告死天使の弾丸
軍事国家マクスウェルの最高権力者である国軍総司令官の部屋に、足を踏み入れる。財力をひけらかす趣味の悪さはない。家具や調度品はどれも質がいいけれど、質実で、月明かりに照らされた部屋は、もの悲しい雰囲気だった。まるで、部屋の主の末路を知っているように。
足音が聞こえる。その人の姿を隠すように、カーテンがはためいて視界をさえぎる。頬をなでる感触はやわらかくて、高級品だとすぐにわかる。目を閉じたそのとき、扉が開いた。
「――こんばんは、依頼主さん」
「…【告死天使】か。老いぼれの想像など足元にも及ばないほどに可愛らしい天使が、よくこのような場所に舞い降りたものだ」
かくしゃくとした老人が、きっちり着込んだ軍服をゆるめながら呟いた。国軍総司令官カイル・アシュクロフト。それが彼の名前であり、身分。疲れたように微笑んで、ソファに腰を下ろした。
「依頼には代理人を介すると聞いていたのだが…まさか本人が来るとはな」
「ジョン・スミスには止められたけれど、気になったの。自分自身の暗殺を依頼してきた人は初めてだったから」
依頼はすべて、代理人であるジョン・スミスを介して私の下に届く。付き合いは長いけれど、私は彼の本名を知らない。知る必要もないとさえ思っている。彼の名前を知ったところで、私のすることに変わりはない。
どうして、とささやくように問いかける。目の前の老人は疲れたように笑った。
「――復讐だよ。十三年前、わたしから家族を奪っていった男に、復讐するためだ」
自虐的に微笑む姿は、ブラウン管越しに見る凛々しい姿とは似ても似つかない。
「家族…娘夫婦とその娘は、海難事故で亡くなったそうだけれど」
「不審な点があった。調べればある人物につながったよ。証拠はついぞ見つからなかったがね」
彼から依頼を引き受けた直後、彼についてしっかり調査した。調査内容には、彼の家族も含まれる。
早くに妻を亡くし、男手ひとつで育てた一人娘は、結婚から二年後に娘を出産。でも、十三年前に起きた海難事故で、夫と娘とともに死亡。遺体は今も、見つかっていない。それ以来、家族と呼べる人物を持たずに生きている。
軍部内では穏健派。版図拡大をもくろむ強硬派とは逆に、必要以上の武力行使反対を宣言している。軍事国家の頂点とは思えない方針から、敵が多いけれど、味方も多い。
「わたしが殺されれば、誰もがやつを疑うだろう。そうさせるための手筈も整っている」
明日はこの国の建国五十周年を祝う記念式典がある。私が彼を殺すのは、その最中。当日はテレビ中継も入るし、観客の目もある。総司令の不審死が隠ぺいされることは、まずない。警護が厳しいだろうけれど、もう当日の警備計画はこちらの手元にある。
「…そう」
少しだけ、距離を詰めた。それ少し警戒したのか、油断のない視線を向けられる。直後、彼の表情が少しだけゆがんだ。驚いたような、悲しむような、そんな顔だった。
「その、ペンダントは?」
いつも身に着ける、天使の羽を模したペンダント。アンティーク調で、たいていの衣服には合わないけれど、気に入っている。
「知らない。でも、これだけなの。記憶を失う前から持っているものは」
「…そう、か」
静かな表情で、彼は言う。目を閉じて、なにか考え込み始めたようだった。
「――君は、なぜ暗殺者になった?」
「私の中にある殺意と憎悪を晴らすため。そして、自分が生きていると実感するため。それだけ」
記憶をなくし、目を覚ましてから、自分の中でわだかまる「誰か」への殺意、憎悪。それを晴らす方法を、私はこれ以外に知らない。
殺すか死ぬかの極限状態の中での、ぎりぎりの遣り取り。その時だけ私は私が今生きているということを実感できる。
「そうか」
寂しげに微笑んだ彼は、それきり何も言わなかった。もう夜も遅い。帰って明日の確認をすべきだろう。立ち上がり、窓から出ていこうとした私の背を、彼の声が引き止めた。
「…君に会えてよかったよ。なんとなく、娘のことを思い出した」
