この村に掟がある理由[参]
町に戻っても、雨が止むことはなかった。
「今戻りました」
世話になったオヤジさんの家。
「ずぶ濡れじゃないの、待って。今拭くものもってくるわ」
「ありがとうございます」
オヤジさんは不在、恐らく仕事だろう。嵐が来ていると言う噂は町中に広がっている。今頃店は開かずに、直接釘や板を売り回っているはずだ。
奥さんは俺達が顔を見せるやいなや、慌てた様子で奥に引っ込んでいく。
「お風呂沸いてるから。衣鈴ちゃんから入りなさい」
あれ?
「……奥さん、茜はどこです?」
「さ、さあ。あ、借りるって言ってた長屋に行ったわ」
「竜司さん。すぐに行くんですか?」
「その予定だけど、ちょっと用が出来た。悪いんですけど……奥さん」
「何かしら」
「衣鈴の名前、どこで聞いたんです?」
「…………」
リン。衣鈴の名前はオヤジさんにも教えていないはず。
茜が漏らしたのか? いや、それはない。
「教えてもらえますか」
「……仕方なかったのよ。大家さんがあなたの村の村長さんだったみたいで」
「なっ」
「どんな人、って聞かれたから」
「言ったのか! 俺達が村を抜け出したって」
「茜ちゃんは大家さんに会いに行ったわ。今その長屋に」
くそっ!
大家があの婆であることを茜が知っていないなら危険だ。確実に鉢合わせする。
「行くぞ、衣鈴!」
入って間もない戸をまた開けて、衣鈴の手を握り茜の元に走る。
「キャッ!」
慌てて飛び出したせいか、衣鈴が通行人と出会いがしらにぶつかったようだ。
「ってーな! 気をつけろよッ!」
「す、すいません。衣鈴、立てるか?」
「あ、あれ?」
通行人が、俺達を見て顔色を変えた。
「法衣の女、お前……」
思わず視線を逸らす衣鈴。
通行人の俺達を見る目は、あまりにも冷たい目をしていた。残酷な目だ。まるで、ここにいてはいけないものを見るような目。
その目の先は――。
「おい、何見てんだ! そこをどけ!」
「ひ、ひィッ!」
通行人は、慌てた様子でその場から走り去っていく。
「衣鈴?」
心配になって、衣鈴の顔を覗き込む。その顔は雨に濡れ、より一層暗いものになっていた
「ごめんなさい」
「……突然謝られても困る」
「茜ちゃんが、私のせいで」
「なら止まるな。今ならまだ間に合うかもしれない」
「なんて、謝ったら」
「謝るな、お前は何も悪いことなんてしてないだろ?」
「何もしなくていいんです。私が傍にいるだけで、みんな、こうなるんですから……」
あれじゃないか。法衣の女って。
「!?」
話し声がした。
普段では耳に入れないような他人の会話。
振り向いた時には、その本人達は慌てたようにそれを中断する。
他にも、似たような会話をしていたであろう人間がチラリチラリとこちらに視線を送ってくる。
「衣鈴、行くぞ」
こんな場所に衣鈴をいさせたくない。
「…………」
導こうとする手に、微妙な違和感がある。
「衣鈴?」
「…………っ」
小さな抵抗。多少力を入れていたから、衣鈴は一歩だけ動く。彼女はそれを望んでいないようだった。
「連れてくからな、絶対に」
わざわざ衣鈴を連れていくことには抵抗があった。
でも、今の衣鈴を一人にする訳にはいかない。
「ここだな」
オヤジさんの家と茜の行ったという長屋は目と鼻の先。
