そして少女は微笑んだ
「歌を聴いてくれないか」
そう言って差し出された手は、とても固い金色だった。
だれ?
「名前はない。たまたま通り掛かった騎士だと認識してくれればいい。なぁ、歌を聴いてくれよ」
全身金色のその人の歌声は、とても澄んだ響きだった。
「傷だらけだな。そこらのごろつきにやられたのか?」
…………
「腹の刺し傷が大きいな。すぐに手当てしないと、下手すれば死ぬぞ」
いいよ別に
「死ぬぞ」
死ぬよ
「死ぬのか」
死にたいんだ
だって みんな死んじゃったんだ
お父さんもお母さんもお姉ちゃんも みんなみんな殺されちゃった
ねえ なんであの人は僕も殺してくれなかったのかな
「憎いか」
憎い
「憎いのか」
殺したいくらい憎い
「なら殺せばいい」
?
「それが、今お前が一番したいことなら、すればいい」
無理だよ 僕にそんな力は無い
「俺がお前の剣になってやる」
……あなたが?
「必要ならば、盾にもなってやる。用心棒でもいい。だから、目的を持て。目的があれば、人間は生きようと思えるものだ。お前の敵討ち、手伝ってやる。だから、それを目的に生きろ」
……あの人が……目的……?
「憎いんだろう?殺したいんだろう?ならばもっと強く望め。望んで生きて死ねばいい」
まだ生きなきゃだめなのか。
でも、
まだ望めるのか。
「僕も、名前、ないんだ」
あなたと一緒だね。
「うわーっっひゃっ」
今日一日で、何度この感嘆詞を聞いただろう。
王都の巨大な門、銀色の甲冑に身を包んだ門番や兵士、岩場とはまた違う、整えられた固い道、大通りに並ぶ多種多様な露店。そして、様々な人人人。
それらを視界に掠める度に、少年は叫んでいた。
「きゃあああーっ!すごいいいっっ」
「田舎者丸出しだな」
「ねえ、なんで皆こんなに派手なの?」
頬を紅潮させた少年の言う通り、確かに人々の格好は皆、気が狂ってしまったんじゃないかと思うほど派手なものだった。赤白黄青―――様々な外套や仮面をかぶり、頭には鳥の羽で作られた髪飾りを盛っている。女はこれでもかというほど服の分布量を最小限にし、それを横目でチラチラと見ながらよだれを垂らしそうな顔をしている男たちでさえ、彫りものや着色がされている鎧なんかを装備している。
「どうやら……祭か何からしいな。あの男たちの鎧も、戦闘用ではなくお飾り用みたいだしな」
行き交う人の流れに揺られながら、そう判断する。まぁこれだけ派手な格好を日常茶飯事に身につけているとしたら、それはそれで脳味噌を疑うことになるが。
俺の説明を聴き、思った通り少年は目をいっそう輝かせた。
「お祭りっ?あのやたらと安い食物を売る店がつらつらと連なる奇跡の祝日っ?」
いつかこいつには、もうちょっと夢のある話し方を覚えてもらおう。
そんなこちらの気も知らず、子供は無邪気にあちこちを指差しては尋ねだす。
「あの白い綿毛みたいなのは?」
「あ?ああ、あれは綿密だ。甘いんだ」
「あの血の色をしたのは?」
「あれは林檎密だ。甘いんだ。あと血の色ではなく赤と言え」
「あ、騎士みたいに甲冑の人がいる!銀色だけど!」
興奮して叫ぶ少年の指さす方を見ると、確かに人込みに紛れて銀色の甲冑が見えた。気の強い太陽の光にあてられ、てかてかと眩しく煌めいている。
「治安保守部隊の隊員らしいな。いわゆる租税泥棒だよ」
「租税泥棒?町の安全を守る為の治安保守部隊が泥棒なの?」
「お前はあんなのになっちゃダメだぞー」
「うん、僕働かない」
いや、それはそれで問題だが。
「じゃあさぁじゃあさぁ、アレ、何っっ?」
俺の心内のぼやきなどもちろん分かるはずもなく(分かったところで気にする奴じゃないが)、露店の一つを指差す少年。
小さい子供達が数人集まっている露店だった。子供達は小金を店の者に渡し、代わりに何個かの球体を受け取っている。
「あれは……玉当てだな」
「玉当てって何っ?」
「店の奥の台に、人形や菓子が並んでいるだろう?それに玉を投げ当てて、台から落とすんだ。落とした品物は貰えるが、落とせなかったら金だけとられて終わりだな」
「夢と現実がいっぱい詰まった遊びだねっ!」
……いいこと言うな、こいつ。
「やってみたいっ!」
呑気なこと言うな、こいつ。
なんの為に遥々王都まで来たのか、ちゃんと覚えているんだろうか。
「おじさん!玉頂戴!」
誰が金を払うのかは、覚えてないらしい。
少年は私の元から去っていき、見知らぬ中年目掛けて駆けて行ってしまった。
「ほい、一回3玉、500ペシデルな」
「騎士、500ぺシデルだって」
ちゃんと覚えていた。
まぁ、いくら家族を皆殺しにされていようと、その復讐を遂げる為に世界中を旅してまわっていようと、その道中盗賊やら狼やらに襲われて生死の地平線を浮遊したことがあろうと、こいつが人間でいうガキであることに変わりはない。
ガキがガキらしくガキの遊びをやりたいと言ってるんだ。今日のガキの夕ご飯代くらいは使わせてやろう。
「へい、まいどー」
俺の手から少年の手から脂ぎった中年商人の手へと、少年の夕ご飯代が中継されていった。
もちろん真ん中の手の主が、それを知るのはもっと先だ。
「よーし、やるぞーっ!」
気合いは十二分だ。
「はあああああああ」
覇気も溜めも十分だ。
「たあああ――――――――っっ」
なのになぜ、天井へ?
