そして騎士は歌を歌う
真っ赤な中で
どうしてもわからなかった
真っ黒の中で
どうしても泣けなかった
泣けず、ただ手を伸ばした
その先にある光だけが唯一の希望であるかのように
真っ黒の中、手を伸ばして掴んだ
そして は叫んだ
なんと言えばいいのだろう
痛み苦悶苦痛怒り………でもそこに
なぜ悲しみがあるのか
なぜ涙があるのか
どうしてもわからなかった
そして は去っていった
荒廃しきった土の上に、足跡を残していく。
枯れ果て割れて、ただ死を漂わせているそいつの上で、生きているものたちは闊歩する。そのうちの一つに、俺が在るのだ。
俺たちの軌跡。それを辿るものはいるのだろうか。
「………四匹、いるな」
俺のくぐもった呟きに、斜め後ろを歩いている少年が身を固くした。俺より頭一つ分ほど低い背が、余計に縮む。
「前を歩け」
短い指令を出す。いつもの短文だ、もう言い飽きたし聞き飽きた。そしてそれを言われた少年がきょどきょどと回りを見回しながら、指示通りに俺の前方を歩き出す光景も、見飽きた。
しばらく離れた前方に、ゴロゴロと大岩がいくつも転がっている岩場が見えた。大岩や巨大サボテンはすでに何十個とお目にかかっているが、砂以外の地面を見たのは久方ぶりだ。今日は固い地面で眠れるだろう。
そしてこの状況において、一時の避難場所にもなる。
「合図で走れ。岩場へ」
「う…ん」
掠れた声が返ってきた。なんと弱々しい声だろう。毎回思うが、この童子顔の少年は、やはり女なんじゃないだろうか?
夜の帳が空間すべてを覆っているせいで少年の表情はよく見えないが、それさえも容易に想像できる。おそらく、いつも通り不安と安心が入り乱れた顔をしているだろう。
今から起こることへの不安と――――――
ザリ
……嫌な音だ。
ザッ
始まりの音だ。
「走れ」
バタバタバタバタッッ
二本足歴十数年とは思えない走りを見せてくれる。両手両足がてんでバラバラな動きをして、まるで乱舞しながら行進しているような有様だ。
まぁ、速度はそれなりに速いから良しとしよう。
その珍妙な光景が岩場に向かっていくのをしばし目で追いながら、手を背中にやる。
〝それ〟を抜き、その動力を利用して腕全体で大きく円を描く。
闇を切り裂く白と音。
ヒュンという風斬り音と、ザシュッという斬撃音。
そして、奴らの咆哮。
「ガウガアアウアガアアア」
「ウウウウウ……ワウッ」
大剣を勢いよく振って、付着した血を渇いた砂にぶち落とす。ビチャビチャッと異様な音がした直後、乾いた砂が久方ぶりの液体に歓喜しているかのように、一瞬で赤を吸い込んでいった。俺に背後から飛び掛かろうとしていた狼の死体から流れ出る赤も、どんどんカピカピの大地に吸収されていく。
月の薄らぼんやりとした光に剣の腹をさらし、6つの眼光と向き合った。
「どいつもこいつもギラギラしやがって」
そんなに俺を食いたいか。
「たぶん美味くないぞ」
ザザッ
俺の言葉を合図に、手前の二匹が飛び掛かってきた。まだ若い狼だ、狩りに興奮しているのがビシビシ伝わってくる。
「ガアアッ」
勇ましいことで。
あと数センチで喉仏を食いちぎられる―――というところまで待って、右手を横に凪ぐ。
肉を斬る感覚。
肉を斬った音。
「きゃんきゃうんっ……」
「悪いな」
一匹は腹を、もう一匹は額を裂かれ、地に突っ伏した。
また、地が赤く染まってゆく。
「ガアアアアアアアアアアッ」
咆哮。うるさいな。
見ると、最後の一匹が凄まじい形相でこちらを睨みつけていた。
「そんなに怒るな」
ダダッと、他の三匹とは明らかに違う巨体で駆けてくる。そして、飛んだ。
跳躍、滑空、着地。
着地地点は、俺の首筋。
あと数ミリ。もう剣では防げない。
「……残念だったな」
ガチイィイッ
「ギャウっ……」
俺の首に食らいつき、そのまま弾き返される狼。
「愚かな」
この狼は、甲冑というものを知らなかったらしい。それか、自分の牙に相当な自信があったのか。
野獣の牙は、皹が入るか、運が皆無ならば折れているだろう。
「グルルルルルガルルウルウウ……」
