あの空が青い理由[完]
数日後。
何事もなかったかのように、俺は町へ商売に出ていた。
相変わらず茜の案で出した商品以外はほとんど売れない。
得てして今日も変わらない一日だ。
梅雨が早くも明け始めたのか、空は快晴。夏も近い。
「ふふふ」
隣にいる衣鈴の笑顔も快晴だ。
「なんだよ衣鈴。急に笑い出して」
「べ、別になんでもないですよ? ただ、仕事中なのに空なんて見てていいのかなって」
「いいよ。客が来たら相手するし」
「もう来てるんだけど」
「えっ」
「はははは……」
目の前に、苦笑いするのは着物をきた女性客二名。
「す、すいません」
「いいんですよ。あら……そちらの方は?」
「恋人。仕事場見てみたいって言って着いてきたんだ」
「あら、おめでとうございます。でも、その人先日……」
「はい。先日は、ご迷惑をおかけしました」
そういって、今初めてあったであろう人に頭を下げる。
「い、いえ。別に根も葉もない噂だったし」
「あの婆は俺を誘拐犯扱いして、何が楽しいのかね」
「でも、さらわれたのは本当です」
「お前がさらってくださいとか言うからだ」
「泥棒さんもしました」
「自分の家に金取りに行くのはね、泥棒さんじゃないの」
村長、曰く……。
『捕まえるのに手間取るから泥棒沙汰、ついでに法衣の女を誘拐したと言う話を町に流した。いやはや、まさか本当に誘拐や物取りをするとはな。カッカッカッカッ!』
「っていうか、なんで俺は婆と孫娘に揃って同じ事を言ってるんだ」
「あはは……」
「あ。髪飾り、新しいのができたんだ。これって、翼? 珍しい色だけど……」
「俺の村だと、幸運の翼って言うんだぜ?」
「この町だと、結構前から正反対の噂があるんだけど」
「黒い翼が災厄の前兆ってやつ?」
「そそ」
「言っちゃなんだけど、古いよお客さん。ほら、あっちの人」
そう言って指差したのはお客の後ろにいた何人かの女性衆。
「着物こそ派手だけど、頭みてみ」
「あ、同じのだ」
そう、これは先日から売り始めた『幸運のお守り』だ。
「黒い両翼は幸運のお守り。これのおかげで、この子の祖母の悩みが解決したんだ。本当の話なんだけど、これを宣伝文句にしたらおもしろいくらいに売れ出しましてね」
「流行り始めているって感じかな」
「天木製の髪飾りはまだまだ続きますよー」
「流行りが過ぎたら?」
「新しい商品考えます……」
「お客さん、この人を落ち込ませないでくださいよ」
「衣鈴やぁ、おめさんは優しい子だなぁ」
「ははは、新婚さんみたいですね……」
あ、やべ。客がほったらかしだ。
「髪飾り、もらいますね」
「まいど」
今日も快晴。その他の売りものは雲行きが怪しいけど。
「よかったですね、竜司さん」
いいよな、これでも。
★
「つっかれたぁ……」
「おかえり、兄貴」
帰る家は違えど、合わせる最初の顔は変わらなんだ。
「お前兄貴兄貴言ってるけどさ。もっと別の呼び方できないの? お兄ちゃんとかにーちゃんとか」
「茜ちゃん、ただいま」
「あ、お姉ちゃん。おかえり」
「そっちにはその呼び方なんだな……。姉貴とかじゃないんだな」
あの騒ぎ以降、俺と茜は倉崎家に身を置いて生活している。
忙しい生活は相変わらずだが、やたらと騒がしくなったのも事実だ。
使用人がいたりして少しばかり困惑しているが、それにも慣れてきた。
家族みたいなものだからな。
「おや、帰ったのかい」
「おう、ただいま」
出迎え二人目、ここの主だ。
「おばあちゃん、ただいま」
「衣鈴や、大丈夫だったかい? 町はやっぱり危ない所だったろ?」
「どこの偏見持ちの老人だよ。てーか、あんた見てただろ! 町の平和さ見てただろ!?」
「最近物忘れが激しくての。孫娘の想い人の顔すらボヤけておるんじゃ」
「目の前にいるじゃねーか。近視じゃねぇの、ここにいるんだぞオイ」
「はん!」
この人との仲も相変わらずである。
「茜や、使用人達の料理を手伝ってくれるかい」
「あれ、私厨房に入っていいの?」
「よいよい。どちらかと言うと茜の味付けの方が今は恋しいからの」
「はぁーい」
祖母の言葉を受けて、そのまま厨房へ向かう茜。すっかり溶け込んだな。
「俺は?」
「部屋で待っとれ」
「あいよ」
「そうだ婆」
「春さんと呼びなクソガキ」
「へいへい。春婆さん、臨時収入が入った。あとで持っていく」
「何?」
「おー、甲斐性なしの兄貴が頑張ってる」
「うるさいぞ。この前の嵐で板と釘で馬鹿売れしたんだ。仕事仲間から受け取ったかねだ」
「うむ」
「衣鈴、飯ができたら呼んでくれ。帳簿つけてくる」
「はい」
帰るとやることがなくなるのも、前の生活と変わらなかった。
茜が作る晩飯が少しばかり豪華になった。
そして、腹が膨れて数刻。
明日に備えて眠る。一週間と経たないまでも、もうこれが習慣になりつつあった。
「竜司さん。もうお休みですか?」
「ああ。お前の部屋に茜が入ったんだよな」
「そうですよ」
「迷惑掛けてないか?」
「迷惑?」
「家が変わったから、寝相とか悪くなってない? 俺は最初落ち着かなかったんだけど」