ドッ ポトっ
空中へ投げ出された拳大の玉は、一度天井に当たった後、なんとも残念な効果音とともに地へ墜落した。
「な、なんでっ?」
「1玉くらい、失敗するものだろう。大丈夫、何かの病気にかかっているだけだ」
脳か目か腕か、治療が必要な場所はどこだろうな。………本当に、治療法があればいいのだが。
「なあ、なぜそこまで鈍い?」
「親譲りかなぁ」
……けなせない。
まさか、死んだ奴を引き合いに出すとは。
「ねえ、どうやったら当たるかなぁ?」
また難儀な質疑を。
「的以外のところには当たるな、って念じろ」
「念じれば当たる?」
「きっと」
「絶対?」
「たぶん」
「よしっ」
「いや、おそらくだぞ?」
「あたるなあたるなあたるなあたるな」
念じて当たらなければ世話ないが。
「せあっ」
ふわっと浮かぶ玉。
またしても上へ――――変球、どまっすぐへ。
コツン
なんとも可愛らしい音がして、台のど真ん中に立っていた木人形の額に玉が当たった。
念じて当てる……というか……。
「やった!当たった!やっぱりあなたの言うことは、いつでも正解だ!」
いや、その偏見はすぐに撤回してほしいのだがそれよりも。
「お前――――」
「ねえ、その人形貰えるの?おじさん!」
「あなたの言うことはいつでも正解」とか言った直後に話を聞かないとはどういうことなのだろう。
身を乗り出して聞く少年に、脂ぎった(あくまで初見での感想だ)中年商人は、苦笑して首を横に振った。
「台から落とさないと、あげられないんだよ」
「それは誰が決めたの?」
「この店の創立者だよ」
「おじさんの店長としての権限は?」
「かなりあるけど、創立者の意向を無視できるほど強くはないなぁ」
なんて熾烈な冷争だ。どちらも笑顔のままなのが恐ろしい。
「とにかく、台から地面に落とさないとダメなんだよ」
「むー…」
あ、完全に膨れた。
内心どうでもよくなりつつ見守っていると、少年は振り返って短く呼んだ。
「騎士」
甲冑をコンコンと叩かれる。
「騎士、あてて」
お願いというより、命令に近い声色だ。
「良きに計らってやろう、我が主」
視線も口調も上から返す。お互い上から、というのもおかしなものだが。
小さな主から、最後の一玉を受け取る。
「店主」
金属に囲まれくぐもった声は、無事その福れ耳に届いたのか、商人は顔をゴシャッとしかめた。
「おいおい、どこぞの騎士さんか知らんが、ここは子供用の玉投げだ。大人はあっちの砲丸投げを――――」
「背の高いものを落とすときは、上のほうに当てれば倒れやすい」
店主の言葉を覆い潰しながら、手の中の玉を見つめる。
なんの変哲もない、少し重みのある玉。
ならばやはり――――――
「だがその足が地面に張り付いている場合は、強行突破が一番だ」
腕を上げもせず、振りかぶりもせず、話していたそのままの姿勢から、玉を投擲する。
飛んで飛んで飛んで――――まっすぐに飛んで。
ガシャッとど真ん中の木人形にぶつかってドッと上に飛び跳ねてガンッと天井で跳ね飛ばされてゴゴゴゴゴゴッと横一列の菓子やら玩具を押し倒しまた弾き飛ばされ天井に――――――
店主の顔面から脂汁が増量していくのを眺めているうちに、俺が放った小さな砲丸は台の上の商品にことごとくぶち当たっていった。
ぶち当たった。
「なのに可笑しいな」
こういう時は、頭甲を被っていて良かったと思う。
店主が今の俺の顔を見たらきっと、殴り掛かってくるだろうから。
「一つも落ちない」
菓子が詰まった袋も人形も玩具も、すべて俺の剛球に襲われた。しかしそのどれもが、地に足を踏ん張って落ちないでいる。
いや、まるで『落ちられない』ようにも見える。
「根を張ってるというか、粘り液で貼ってるというか」
「言い掛かりだっっっ!」
ゴシャッ
つくづく、俺は短気な人間だと思う。
口よりさきに衝撃波を出してしまうのだ。
掌から発射されたその波に曝され、ど真ん中の木人形は、頭部及び身体が損壊され、無残な木片と化してしまった。
「哀れな」
しかし、足だけはまだ、地に張り付いていた。
もしこの人形に心があったなら、一体何を思っているだろう。自分を殺した甲冑を怨んでいるか、それとも―――――
『解放してくれてありがとう』
…………ああ、胸糞悪いことを思い出した。
「……気色悪い」
「騎士?」
俺の機嫌が零度に達したのを目敏く感じ取ったのか(第六感でもあるんだろうか)、少年が首をかしげて声をかけてきた。
「血色悪いの?」
「ああ、お前の血色はいつでも悪いな」
さらりと流して、鋼の中で微笑む。
「お気にめされましたか?我が主」
騎士らしく、低頭して言ってみる。瞬時に二度とやらないと誓った。予想していたより気持ち悪い。
だが少年は何が嬉しかったのか、ニコニコと機嫌良く笑いながら何度も頷いた。
「やっぱり、騎士だねぇ」
「てめえっっ!」
突如の怒声に、脂肪もとい中年もとい店主もとい脂に目を戻す。
「なにか?」
「なにか?じゃねえ!よくも俺の商売道具を…っ!」
顔を発火させて怒鳴る男。脂が脂なだけに、本当に熱で火がでてしまうんじゃないだろうか。もしくは溶けてしまうとか。
まぁそれならそれで別に構わないのだが。
「弁償しやがれ!」
「景品を台から落としただけですよぉ」
もっともな反論を見せる少年。
「だいたい、自分が景品を台に貼付けてたから悪いんでしょう?」
本当にもっともだ。商人も歯にはさまった魚の骨のような表情になる。それを暖かい目で見つめながら、少年はさらにたたみかけた。
「だから、店主さんは責任とって、景品を全部騎士に渡さないとダメなんだよ」
「訳がわからんっ!」
もっともだ。
店主の叫びに本気で首を傾げる少年。だんだんと収集がつかなくなってきた。宿も早く決めなければならないし……そろそろ引かねば。
「少年、行こう。菓子が欲しいなら買ってやるから」
「普通のお店で買ったお菓子より、こういう悪徳店主から奪いとったお菓子のほうが、食べた時の達成感は強いでしょー?」
真顔で諭された。
別段達成感はなくていいと思うが。
「だがな、日が暮れてきたら、宿の空きが少なくなってきて―――」
そこでふと、こちらを凝視している人々がいるのに気づいた。
珍しいものでも見るような目つきで、子供や大人が見て見て見て見て見てくる。
「ぴかぴかの服だー!すごーい」
「なぁに?なんか喧嘩?」
「あの店主が悪徳で騎士が正義らしいわよ」
「まぁカッコイイっ」
「あの店主、景品を渡そうとしないのよ」
「悪徳店主最っ低」
ああ、傍観者か。
主に年配の女たちの囁き(のつもりだろう)が聴こえてくる。小金を取り出して玉遊びしようとしていた子供たちも、慌てて母親の後ろに隠れてしまった。
これは…………
「自業自得」
「営業妨害だっ!」
さすがは我が主、相手の神経を逆なでしてさらにかき混ぜるなどお得意だ。逆むけされっぱなしの店主も哀れな。
「妨害金払えやぁっ!」