ショックから立ち直り、すぐさま戦闘態勢へと移行する狼。狩りには慣れているのか、むやみに飛び掛かってこなくなった。低い唸り声を発して、俺の回りをゆっくりと旋回しだす。
「グルルルウガルルルルウウウ……」
ジャリ
「悪いな」
鋭い双眸に、銀の大剣はどう映っているのだろう。
金の全身甲冑はどう輝いているのだろう。
そんなこちらの気持ちも知らず、ただ見つめてくる猟人。
あるのは、月を含んだ獣の目。
「綺麗な目だ」
それが人間語の賛辞だと知らぬ獣は、ただ跳躍した。
愚かな。獲物の体はすべて鋼で包まれているというのに。
「悪いな」
何度目かの懺悔。
それも、相手に伝わることはないだろう。
「歌を歌うよ」
君達を悼む輓歌を。
どうか、あなたが甦りませんように。
そしてまた、大地は緋色に染まった。
砂漠と岩場の境界線は、淡泊といえるほどハッキリとしていた。細かい砂だけだったのが、突然砂利の海にとってかわる。
足跡はつかないが、代わりに歩きやすい地面。尖った石で足を怪我しないように気をつけないといけないが、甲冑の身であるおかげで、その心配は皆無だ。
星も霞んで見えない夜空を見上げながら、岩たちの間を適当にねり歩く。さほどしないうちに、黒い空気に反抗する赤黄色の光を見つけた。
暗闇に目が慣れていたせいで、それは眩しすぎるほど強烈に眼球に突き刺さってきた。瞼を半開きにしながら、足先をそちらへ向ける。
自然の造形物と言えようか。岩がいくつか積み重なり、小さな洞穴を作っていた。
そして、光はその中にあった。
「ただいま」
なんとも家庭的な挨拶とともにその臨時実家に入ると、旦那を迎えるような微笑みと共に少年が顔をあげた。三角座りをしていた少年は、即座に立ち上がって駆けてくる。
「おかえりー」
なんという家庭的男子だ。育て方を間違えたか。
まぁ、親でもなんでもないので責任はとらないが。
「……火、自分で点けたのか」
洞穴の真ん中で赤く燃える光を見ながら尋ねると、少年は照れたように笑った。
「基礎魔法はあなたに教えてもらったから」
感謝してます、と顔筋全てを使って讃えてくる少年。頭甲をとっても、俺にはできない芸当だ。
「そうか」
言ってから、「よくやった」と思い出して付け加えた。
瞬時に少年の顔がほにゃっと崩れたのを無視して、抱えてきたものを地面に落とす。
「晩飯だ」
「?お肉?」
いくつかの巨大な肉の塊を見て、少年は首を傾げた。
「何のお肉?」
「愚かで綺麗な奴らの肉だ」
案の定、怪訝な顔をされた。わざとそれ以上は説明せず、火を指差す。
「炙って食べろ。絶食よりは、食べた方がマシだろう」
奴らの肉が美味いとは思わないが。
背中の大剣を岩壁にたてかけ、腰を下ろした俺に、少年は肉の疑問など忘れてしまったかのように、笑顔に戻って頷いた。
「お肉、久しぶりだー」
きゃあきゃあと喜びながら、革袋からナイフを取り出して肉を一口大に削いでいく。
そこに、先程までの不安はない。
顔を上げ、洞穴に入ってきた俺を視認するまでの数瞬の間浮かんでいた、不安は。
「怖くなかったか」
俺の問いに、少年は肉を削ぐ手を止めて、首を傾げた。こいつは意味がわからなかったり、理解不能なときは、いつもこの癖を出してくる。
「もし俺が狼に殺されて、一人残されたら……と考えなかったか?」
「?」
………顔で即答か。
「一人で隠れてた時は、あなたがいない時に野犬とかと遭遇したらどうしようって思ってたけど……。あなたが死ぬって…………何のこと?」
こいつは―――――――俺が不死身か何かだと思っているらしい。
いや、誰にも負けない、殺されないと思っている、の方が正しいか。
俺がいる、という安心。
絶対的な信頼。
…………人間である以上、荷が重い。
「……わかった、もういい。それより、この岩場を抜けたらすぐ王都だ。デカい町だ、はぐれるなよ」
「わぁー、楽しみぃーっ」
『危険』という言葉をまるで知らないような調子で、ウキウキと大声を出す少年。串を数本取り出して、小さな肉の塊をつき刺していきながらニコニコと笑う。
