そして少年は歪に笑う
目が覚めた時、それがどこかしばらく考えなければわからなかった。
だが、目先のまっ白な天井や装飾だらけの棚を見るよりも先に、耳元の聴きなれた寝息に、とりあえず安堵した。
「……ん、騎士。目、覚めたの」
尋ねるというよりは自分に確認させるように呟き、目を覚ました少年は上半身を起こした。傍で見守っている途中で眠くなり、そのままベッドの淵に体を預けて眠ってしまっていたらしい。よだれをずずっと啜る音が聴こえてきた。
「もう夜だよ……よっぽど疲れたんだねぇ。傷も自分の魔力で治しちゃってたし、当たり前と言えば当たり前だけど」
「……甲冑……着たまま……寝かせてくれたのか」
体を覆う硬い感触にそう尋ねてみると、俺の視界に入りこんできた少年はへへーんと得意気な顔をした。
「だって騎士、誰にも素顔を見せたくないんでしょ?だから医術の先生が説得するのも無視して、全身甲冑のまま寝かせちゃった」
……お前も、いつも見たい見たいと言うくせに。
「……重かっただろう」
「ううん、運んだのは総長だから」
なるほど、使える駒を使ったわけか。さすがは我が主。
「戦闘では一つも役にたたなかったんだ……運ぶくらいして当然だな」
そう呟くと、少年はクスクスと笑った。
「ああ、総長ねぇ……頑張って姫様のところに向かってたらしいけど、人が凄かったでしょ?初めて自分のでっかい筋肉を呪ったって言ってたよ」
「へぇー…」
言っているのが少年なので真偽は定かではないが……まぁ総長ともあろう者が主君の危機に駆けつけられなかったのだ、自分を責めているのは確かだろう。
「あとで謝りにくるって。今は姫様に謝りに行ってる」
「別に来なくていいんだがな……」
コンコン
「騎士の望みはだいたい叶わないよねぇ」
「……運命を呪おうか」
「失礼する」
重傷の身でむさい男の顔を見なければならない運命を呪っていると、扉を叩いた張本人は応答も待たずに部屋へ入ってきた。
「ちょっとちょっと、もし騎士が着替えてる途中とかだったらどう責任とるつもりなの」
ここぞとばかりに文句を言う少年をさらりとかわし、青年は俺にむかって勢いよく頭をさげてきた。
「すまなかった。姫を守るのは本来ならばオレの役目だったのに……感謝する」
……気持ち悪いくらい素直だな。
頭を下げたままあげない総長に、俺は皮肉まじりに言ってやる。
「これで、俺たちと暗殺者たちが仲間じゃないと証明できたんだ。ちょうど良かったよ」
うっ、と息をつめる音が聴こえてきそうだ。
総長はおずおずと顔をあげて、赤面しながらもごもごと呟いた。
「わ、悪かった……」
「赤面するな、気持ち悪い」
「………」
いつもなら怒鳴ってきそうなものだが、今日ばかりは言われるまま大人しくうなだれる総長。あー、鳥肌。
「止めてくれ。そんな純情そうな表情、お前には似合わないぞ。というか似合ってほしくない」
「そうだよぉ、総長様はもっと残酷で残忍な顔がお似合いだよぉ」
俺に同意した少年は、そのままニヒヒっと笑った。
「これから長いお付き合いになるんだからさぁ、本性現しちゃいなよぉ、羊の皮を被った狼がー」
「……お前、その意味わかってるのか?」
「嘘つく男?」
「……まぁ、間違ってはいないが……」
うん、俺は教育者ではないのだ。放置の方向でいこう。
一方「羊の皮を被っている」呼ばわりされた男は、珍しくフッと微笑んだ。
「長い付き合い、な……。そういえば、近衛兵になったんだって?凄いじゃないか、異例の出来事だぞ」
「あー…」
どうやら姫様は、総長にも本当のことを言っていないらしい。まぁ秘密を言うのは最小限に留めるのが賢明だが……。