「そんなことはないですよ? それに、いつも一人でしたから、一緒なのは嬉しいです」
「そうか、よかった」
「あの竜司さん」
「明日の朝、お時間いただけますか?」
「ああ、いいよ。仕事も休むつもりだったし」
「では、日の出一刻前に」
「随分早いな。何するんだ?」
「それは朝になってからの、お楽しみです」
そして、日の出前に叩き起こされて、俺達がいたのは……。
「風が気持ちいいですね」
「お、落とすなよ?」
「わ、竜司さん! 下見てください! いい眺めですよ?」
「絶対に落とすなよ!?」
「もー。竜司さん、ちょっとは雰囲気と言うものを考えてくださいよー」
「いやだって……」
昔から空を飛ぶ事は俺の夢のはずだった。
意外な形で夢が叶ったのは嬉しいんだが……。
「危ないって! なぁ衣鈴。や、やっぱり今度でいいかな」
「ダメです。竜司さんの夢を叶えてあげるんです!」
そう言って、衣鈴は俺の言う事を聞いてはくれない。
空を飛びたい。これを形にする方法は……。
「重いだろ? 絶対。それに掌の傷も……」
「おばあちゃんに直してもらってから、もう大丈夫です! 何なら、降りますか? 今」
衣鈴が俺の脇を持って支えている形が一番な訳だ。
村一つ見下ろせるほどに高い位置で、な。
「衣鈴。持ちこたえてくれ」
「はーい」
「…………」
(お、落ち着かない)
「どうしました?」
「い、いや。なんか変な気分」
体が浮いたような、いや実際浮いているのか。
そう思うと、今感じている風は確かに清々しいものがある。
足を二、三度振ってみる。
「うあああ……」
「?」
足がつかねぇ。
よって、
やっぱり、
落ち着かない。
「わかった。一回降りよう」
「どうしました?」
「深呼吸したい」
「くすくす。いいですよ」
ゆっくりと地面が近づいてくる反面、俺は気が気でなかった。
「なんか降りているって言うより、落ちているって感じがする」
「そうですか?」
「気のせいなんだろうけどさ」
「あはは、ちょっと腕が痛いですね」
「重いだろ」
「い、いえ――」
「そろそろ戻ろうぜ」
「もう少しだけ、ダメですか?」
「……ヤケに粘るな。どうしたんだ?」
日の出前の散歩。
言っちゃなんだが、そういった老人じみた誘いをしてきたのは衣鈴だ。
俺に空を飛んだ気分を味あわせるためだけに散歩に来たんだろうか。
「それもあるんですけど。あの、もうひとっ飛びしませんか?」
そう言いながら、衣鈴は両手を合わせて一礼する。
「お、おいそこまでしなく、ても……」
「お願いします」
「……腕は?」
「はい?」
「腕は大丈夫なのか? 俺の体重ずっと支えていたんだから、痛いだろ?」
手を合わせた時、衣鈴の手は少しばかり赤々としていた。
「時間もないんで」
「……痛かったら、すぐに言えよ?」
「はい」
この頑固者は、言い始めたら聴かない。喧嘩になる前に一度屈しよう。
衣鈴の手を握り締める。
羽ばたいた時には、俺の足はまだ地についていた。そして、背後から両の脇に腕を通される。二、三度翼が上下して、ようやく二人の体が浮き始めた。
「うおっ」
「しっかり捕まっててくださいね?」
そのまま一気に上空へ。
雲の向こうまで突き抜けるかと思うほどの速さを体感し、そんな感想を持った頃にはそれ以上高度が上がることはなかった。
「そろそろ日の出か」
「……はい」
「あれ、衣鈴」
「なんですか?」
「もしかして、日の出を見たかったのか?」
「はい。私は、日の出前には家に戻らなければなりませんでしたから」
「?」
「解放時間は日の出前から丑三つ時まで。それ以外は、家から出られたんです」
「なるほど。毎朝日の出を見たくても見られなかったのか」
朝になれば明るくなり、誰かに見られる可能性が高くなる。
だが、もうそんな事を気にする必要はない。
「竜司さんと見たかったんです。初めての、空から見る日の出」
「茜は?」
「さ、さすがに二人は厳しかったんで、今度連れてきます」
「喜ぶぞ、あいつ」
「そうだといいですね」
真っ正面に光、それが俺達の会話を遮るように差し込んできた。
最初は光の小さな束から、
「わあ!」
「うわっ、眩しい……!」
やがて大きな束になって、
「高いとこから見る日の出は、やっぱり一味違うな」
光は今日を照らし出す。
「来てよかったですか?」
「ああ、ありがと」
「はい!」
その笑顔はいつもより眩しく見えた。
同じ高度を維持して、俺たちは時間を忘れるように日の出を眺めていた。
「竜司さん」
「わ、私達がこ、婚約を結んで子供ができたら!」
「え!?」
「た、例えばの話ですよ!」
「あ、例えばね」
「それで生まれて来る子供にも、黒い翼が生えて来るんでしょうか」
「子供にそれを背負わせるのは、嫌か?」
一度背負ったそれの重さ、衣鈴が十何年も孤独と共に背負ってきた翼の重さだ。
「私、この翼のおかげで竜司さんに出逢えたので。それでもいいかなって思います」
「だったら、子供にもあげないとな。幸運のお守りだもん」
「そうですね」
黒い翼は災厄の前兆?
