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あの翼が黒い理由[参]

 昼下がりの町市場。

 いつもと同じ商品と、いつもと同じような売れ行き、いつもの如く晴天の空を眺めても、いつも通りの気分で商売なんてできっこなかった。


「天木さーん。これ、ちょうだい」

「え? あ、はい」


 多めの金を受け取って、商品と差し引いた料金を客に返す。

 自然と体が動いてくれたが、こんな調子ならいつ釣銭を間違えるかわからない。

 リンが飛び去ったあの夜、寝よう寝ようと思ってもなかなか寝付けないでいた。

 茜が遅刻ギリギリに起きて、俺もそれについていく。

 おかげで、俺が町についたのはいつもより少し遅い時間帯だった。


「オヤジさん。黒い翼を持った有翼人て、見たことある?」

「なんだよいきなり」


 昼休み前で多少忙しい時間、この時間はいつもなら俺も隣も商売に集中しているのだが、今は客入りの隙を見ての話しかけている。


「いや、なんでもない」

「……黒い翼か」


 慌ててごまかしたが、オヤジさんは何かを察してか、話に乗ってくれた。


「あー、いつの事だっけ。何年か前に、この町とお前さんの村で流行病が起きたよな」

「俺がガキの時ですね。よく覚えてないんですけど」


 覚えているのは、俺が初めて村を出たのはその時で、俺の母親が死んだのもその流行病ということだけだ。

 母親だけじゃなく、あの時は大勢の人がその流行病で死んだんだ。


「俺の家じゃ、かあちゃんがかかって看病に必死だったんだがな。町だと噂が流れたんだ」

「噂……?」

「流行病を引き起こした張本人が、どっかで生まれたガキだって話さ。くっだらねぇだろ」

「あの、俺ガキだったから覚えてないんだけど。流行病ってどれくらい前ですか?」

「んなもん覚えてねーよ。十五年以上前なのは確かだ」

「そっすか」

「でもま、その噂のガキが生まれたのはお前さんの村らしいぜ」

「へー。で、なんでそのガキが流行病の元凶だって?」

「取り上げたのが、たまたまその村に行ってた町医者でな」


 取り上げて数日後、その病で死んだらしい。そいつが、流行病で最初に死んだ野郎さ」


「たまたまその医者がどっかの患者から拾ってきただけじゃないのか」

「わからんけどな。俺もここからは小耳に挟んだだけなんだが。随分前に囁かれた噂でな」


 そう言って、オヤジさんは目の前にやってきた客に視線を切り替え、商品と金を取りかえる。

 再び俺に振り返った時の表情は、なんとも形容しがたいものだった。


「教えてくださいよ、もったいぶってないで」

「……その両親が有翼人でもないのに関わらず、翼を持ったガキが生まれてきたんだそうだ」

「え?」

「そのガキもまた流行病で死んだだのまだ生きてるだの、山の神様んとこにいるだのといろいろ言われているんだが、どの噂もこぞって一ヶ所同じなんだよ」

「そのガキの翼は災厄の前兆。黒い翼だったってな」



          ★



 漬物が多少残った荷車を引いて、俺は帰路についていた。

 それにしても、興味深い話を聞いちまったな。

 黒い翼は災厄の前兆。それはリンの背中に生えたものと一致する。


「リンはやっぱり、それを隠していたのか?」


 黒い翼を持って生まれた子供が、リンである保証はない。

 それでも流行病の時期に生まれたとすれば、リンと同い年、もしくはそれに近いはずだ。


「確かめて、みるか」


 とは言ったものの、村のどこの家で生まれたのかもわからない。

 有翼人であることから、村にいる可能性は低い。いたとしても掟がある。

 有翼人の出入りを禁ず。姿を隠しているはずだ。

 倉崎の婆は大の有翼人嫌い。

 でなければあんな掟を作るはずもない。

 敷地内に落ちていたあの黒い羽根は、リンのものなんだろうか?


「しかし、わざわざ使用人使ってまであんな女の子追いかけ回すかね」


 村長はガラの悪い男二人組も使ってたんじゃないか?