治安保守総長も、哀れなものだ。
「そういえば姫様……いや、王と呼んだ方がいいのか?ああ面倒くさい、ともかくあの腹黒女はどうしてる」
無理やり話題を変えると、総長は少し訝しがりながらも答えてくれた。
「姫様は今は会議中だ。ちなみにお前が腹黒と呼ぶオレの主は、まだ姫だ。今日の戴冠式があんなことになってしまったからな、また近々正式な戴冠式をやり直すらしい。それまでは、まだ姫だ」
「ほぉ。まだお若いのに大変だねぇ、命を狙われたり会議に出たり」
そう言うと、総長の表情が少し暗くなった。
「最近多発している誘拐事件が深刻になってきているからな」
「誘拐事件?」
そう聴き返したとき、ふとこの前―――といってもつい一昨日のことだが―――の会話を思い出した。
―――― 緊急事態? ――――
――――機密事項なんだ、そう安々とよそ者に情報を提供するわけにはいかない――――
俺が思っていることに気づいたのか、総長は真面目な顔で頷いた。
「姫様から、お前にも説明するよう言われたんだ。それにお前はもう姫様の近衛兵だ。よそ者ではなくなった」
「なるほど、これぞ肩書きの力というやつか」
ほぉー、と感心する俺をよそに、総長はその〝秘密事項〟とやらを語り出した。
「貴族の少年少女を狙った誘拐だ。はじまりは……五年ほど前だな。身代金目当てでもなく、誘拐された子供たちの接点も貴族であること以外では何もない。誘拐された場所も、自宅で一人留守にさせている間や、普通に道を歩いている時、パーティー会場でいつのまにか、というのもあったな」
「家出じゃないのか?」
適当に言ってみると、青年は少し顔をしかめた。
「5年で100人以上。しかも、5,6歳の幼い子供たちだぞ」
確かに、それはありえないな。
「それに、事はそれだけじゃない」
そう言うと、総長は眉間の溝をいつも以上に深めた。どうやらここからが本題らしい。
「数年前……その誘拐事件が、ついに殺人事件に発展してしまったんだ」
「…へぇ」
「それも、初めのうちは少年少女を狙った犯行だった。だが今では老若男女関わらず、とにかく殺しまくっている。そして不思議なのが、時々によって殺人だったり誘拐だったりすることだ。今日は誘拐にしよう、今日は殺人にしよう、と気の向くままに決行しているらしい」
「ほぉ」
「被害者数は、殺人だけですでに50を超えている。行方不明の子供達は100人以上……生死さえ不明だ」
「ふぅん」
「……おい」
「ん?」
目をつむりだした俺に、総長は声に苛立ちを含めだした。
「聴いているのか」
「あー、聴いてる聴いてる」
だいたい。
すると、暗闇の中で総長の諦めたようなため息が聴こえてきた。
「……はぁ。まぁいい。で、続きだが……。この緊急事態に、王は全精力と莫大な資産を使って犯人探しをしている。だが、規模がでかいにも関わらず犯人はいっこうにわかっていない……異様なほど、なんの証拠も痕跡も見つけられないんだ」
「ああ、だから、お前の給料も少ないのか」
「もともと安い部下の給料を、これ以上減らすわけにはいかないからな」
この城を売りさばけばちょっとは稼げるだろうに。と今度姫様に会ったときに言ってみよう。
そう固く決意した時、新たな声が聴こえてきた。
「あら、それは一国の主への不満ととらえていいのかしら」
いつの間にか開け放たれている扉から、簡素なドレスに身を包んだ少女がしずしずと入ってきた。相変わらずの軽やかな足取りだが、目元のくまはさすがに隠しきれていない。おそらく昨日の事件からほとんど休んでいないのだろう。
「兵が兵なら姫も姫だな。入室の礼儀から学び直した方がいいんじゃないか」
