俺が空を仰ぐ理由[参]
「塩、少なかったかな」
握り飯片手に手団扇を仰ぎで、俺は炎天下を拝んでいた。
「あんちゃん、使うかい?」
隣の店から声、それと同じく手が伸びてきた。
この市場ではよく顔を合わせるオヤジさんが売りものであろう小さな団扇を差し出してくれたようだ。
「お、いいの?」
「んな暑がってたら客も暑がる。客が帰る、今日の売り上げも変わる」
「ちげぇねぇ。使わせてもらいます」
団扇を受け取り、掌の数十倍心地のいい風を満喫する。
「あー、効く」
「それにしても今年の梅雨は降らねぇな」
「梅雨を忘れて夏になっちゃったって感じですよね」
「雨だと客足が減るから、ありがてぇのはありがてぇんだがな」
野外の市場は、雨が降るか降らないかで大きく客足が変わってくる。
このまま晴れ続けてくれてもいいが、こう暑いのも考え物だ。作物だって雨が降らないとまともに育たない。買う飯がなくなっちまうんだよな、難しいもんだ。
「でも、しばらくは晴れると思いますよ」
「ん? どうしてそんな事がわかるんだよ?」
「ずっと空ばっかり眺めてたからでよ。雲の形がいつもと違うでしょ」
「俺にはどれも美味そうに見えるぞ」
「……そっすか」
「で、雲の形がどうしたって」
「あの雲の形。それと、最近暑いですよね」
「そうだな」
「それも蒸し暑い感じ。四年くらい前にも同じようなことがあったんですけど、たぶん近いうちに大雨が降りますよ」
「へぇ、そんなことまでわかるのかよ」
「当たらない事もありますよ。お天父さんの気まぐれですから」
「本当にそろそろドバーッと降ってくれないもんかね」
「俺の予想が正しければ、あと四日以内には」
「傘でも作っておくか?」
「いや、前と同じなら嵐ですね。傘なんて役に立たないくらいの大きいのが来ます」
「じゃあ、板と釘だな。嵐が来るならそれが一番売れるはずだ」
「仕入れておくんですか?」
「あんちゃんを信じるよ。博打でもしてみるかって気分だしな」
「最近赤字続きで、そろそろ手を打とうと思ってたんだよ。……かあちゃんだって怖いし」
「は、ははは……」
炎天下に乾いた笑いが消えていく。それからしばらく客足は途絶えた。
「しかしこの暑い中、女性の方々は余計に暑そうな服装ですね」
市場は昼にも関わらず人だかりができている。その中の四割を埋める女性達は、年代に関わらずそのほとんどが着物姿だ。
「あー、かあちゃんが言ってたっけな。若い女の間じゃ流行ってるんだとよ。ほれ」
オヤジさんが指さした先では、女二人が歩きながら談笑に浸っていた。
「ついでに。左にいる女の頭、見てみろ。あれ、あんちゃんの髪飾りだろ?」
「あ、本当だ」
二人の内、左を歩いている女性が派手な着物を着こなした上で、頭に地味な髪飾りを付けている。
「あの地味さ。間違いなく俺の作った髪飾りだ」
「着物に比べちゃ確かに地味だわな」
「着物が派手すぎるだけでしょ」
「っと、こっち来るぜ」
「ほら、ここ! この髪飾り、ここで買ったのよ」
近づいて着た女性二人組が、俺とオヤジさんの店の前で盛り上がり始めた。どうやら、髪飾り目当てでやってきたらしい。
「いらっしゃい」
「いいねー、口コミで商品が売れるってのは」
「他はまったく売れませんけどね」
「着物に合いそうなのがいっぱいあるわね。んー、買っちゃおっかな」
「ありがとうございます。って、本当に髪飾り以外が売れないな……」
「ご、ごめんね? もう持ってる物ばかりだからさ」
「いや、謝られても困りますって」
それからしばらく、その女性二人組は店の前を陣取って動こうとしなかった。
「どれにしようかなー……」
このように、髪飾りを勧められた方の女性が、どれにしようか悩んでいるからである。
今日は人も来ないみたいだからいいんだけどさ。
「まったく優柔不断なんだから。にしても、暑いわね」
「そうだね。んー……」
髪飾りを勧められた女性が、もう一人に相づちを打ちつつ、髪飾りを見ようとしゃがみこむ。
「もっと涼しい格好の方がいいんじゃないか?」
「涼しいの……?」
少し間を置いて、軽蔑の眼差しと共にこう呟く。
「天木さんのスケベ」
「なっ、俺はそういうつもりじゃ!」
「冗談よ。ほーら、とっとと決めちゃいなさいよー」
「あとちょっとー」
「もう」
髪飾りをした女性客は、息をもらしつつも笑顔で長期戦を覚悟したようだ。
すると、しゃがんでいた女性が厚い着物で首を扇ぐようにパタつかせる。
当然、その目立つ胸がチラつく訳でして、ね……。
「お、お客さん! 見える、見えるって!」
「大丈夫よ。なに、見たいの?」
髪飾りした方の女性客だ。暇だからと言って俺をからかうのはやめてくれ。
「いや――」
「見たいです」
と、隣にいるオヤジさん。
「正直ねー、団扇買います」
「あ、私も」
二人の女性客が、オヤジさんの店から団扇を購入した。
「初めからそうしてください……」
「てか、嬢ちゃん達。背中のそれで飛べば涼しくなるんじゃないの」
オヤジさんが指さしたのは左の人の背中だろう。
「翼? お姉さん有翼人だったんだ」
着物で翼が隠れているからわからなかった。
「あら。珍しくもないでしょ?」
「すいませんねー、俺は『田舎者』なんですよ」
「てことは、あの村の人?」
「ええ」
「なるほどね。でもおじさん、こんな所で飛んだら迷惑ですよ? それに、着物で飛ぶとお腹が苦しいの」
「そういうもんかい」
「手入れとかも大変だしね」
「ほお。まあ、良い女ってのは、翼から違うもんなんだよ。ねぇちゃん、商売終わったら一緒に飲もうぜ」
「お断りですよ」
「手厳しいねー」
「よーし、これください!」
しゃがみこんでいた女性客が髪飾りを二つ、俺に差し出してきた。
「まいどありー」
市場に男の大声が響き渡ったのは、ちょうどその時のことだ。
ここから物語が少しずつ動き始めます。
できれば最後までお付き合いくださいませ。