになる。

 刀に頼らず腕で勝ってこそ意味がある、そんな刀を相手に尋常に勝ってこそ意味がある。そう考えるのが正しいのか、些事に捉われずどんな手を使おうが勝つことに意味があると考えるべきなのか。生死を賭けるのだから当然、いや、逆にだからこそ正々堂々と、どちらを選ぼうと偏重だ。そうすること以外に人に出来ることはありはしない。現実では常に矛盾していても通るのだから矛盾は絶対に存在しないように。

 主客の問題は故に意味がない。現実と結果だけがものをいうと、だから多くで言われるのだ。

 直衛はこれでよかったのか?ただ、問題はそこに集約される。

 地面すら水面のように梳くだろう妖刀が地面に突き立った。地面が留めているのではないだろう、おそらくは突き刺した直衛の意思の産物。

 五六は堂太を羽交い絞めにしながら後退し、周囲を見渡した。鉄砲隊は動きを止めて慄然としているようだが、命じれば動けるだろう。今しかない。

 直衛の様子はしかし狂っているように見えない。狂気が感じられないし、鬼気を発散してもいない、今までと変わらないようにしか思えない。

 なにより直後の行動だ。妖刀に飲まれての行動とは思えない、人を斬ることからは程遠い行動だ。それでも五六が決断する行動は一つしかない。ここまできたなら終わらせるべきだ。

 直衛はすでに結末は理解していた。ここから逃れるのは無理だろう。だからこその行動だった。

 五六が隊列に向かって怒声を轟かしている。立ち直るのはすぐだろう、火縄の交換は控えの列が前に出れば必要がない。もって十数秒。

 その間に直衛は満身の力を込める。筋繊維が断裂するほどの力を込めて、大地を接点にして梃子を傾け、妖刀に負荷を掛ける。折る、そのために。

 堂太が羽交い絞めから逃れて再び叫びを上げている、五六は意も解さずに号令を放っている。筒先が全て直衛に向いた。

 閃光、轟音、白煙、血風が吹き荒れる。十字砲火が直衛の全身に突き刺さった。腕、肩、肘、胸、腹、腰、膝、腿、そして頭、ほぼ全部位が鉄の塊を捻じ込まれた。即死でおかしくない。

 直衛はそれでも動いた。自分の死すら意に介さず、ただ一つのことを成し遂げようと。

 折れろ、折れろ、折れろ、折れろ、折れろ、折れろ、折れろ。それ以外に他はなく。

 たわみ歪み、終には金属音が鈍く轟いた。弾け折れるのでもなく、圧し折れたのでもなく、まるで硬い地面に没し潰されたかのように、粉々と砕けて。

 前のめりに体が傾ぐ、すでにその目に光どころか、射抜かれて顔面が体をなしていない。それでもその表情は嗤っているように見えた。

 堂太の慟哭が高々と響く中、鬼はあっけなく事切れ二度立ち上がらない。哀しみ、それとは別の感情を五六は抱いた。紛れもない戦慄だ。

 これで妖刀はおそらく死んだだろう。次に手にするものが出ることもない、そう絶対に。おそらくそれが最後の行動の目的。

 他の誰にも後には続かせない。犠牲者は最後にする、などというわけでは絶対になく、手にして振るうものが絶対にいなくなるという意味で。最後の使い手が直衛であるという、ただそれだけの。

 勝利か。それが勝利か、と五六には理解できない思考を垣間見て。

 狂気と呼ばれ、鬼とされる。本当に、それは鬼か?

 直衛はどこまでも正気にしか見えなかった、おそらくは主計も。

 彼らが鬼だとするならば・・・。

 五六はその先は考えないことにした。無意味だ。徒労に終わる上に、いらない考えしか残すまい。

 妖刀の出自は五六も詳しくは知らない。元は首切り役が使っていた良く切れる、切れすぎる刀と評判で、その使い手であった初老の男が言っていたことだけが全てである。

 老いた男より強奪されて惨劇を呼んだ後に実証されたその妖刀の真贋だが、首切り役の男はそれならどうしてと、そう思わざるを得ない。

 しかしそれもどうでもいいことだ、これで終わり、それでいい。

 世はおしなべて太平、事もなし。

 おしなべて、だ。些細な埒外は常のこと。

 

 かくして後世に話は残る。

 鬼哭剣、鬼さえ哭いて伏させるほどの妖刀。

 嗤ってはいけない、鬼は常に哭いているのだ、と。

 狂気は狂気で、鬼気は鬼気で。

 人と鬼は違える道よ。

 そう、願い込めて作り話。

 

 

 

 しかし妖刀は本当に死んだのか、あの程度で終わったのか。

 破片の行方は杳として知れない。馬鹿な話が残るのみ。

 では、本当にどうなったのか?その真実は?

 それはまた、別の話。

 それでいい。




鬼六犯科帳~鬼哭終終~ 了

 

これも一年以上前にmixiで云々。

結末というか決着の付け方が気に入らないのだが、改変するのもしんどいのでそのままに。

つまりあまり気に入ってない。

それだけは明言しとく。


なら載せるなよ、だが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