体調を気遣う代わりにそんな言葉を投げかけてやると、少女は喉の奥でクククッと笑った。
「大事なお話をしてるみたいだったから。邪魔しちゃ悪いかなって思って」
どうやら少し前から盗み聞きされていたらしい。例のごとく少女の後ろにぴったりと寄り添っている黒い少年もあわせ、悪趣味としか言えないな。
「姫様、会議の方は……」
突然入ってきた姫に驚いていた総長が、おずおずと尋ねた。なぜか怯えているように見える。
すると姫は、ニコリと優しげに微笑んだ。
「今休憩に入ったところよ。騎士の容体を見ようと思って来てみたんだけど……まさか給料について語っている最中だとは思ってなかったわ」
「そ、それは……!」
「大丈夫よ、あなたの部下の給料を下げようだなんて思っていないわ。あなたの自己犠牲精神は無駄にしないつもりよ。次のあなたの給料は、下げれるだけ下げさせてもらうわ」
総長の顔が姫の顔と相対的になったのは言うまでもない。
「そうだわ、給料といえば、あなたにも褒美をあげなければ」
思いついたように手を叩き、少女が俺に笑いかけてきた。
「近衛にしてあげたことを抜きにして、何かほしいものはない?ほら、なんでも言って?」
じゃあ金を下さいって言ってやろうか、貧乏王族が。
「近衛にしてあげた」という言葉に、思わずそう返したくなるが我慢する。ここでキレても意味はない、もらえるものをもらった方が得だ。
「そうだな……じゃあ「お城を案内してほしいなぁ」
「いいわ、それじゃあ私の執事に案内させましょう」
「…っ?」
驚いたのは、俺と執事だった。
「お前……城なんか見ても腹は膨らまないぞ?」
「わ、私には姫様を護衛するという任務が……」
だがそれらの反論は、二人のたった一言によって潰されてしまうことになる。
「「まぁ、別にいいじゃない」」
「――――ここが、大浴場となります」
一言だけ呟くようにそう言うと、黒い少年はさっさとその扉の前を通り過ぎた。いちいち中を見せてやろうという気も起こらないらしく、案内される側の俺たちとしては、迷宮のように延々と続く廊下しか見ていないことになる。
はっきり言って、そろそろうんざりしてきた。
だが俺の主はそうは思っていないらしく、執事が「ここが武器庫です」「ここが使用人たちの部屋です」「ここが厨房です」などと呟くたびに「へぇー」「うわぁ」「すごーい」と目を輝かせて感嘆している。
今更だが、こいつの感動所がよくわからない。
「やっぱり、かくれんぼするには大浴場がいいかなぁ」
わからない。
思わずため息をつきそうになっていると、ふと一つの扉を通り過ごしたことに気がついた。だが少年は何も呟いていない。
「ここの部屋はなんの部屋ぁ?」
めざとくそれに気づいた少年がそう聴くと、黒い少年は歩を止めて振り返った。
その顔には、客前に出すべきでは絶対ない、無表情な表情がうかんでいる。
「そこは……姫様の個人的な部屋です」
「自室……ではなく?」
妙な言い回しに追求してみると、少年は無表情に少しだけ不機嫌を混ぜた。あまり聴かれたくないらしい。
「姫様の大切な宝が保管されている部屋です。……何人たりとも、入ることは許可されておりません。もし中を見た者、いえ、覗こうとした者も含め、その者がいかなる立場や地位であろうとも抹殺するよう命を受けています。なので……」
取っ手に伸ばされていた少年の手を素早く掴み、黒い少年は無表情のまま低く呟いた。
「くれぐれも、好奇心は理性で制して頂きますよう」
「……えー……」
好奇心の塊である少年は頬をふくらませ、なぜか俺のほうを見あげてきた。
「騎士ぃー」