 それが倉崎の婆だとすると……姿を隠していたのは何の為だ?

 村に有翼人が入ってきたから?

 それなら追い出すだけでいいだろう……。


「何が一体どうなってンだよ……」


 俺は昔から掟には疑問を抱いていた。

 だが俺みたいな若者が抗議しても、村長が聞き入れてくれるはずもない。

 あの人は昔からそういう人だった。

 子供達は町に行きたいと言っているが、成人の足でも二刻はかかる距離。

 これは子供達だけで町へ行かないようにとの配慮だろう。

 それはわかる。

 ただ病気だとかそう言った事情がなければ村を出られない、この徹底ぶりが問題なんだ。


「何か、あるよな」


 成人未満への拘束、有翼人に向けた異常なまでの拒絶っぷり。


「あの婆、何考えてやがる」


 考えにふけりながらも、足は緩めずに村を目指した。

 昨日男衆を見たのは、この辺だったっけ。


「ん?」


 考えを中断したのが幸いしたのか、むしろこのまま突っ切ればよかったのか。

 俺は荷車を引きながら、何かの気配を感じ取ってしまった。

 なるべく首を動かさずに、視線だけで周囲の様子を探る。


(わかりやすい……)


 気配を隠し切れていないが、間違いない。賊だ。

 商売を始めてから一度だけ襲われたことがあったけど、あの時は確か突っ切って逃げたんだよな。でも、あの時とは少し状況が違う。


(囲まれてやがる)


 考えるのに夢中になっていた代償か、気付くのに遅れてしまった。前に襲ってきた同じ賊が俺を狙ってきたのか。町であった男二人組が復讐に来たのか。あるいは……。


「突っ切るか、それとも……」


 自問するが、答えはとっくに決まっている。

 荷車置いて逃げるのが得策だ。前回もそれで助かったんだ。

 財布は服の中だし、失うものは荷車と売れ残った漬物……ああ、茜にどやされるな。

 葉の擦れる音が夜の山道に広がっていく。


「ッ!」


 それを合図にしていたのか、隠れていた賊達が一斉に草むらから飛び出してきた。


「うォらぁぁぁぁッ!」


 俺も同じだ、それを合図にして駆ける。

 荷車は引いたまま。だが、これを抱えたまま逃げ切るのはまず不可能だ。


「逃げたぞ! 追え!」

「待てやコラァ!」

「待つかってんだ……ッ!」


 前回ならそうだった。前は上り坂手前で襲われて荷車を捨てていく他なかったが、今回その坂はとっくに過ぎている。

 ここからは一本道。それを終えれば、下り坂。


「その荷車ぐらい置いてけよ兄ちゃんよぉ!」


 側面から斬りかかられ、荷車に刃が通る。それでもなお、俺は駆けた。

 いきなり飛び出したおかげで、囲まれていた形の陣形は多少崩せたらしい。が、追われている事には違いない。ここで足を少しでも休ませればあっと言う間に追いつかれてしまう。