握りすぎて白くなっている拳を振り上げて、男が足踏み荒く近寄ってきた。
「……喧嘩は苦手なんだよな」
ボソッと呟いて、背中の大剣に手を伸ばし……かけ止めた。さすがに流血沙汰はまずい。
一発殴られれば、それで終わってくれるだろうか。
「これは何事だ」
男の声がした。野太い声。
振り返ると、銀色が光っていた。
「?」
どこかで見たことのあるような―――――
「ち、治安保守総長様……っ?」
背後から、店主の声がなぜか震えて聴こえてきた。
それにしても、治安保守総長?治安保守部隊の統率者じゃないか。これはまた厄介な奴がでてきたな……。
一見したところ、銀色の男はまだ二十代に見えた。すっきりとした精悍な顔付きをしている。だが首から下は、さすが鍛えられた体躯をしており、胴甲の中は筋肉で詰まっていそうだ。身長は全身甲冑の俺でも、彼の肩にさえ届かない。
「な、なんで……」
商人の肉を削がれた骨のような弱弱しい声に、銀の甲冑の男は、声と同じく厳しい目でねめつけてきた。まわりにたかっていた野次馬たちは囁き声を止め、目を見開いて彼に視線を集中させる。
脂が、一歩二歩三歩四歩と後ろへ遠ざかっていくのを背後で感じる。相当怯えているらしい、息まで荒い。
「ちげぇんスよ!この甲冑野郎が俺の商売の邪魔をしてきやがっ「そうなのか?」
商人の言葉を最後まで待たずして、銀色が俺に目を向けてきた。腰の長剣の柄に手を置いているところが怖いが、問答無用で切り掛かっては来ないだろう。
俺もお揃いで、背中の大剣に手を伸ばしてみようか。
その時、それまで見学に専念していた少年が、二人の間に割り込む形で参戦してきた。
「僕たちは、この店主さんの悪事を暴いてただけですよぉ、ちよんほしょそうしょう様。あ、間違えた、治安保守総長様」
さすがは我が主。特技を存分に披露してくれる。俺たちが有罪になるか無罪になるかは、治安保守総長様の判断一つだということも視野にいれてくれるとなお良いのだが。
だが俺の心配も虚しく、総長は頬色一つかえなかった。
「証拠は?」
おお、冷静。
「そのお店の台を調べてもらえれば済みますよぉ。景品が全部、玉が当たっても落ちないように、台に貼付けられてるんだ」
説明を聞き終えたとたん、銀の手は柄から離れていた。
それを見た店主が、油をてからせながら首を振った。
「ちょ、待ってくだせぇ!そんなの理不尽だ!そっちの言い分は信じんのに、こっちのことは信用しないって――――」
「台を調べれば済むことだ」
びしゃりと決定打を言い放ち、チラリと噂の台を見やる若き総長。
「まぁ、見ればだいたいわかるがな」
上半身だけ砕け散って地面に落ちているのに、足はしっかりと台に貼りついている木人形。
確かに、一目瞭然「こんなところにいたの」
どよどよと続くざわめきの中、凛と通る声が鳴った。人だかりが一瞬にしてしん、と静まり、声の主を探して十数もの視線が彷徨いだす。
「総長何やってるんですかこんなところで!」
先ほどとは違う声。その主を探しだす前に、人混みを掻き飛ばして、若い男が押し進んできた。総長よりはるかに若く、だが牛皮の見るからに上等そうな制服を着ていることから、彼も総長と同じ治安保守部隊の隊員だと推測できる。その証明に、総長の眼前へたどり着いた青年は、ビッと俊敏な敬礼をした。
それを無駄のない動きで返礼し、総長は苦笑した。
「すまない、ちょっといざこざがあってな」
「そんなことに首つっこんでる場合ですか!重大な任務の途中だというのに!」
人の目もはばからずに説教しだす部下に、総長はなだめるように何度も頷くしかできない。さきほどまでの冷たい表情もどこへやら。
怒られてやーんのっ。と言えばそれなりに楽しい展開になりそうだが、何度も言うように俺は喧嘩が苦手だ。止めておく。ついでに、少年の口が開く前に手で塞いでおく。
俺たちが静観する中、今度は先ほどのよく通る声が聴こえてきた。
「その辺にしておきなさいな」
少し笑いを含んだその声の主は、声と同じく、スッと風のような動作で人の輪から出てきた。
簡素な白いローブを着た少女と、その後ろに隠れるようにして、黒っぽい服装に身を包んだ少年が現れた。
少女の地面にまで届きそうなほど赤い長い髪が風になびき、現実感たっぷりの街道の一角に神秘的な空気をつくりだす。それはきっと、彼女の人形のように白く整った顔と、そこに浮かぶ柔和過ぎて作り物のように見える笑みのせいでもあるのだろう。
ともかく、人間ではない、そんな第一印象を受ける少女だった。
ざわめきが遠のいていく。まるで世界が音を忘れていくかのように、色も褪せ、地面が薄れ、そして世界は少女だけを思うかのように、少女だけが――――――
神秘的な―――――だが、少し揺らせばすぐにでも崩れそうな、不安定な―――――
「血のようだねぇ」
ハッとした。ふと隣を見ると、のほんと微笑む少年。そして同意を求めるように、俺の頭甲を覗きこんでくる。
「ねぇ、騎士」
鋼の中で苦笑する。さすがは我が主、空気など読む前に見ていない。おかげで神秘的な空気は一蹴され、糸が切れたように雑音が押し寄せてきた。
その音の群れに圧倒されていると、ついさきほどまで神秘の源だった少女が、人間らしい、少し驚いた顔をして少年を見た。
「血のよう?珍しい表現ね。初めて言われたわ」
機嫌を損ねた様子もなく、少女はふふっと笑い、自らの髪を撫でた。そこにはもう普通の少女しかいない。赤が、その手の白さをよけいに際立たせる。
「それは褒め言葉として受け取ってもいいのかしら?」
「もちろん」
少年が自信たっぷりに言うと、またふふっと笑った。よく笑う娘だ。
「あなたの白髪も素敵よ」
「どう素敵なの?」
「白いところよ」
「赤と白って対照的だね」
「そうね、赤と白の縞縞模様なんて、とても刺激的な模様になると思うわ」
「じゃあ君と僕が交互に並んだらいいんだね?」
「ええ、じゃあとりあえず分身魔法を学びにいきましょうか」
なんだろう。なぜか二人の会話が理解できない。だけど総長と若い隊員も同じような「とりあえず微笑んどけ」という顔をしているから、きっと理解できていないのは俺だけではないのだろう。
初対面同士の和やかな会話はまだ続く。
「旅なら任せてよ。僕と騎士は色んなところ旅してきたから、色んなこと知ってるよ」
「あら、それは頼もしい騎士様ね」
そこで、初めて少女の視線が俺に向けられた。
「それに、とても素敵な全身甲冑だわ。金色なんて、とても刺激的」
やけに「刺激的」が好きな少女だな。
無言のまま会釈だけすると、少女はまたもやふふっと笑い、今度は総長に目を向けた。
「ねぇ、そういえばいざこざって何?さっきまでそこで震えてた大男、逃げちゃったけどいいの?」
「なにっ!」
総長の目がカッと見開かれた。それを見た住人達がぎょっとし、慌てて散っていく。目撃者探しとして、総長に絡まれるのを恐れたのだろう。「自分は関係ありません」という空気を放出しながら、さっさと人の流れに戻っていく。