「いや、俺にどうしろと?」
さすがにどうしようもないだろう。
だが確かに、こんな若造に偉そうにされたままでは気がすまない。
少し、攻撃してみよう。
「お前、そういえばずっと姫様の傍にいるよなぁ」
「は?」
突然の質疑に、少年は眉をひそめながら主の手を離した。
「いや、あれだけずーっと一緒にいるなんてさ、よっぽど仲がいいんだなーって思って」
一瞬だった。
黒い少年の頬が赤く染まったのは。
「っっ!」
「…え?」
思わずそう言ってしまうほどの頬の変化に、黒い少年は慌てて前に向き直った。
「私が、姫様、と常に供に、いるのは、従者として、当たり前、のこと」
「うん、もういいよ。だいたいわかったから」
大好きなんだな、お姫様のことが。
総長といいこの少年といい、あの少女もなかなかやるじゃないか。まぁ確かに、彼女には何か人をひきつける力があるみたいだが……それこそ、王族の力というものなのだろうか。
まぁ、暗殺者までひきつけたくはないだろうがな。
それからしばらくは、静けさが三人を覆った。石材の床に足音がコツコツと響く音だけがやけに耳にさわる。
とくに面白いものもなく、暇つぶしに廊下の壁にズラズラと並べられている肖像画を眺める。どの絵も極上の額縁でご丁寧に飾られており、硝子越しに、見たくもない禿げた頭のおっさんたちがこちらを覗きこんでくる。
その時、俺はあることに気がついた。
「なるほど、この国の貴族はやけに権力をもってるんだな」
「は?」
歩みを止めないまま尋ね返してくる執事に、俺は一人納得しながら言った。
「肖像画、貴族のむさくるしい顔ばっかりだ。今回の回りくどい演技のことといい、姫様の貴族を前にしたときの、あの無理をしてるようにも見える高圧的な態度といい……おおよそ、長年王族に仕えてきた貴族たちが、先王が死んだことでよけいに自分勝手になりだしたんだろう?まぁ姫様は貫録があるとはいえまだ幼い。当分は、足もと見られるだろうなぁ」
「………」
沈黙。
なんでだ?せめて正解か不正解かくらいは教えてくれればいいものを。
「……ここが、書庫です」
無視か。
「書庫?じゃあ魔術書とかもあるのー?」
小さな少年が目をキラキラとさせながら叫んだ。そういえばこいつは、昔から魔術が大好きだったな……。
「ええ、ありますが……魔術に関する蔵書はそこまで多くありません。この国では魔力を扱える者は少数ですし……今はなき北の国にほとんど贈呈してしまいました。あの国では魔術が盛んでしたから」
「北の国……そういえば、お前の出身は東か?髪の毛の色、黒いし……」
そう言ったとたん、少年の歩みが一瞬だけにぶった。だがそれを感づかせまいと思ったのか、何事もなかったように淡々と答える。
「母が東の国の者だったので。ですが、実際に彼の国へいったことはありません」
「へぇ、よくよそ者が姫様の従者にまでなれたなぁ」
その言葉が挑発ではなく、純粋な褒め言葉だとわかったのか、少年は素直に頷いた。
「私が生まれてすぐに死んだ母が、王族と縁のある者だったんですが……確かに、初めて城に入った時は非難されました。とくに何かとよそ者を排除したがる貴族たちからはののしられましたね。黒髪は全て抜いてしまえ、と言われたこともあります」
「自分らの髪の毛をはやしてから言えばいいのにな」
言うと、意外にも「ふっ」という失笑のような声が返ってきた。面白いと感じてくれたらしい。
「ののしられ、蔑まれ……そんな時に、手をさしのべて下さったのが姫様でした。あの方は私の髪を、闇のようだと言って……褒めて下さいました」
「闇のよう」は褒めていることになるのか?