「あと少し!」


 理不尽な賊の言葉を無視して、俺は一心に駆けていく。


「きた!」

「おい、まさかあいつ!」


 賊達の予想は大体想像がつく。そのまさかだ。

 見えてきたのは一本道の途切れた暗闇。その正体は俺の待っていた下り坂。

 荷車の車輪を下り坂に置き、そのまま一気に駆け下りる。

 失敗すれば怪我だけではすまないだろうな。

 無謀な博打だったが、この際これに賭けるしかない。砂利は荒くない方だから、なんとかなる。

 ……たぶん。


「よっ、と!」


 その瞬間を見計らって、俺は荷車に飛び乗った。

 荷車が四輪故にできたこの荒技。二輪荷車なら坂を下る間にまず間違いなく体制が崩れていただろう。

 圧倒的な加速を見せつけ、賊達はあっという間に遠くの存在となった。


「くそっ!」


 遠くで賊共の舌打ちが聞こえた。もう追う気力はないらしい。



           ★



 下り坂が緩くなって、荷車の速度はだんだん落ちていった。自力で荷車から下りられるような速さにまで落ち着いた頃には、もう村の入り口は目の前だった。


「ここからは歩かないと」


 荷車を降りて、ほぼ無傷の荷車を見て俺は安心した。


「漬物良し。財布……」

「……良し」


 これがなくなっていたら一日の仕事が水の泡だ。なんとしてでも死守しなければならん。

 それにしても賊だなんて物騒だな。運よく逃げ切れたからよかったものの、捕まっていれば何されたかわかったものじゃない。


『そのガキの翼は災厄の前兆。黒い翼だったって話だ』


 まさかな。


「兄貴ー」


 茜の声だ。


「おーい」

「あー今行く、待ってろ」


 荷車を引いて茜の元へ。


「おかえり」

「こんな時間まで待っててくれたのか。賊が出るから、家にいたほうがいいぞ」

「え、出たの?」

「ついさっきな。まいてきたけど」

「……荷車引いて?」


 後ろのそれを覗き込み、そう俺に聞いて来る。


「まだ売り物残ってたしな」

「すごい根性だね……」


 荷物置いて逃げればよかったんだろうが、なんでだろうな。やっぱり仕事の苦労を覚えてしまったせいだろうか。


「これで目を付けられないといいね、兄貴」

「…………その辺をまったく考えてなかった」

「おいおい兄貴。そりゃないよ」

「ま、大丈夫だろ。心配すんな」

「でも」

「なんだ、心配してるくれたのか」

「べ、別に……そういう訳、だけど」


 茜が目を逸らす。


「茜」

「な、なに」

「大丈夫だって。明日からは別の道で帰る事にする、もう少し早めに帰る。明るいとこ通る。な?」

「……うん。わかった。あ、さっき倉崎の使用人さんに会ったんだけど、村長が兄貴に用だって」

「婆が? 次の稽古は来週だろ」

「用件はわからないけど、私も一緒に来るようにって」

「なんだろ」

「いろいろしてるから怒られるんじゃない?」

「特に何もしてないと思うんだがな」

「荷車はどうする? ここから婆の屋敷まで近いし、持っていこう」

「じゃ、乗せて」

「断る、自分で歩け」

「えーっ」

「自分で歩けよ。ほら、行くぞ」

「よっ、と!」


 茜は俺の言う事をまったく効いていないのか、売り物の残った荷車に飛び乗った。

 商売と逃走で体力を使いきった俺にとって、この元気は少し羨ましい。

「下りろ」

「嫌だー。連れていけー」

「……はあ」


 溜息一つついて、俺は諦めるように一歩前へ踏み出した。


「兄貴」

「なんだ」

「お父さんとお母さんの事、覚えてる?」

「どうした急に」

「いや、えと、なんとなくね」

「母さんの事は、なぜか俺もよく覚えてない」