大した移動量でもなかった。
長いと感じたのは、たぶん衣鈴の小さな抵抗によるものだろう。
「衣鈴、いいな?」
「茜ちゃん……」
「無事だよ。あいつは」
元気と料理が取り柄みたいな奴だし。
「入るぞ。中にいるはずだ」
戸をたたき、いるはずであろう大家の応答を待つ。
「待っておったぞ」
聞き慣れた声が帰って来た。
「おばあちゃんの声」
いつまでも雨に打たれている訳にもいかない。戸を開け、部屋の様子を窺う。
部屋の真ん中には、一人の老婆が座っていた。衣鈴の祖母、倉崎春である。
「よお、大家ってあんただったんだな」
「ふん」
「茜は?」
「奥で寝かせておる。竜司、使用人がお前に襲われたらしいが?」
「耳が早いな。家にある金を取りに言っただけだ。三人となれば飯代も厳しいだろ」
「安心せい。これから一人分で済む」
「…………」
「お前を村から追放する。それで茜と衣鈴の行いを不問としよう」
「そうきたか、婆にしちゃ、手緩い処罰だな。茜は誰が養う?」
「私の家で預かろう。衣鈴の存在を知られている故、軟禁することにはなるがな」
「楽しいかい婆。人の自由奪っておいて」
目の前の老婆は、その言葉を鼻で笑い飛ばした。
「たわけたことを。この娘が外に出れば、どうなるかくらいわかるじゃろ」
「…………」
冷たい目。人を見下す冷たい目が脳裏をよぎった。
「黒い翼のことだろ。町の奴らは知ってる口だったが……法衣で隠してるのになんで?」
「噂というものは怖いもんじゃ。すぐに広がっていく。まあ、座れ」
多少濡れていたが、遠慮なく家の中へ。
倉崎春と向かい合うように座り、衣鈴は俺の影に隠れるように後ろへ。
「追放される前に、一つ聞かせてくれ」
「言うてみ」
「黒い翼の噂について」
「あれは噂というより、ある種の伝説に近い。根拠もないがな」
「流行り病の時期に何があったんだよ」
「年寄りの思い出話になるが、良いかの」
「ああ」
「……竜司、お前に話すはずだった話をしよう」
「は?」
「成人した日、貴様わしの話がつまらんと屋敷から抜け出したじゃろ」
「そういえば、そうだな」
「黒い翼のことじゃ」
「え」
「衣鈴を出産する時に町から来た医者がいたんじゃ。だが、その医者が間に合わず、急遽わしが赤子を取ることとなった」
「母親がそこで意識を失っての。子供も危ない状況じゃった」
「痛みに気絶し、痛みに起きるお産。使用人総出で湯を沸かし、布を用意し、全員で慌てふためいておった」
「少しして、医者がようやく来た」
「その時には、母親は死んでおったよ」
「……っ」
衣鈴の小さな悲鳴。実母のことだろうから、無理もない。
「女の使用人に、お産経験があったものがいての。あやつがおらなかったら、わしだけでは衣鈴すら助けられなかったかもわからなかったわ」
「使用人は、全員無翼人じゃったからかのう」
「あの町医者は、勘違いしたまま村を出て行きおった」
「無翼人の子から有翼人が生まれた。さぞ底知れぬ速さで噂は広まったじゃろう」
「数日して、その医者が流行病に倒れ……その噂に黒い翼の祟りが加わりおった」
「おい待てよ」
「…………なんじゃ」
「医者が見たのは、衣鈴の親じゃなくて……その」
「衣鈴を抱えた男女の使用人じゃ」
だから、無翼人の子から生まれた有翼人だと?