内心そう思ったが、せっかくの良い思い出を汚すこともない。黙っておこう。
「執事さんは、本当にお姫様が大好きなんだねぇ」
あ、言っちゃった。
俺がさきほど我慢して言わなかった台詞を、小さな主はこともなげに言ってしまった。
「……いいえ」
あれ?恥ずかしがっていない。
コツリ、と音をたてて足を止める執事。その後頭部から表情を読みとることはもちろん無理だが、なぜだろう、そう、彼は微笑んでいる気がする。
だが、
「ただ、守りたいだけですよ」
その声は少し―――――――悲しげだった。
城の大浴槽を一言で表すなら、豪華絢爛という飾り気のない陳腐なその言葉が一番よく似合うだろう。だが数年かけて設計、建築、彫刻された装飾品たちは、非常に残念なことに、浴槽から巻き起こる大量の湯気によって存在を掻き消されている。
だがその人間は、そんなことなど睫毛ほども気にせず、白い白濁とした空気の中にただ息を吐き出した。
「はぁ…」
安堵のため息をついたのは、湯舟に浸かる一人の少女。赤い髪は湯の中でゆらめくにまかせ、水上にたゆたう泡を指で弄んでいる。
十にも満たぬ歳で一国を担う責を背負わされた少女にとって、この草原のような湯の中に身を浸けている時だけが、唯一の安心できる時であった。浴室にため息を一つ響かせれば、ここ連日立て続けに起こった心臓に悪い出来事さえ、忘れそうになれる。
しかし今日の彼女はもう一つ、より深いため息をついた。そしてなぜか、体に巻き付けている布を手でしっかりと押さえる。
「あなたがそんな覗き趣味だとは」
「そんな幼女趣味じゃないよぉ僕は」
渦巻く湯気の中から姿を現した幼い少年は、少女を気遣ってか後ろ向きのまま、湯舟の中をザブザブと歩いてきた。
「あら、一応は見ないようにしてくれるのね」
「うん、どっちかっていうと見たくないしね」
ふふふ、あはは、と和やかに笑い合う二人。色んな意味で危ない状況だが、当人である少女は涼しい顔で少年の姿を笑った。
「あなた、服を着たままお風呂に入るのね」
少年はしっかりと、服を着ていた。昼間からずっと着ている平民らしい服だ。
びしょぬれの服にクスクスと笑う少女に対し、少年は「それがさぁ」と不満げに語り出した。
「騎士を驚かそうと思って、いきなりかくれんぼをやり始めたんだけどねぇ」
「いきなりかくれんぼ?」
「突然行方をくらまして、騎士に見つけられるまで隠れ続けるって遊び。でね、さっき執事さんに色々案内してもらった時、大浴槽は隠れやすいだろうなーって狙ってて、さっそく騎士の目を盗んで隠れに来たの」
「とても面白い遊びね」
「でしょー?だけどね、浴槽に隠れてるうちにいつのまにか寝ちゃってて……そして気づいた時にはなぜかあたりはお湯だらけ、湯気だらけ、しかも真っ赤な人間までいるもんだからびっくりしたよぉー」
「なるほど……全ては浴槽の中に人がいるなどとは毛頭思わず湯をはった使用人のせいというわけね」
「そうだよぉ、いくら僕が透明になる魔術を使ってたからって、ちゃんと気づいてくれなきゃあ」
「それもそうねぇ、彼らの主として謝るわぁ」
和やかな会話はそこで少し途切れる。
先に口を開いたのは少女の方だった。
「で、本当の理由は?」
「あら、やっぱりバレてた?」
悪びれる様子もなくそう言い、少年は自らもちゃぽんと湯に浸かった。
「騎士が、入浴中の姫様の護衛をするにはどうすればいいかって悩んでてね。ほら、いくら護衛といえど従者がついてこれるのは浴室の入り口まででしょ?さすがに中には入れないから……」
「でも実際守る為には、私と一緒に中に入るしかない。けどそんな案、総長や執事たちが許すはずもない。じゃあいっそのこと、偶然を装って入っちゃおう、って?なかなか無茶なことをするわね」
「ああ、でもいきなりかくれんぼは本当のことだよ?騎士がこの案を呟いたあと、なーんてなって言った時にはすでに部屋を抜け出してたから」
「……じゃあ、騎士様はあなたがこの案を決行していることは知らない、ということね?」
「うん。ていうか、僕的にはただたんに騎士を驚かしたくてここに来ただけだから、とくに君を守りたいからとかそういう殊勝なことはあんまり考えてないよ」