それを目を細めて見守りながら、少女がやや呆れたように首を振った。
「あなた、もうちょっとその怒った顔をどうにかした方がいいわ。そこらの殺人鬼より恐ろしい顔つきになってるわよ」
「そこらの殺人鬼より恐くなくてはやってけない職業ですからね」
どう見ても年下の少女に敬語で答え、総長はふうとため息をついた。鋭い目で見回しても、店主は見当たらなかったのだろう。そりゃあ、この人込みの中だ、諦めるしかない。
「主、どうする?」
他の人に聴こえないように、我が主にこそっと囁く。すると少年は、うーんと少し悩んだあと、首を振った。
「では、放置の方向で」
「うん、なんかもう面倒くさいし、それでいいよー」
なんて寛大な心だろう。
まぁ、ここから家二棟分後ろの木に隠れている脂が、今後治安保守部隊に怯えながら暮らすことになったのはこの少年のせいなのだが。
「くっそ!詐欺は重罪だぞ!必ず捕まえてやる!」
息まく総長に、木が微かに揺れたのを感じた。あはは、怯えてる怯えてる。
「ふ、哀れな」
「ねぇ、騎士」
コンコン、と、甲冑を叩かれた。
「どうした?」
「あの人、ずっとこっち見てる」
少年の視線の先へ目をやると、確かに、そこには家の角に隠れるようにして、男がこちらを盗み見ていた。格好はいたって普通な、とくにこれといって怪しいところも特徴もない男だ。家の角に体を半分隠し、目を細めてこちらを盗み見ている点を除けば。
「ああ、あれは変態っていうんだよ。病気だから、放置の方向でいくしか仕方ないんだよ」
「へぇ、変わった病気だねぇ」
しまった、こいつは「騎士の言うことはいつでも正解」と盲信しているやつだった。……まぁ、いいか。自分の間違った知識は、経験から自分で修正していくものだ。
自己完結しながら再び目を戻すと、ちょうど男がこちらをちらっと見た瞬間だった。運命的にも視線が衝突してしまう。が、それはほんの数瞬のことで、相手はすぐに視線を彷徨わせてしまった。目があったことを否定するかのように、キョロキョロと誰かを探すフリをしだす。
おおよそ、さきほどまで群がっていた傍観者の類だろう。結末が気になって見守っているのか、俺の全身甲冑を珍しがっているのか、それとも赤髪の少女に一目ぼれでもしてしまったか…………ああ、それにしても、病気のわりには――――――
ふわーっという少女のあくびに、思考中の頭が止まった。目を戻すと、美少女は眠たそうな顔をして目をこすっていた。その仕草には、さっきまでの神秘さは全くといっていいほど見られない。
まだ幼さの残る顔を眠たさで満たしながら、赤髪の少女は総長に呼びかけた。
「総長」
「なんだっ!」
まだ憤怒し続けている総長は、その勢いのまま振り返った。唾がこっちまで飛んでこないことを祈るのみだ。
その勢いに気押される様子もなく、少女は悠々と答える。
「なんだか疲れたわ。そろそろ帰りましょう」
「あ、ああ。そうですね……そろそろ夕焼けだ。戻りましょう」
なんとか怒りをおさめ、冷静にそう答える総長。ほんとに、登場したての頃の冷たさはどこへ行ったんだ。
若い隊員に二言三言指示を出したあと、総長は俺と少年に顔を向けた。
「あの悪徳店主は必ず捕まえる。しかるべき罰をうけさす為にな」
「それは安心です!よろしくお願いしますね、ちよんほしょしょうしょうしゃま」
にっこりと笑う少年をあっさりと流し、総長は少女に向かって頭を垂れた。
「では、参りましょう」
「ええ」
まるで童話にでてくる騎士と姫のように微笑みあう二人。
もしやそういう仲なのか?
と思っているのは、どうやら俺だけではないようだ。青年隊員の顔にも、産まれたてのひな鳥を見守るような温い表情が浮かんでいる。なるほど、お前は応援しているというわけか。我が主とは意見を違えそうだな。
「では、また逢いましょう」
石畳にカツリと足音を刻みながら、少女は優雅に別れの挨拶を述べた。顔にはやはり、白い微笑み。
その時、以外にも我が主が一歩前へ進み出た。
「運命が僕らを違えなければ」
は?
少年の謎めいた一言に、長年連れ添ってきた俺でさえ黙るしかなかった。それなのに、どうして会って数刻も経っていない少女たちが答えられようか。
しかしそれでも、少女は微笑みを崩さなかった。それどころか笑みをより深くして、優雅に手を振ってくれさえした。
あえて空気を読まずに歩きだしてくれた少女たちに感謝する。
その後ろ姿を眺めながら、今夜の少年の晩御飯は無しだということをいつ告知しようかと思案することにした。
「少年、今日の晩御飯は――――」
「こないだの干し肉、まだ残ってたよね」
―――――――――!!!!!!
こいつ………ボケも頭の切れも、日々進化してやがる。
内心でそう呟いた瞬間だった。
ふと、何気なく目の端に動くものを捉えた。
捉えて………しまった。
先ほどの病気男(本人の同意を得れるとは思えない呼び名だが)が、気づけばすぐそこまで迫っている。
ああやはり、病気のわりには――――――危な過ぎる目だ。
あー、面倒くさい。これで何度目かわからないが、それでも何度でも言わせてもらおう。俺は喧嘩は苦手なんだ。苦手なんだよ。
「でも、これはさすがに放置できないでしょー?」
声にパっと見おろすと、そこには少年の笑顔があった。
ああ、ほんとにこいつは、なんでもお見通しだな。
きっと、俺が今微笑んでいることでさえ、わかっているんだろうな。
「ねえっ、騎士っ!」
突然、少年が大音量で叫んだ。
去りかけていた少女や総長たちがぎょっとしてこちらを振り返り、何事かと目を細める。それは周りの通行人たちも同じだ。生きのいい魚を握ったまま硬直する魚屋の店主、揺りかごを抱えたまま足を止める母親、親からもらった小金にはしゃいでいた子供は目をまんまるく見開いて、べったりと寄り添い歩いていた男女は、二人だけの世界を邪魔されたことに不満な顔をした。さすがの雑音も、一瞬にして減量する。
だがそんなことはお構いなしに叫び続ける我が主。
「変態さんが、い―――っぱいいるよっっ!」
「前方二人!右に二人!後ろに三人!どいつも重度の変態だなぁっ!」
少年に負けず劣らず叫ぶと、やはり、人込みに紛れてこちらの様子をうかがっていた病気の男は、ぴくっと体を震わせた。目のギラつきがより深くなる。
「変態は病気だから、仕方ないんだよねぇっ?」
「そうだなぁっ」
どこか楽しそうな少年に、こちらまで楽しくなってきた。
今なら、良い喧嘩が出来るかもしれない。
「変態は病気だから」
近づいてくる音。
静かに、とても静かに。
音さえたてずに、近づいてくる音。
「だから、痛めつけるしか、仕方ないんだ」
まず動いたのは、後方斜め右の変態だった。
前にかがむと、シャッと鋭い音が頭上を通り過ぎていった。目の端にキラリと、短い刃が見える。頭甲と胴甲の隙間を狙ったのだろうが、避けられることを予想していなかったらしい。大きく空振りした男の体は、態勢を立て直すまでに数秒を要してしまった。