「衣鈴や」
「……はい」
「お前の母は有翼人じゃ。わしも……お前さんと同じものを持っておる」
老婆の服が擦れる音。
座りながらこちらに背を向けて……部屋の湿気を払うように、衰えたそれを広げた。
「!?」
老婆の背には、翼が残っていた。
『災厄の前兆』とされた黒い翼。それが村長の背に残っていたのだ。
「お前、効力のなくなった術式札と黒い羽根を持っておるじゃろ」
「あ、ああ」
「あの羽根はわしのものじゃ。札はわしが剥がし、男二人を使って衣鈴に村を出させた」
「え」
「怖い想いの一つもすれば、外には出たがらないと踏んだからじゃ」
「そうだったのか」
「そういえば最後の村の掟。お主には言っておらなんだ」
「言ってない最後の掟?」
「有翼人の出入りを禁じ、その知識を子供に与えまいと」
「村から子を出さず、有翼人を見させまいと。黒い翼の噂をを耳に入れまいと……」
翼を出したまま、老婆はこちらに向き直った。
「黒い翼を災厄の前兆とする伝説、今話した事。村ではそれを他言無用とすること。成人した者への、わしが下す最後の掟じゃ」
「…………」
村の掟。子供だった俺からすれば、ただ身動きが取れない鎖のようなものだった。
「まさか、村の掟って」
「衣鈴のそれを見ても、子供達が恐れることのないようにとしたものじゃ」
「成人したものは、掟で縛られていた故に町へ出ていく。お前さんは茜がおったから例外じゃな。こちらは、新たに村人を設けない閉鎖された土地を装うことで掟を守ったのじゃ」
有翼人と、黒い翼の伝説を村に入れないためだろう。
「……衣鈴を軟禁したのは?」
「人間、言うなと言うても態度には出る。村の子供達が噂を知らず成長すれば、衣鈴をその輪に入れられるかもと思うたんじゃ」
「軟禁は衣鈴を蔑む目から守るもので……掟は、村の子供に黒い翼の伝説を教えないためだって?」
「そうじゃ。のう、竜司」
「なんだよ」
「人を蔑む目は、冷たかったろう」
「…………」
「あれが世界で一番、冷たい目じゃ。あれを孫に浴びせてはならんと、わしは必死だったのかもしれんのう」
「おばあちゃん。本当なの?」
「お前を守る術を、わしはそれしか知らなかったからの。面目ない。倉崎家長女に現れる黒い翼は、決して災厄の前兆などではない。こうして、八代続けて倉崎家を守っておるのじゃからな。町での噂がなくなる頃に、お前を外に出してやる気でいたのじゃが……」
「私、おばあちゃんに嫌われてたわけじゃないの……?」
「娘が残してくれた宝を、誰が嫌ったりするものかえ」
「わたし、大切されて、ないんじゃ……っ」
「くどいぞ、衣鈴や。ちと無理矢理じゃったかもしれぬが、蔑まれる事に慣らそうとも思うたこと。……すまんの」
「あ、あああっ……」
声を出しきれない衣鈴の背を、押してやる。
座り込んだ彼女の後ろに手をやって、あの憎たらしい婆の元にまで誘導する。
「あああああ、あああああァァッ!」
「すまんのう……」
「おばあ、ちゃん」
「竜司や。そういう訳じゃ。村を出ていけ、深い事情を背負ってまで村に残る必要はなかろうて」
「嫌だね。お前の宝物を、俺はさらいに来たんだぞ」
「ほう。この短い時間でたぶらかしおったか。愛に飢えておったのか、お主が手慣れておったのか」
「俺は、お前の言う冷たい目で衣鈴を見ることはない。見る奴がいれば、あんたに教わった剣術でぶっ飛ばしにいってやる」
「竜司さん……。ね。ねぇ、おばあちゃん」
「なんじゃ」
「私、竜司さんと一緒に居たい。茜ちゃんとも、おばあちゃんとも、使用人さん達とも」
「ああ」
「っ」
「本当にすまんかったの」
「いいよ……えう、いいよぉっ……」
謝罪と、許し。
祖母と孫の間で、この後数度繰り返された。
長かった時間と、誤解で空いた心の穴を埋めるように。
「すまんのう」
「何回目だよ、ボケたか」
「謝らせておくれ。残り少ない生涯では謝りきれん」
「……衣鈴はいいって言ってるぞ」
「いやはや、嫌われようと努力するのは虚しいものじゃ。余計に大切になっていく」
「俺を薙刀で追いかけ回した婆はどこにいったんだ」
「ほほ、ここじゃよ。脅すだけのつもりだったんじゃがな。稽古の度、何やらお前に熱い視線を送っておったのでな。追わず振り回しただけじゃ」
この後、衣鈴は祖母の胸で泣き続けた。
誤解はたぶん、洗い流せただろう。
開け放った戸から差し込んだのは、青い空に浮かぶ太陽からの光だった。
台風の目に入ったのだろう。雨風は一旦落ち着いてからまた吹き荒れるだろうが、衣鈴と婆さんの誤解は晴れたままである事を祈る。