「まぁ、あなただけで私を守るなんて、できそうもないしねぇ」
「うん、悪い人を守るなんて僕にはできないもん」
ぽちゃん、と、水滴がどこかの水面に落ちる音が響いた。
「………悪い人?」
訳がわからずに聴き返す少女に、小さな少年は無邪気に「うん」と答えた。
「だって、胸にバツ印があるのは、悪い人なんだよ?」
「……え?」
少年の言葉に、少女は一瞬何かわからない混乱のような気分を覚えた。
背中を向けたままの少年に、少女はなんといっていいか分からないまま、とりあえず「どういう意味?」と問いかける。
だが少年は、いつも通りの明るい声のまま、訳の分からないことを言い続ける。
「お父さんが言ってたもん。胸にバツ印があるのは、悪い人なんだって」
白濁とした空気の中、少女は突然全身に鳥肌がたつのを感じた。あったかい湯につかっている部分でさえ、まるで冷風にさらされたかのようにぞわぞわとした寒気で覆われる。
「……私は、悪い人では……ないわ」
訳のわからぬまま答えると、少年の「じゃあ」という声が白い空気に混ざった。
「その傷は、なぜできたの?」
「だから……これは……生まれた時からずっと……」
「その傷は、誰がつけたの?」
ぽちゃん、と、水滴がどこかの水面に落ちる音が響いた。
その瞬間、少女の意識がハッと覚醒した。もうそれまで感じていた混乱は体中から去っており、いつの間にか浅くなっていた呼吸に耐えきれなくなった肺が、空気を求めて喘いでいるだけだ。
それを落ち着かせる為に大きく深呼吸をし、少女は苦々しく微笑んだ。
「……なるほど、ここに来た本当の目的は、それを聴く為だったのね」
そう言うと、少年はあははははっと笑いだした。本当に無邪気な子供のような笑い声―――だが、浴槽内に響くそれは、やけに歪んだ笑い声に聴こえた。
「君はほんとに鋭いねぇ。そう、気になっちゃったから、聴きに来たんだぁ。あ、でも騎士を驚かしたいのは本当だからね?」
それは忘れないでね?と付け加え、少年はうーんと大きく伸びをした。お湯が気持ちいいらしく、幸せそうに大きな欠伸を一つする。
「ああそうだ、入浴中は女の護衛をつけたらいいんじゃない?そしたら僕がこんなことする必要もなくなる」
「え……ええ、そうね。今まではそこまでする必要もないかと思ってたけど……最近の暗殺者はしつこいみたいだし、考えておくわ」
「うん、それがいいよー」
と、少年がそう同意した時、突然入浴場の外が騒がしくなった。
「な、なんだ貴様は!」
「取り押さえろっ!」
「大人しくし―――ぎゃあああっ」
「しょおおおおねええええええんんんんんんんんんんっっっっっ!!!!!」
「お迎えが来たみたいよ?」
外からの怒鳴り声に微笑む少女に、少年は「意外と早かったなー」などと呑気に答えた。
「まぁ、でも、それでこそ騎士なんだけどね」
そのとても満足気な笑みが、フッと暗くなったのを見た者は――――――誰も、いなかった。
「胸にバツ印のある人間を見たことはありませんか?」
「胸にバツ印のある人間なんですが」
「いえ、姫様じゃなくて」
「姫様以外の、胸にバツ印のある人間を探してて」
「性別は男で……は?いやいや姫が男じゃなくて、男が胸にバツ印……あー、もうっ」
今日も、俺の苦悩は続く。
「大丈夫?騎士」
約三十人目の通行人に約三十回目の同じ質問をし約三十回目の空振りをした時、少年がいら立つ俺を心配そうに見上げてきた。
「昨日、覗き行為を犯した誰かさんを夜遅くまで説教してたからな……寝不足でフラフラだ」
「やだなぁ、僕は説教中ちゃんと大人しくしてたでしょう?」
「ああそうだな、大人しく居眠ってたな。じゃあ今度からは、説教される前から大人しくしていような」
まぁ、言っても無駄だということはもちろん承知ではあるのだが……。
「じゃあ、今度はもっと大通りに行って聴きこみしてみるか」
ふぅ、と大きくため息をつき、止めていた足を動かし始めた。
「聴きこみ?」
そう聴き返してきた少女に、小さな主はにっこりとほほ笑んだ。