「そうなんだ」

「薄情だと思うか?」

「少し。私は赤ん坊だったから、覚えてないのは当然だと思うけどさ。兄貴はそうじゃないでしょ?」

「親父の事は覚えてる。母さんと俺が流行病にかかった時、必死になって山を越えて、医者の元まで運んでくれた」

「お父さんが?」

「赤ん坊だったお前は、近所のおばさんのところに預けられたらしい」

「玩具を手作りした時に、なぜか怒られた事もあった。空に関心を持たせないようにする為だろうけど……その逆で、空がなんで青いのか教えてくれたこともあったな」

「そんな事あったんだ。で、その空が青い理由って?」

「忘れた。お前も、なんで今更親の事聞くんだ?」

「今更かな」

「やっぱり、寂しいか」

「うんうん。一応、兄貴がいるし」

「一応って何だよ」

「深い意味はないよ。ただ……」

「ただ?」

「リンちゃんの目がね。寂しそうだったの」

「リンの、目が?」

「うん」

「昔の兄貴と同じ目だった。お父さんが死んだ時と、同じ目……」

「寂しそうに見えたか」

「少し」

「でも今は大丈夫だ、お前もいる。一応」

「一応って何よ」

「お返しだ。ほら、着いたぞ」

「稽古以外で来るのは久しぶりだね」

「それでもだ、ここに来る度に奇襲される。ほら、こんなふうに!」


 荷車から木刀を引っ張り出し、構える。恒例となった奇襲に備え、全神経を屋敷へ集中させる。

 来ない。


「あれ、おかしいな」

「兄貴、過敏になりすぎじゃない?」

「過敏な方がちょうどいいんだけど、変な感じがするな」

「ほら、あっちから呼び出したんだし、奇襲みたいなことはしないんじゃない?」

「だ、だよな」


 ひとまず安心して木刀を腰に収める。


「出迎えもないな。勝手に入るか」

「うん」


 最後に、すっかり日の沈んだ辺りをもう一度見渡す。


「やっぱり警戒しすぎ」

「いいんだよ。ほら、さっさと行くぞ」


 屋敷の門をくぐり、敷地内へと足を踏み入れる。

 子供の時に説教を受けるべく、屋敷に連れてこられた事は何度かあったが、その度に薙刀やら奇声を放たれていたような気がする。

 だが、今回ばかりはそれがない。


「ったく、調子狂うな」

「何をしとる」

「うォわっ!?」

「ひうッ!?」


 突然、通り過ぎたはずの門の傍らから声がした。


「わしじゃよ」

「な、なんだ婆か……」

「待っておったぞ」

「もうちょっとわかりやすい所で待ってろよ!」

「び、ビックリしたぁ……」


 文句の一つも言いたかったが、倉崎村長はそそくさと俺達の先を歩いて行く。


「ほれ、中に入れ」

「あ、ああ」


 倉崎村長のいつもと違う雰囲気に戸惑いつつも、俺と茜は屋敷の和室へと案内された。


「兄貴、おばあちゃんいつもより大人しいよね」


 途中、廊下で茜が小さな声で囁きかけてきた。


「何か用があるのは確からしいな」

「商売は順調かい」

「え? あ、ああ。大丈夫、うまくやってる」

「うむ。ならば、良い」

「まさか、それだけじゃないよな」

「ん? ああ、これはついでじゃ」


 そう言うと、村長は立ち止まり、和室の戸を開けた。


「入れ、立ち話では何じゃろう」

「じゃ、お言葉に甘えて」


 茜は無言で俺の隣へ。


「さてと、何から話したらいいかの」


 村長は座らず、ただ縁側に立ち竦んで庭を眺めていた。

 俺達の見ていたその背中は、ただこんな事を言った。


「お前さんら、何か見たか?」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 直後浮かんだのはリンの顔、それは茜も同じだったらしい。