呟いた彼に、私は振り返る。過去を思い返しているような言葉なのに、どうしてか、彼の意識は現在、あるいは未来に向いているように見えた。
「君の名前を聞いていいかい?」
名前なんて私にはほとんど意味がない。私の名を呼ぶのはジョン・スミスくらい。他では適当な偽名を使う。いつもそうしているのに、どうしてか偽名を告げる気にはなれなかった。
「アンゼリカ。内緒だよ」
「そうか…天使か、似合いの名だな」
慈愛、といえばいいのか。彼の顔は、そんな顔だった。ブラウン管越しに見る「国軍総司令官カイル・アシュクロフト」とは別人のようだ。そこではじめて私は、そんなたいそうな地位にいるひとでも、普通のひとなんだと気付いた。
「もう帰らなきゃ。準備不足で失敗とかしたくない」
「そうだな。わたしも失敗してほしくない」
窓から飛び降りる。私たちに別れの挨拶はいらない。誰かに尾行されていないことを確認しながら自宅に向かう。林立するビルの中の一つ。その最上階。ジョン・スミスが私にくれた部屋だ。この季節は、ビルとビルの間から朝日が見える。
睡眠をとって、早めに起きる。朝日が昇るのを見届けて、必要なものだけ持って外に出た。記念式典は街の中央広場で開かれる。今日は終日お祭り騒ぎだ。浮かれた雰囲気の人混みに紛れ込むのは難しくない。その雰囲気が私の手で壊れると思うと申し訳ない気もするけれど、だからといってやめてやる義理はない。
中央広場から離れたビルにある空室に陣取る。ここはかなり離れているから、ほとんど警戒されていない。演説のため、檀上に出るカイル・アシュクロフトをスコープ越しに眺めてみる。堂々とした姿は、今日死ぬことを覚悟している人間のものには見えない。
「――おやすみなさい、カイル・アシュクロフト」
愛用の狙撃銃の引き金にかけた指に力を込める。火薬の臭い。スコープ越しに、頭に風穴のできた国軍総司令官が倒れるのが見えた。悲鳴。怒号。ここまで聞こえてくる。
手早く片づけて、その場を離れる。彼の屋敷にいったん寄ってから、家に戻った。銃を片づける。むなしい気分を振り払うように、テレビの電源を入れる。どこの局も彼の死を取り扱っていた。
本日午前十時ごろ、建国五十周年を祝う記念式典の最中、カイル・アシュクロフト国軍総司令官が殺害されました。
犯行は有名な暗殺者「告死天使」によるものと判明し、国軍は強硬派筆頭であるオズワルド・サリンジャー国軍大将の依頼によるものと身柄を拘束しましたが、本人は否定しているとのことです。
民衆では故人を悼むと同時に、暗殺者を野放しにしている国軍への不満を高めています。
また、死の間際に故国軍総司令官が呟いた「ありがとう、レイチェル」という言葉の意味は不明のままです。
レイチェル。彼の孫娘の名前だ。なんとなく、なつかしい響き。彼は死の間際に、死んだはずの孫娘の幻影を見たのだろうか。取り留めのないことを考えながら、電源を切る。途端に電話が鳴った。まるで監視されているようなタイミングだ。
『お疲れ様、アンゼリカ。今日も無事に成功したようで何よりだ』
「――ねぇ、ジョン・スミス」
『ん?』
受話器の向こう、ジョン・スミスは不敵に笑っているんだろう。何もかもを見透かしたような目で。
なくしたはずの記憶。彼はそれさえも知っているのかもしれないと、今まで何度も思ったけれど、聞いたことは一度もない。
「なんだかむなしいの。どうしてかな」
『わたしが知るわけないだろう』
と言いつつ、彼は原因を知っているような気がした。でも、答えないということは、いう気がないんだろう。彼の口を割らせるなんてできるわけがない。さっさと諦めて、話の続きをうながす。
いつも通りのこと。それなのに、むなしい。そんな思いを抱えたまま話を終える。
レイチェル。その言葉を呟いてみる。
どこかなつかしい響きだった。
いずれ「ブラウン管」なんて言葉も通じなくなるんですかね。
こんなシリアスな話を書きながらそう思うあたり、自分はいろんなものがずれている気がします。
それでは、読んでくださってありがとうございました!