「そう。お城でずーっと待ってたって、胸にバツ印の傷がある人がやってきてくれる訳じゃあないからね。なら、僕らが直々に探しに行ってあげるしかないでしょ?」
ね?と納得させるように微笑む少年に、姫は無言で俺の顔を見あげてきた。
「……そんな顔されましても……。俺だって、一応は止めましたよ」
それでも言う事を聞いてくれなかったから、ここにいるんじゃないか。
皆まで聞くことなく、それらを理解したらしい聡明な少女は、ただ微笑みながら頷いてくれた。
「いいだろう。扉を開けよう」
そして俺たちは、あの大理石の部屋から、姫の魔術によって外に出てきたというわけだ。
大通りへ続く街道をゆったりと歩きながら、光に包まれる直前に見た、「まぁせいぜい頑張ってみなさい」と言いたげな少女の顔を思い出した。
「そうだ。いっそのこと、このまま行く不明になったら面倒な約束もなかったことに……」
などと呟いていると、「騎士」という呼び声が聴こえてきた。
目をあげると、銀色がガッチャガッチャと音をたてて近づいてくるところだった。
「奇遇だな、なんでこんなところに?」
「偶然だよ、運命な訳が無いだろう?」
「は?」と聞き返す総長になんでもない、と手を振り、聞き込みをしていることを説明した。
「なるほどな。だが、この町の住人全員に聞いてくつもりか?」
苦笑しながらごもっともなことを言う総長に、「そんなことは分かりきってるんだよ、それでもやりたいと言う主がいるから困ってるんだろう」と説明する気にもなれず、ただ頷いた。
「で、お前はなんでこんなところに?」
そう尋ねる俺に、銀色の甲冑に身を包んだ青年は「見回り」と一単語で説明してくれた。
「ああ、大通りに行くならちょうどいい。俺も兵舎に戻って休むところだったから、一緒に行こう」
「………」
「どうした?」
「いや?銀色と金色のお揃いだと思われたくないとかそれ程度の悩みだから気にしないで?」
「俺は頭甲は被ってないだろ」
ふむ、まぁそこまでない土地感を使って大通りを探すより、町をよく知る者に連れてってもらった方が楽と言えば楽だ。
「仕方ないなぁ。じゃあ連れてけよ、大通りに」
「ああ……あ?なんか今、おかしくなかったか?」
「別に?頼んでいる立場とは思えないほど偉そうな喋り方なんてしてないけど?」
「じゃなくて」
?
訝しむ俺に、総長は何かを聴きとろうとしているかのように無言になった。そしてしばらくして、「やっぱり」と呟く。
「金属……音?」
金属音?
耳をそばだててみる。すると、確かに鉄か何かを地面にこすりつけているようなギャラララララっという音が聴こえてきた。
しかも………。
「だんだん、近づいてきているような……」
「騎士、危機」
少年の言葉を待っていたかのように、そいつは突然姿を現した。
俺たち三人が立っている場所から、家四軒ほど前方の十字路から、人影と、その影の二倍以上の大きさの何かが飛びだしてきたのだ。しかもそれらは、速度を落とすことなくこちらへ迫ってくる。
「あれは……」
「うわぁ、おっきな剣!」
呑気に感心している少年を道の端に避難させ、俺は大剣を背の鞘から引き抜いた。
あいつだ。
ローブ姿の――――――――仮面の男。
昨日ぶりに見たが、その姿はほとんど変わっていない。変わったことと言えば、武器が短剣からいきなり巨大な剣になったことくらいだろう。
自分の二倍以上の大きさの、いかにも重たそうな巨大な剣を引きずりながら爆走してくる仮面男。ギャラララララっという音は、剣が地面にこすれて出している音だったのだ。
その異様な姿に、総長も素早く長剣を構え、戦闘態勢に入る。
「なんだあいつはっ?」
「胸にバツ印の傷がある男、だ」
そう説明した時、仮面男はローブをはためかせながら―――――跳んだ。
そう、跳んだのだ。
「嘘だろー……」
どれだけ力持ちなんだ?――――などと感心している場合でもないわけで。
ガチィイイイイイッッッ
大剣を横に構え変えた瞬間、その衝撃は降ってきた。
剣が震え、腕がしびれ、肩が喚き、足が地に食い込む。
「……よぉ。まさか、そちらから現れてくれるとはな」
見た目以上に重たい巨剣を振り払いながら、一応お礼を述べてやる。