数秒あれば、一体何人殺せるか。
「殺しはしないがな」
そう、これはあくまでも喧嘩だ。
前にかがんだ状態のまま、流れるように後ろ蹴りをくりだす。狙い通り、相手の顔面にぶち当たってくれた。
一撃で気を失い、地面に崩れ落ちる男。それなりのがたいをしているが、まだ闘いには慣れていないようだ。あっさりとのされてくれた。
それにしても、短剣で首を横薙ぎとは………殺す気満々ではないか。
どうやら物騒な連中らしい。
「はぁあっ」
覇気にハッとして振り返ると、ちょうど総長が一人の女の短剣をなぎ払ったところだった。その手の中の長剣が、風のようにビュアビュアと音をたて、女の鋭い攻撃を見事に受け止める。
「ほう。肩書だけのことはあるじゃないか」
突然始まった乱闘に悲鳴をあげ逃げ惑う人々を避けながら、その剣さばきをしばし観察する。洗練された、熟練者の動きだ。なにより、一つ一つの動作が速い。速過ぎて、普通の人間の目には剣がただぶれて映っているだろう。
だが、相手の女もなかなかの熟練らしく、その速さになんとか追いついている。それに加え反撃までできているのだから、大したものだろう。
「ま、結果は見えているが」
あれは加勢しなくても大丈夫だな。
そう判断した時、今度は「わ…わぁああ!」という少し怯えの混ざった覇気が聴こえてきた。
目をうつすと、少女を守るように青年兵が仁王立ちしていた。その眼前には大柄な男が迫って来ている。
体格差は、思わず笑ってしまうほど大きい。筋肉隆々の大男も、自分の相手がひょろっとした気弱そうな若者であることに余裕を感じているらしく、迷うことなく突撃していく。もうあと数歩で手が届く範囲に入ってしまう。
「く、くそおっ!」
本当に悔しそうに叫び、腰へ手を伸ばす青年兵。
と次の瞬間、彼はそのまま大男の足もとへと滑りこんでいった。
「うおっ?」
突然の行動に、大男がなんともまぬけな叫び声をあげた。が、勢いよく走っている足を止めることもできず、そのまま足もとの青年兵につまずいてしまった。
ガッ
「いたあぁあっ」
ドサドサァッッ
つまずかれた向こう脛は、きっと青黒くなることだろう。だがそれでも、大男を転倒させれたのだ、称賛に値すべき悪知恵だろう。
青年は素早く立ちあがり、剣を抜刀して大男の首筋に付き付けた。立ち上がろうとしていた大男は動作をピタリと止め、悔しそうに顔面を歪ませる。
「卑怯な!」
お互い様だけどな。
あれももう加勢する必要はないだろう。
すると、ふと少年の「騎士っ」という呼び声が聴こえてきた。それに思わず微笑んでしまう。
「大丈夫だよ」
わかっているから。
振り向きざまに回し蹴りを繰り出し、背後から襲おうとしていた女の手から剣を叩き落とした。勢いよく蹴ったから、指何本かは折れているだろう。
「……お前は……」
どこかで見たことのある顔………あ、そうか。
「おい、恋人はどうしたんだ?」
さきほど、男とべったりと寄り添いながら歩いていた女だ。瞬時に周りに目をやったが、男の姿はない。
すると女は、何がおかしいのかニヤリと笑った。赤髪の少女の微笑みとは全く異なる、狡猾そうな笑みだ。
「あら、力と記憶力はまた別モノのようね。さっきあなたが顔面に蹴りを入れて気絶させた男……忘れたの?」
……………あ。ああ、あの物凄く弱かった奴か。顔を見る間もなく倒してしまったので、意識していなかった。
思い出した瞬間、女は俺が考えていることを盗み見たかのように、クスクスと笑いながら言ってきた。
「弱かったでしょう?私もうんざりしたわ。だから、今お別れしてきたところよ」
「お別れ?」
訳が分からず聴き返したが、その答えを聴く前に、彼女の手に握られている短剣に目がいった。もっと詳しく言うと、その刃に付着した赤に。
「運よく私が逃げのびれたとしても、あいつは捕まるわ。負傷者を連れて逃げられるほど余裕はないでしょうから。ならば、情報漏れの原因は抹消しておかなくては」
当たり前でしょう?と言いたげにクスクスと笑う女。だが、その目は笑っていない。
どんよりとした、濁った――――言うなれば、悲しみ。
「哀れな」
「は?」
「そして……愚かな」
バンッと、大きな音が鳴った。
おそらく女は、俺の幻影がかすんで見えただけだろう。運がよければ抜刀した瞬間は見えたかもしれないが、その次の瞬間には、もう頭部を殴打された衝撃しか感じていなかったはずだ。そのまま綺麗に崩れ落ちてくれた。
「面で叩いてあげるなんて、優しいねぇ騎士は」
またどこからか、少年ののんびりとした声が聴こえてきた。その方向が上であることに驚きながら見上げると、なんと小さな主は魚屋のテントの上に登り、ごろりと寝そべりながら闘いを鑑賞していた。
「…………優雅ですね、我が主。どうやって登ったんですか」
「そこの台からよじ登った」
なるほど、確かに少年が指さす方向には、まるで階段のように、大量の魚と氷が入った木箱が積み重なっている。
「危ないからすぐに降りなさい。………闘いが終わったら」
「うん、今は降りた方が危ないもんねぇ」
あははー、と危機感皆無な笑い声をあげる少年。今ここで俺が死ねば、少しは危機感を持ってくれるだろうか、と本気で考えてしまう。
と、そんな人の気もしらない我が主は、今度は地面の一角を指差した。
「騎士、危機」
言われた通りに目をやるのと、叫び声があがったのはほぼ同時だった。
「助けてっ!」
女の叫び声。目をむけると、さきほど見かけたゆりかごを抱いた母親が、男の腕の中でもがいているところだった。
「いや!離して!」
「うるさい!おい、剣を離せ!こいつがどうなってもいいのか!」
一番初めに運命的な視線の衝突をした男だった。どうやら俺に向かって言ったらしい。目がぎらついており、焦っているのがよくわかる。
「お願い、助、けて、子供、子供だけでも、おお願いよぉお!」
女は涙をながしながら懇願しているが、それさえも男の神経をいらつかせている。何度も「黙れ!」と怒鳴り、女の喉元に短剣を喰い込ませる。
ああ……このまま突撃すれば、女は殺されるな。いくら素早く動いたとしても、相手は警戒しているのか家三棟分より近づいて来ようとはしない。さすがにさっきの女みたく隙をつくことはできないだろう。
「まあ別に、殺されてもいいんだけど」
鋼の中で呟いた後、剣を勢いよく放り投げた。斜め上に投げられた大剣は、まるで主人の手から離れられたことに喜んでいるかのように、ヒュンヒュンと円を描いて飛行し、男の真後ろの地面に突き刺さった。
ザクンッという音に、男の肩が震えた。その反動で、母親の首筋に薄く赤い線が引かれる。痛みのせいか恐怖のせいか、母親はますます震えあがり、揺りかごをぎゅっと抱きかかえた。
「これでいいか」
すると、相手は安心したのか、威勢よく怒鳴り出した。
「そうだそれが賢明だ!おとなしく従えば犠牲者はださない!さあ、奴を渡せ!」
…………奴?