「何か、見たか?」


 問い正す。同じ質問。


「何を、だ?」

「わからんかか」

「だ、だから何をだよ!」


 茜は、俺と村長の静かな言い合いを見ているだけで口を開こうとはしない。

 それが続くに連れ、茜が席を膝をついて、俺の背中に隠れるようにすり寄って来た。


「見たというものがおるんだがの。お前さんらの家から『あれ』が出てきたと」

 こちらを振り向いた村長の顔は、月明かりに照らされて一層怪しく見えた。


「なんだ、倉庫を荒らしたイノシシか何かか?」

「だからの」

「――とぼけるなと言っておる」


 老体とも思えない威圧感と、鋭い眼差し。俺達二人は尻ごみするしかなかった。


「かくまっておったじゃろ? 『あれ』を」

「…………」


 いつの間にか、俺は茜をかばうように身を乗り出していた。


「わしの目はごまかせんよ。若者の嘘を見抜けぬと思うたか」

「おいおい、目がイッちまってるぜ?」

「あ、兄貴」


 怯えるような茜の声に、一層この場が凍りつく。


「正直に言えばいいんじゃ」

「何も知らないね」

「ほう。あくまでシラを切るか」

「…………」


 災厄の前兆。黒い翼の有翼人、リン。そんな言葉が脳裏に浮かんでは、唇を噛みしめて消していく。首を縦に振ってはいけない、ここで屈してはいけないような気がした。

 茜は口を開かない。茜はリンを売らない、それは俺も同じだ。


「今、あいつはどこにおる? あの、黒い翼の有翼人は」

「有翼人なら――リンなら飛んでどっか行っちまったよ」

「りん?」

「おいおい婆さん、黒い翼の有翼人だろ。リンって確かに名乗ってたぞ」

「ほほ、そうかいそうかい……」

「?」

「竜司よ、茜を連れてこの地を去れ」

「何?」

「あれは災いをもたらす翼じゃ。見たのであれば、その呪いが届かぬ場所へ行け」

「遠くに行けば呪いじみたもんが消えると?」

「わしからの忠告じゃ。あれには関わるな」

「だとよ、茜」


 背中越しに震える茜へ話を振る。


「…………」


 村長への返事を任せた訳じゃない。


「茜や、掟の事は気にするな。お主、町へ行きたがっていたじゃろ。これは良い機会と思えば」

「嫌」


 小さな声と拒絶。俺の肩に腕を置いて、身を乗り出し、自己を主張している。


「べーッ!」


 見上げると、そこには突き出された小さな赤い舌があった。

 その子供じみた拒絶の証がすごく笑えた。


「ぷっ――アッハハハハハッ!」

「あ、兄貴?」

「大丈夫だよ、茜。俺の答えは最初から出てる」


 肩に茜の腕を乗せたまま、イラつき始める村長を余所に、声に出して大笑いをかました。


「何がおかしい!」

「べつにー。なんだかんだで反抗期なんだよ、こいつ。ついでに俺も成人になったけど、まだ反抗期は抜けてないんだぜ?」

「兄貴?」

「茜に同じく、俺はこの村出ていく気はないね。リンから離れる必要もないだろ」

「なんだと?」

「災いが降りかかるねぇ……それならもっとマシな嘘付けよ。今日の賊、あんたの使用人だろ?」

「…………」


 どうやら図星らしい。前に襲われた賊よりも隠れるのが下手だったし、違和感もあったのだが、ここの使用人達だったのか。


「後悔するぞ」

「悪いな、婆。友達裏切って後悔するより、友達信じてた方がいい空を仰げるんだよ」


 友達。

 茜と同じように、俺はリンをそう思っている。

 災厄の前兆と言われているのは本当らしい。本人もそれを気にしているようだった。

 だから、あの黄金色の法衣で隠していたんだろう。


「そこまでするほど、貴様らの関係は濃くもなかろう。何故そこまでする」

「言っただろ、反抗期なんだ」


 村長は鼻でそれを笑った後、俺達二人を一瞥した。


「わしは言ったぞ、後悔すると」


 村長が背を向ける。それと同時に、一斉に周囲の襖が横に流れた。


「!?」

「任せたぞ、わしはこれをどう揉み消すか考えねばならん」

「おい婆、こりゃ何かい。ホントに賊でも雇ったか。冗談にしては性質が悪いと思うんだが」


 開かれた襖ごとに真剣を構える使用人の姿が複数あった。中には見た事のない顔もいる。

 こちらに剥き出しの敵意を向け、その命令を待っている。


「やれ!」

「茜、立て!」


 倉崎の一言で、使用人達が刀を構え、一斉に飛びかかって来た。

 初撃は寸前のところで俺の指一寸先に振り下ろされる。


「あぶねっ!」


 向かってくる殺気をやり過ごすように、茜の手を引いて縁側に走った。


「逃がすんじゃないよ、秘密は守らなきゃならないんだからね!」


 指示を投げつける倉崎の声。それに従順な使用人達は、俺達兄妹を追い掛け回している。


「ひ、秘密とか言ってたけど!」

「……話が見えねぇ。とにかく走れ、この事件すら揉み消すみたいだからな」


 下手をすれば、俺達もその秘密に加えられる可能性がある。冗談じゃない。

 縁側を沿って走り、背後に気を配りながら駆ける。

 入口は塞がっているはずだ、どこから逃げたらいい……?