「どーもありがとう。そして」
器用に跳びすさり少し離れたところに着地する仮面男。
「さよーなら」
グサッ
「ぐっ……!!」
さすがの無言男も、長剣が太ももを突き刺す痛みにはうめき声をもらした。変な仮面をつけれるほど羞恥はなくとも、痛覚はちゃんとあるらしい。
巨剣が長剣の主を切ろうと素早く振られるが、総長はそれよりも一瞬早く身をひるがえしていた。そのまま切られておけば、腕は二本ともなくなっていただろうに。
「殺人者の血も、ちゃんと赤いんだな」
長剣についた血を眺めながらそう呟く総長に、後ろから少年の「当たり前でしょ、人間なんだから」という声が聴こえてきたが、まぁどちらも無視しておこう。面倒くさい。
「そしてもっと面倒なのは、お前だよ、仮面男さん」
右足の傷はかなり重症なのか、体重を左にかけて立っているローブの男にニヤリと笑ってやった。もちろん相手に見えることはないが、雰囲気で伝わっていることだろう。
「姫を殺すには俺を殺さないといけない……そう考えたみたいだが………そろそろ、その仮面をとってくれないか?」
素顔が見たくて見たくて仕方がないんだ。
……まるで、少年のようだな。
「なぁ、見せてくれよ」
一歩、一歩と詰め寄る俺に、相手は巨剣を構えた。
そして、それはそのまま彼の手から放たれた。
「……!!」
まっすぐ――――――ボケっと突っ立っている少年に向かって。
「くっ!」
掌を少年に向け、瞬時に魔力を集中させる。
「っそ……!」
ダメだ、間に合わな――――――――
「はぁああああああっっっ」
ガキィイイイイイイイッッッンン
盛大な金属音が鳴り響き、折れた長剣が回転しながら宙を舞う。
ガランガランガランガラン……
目的に突き刺さる直前に横槍(この場合は横剣か)を叩きつけられた巨剣は、派手な音をたてて床に落ちていった。
「あー……やっぱり折れてしまったか」
残念そうに呟き、総長は半分になってしまった長剣を見おろした。
「まぁ、替えはあるからいいか……って、あっ!あいつ、逃げる気か!」
そう言うと、総長は柄を地面に投げ出し、バタバタと走って行ってしまった。巨剣を投げつけた隙に仮面男が逃げたらしいい、勢いよく飛び出していった。
だが、そんなことはどうでもいい。
折れた剣も、逃げていった襲撃者も、追いかけていった青年も、どうでもいい。
それよりも。
「騎士」
もう少しで死ぬところだった少年が、微笑んでいる。
微笑んで、俺に、微笑んで。
「大丈夫」
なぜ、
「大丈夫だからさ、騎士」
なぜ、笑える?
「そんな顔をしないで?」
見えもしない俺の顔を見て、少年はいつもと変わらぬ明るい声で「ほら」と言った。
「敵、逃げちゃったよ?」
両手を伸ばし、少年の細い体を抱きしめる。
「騎士、ほら、敵逃げちゃったよって」
「……知ってる」
「追わないの?」
「追わない」
「なんで」
「なんでかな」
ギュッと力をいれると、折れてしまいそうな細い体。
なのになぜ、そんなにも強いんだ?
「なんで……笑ってるんだ」
もう少しで、死ぬところだったのに。
「だって、騎士が守ってくれるもの」
何言ってるの?と、その笑いを含めた声は言った。
「あなたは絶対、僕を守ってくれるもの」
だから、なんの心配もしなくていいんだよ。
「……違う。今、俺は、守れなかった。あいつが……総長がいなかったら……」
「そんなことないよ。総長がいなくても、騎士はちゃんと間に合っていたよ」
にっこりとほほ笑んで、少年は俺の硬い背中をコンコンと叩いた。
「間に合っていたから」
ああ、そうか。
そうだな。〝間に合っていただろう〟。
俺と同じく、お前も、そう思いたいんだな。
ならば、一緒に望もうじゃないか。
俺は、何があってもお前を助けたと。助けられたのだと。
見えもしない〝もしも〟の世界を見て………笑おうじゃないか。
「ねぇ、騎士」
「……ん?」
「そろそろ帰らない?僕、お腹空いちゃった」
「ああ、そうだな。金を持ってくるのを忘れてしまったし……城でごちそうになるか」
そして俺たちは―――――敵をひた追撃している男のことなどさっぱり忘れ、城に戻ることにした。