幸運のお守り?
どっちだろう、そんなことを考える俺。正直、どうでもいいと思った。
どっちであろうと、俺は衣鈴の傍にいたい。その答えはかわらないからだ。
噂話にすぎないだろうし、ただの迷信にすがって子供を巻き込んでも仕方がない。
……好きに生きさせてやろうと思った。
どっちにしろ、その子には翼があるんだから。
「竜司さん……一つ聞きたい事があるんですけど」
「なんだ?」
「なんで、空は青いんですか?」
「いきなりだな」
「ふと疑問に思ったんで」
「さあな。でも正解かは知らないけど、どっかで聞いた話なら知ってる」
「聞いた話?」
「ほら、あの田んぼ」
正直、あまりの高さで目が眩みそうだったけど。
俺の弱気を悟られないように、できるだけ見栄を張りながらとある一点を指差した。
「なんですか?」
「花。田んぼの脇に咲いてるだろ」
「?」
訳がわからないって顔してるな。俺も初めて聴いた時は首を傾げていたっけ。
「黒い土に根を張って、泥水を吸っても綺麗な花を咲かせるんだ」
「なんでだろうな」
「んー……土が栄養になってるからじゃないんですか? 雨でも十分花は育ちますし」
割と普通の返答だった。
「美談っぽい話が一気に普通の話になったな」
「あはは。でも、そう考えると不思議ですよね。なんででしょう」
「そいつは、世の中の嫌なことを全部受け入れているからじゃないかって言ってた」
「誰から聞いたんです?」
「親父だ。もっとも、空が青い理由は俺の憶測だけど」
親父は、ここから先を教えてくれなかった。
作った玩具を壊される前、俺は衣鈴と同じ質問をした。
……。
『じゃあ、どうしてお空は青いの?』
『んー、大人になったら、わかるかもな』
そして、俺が物事をはっきり考えて来るような歳になってくると、親父は俺の興味を空から外そうとした。
だから、親父あの玩具を壊したんだ。
『こんな玩具で遊んでいるんじゃない!』
今ではその玩具を作ろうが飛ばそうが、誰にも文句を言われない。
「親父がその玩具を壊しても、俺の興味は上を向いたままだったけどな」
「お父さんは、お嫌いでしたか?」
「どうだろ。いつの間にか逝ったから」
「……ごめんなさい」
「いいよ。親父には玩具を壊されたけど、売り場に出せるようにしてみる。オヤジさんの子供辺りに見せて、反応を見てみようかな」
「あの玩具ですか? この前背手もらった」
「ああ」
「あれ、本当にすごいです。鳥でも有翼人でもないのに飛べるなんて」
「でも、お前は自分の翼があるだろ?」
衣鈴の翼持っている黒い翼は、嬉しそうに羽ばたいていた。
もう衣鈴が飛ぼうが、外に出ようが、誰も後ろ指をさすことがない。
「そうですけど。感動しますよ、子供の時に作ったんですよね? すごいです」
「そうかな」
「でも、お父さんはそれを壊したんですよね、やっぱりあの掟はダメです」
「もう掟はなくなったんだ。許してやれよ」
「…………でも」
「玩具なんてまた作ればいいし、今の俺はお前を落とさせたくない」
「竜司さん」
「あ、くさかった?」
「えっと、少し」
笑われてしまった。
「で、空が青い理由な」
花が道端で綺麗な色に咲くように、人も厳しい環境で人生を謳歌する。
時には枯れたり、散ったりするものも出てくるだろう。
憂鬱な気分になったら、俺はまず空を見る。
「空の青は、きっと俺達の嫌な事を吸いこんでくれるからなんだって思う。なんて言ったらいいんだろ、悲しい時の色って青だよな」
「?」
「わかんない?」
「いえ、わかる気もします。家にいた時は、ずっと空を眺めているだけでしたから」
「そか。でも、今は違うだろ?」
そう、今衣鈴は飛べている。この青空を。
「……はい!」
今日も青い空が広がっていた。
俺達は前に進もう。空を見上げながら、これからも歩みを止めずに。
-Fin-