「無駄だよ、屋敷全体に軟禁用の術式札を貼ったからね。あんた達は屋敷から出られないよ」

「軟禁用!?」

「どうやらあの婆、本気らしいな」


 軟禁用の術式札。貼った場所と数で効果が変わる高度な術式らしい。俺には理解さえ難しい術式だ。


「茜、解除はできるか?」

「む、無理! こんな状況では無理だって!」

「屋敷の中逃げ回る訳にはいかないだろ!」

「っとと!」


 使用人が前からもやって来た。


「挟み撃ちか」

「あああああ、ど、どうしよう!」


 逃げ場がない。

 術式関連で茜が無理となると、これはもう本格的に手詰まりだ。


「俺が時間を稼ぐ。その間にあの婆の術式をなんとか、できるか?」

「ちょ、この数だよ! もう囲まれてるし、それに」

「ああ、木刀も荷車の中だ。あったとしても真剣に向き合えるかって言われると、厳しい」


 これじゃ、何もできない。万事休すか……。


「竜司さん! 茜ちゃん!」


 羽ばたきと、鈴のような綺麗な声。それに釣られて俺達は二人揃って月夜を仰いだ。

 大きく映る半月を前に、その影は空から俺達を見下ろしている。


「リン!」

「こちらへ!」


 リンがそういって飛んでいったのは、高くそびえる塀。


「お、おい!」

「時間がありません!」

「でも」

「軟禁用の術式は解除してあります。さあ、早く!」


 ここは、リンを信じよう。


「行くぞ、茜」

「うん」

「私に捕まってください、これぐらいの塀なら二人抱えても……」

「いたぞ! こっちだ!」

「さあ!」

「頼む」


 リンの右腕を掴み、茜もそれに倣って左腕を強く掴む。


「痛っ……!」

「リン?」

「い、いえ。しっかり捕まっていてね!」


 ふわりと体が浮いた、


「衣鈴様!」


 敵意に塗れた使用人達が俺達を見上げて叫んだ。


「くそっ! 門を開けろ、急げ!」


 月夜を仰げばその前に、一人の少女が羽ばたいているのが視界に割り込んでくる。


「……? くすくす」


 男女一人ずつ抱えて飛んでいるのにも関わらず、彼女は終始笑顔だった。


「竜司さん」

「ん?」

「茜ちゃん」

「な、なに?」

「……ありがとうございます」


 十秒とかからず、俺達は塀を越えて敷地の外へ降り立った。


「いたぞ!」


 少し遅れて、使用人達も門をくぐって外に出てくる。


「走るぞ、いいか。茜! リン!」

「あいよ、兄貴」

「えっと、はいです、兄貴!」

「いや、竜司さんでいいから」


 成り行きで、たぶんそういった言い方が一番合っているのだと思う。


「で、まずどうすんのさ!」


 茜が俺に飛ばしたのは愚痴とも質問とも取りにくい野次だった。


「とりあえず、走れ!」


 村の入口まで突っ走り、茜とリンはそれを平気な顔で越えてしまう。


「掟はいいのか?」


 冗談交じりで言ってみた。


「バレなきゃいいの」

「バレてるよ、つーか後ろから使用人複数来てるって」

「よし、町に行くぞ! 連れてくのが一人、増えたけどな!」



            ★



 それから数刻とせず、暗闇で使用人をやり過ごした俺達は、束の間の休息を取っていた。


「さてと、リン。まずは助けてくれてありがとうな」

「あ、いえ……元はと言えば、私のせいですし」

「そうだけどさ、リンちゃん。これはさすがにやりすぎだよ」

「…………」

「訳ありなんだろ? 話してくれよ」

「で、でも……それだともう引き返せませんよ? 私のせいでお二人が……」

「もう巻き込まれてるし、絶対にあの婆は許してくれねぇよ」

「え、う……」

「ね、リンちゃん」


 諦めたように、リンは肩を落とした。


「話してくれよ、衣鈴」

「!?」

「それがお前の名前なんだろ?」

「え、じゃあリンって」

「身分を隠すためについた偽名、ってとこか」