「王都は初めてだよ!今までも大きな町とか人とかいっぱい見て来たけど、それの何十倍って量なんでしょ?」
「まぁ……今までのは、町というか村に近かったしな」
「ねえ、どれくらい人いるのっ?」
身を乗り出して聞いてくる少年の頬に火の粉が降りかかりそうになり、素早く鋼に包まれた手で彼の肩を押し返した。
「いっぱいだ」
「いっぱいってどれくらい?」
「たくさんだ」
「たくさんって―――――」
「どんな種類の人間でも見つかりそうなくらい大勢だ」
「じゃあ、僕のお父さんとお母さんとお姉ちゃんを殺したあの人も見つかるかなぁ?」
こいつは時々、他人が聞けば硬直しそうな言葉を笑顔でさらりと言う。
それほどまでにこの会話は、彼にとって日常会話となっているということなのだが……。
「あの人」を見つけること。
そして、『○○す』。
それが、少年に雇われた騎士としての、俺の目的。
「……さぁな。なんせ顔も名前もわからない……胸にバツ印の傷がある、ってことだけなんだろう?わかっているのは」
「うん。他の特徴は覚えてないし……。でも、騎士がいるから大丈夫だよ」
その自信の根拠について語ってもらいたい。
無いものねだりするほど愚かではないので、その質疑は一応脳内から消し去り、代わりに串刺しし終えられた肉たちを、火にあたるように地面に突き刺していった。
串肉が円形状に並ぶのを待って、少年はニコニコとしながら俺の頭甲を指差してきた。
「今日も、それ、とらないの?」
「明日も明後日もな」
「とって!」と語っている熱い視線から目を逸らし、火によって変色しだした肉を眺める。
数日に一度は交わされるこの会話。
少年の前で、俺はこの全身甲冑を外したことがない。腕や脚、掌や足裏に至るまで、肌色を見せた事は一度も。
だから、素顔が気になって仕方がないのだろう。
「ええー、なんでー?」
毎度のようにがっかりした大声をあげる少年に、思わずため息をつく。
そろそろ諦めてくれてもいいものだが。
「絶対に見せん」
断言して、茶色くなった串肉を地面から引っこ抜いた。脂滴るそれを、少年の前に突き出す。
「さっさと食ってさっさと寝ろ。俺はそのあと食う」
「一緒に食べたいよ」
「一緒に居るだろ」
「…うううぅぅ……」
唸りつつ、目が肉に釘付けになっている。
「お前が早く食ってくれないと、俺が食えないんだがな」
少し声を和らげて言うと、少年はしばらく目をうろうろと彷徨わせた後、がぷりと肉にかぶりついた。
ほとんど無言で肉をがつがつと食べ終えた少年は、そのままパタリと寝てしまった。ここ十日間ほど、昼は歩き詰め、夜は砂埃になりながらの野宿、という美肌に悪そうな生活が続いていたのだ。相当疲れがたまっていたんだろう。
少年の両手からかじりかけの串肉を抜き取り、洞穴の奥まで引きずっていく。それにしても、こいつの胃袋はどれだけ小さいのだろう。全然食べていない。
四匹分もあるというのに。
「今日くらいは固い地面を喜んで寝とけ」
毛布をかけながら呟いた。どうせ聞こえてはないだろうが。
「明日の夜には、柔らかい地面が恋しくなっているだろうからな」
柔らかい砂漠の道は、迷いやすいし足をとられやすい。だがこれから行く固い岩場の道も、尖った石などで足を切りやすいし、躓いてこけやすい。
結局は、どの道も険しいのだ。
そんなことはお構いなしに爆睡している少年の幸せそうな寝顔を数秒見つめ、再び火のもとへ戻る。
大剣を手にし、洞穴の外の暗闇へと声をかけた。
「まずそうな肉なら、足りてるぞ」
光る目が、二つ四つと現れる。黒の中、その金色だけが異様にくっきりと浮かび上がった。
こんなところで火を焚き、肉なんか焼いて香ばしい匂いを漂わせたんだ……適当と言えば、適当の状況だろう。
今や黒を埋めつくすかのように点在しだした光を前に、剣を抜いた。キイン、という音が高く、ひんやりと響く。
「歌を歌うよ」
踏み出した先の闇は、冷たくて。
そうだ、残った分は干し肉にしよう。
初投稿なので、色々不安です。ご意見、感想、指摘などありましたら、どうぞお聞かせ下さい。よろしくお願い致します。