「えっと……奴って?」
「とぼけるな!お前は奴の護衛兵だろう!さっさと奴を渡せ!」
いや、ただの通りすがりですから。
だがそれを明かすより前に、右手を差し出すことにした。
黙ったまま掌を向ける俺に、相手は思わず「な、なんだ?握手か?」などと間抜けなことを言ってきた。
なぜこの場面で握手を求めるんだよ。主じゃあるまい。
「悪いな。俺は、口よりさきに衝撃波を出してしまう人間なんだ」
ゴアッと強風が突き抜け、目に見えない魔力の塊は見事、狙い通りのところに激突した。
バカァアアアンという派手な音を立てて木箱が飛び散り、中の鮮魚や氷があたりに爆散する。
「なっ……」
近くまで飛んできた氷や魚の肉片にぎょっとする男。その隙を逃さず、俺は新たな魔力を放出した。
ジュワッ ッシュー ジュウウウゥゥ……
氷が一瞬で水蒸気へと状態変化する。水になる間もなく昇華した氷は、熱風となって俺と男の間に群がった。
「さっすが騎士」
少年の褒め言葉を背に、その熱風の中へ飛び込んでいく。もちろん空気の膜を全身に張り巡らせてからなので、俺が熱にやられることはない。
「こんにちは」
煙幕代わりの水蒸気群から抜け出せば、目の前にはぽかんと口を開けた男。魔法というもに慣れていないのか、続け様に起こる出来事に対応しきれていない。
「そして、さようなら」
その挨拶を無事聴きとってくれたかどうか――――相手は返事をする間もなく、首筋に叩きこまれた硬い手刀によって意識を失った。
男がドサリと音をたてて崩れ落ちた瞬間、囚われの身だった母親はワッと泣きながら俺に抱きついて来ようとした。
「ありがとうございまガッ」
舌を噛んだ訳ではない。
俺が後頭部に手刀を叩きこんだだけだ。
魔力で風をおこし用済みの水蒸気を上昇させながら、崩れ落ちた母親に伝わることのない笑顔を向けた。
「殺気、隠せてなかったぞ」
母親(偽)は力の入らなくなった体を無理やり起こそうと弱弱しくもがきながら、いかにも子供の教育に悪そうなギラついた目を向けてきた。
「……くっ…………のイヌが………!」
イヌ?
訊ね返そうと思った時にはすでに遅く、母親はがっくりと意識を失っていた。腕の中の揺りかごがゴロンと転がり、中から赤ん坊の代わりに、やけにゴツゴツとした円い物体が次々と転がり出る。
ひねっても泣きもしなさそうな赤ん坊たちだな………代わりに爆発しそうだが。
「さて、他の戦況は………」
まず先ほどまで戦闘中だった総長に目を向けると、ちょうど勝負がついたところだった。相手の女は、腕や足に切り傷を負っているところを見るとかなり抵抗したようだが、今は短剣を奪われ地面にねじ伏せられている。それでも必死でもがいているが、さすがは総長、一度取り押さえた獲物を逃がすようなことはしない。がっちりと組みふしたまま、女に正体を吐かせようと怒鳴りつけている。
「お前たちは誰だ!首謀者は誰だ!」
「……くっ!……っ!」
女は目を見開いて総長を睨みつけているが、口を開く気配はない。ただ沈黙したまま、総長の手から逃れようとのたうちまわる。
「大人しくしろ!」
それで大人しくする程、聴き分けのいい子じゃないだろうに。
内心呟きつつも、今度は青年兵の方へ目を向ける。だが状態は先ほど見た時と変わらず、青年は大男の首に剣先を付きつけ、大男は動けないまま地面にうつぶせに倒れたままだ。青年は緊張のせいで足がガクガクと震えているが、そのおかげで一瞬たりとも大男から目をそらすことはない。それをわかってか、大男も無暗に動く気はないらしい。その点では、総長の相手の女より冷静と言えるだろう。
「総長が一人、青年兵が一人、俺が四人…………と」
確か、あの時感じた殺気の数は――――――
「うわぁあああん」
泣き声。
目をやると、年端のいかない子供が泣きながら走っていた。位置的には、青年の後ろ、赤髪の少女目がけて一目散に駆けていく。
「お母さぁあん!うわぁああん」
迷子らしい子供の泣き声。
迷子の子供らしい泣き声。
………ほんとに、よくできてる。
「避けろ!」
掌を向けるが、それより一瞬早く、小さな子供は少女のもとへ辿り着いてしまった。
案の定、子供の袖から飛び出る隠し刃。
「はあああーっ」
「っっ?」
発射しそうになる魔力を、すんでのところで消滅させた。
ドサドサドサッッ
「いったぁー」
「主!」
テント上から決死の大飛び降りをしてみせた少年は、見事自分より小さな子供の両肩に着地し、バランスを崩した幼子もろとも地面に転がってしまった。
全速力で駆けより、とりあえず子供の両腕を掴んで持ち上げる。少年よりも小さな体はいとも簡単にふわりと浮き、細い手は刃を握りしめる力は持っていても、鋼の手をふりほどく程の強力はなかった。本人がどんなに暴れたところで、彼女自信の肩がギシギシとなるだけだ。
がっちりとその両腕を掴んでから、地面にぺたりと座って手をパンパンと払っている少年を見おろした。なんて説教してやろうかとしばらく悩む。だが俺が口を開けるよりも先に、全てお見通しだと言わんばかりの苦笑顔で頷かれてしまった。
「だって、丁度真下だったから」
ごめんね、と、やんわりと謝る主。
結局、
「……怪我は?」としか言えなかった。
少年は起き上がりながら、へへへっと照れたように笑いだした。
「手をすりむいただけだよ」
運動能力皆無のくせに、時々ぎょっとするぐらい危ないことを平気でする。こいつは本当に、一体どういう脳味噌をしているんだ。
「離せ!」
そして、こちらもこちらで、ジタバタと暴れる幼い少女に思わず呆れてしまう。
「離せってんだ!」
「ならお前もその刃を離してくれるか?」
「離す訳ないだろう阿呆が!」
「ああ、俺も同意見だ」
その皮肉めいた言い方に逆に冷静になったらしい幼子は、力では勝てないと改めて悟ったのか、スッと大人しくなった。だが目のギラつきはより鋭くなり、首を出来る限りねじらせて、こちらを睨もうとしてくる。
「……馬鹿にしやがって……」
「おい、女がそんな言葉使いをするな。親からどんな教育うけてんだ」
「親なんかいない!」
怒鳴ってから、ハッとし、また冷静に戻る少女。ぐっと唇を噛み、これ以上相手の挑発にはのるまいと言わんばかりに顔をうつむかせた。
ふむ、そういう態度をとられると、逆にイラつかせたくなるんだがな。
今度はなんと冷やかそうかと思案していると、ふいにぼそりと呟き声が聴こえてきた。
「こんなの……―――と違う」
「は?」
「………………」
急に黙りこむ少女。
………なんか、嫌な空気だな。
少女の顔を覗き込み、その考えを読みとろうとする。だが、少女は前方を向いたまま無反応だ。顔から一切の感情をかき消している。この歳でこんな表情ができるとは―――それなりの訓練をうけているのか?