「……すいません」

「でもさ、兄貴。あの家に子供がいるなんて聞いた事無いよ? 学校にも来てないし」

「それは、私があの家に軟禁されていたからなんです」

「軟禁? なんでまた?」

「これですよ」


 リン――衣鈴は背中の黒い翼を控え目に広げて、それをまた閉じる。


「この黒い翼は、災厄の前兆。決して家の外に出すなと、人の前に姿を現さないようにと」

「でも最近、男二人組が軟禁用の術式札を剥ぎ取って、私を外に逃がしました」

「あ、町にいたあいつらか」

「はい。怖くなって、逃げちゃいましたけど」

「その軟禁用の術式札って」


 衣鈴の言葉で思い出した。俺が倉崎の屋敷で拾った――


「これの事か?」


 色褪せた術式札。貼られていたと思われる場所は、周りの色とかなり違っていた。


「はい、それです。でも、なんで竜司さんが?」

「拾ったんだよ。近くに黒い羽根も落ちてた」

「そうなんですか。でも、その時は飛んだ覚えがないです」

「急に走って、抜け落ちたんじゃない?」

「そうでしょうか。確かに、男の人達を無視してはしゃいだししちゃいましたけど」

「はしゃいだのか」

「ええ、静かにしてくれと……言われちゃいましたけど」

「なあ衣鈴」

「はい?」

「お前、いくつだ?」

「兄貴、女性に歳を聞くのは失礼だよ?」

「あ。す、すまん」

「いいんですよ。それで、何ですか」

「いや、いいんだ」


 彼女は、どのくらいあの家の中に軟禁されていたんだろう。

 その家の奴と会う事もなく、友達と遊ぶこともままならない。


「私を捨てなかった理由は『お前の祟りが怖いから』だそうです……」


 それでずっと軟禁状態か。


「使用人には追われてたのか」

「そうです。連れ出されたとは言え、家から抜け出しちゃいましたから。……反抗期なんで」


 それくらい、許されてもいいんじゃないか。と、俺は下唇を噛んであの婆の顔を思い浮かべた。


「私、一人は嫌でした」

「外から聞こえてくる笑い声が羨ましくもありましたし、正直憎んだりもしました。でも、結局は……はは、なんて言ったらいいんでしょう」


 寂しかった。

 だってそうだろう。何年も年の遠い使用人や婆に、その存在を隠されながら育ってきた、友達の一人や二人、作りたくもなるだろう。


「二人に最初に会ったとき、本当は友達になりたかったんです。本当の名前も言えなかったのは、村長の家には私なんていないって事になっていたから……」

「これ見たら、怖がっちゃうんじゃないかって」

「祖母には……村の人間は有翼人が嫌いだ。だから、お前を見たらみんな逃げる、石を投げつけてくる、って」

「村の掟か」


 有翼人の出入りを禁ず。

 どうやら、あの掟は衣鈴が関係していたものらしい。


「有翼人のほう? でも、子供が村を出るなって言うのは?」

「たぶん、町の有翼人を見させないためだろ。婆の台詞から察するに」


 子供達に有翼人は危険だという知識を植え付けるのが目的だったんだ。

 だったら、まず町へは行かせられない。

 村よりも人口が多い上に、有翼人も当たり前のようにいるからな。


「学校でも有翼人についてはあまり触れないね。聞けば教えてくれるけど」

「ま、俺は反抗的だったけどな」

「……ごめんなさい」

「おいおい、どうしたんだよ」

「だって、私のせいでお二人を危険な目に合わせてしまいました」

「そうだが、やりすぎって言うのは感じてる。気にすんな」

「よっぽど衣鈴ちゃんを外に出したくなかったんだね」

「それは、私は村の秘密だから……」

「やっぱり、黒い翼のことだよね?」

「はい。これは村でも町でも言われているんですよね」

「ある種伝説みたいなもんだけど。探せば出てくるんじゃないのか、お前みたいなのも」

「……どうでしょう」


 不安げな表情で返されてしまう。

 背中のそれは、やはり彼女にとって重みでしかないのだろうか。


「とにかく、少し寝よう。夜歩くのは危険だ、野宿するしかない」

「そうだね」

「…………」

「俺が見張っとく。茜、三刻したら交代な」

「ふぁ~い」


 茜はあくび混じりの返事をして、そのまま横になる。


「ぐぅー」

「えっ」

「……こいつ、寝るのは早いんだ」

「あははは……」

「お前も寝ろよ、明日は少し歩くぞ」

「そうですね。でも正直、眠れないんです」

「なら、横になっとけ」

「はい」


 素直に横になったが、それでも眠れる気がしないのか、俺の方へ体を向けている。

 それから何を話していいのかわからず、俺はただボーッとしているだけだった。


「…………」

「…………」


 やがて気まずくなって、いつもの癖で空を仰いだ。

 使用人達は上手くまいたらしい、耳を澄ましても声もない。気配も感じられない。

 月夜の空。今日は空気がいつもより澄んでいるのか、星が綺麗に見えている。


「俺達以外には誰もいない。安心しな」

「竜司さんって」

「ん?」

「空、好きなんですか?」

「なんでそう思うんだ?」

「いつも見てるんで、そうなのかなって」

「……そうだな。好きだけど、どっちかっていうと青空の方が好きだ。夜は星が見れて綺麗だけど」

「羨ましいです」


 羨ましい。衣鈴の口から、意外な言葉が飛び出した。


「飛んだ事はあるんです。でも、一度に飛んだ時間は半刻にも満ちません」

「その時は、すっごく興奮しました。空を独り占めしたような感覚、風を感じて私は無我夢中で羽ばたいたんです」


 閉じ込められていた屋敷に対し、翼を広げればそこは空。

 その翼のせいでこうなっているとはいえ、衣鈴はやっぱり飛びたかったんだろう。


「なんで、そのままどこかに行かなかったんだ?」

「逃げても、行く場所は私にはありませんでしたし」

「……そっか。なぁ、翼があるってどんな感じなんだ?」

「え?」

「昔から、空を飛んでみたいとか。雲の向こうには何かがあるんだとか」

「……そんな事を考えながら、育ったからさ」


 有翼人が羨ましい。俺はそんな事を思っていた。


「あんな村に生まれなければ……こんな色の翼でなければ、私はもっと楽しく空を飛べたんだと思います」

「…………悪い」

「い、いえ。でも、夜は暗くて気兼ねせず飛べます。村ではみんな眠っていて、誰にも見られませんから」

「青空はまだ飛んだ事ないのか?」

「はい。日の出前には帰らないと行けませんからね」

「そうでないと、村の人に見られちゃいます」

「そうだな」

「私も、青空は好きですよ。星の輝く夜とは違う、別の美しさを持っていると思います」

「いつか暗い空でなく、透き通る眩しいくらいの青空を飛んでみたいって」


 横になった衣鈴の目から滴が落ちる。頬を伝わず、そのまま髪へと溶け込んでしまう一本線の涙。


「飛べるさ」

「え?」

「今はいろいろゴタゴタしてるけど、いつか飛ばせてやる。あの婆を説得してでもな」

「でも」

「さー、寝ろ寝ろ。眠いと暗い台詞しか出て来ないもんだ」

「……はい」


 やがて、静かな夜が訪れた。幸い、外で寝ても風邪を引く季節でもない。


(災厄の前兆……)


 そんな迷信に振り回されて、衣鈴は友達すらできない人生を送ってきた。

 俺にこの子がどれだけ苦しい生活を送って来たのか、知る由もない。

 ただ、一つだけできることがあるとすれば……俺は全力でそうしてやりたい。


「今日はこっち見たほうが落ち着くな」


 仰げば満天の星空。それに対して暗がりの中月明かりに浮かぶ衣鈴の寝顔は、空のそれにまったく見劣りしないものがあった。


「おやすみ」


 言い忘れていたのを思い出して、静かに呟いた後、俺は見張りを続けた。

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