少し感心したとたん、フッと少女の腕から力が抜けた。続いて、鋭い覇気。
「はぁっ!」
ブワッと、生温かい風が少女と俺を中心に巻き起こった。慣れ親しんだ感覚――――少女のまわりに、魔力が溜まっていくのが感じられる。
「!お前っ……!」
魔術が使えるのか!
瞬時に気絶させようと手を伸ばしたが、頭部に手があたるところでバチリと跳ね返されてしまった。
「子供だからってなめるなよ!」
ギラついた、勝ち誇った目。
魔力は短時間でどんどん肥大化し、少女の体内に流れ込んでいく。体はどんどん熱くなり、皮膚はうっすらと光り出した。
こいつ、かなりの修練者だ。
が、
「お前こそ、騎士をなめるなよ」
少女がどんどん体内にとりこんでいく魔力の中に、俺の魔力を入れ込んでやった。外からの攻撃が効かないなら、中から直接的に脳幹へ刺激を与えれば気絶させられる――カッ
フッと、少女の中から力という力が抜け落ちた。あれだけ集まりつつあった魔力まで、行き場をなくした迷い子のように彷徨った後、空中で散っていく。
どうしたんだ?
と首を傾げたとたん、少女の正面が見えた。
喉には、赤く突き刺さる刃。
目をあげた。その先には、刃を投げた格好のまま静止している黒い少年の姿があった。赤髪の少女の後ろにずっとついていた少年だ。
「………すんごい命中力だな」
素直に褒めてやると、まるでそれに同意するかのように少女がゴホゴホと咳こんだ。喉の奥で何かが逆流するようなゴボゴボという音がし、肺が切断された気管から空気を搾り取ろうと小刻みに振動しだす。だがそこには赤がつまっているせいで、再び咳きこんでしまう――――それのくり返しだ。
一方黒い少年は、俺の褒め言葉にも少女の肺にも全く興味がないようで、無表情のまま赤髪の少女を振り返った。彼は今、少女を守るように前に立っていたが、危険が去ったと見ると、また少女の後ろという定位置に戻っていった。
「………かっ………がふっ……や…………」
少女の口内から、微かな声が漏れてきた。
「なんだって?」
「…………やぐ……ぎゃ……なぅい……が………」
「やるじゃないか?ああ、お前もよくやったよ。誰かの命令か、それとも自分の意志か知らないが、なんでこんなことしたんだ。せっかくの綺麗な喉元が台無しだ」
ぐったりと力が抜けていく少女の体を支えてやりながら、彼女の言葉に付きあってやることにした。短剣を抜けばもっと聴きとりやすくなりそうだが、おそらく出血多量で即死だろう。気持ち悪いだろうが、このまま喋ってもらうことにする。
「……ふ……ぐくくくぐうく………」
なんだ?
「笑ってるのか?」
少し引きながら尋ねると、まだ十にも満たないだろう少女は口の端を微かに持ち上げた。それは確かに、笑みだった。
「思い出し笑いとかにしといてくれよ」
この状況が楽しくて笑っているとしたら、哀れにも程がある。
だが俺の願いは耳に入っていないらしく、少女は前方を凝視していた。もうそろそろ視界もあやふやになっているだろうが、まるで最後の力を振り絞るようにカッと目を見開いている。
なんだ、何を見ているんだ?
そう思い彼女の目を覗きこんだ瞬間、答えはすぐにわかった。
もう何も、見ていない。
「………――――――め…………」
ぼそりと、何かが呟かれ―――――コポッという音が続き―――――少女の体はずっしりと重くなった。
「………おやすみ」
手を離すと、小さな体は重力に従ってドサリと崩れ落ちた。やっと重みから解放された手に、じんじんとした微かな痺れが残る。
「あー、痺れる」
とぼやいたとたん、今度はカチリと、小さな音がどこかで鳴った。
「っ!こいつ!」
青年の大声に目を向けると、青年に剣をつきつけられたままの大男の口から、赤がドポドポと零れ出していた。
「………自害……か」
奥歯に毒か何かを仕込んでいたのだろう。このまま捕らえられ、正体がばれることのないよう、自害を選んだのか。
総長もそれに気づき、慌てて抑えている女の後頭部を剣柄で強打した。が、一瞬遅かった。すでにカチリという音は鳴っており、大男同様、女の口からも大量の赤が噴き出した。
「くそっ!」
総長が悔しさに地団太を踏む音が、やけに響いて聴こえる。
さっきの女が恋人役を殺したことといい、こいつらは一体――――。
「ま、いいか」
ただの通りすがりがそこまで考えることもない。
今やいたるところに赤が点在している街道を見渡す。もちろん傍観者などいるはずもなく、住人は皆家の中にひっこんでいるらしい。チラリと一軒の家の窓を見やると、慌てて日よけ布を閉められた。まあ、乱闘騒ぎの当事者と関わりはもちたくないだろうな。
ふむ、たまたま当事者にされてしまった俺と少年としては、少し怒りを感じてしまうところなのだが。
「その分いいことでも起こらないかなぁ」
ぼそりと呟くと、いきなり後ろからドンっという衝撃があった。
「?主?」
「お疲れ様、騎士」
俺の体に細い腕を巻き付け、ぎゅーっと抱きしめる主。
………ああ、ほんとに良い嫁になりそうだ、この少年は。
その平和のみで作られていそうな笑顔に、手の痺れさえどこかへいった気がした。
すると、そんな俺たちの仲睦まじい様子を見たある者が、無粋にも声をかけてきた。
「騎士様」
さらりとした呼びかけに、少年から目を離す。そしてもう一つの微笑みに顔を向けた。
赤髪の少女は、微笑んでいた。
「ありがとう。おかげで死なずにすんだわ」
ふむ。この笑顔を、足元の赤だらけの少女が浮かべることは二度とないのだろう。美しい笑顔が、今は美し過ぎるように見えた。
「ねぎらいの言葉はありがたいが、それよりもお前の正体を聴かせ願えないかな?そこの真っ赤になってる少女は、お前を狙っていた。こんな物騒な連中に命を狙われるだけの価値がお前にあるようには到底見えないんだがな」
美しいという点を除けば、そこらにいる普通の娘と変わらない赤髪の少女は、ただ優しげに微笑んだ。そしてそのまま、俺の質問には答えず少年に声をかける。
「あなたも……ありがとう。意外と勇気があるのね、驚いたわ」
あからさまな無視とは……恩人に対する礼儀とは思えないな。まぁ、答えたくないならいいけどな。変に巻き込まれるの面倒だし……。
一方褒められた主は、珍しく素直に微笑んだ。それなのになんだろう、凄く嫌な予感がする。
という直感があたらなかったことはないわけで。
俺が口を塞ごうと伸ばした手をするりと避けて、少年は相変わらずの特技を披露しだした。
「いやぁ、ほんっと僕も驚いたよぉ。だってほら、僕って見るからに戦闘派じゃないでしょ?だからせめて騎士に迷惑かけないように隅っこにでも縮こまってようと思ってたら、頼りの治安保守総長様もまぁそこまで頼りにしてなかった若い保守兵さんも全っっっ然弱いんだもの。たまらず飛び出しちゃったよぉ」
遠まわしのような直球のような言葉に、赤髪の少女は余裕を含んだ笑みを浮かべて頷いた。
「そうね、もう少し骨のある人かと思っていたけれど、意外と柔らかかったみたい。もっと牛乳を飲ますようにするわ」
「うん、君お金もちみたいだから、牛乳くらいいっぱい買えるでしょ。彼らに与えてあげてよ。育て方によっちゃぁ強くなれるかもしれないし」
このやりとりを本人たちが聴いたらどうなることだろう。とくに総長………。
チラリと噂の二人を見ると、どちらもこちらの話など聴いてもいなかった。もちろん聴かれていればそれはそれで面倒なのだが……。
総長も青年兵も、どちらも渋い顔をしている。それはそうだろう、貴重な情報源が立て続けに自害したのだ、とくに青年兵は全身を青ざめさせていて、その震えようは何かの芸かと思ってしまう。
そのまま埋葬の参列者のような面持ちの二人を傍観していると、総長は部下に「他の治安保守兵を呼んでこい」と指示を出した。それから、自分を見つめている俺に気づき、わずかに眉をしかめた。……いや、なぜ?
「おい、お前」
その声に怒りが混じっていることに疑問をもちつつ首を傾げると、声をかけてきた総長は少しイラついているように声をあらげた。
「お前、こいつらの知り合いか何かなのか?」
…………は?
と俺が聞き返すよりも先に、口専門家が答えていた。
「総長様、僕らはこの人たちの顔面に蹴りをいれたんですよぉ?なのになぜ知り合いになるんですか」
蹴りを入れたのは俺だけだがな。
「こんな物騒な人たちと付き合わなきゃいけないほど家計は苦しくないですよぉ」
お前が家計の何を知っている。
内心でつっこんでいると、総長は俺とは違った視点から喰いついてきた。
「だがそこで………倒れている少女は、死に際に何か言った。騎士、お前に何か言い残したんじゃないのか?」
あの黒い少年が止めをさした少女のことだ。「倒れている」の前の微妙な空白で、眉間がより深くなる。確かに、こんな幼い子供が人を殺そうとした結果など、見るに耐えない惨劇なのだろう………心優しい総長様にとったら。
だがそんな心優しい総長様は、俺らに対してはギラギラとした目を向けてきてくれる。そこら辺でのびている変態たちより鋭い眼光かもしれない。
すると主は、その上からの態度にイラリときたのか、一歩二歩と詰め寄っていった。
「なるほど、つまり総長様は、僕たちのことを知りあいを殺すような奴らだと?僕らがいなければ殺されてたかもしれないという事実をもう忘れてしまったらしいですねぇ。それとも総長様は、その恩義と僕らが犯人の仲間かもしれないという疑いを秤にかけたうえで、あえて疑いの方を優先させたんですかぁ?まぁなんにせよ、総長という肩書をもっていようと人間としての礼儀はなってないみたいですねぇ。例えるならば、剣さばきだけが上手くても取り押さえられたのは一人だけ、しかも自害させてしまったという残念な結果でしょうか。そうそう、それに比べ騎士は四人も倒した。しかも、うち二人は生け捕り……これぞまさに天性の天才ですよねぇ」
長々とよく息が続くものだ。というか、天性の天才ってなんだよ。どっからそういう単語がでてくるんだ。
そう感心していると、総長の眉間のしわがより深くなっていた。もう溝と呼ぶべきだろう。
「だが、それもわざと生かしたのだとしたら「総長」
凛、とした、風が体内を吹き抜けていくような声。
「総長、落ち着きなさい」
赤髪の少女は、頬笑みに少し苦味をくわえ、諭すように総長に言った。
「せめてありがとうぐらい言えないの?」
真実かどうかわからない疑いをこれといった証拠もないのに押しつけ、命を救ってくれた恩人を困らせている。そんなことをして恥ずかしくないの?
その目はこれだけのことを充分に語っていた。
さすがの総長も頭にのぼっていた血が一気に下降したのか、ハッとしたように目を見開き、続いて頬を少し赤らめ………気持ち悪いな。
「……そ……それはそうだな。すまない、お前たちの正体がどうであれ、命を助けられたのも事実。この恩は必ず……」
「ああ、いいよぉ、そんなこと言わないでぇ?」
謝りだした総長に、主が慌てて手を振った。
「なんか素直にありがとうとか言われても今度は逆に気持ち悪いしぃー」
「どっちだよ」
懸命に賢明なつっこみをいれる総長。そろそろ我が主との会話にも慣れてきたらしい。少年独特ののびやかな空気に感化され、彼の中の怒りがスッと抜けていくのが目に見えてわかる。
その様子に少女もホッとしたのか、微笑みを笑顔に変え、「ともかく」と話を切り替えた。
「こんなドロドロしたところで立ち話なんて止めましょう。ほら、救援隊も来たわ。後処理は彼らに任せて、私たちは一足先に帰りましょう。あなたたちもぜひいらして、総長がなんと思っていようと、私はあなたたちにお礼がしたいから」
ヌッと顔をしかめた総長をたしなめるように、最後の方は少し語気が強められた。そうされると、こちらとしても断り辛い。
そこで、少年の顔を見つめることにする。この子のことだ、私の代わりにうまいこと断ってくれるだろう。
案の定少年は俺の視線に気づき、ややしてからニコッと笑った。言いたいことをわかってくれたらしい。
「そうだね、騎士」
うん、そうだそうだ。これ以上、こんな物騒な連中に命を狙われるような奴らと関わってたら、何かと面倒くさそうだ。このまま総長に犯人の仲間扱いされるのも嫌だしな。
「今から宿捜したって、なかなか見つからなさそうだもんねぇ」
う…………………ん?
少年は少女に目を戻して、ニコリと笑った。
「どうやら運命は僕らを違えなかったみたいだねぇ」
「ふふ、そうね。あなたの謎で刺激的なお話をもっと聴けるなんて、嬉しいわ」
少女は微笑んだ。その後ろの黒い少年は相変わらずの無表情。少年は少女とよく似た笑みを浮かべ、総長は諦めたように深いため息をつき、駆けつけてきた救援隊たちに指示を出し始めた。
さて、騎士はどんな顔をすればいいのだろう。
「………………」
まぁいいか。どんな顔をしたところで、誰かに見られることはないのだから。