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この村に掟がある理由[弐]

「そろそろだな」


 風が強まる約束の時間。

 ポツリと一滴の雨が俺の頬に落ち、伝う。その後、音を立てて大雨が降り始めた。

 黒い翼が、雨の降る灰色の空を舞った。


「なんだ!?」

「衣鈴様だ!」

「なんでこんなところに!?」

「知るかっ! 追えッ、見失うな! お前はここにいろ!」

「は、はい!」


 我が家上空を旋回し、気を引くように現れては飛んでいく。

 挑発にも似たその動きに、見張りの使用人達は俺の家から離れて行った。


(だから、なんであいつは追われているのに笑っているんだ)


 空を飛ぶ少女は、なぜどこかしら楽しげなのか。

 雨が降っているとはいえ、昼間に飛べたことが嬉しいことだとでも言うんだろうか。

 ここは村外れ、確かに目立たないとは言え人がまったくいない訳ではじゃない。

 翼人出入り禁止の掟がある以上、使用人達が衣鈴を追っても違和感が生まれないはずだ。


「目立つよなぁ」


 よし、俺は俺の仕事をしよう。

 囮役を買って出た衣鈴をよそに、俺は見張りのいなくなった自宅の裏口から、楽々潜り込む事ができた。

 中には誰もいないらしい、どうやらさっきの騒ぎで全員ここを離れたようだ。


「全財産と、荷車は屋敷か。雑貨はいらないよな」


 売り物は茜に作らせるか、俺がまた作ればいい。

 と、ここで護身用に置いてあった木刀が視界に入った。


「役には立つよな」


 衣鈴が外で逃げ回っているとは言え、いつ見張りが戻ってくるかわからない。

 いくらなんでも昼前からそこまではしないと思う。あとは衣鈴と合流するだけだ。見つけて町に戻ろう。


「おい、そこで何してる」


 一息つく暇もなく、背後から声。失念してた、できれば気のせいであってほしいとも願った。


「こそ泥か?」


 向けられたのは別の意味での、疑いの目だった。あっちはまだ家の主が戻って来たとは思っていないらしい。


「す、すいません。出来心だったんでさぁ……品は戻すんで、勘弁してもらえませんかね」

「ん? その声」


 まずい!


「――おらぁ!」


 咄嗟に体が動いた。俺は何を思ったか、振り向きざまに掴んでいた木刀を遠心力に任せて薙ぎ払う。


「ぐはっ!」


 結果、これが相手の脇腹を直撃。

 ドサリと倒れ込使用人を目にして、やりすぎたと反省した。


「あっ、わりぃおっさん……!」


 でも今は緊急事態だ。

 倒れこんだおっさんに背を向け、急いでその場から衣鈴の飛んで行った方向へと走った。

 正面入り口は遠いが、村人が見ている前では大逸れたことはできない。昼間に乗り込んだのは正解だった。


「孫娘を隠しているのが仇になったな」


 孫娘が誘拐されたと噂になれば一大事にはなる。が、村長は孫娘がいること自体を隠蔽していた。 

 目立つ行動はできないはずだ。

 しかし、今は大雨だ。家から出てくる者はいないだろうな。

 雨に打たれてしばらく走り、脇の森へと入りこむ。


「竜司さん!」


 そこには打ち合わせ通り、衣鈴がいた。


「衣鈴! あいつらは?」

「大丈夫です、こっちを見失ったみたいですから」


 木々を避けるように飛ぶ衣鈴は、ただ走る俺に並行して低空飛行を始めた。


「そうか。でも俺、姿見られちまったわ」

「だ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、ではないな」


 でもあの様子ではしばらく動けないだろうし、、起きたら俺を探しに来るだろう。


「……町には、長居できないかもな。やっちまった」

「村に戻るんですか」

「まさか」

「で、でも今なら祖母も許してくれますよ!」


 衣鈴はまだ、揺らいでいるらしい。


「それでいいのか」

「え?」

「お前はそれでいいのかって聞いてるんだ」


 いいはずない。


「ここで帰れば、これから友達もできずに、家の中で軟禁されるんだぞ?」


 ここで衣鈴を帰せば、こいつは苦しんでいたあの生活に戻ることになる。

 それがどれだけ苦しかったのか、やはり俺には理解できない。

 外で過ごしてきた俺には知る由もないのだから。

 いくら苛まれるような存在でも、衣鈴に罪はないはずだ。


「おい、衣鈴!」


 急がなければならなかった。でも、衣鈴は飛ぶことをやめ、翼を休めるように落ち着かせていく。その足が地面に降りきった時には、衣鈴はその場に立ち止まっていた。

 俺は、彼女を急かせようと足を止める。


「どうした、早く来いよ」

「友達なら、ここにいますよ」

「衣鈴?」

「短い間でしたけど、嬉しかったです」

「何を言っているんだ」

「そうですよ、私のせいで二人が不幸になることなんてない……」

「なぁ、一体どうし」

「もういいんですッ!」


 けたましい声に、俺は一歩退いてしまう。

 こんな衣鈴は初めて見た。

 一日足らず一緒にいただけで、彼女をわかった気になった訳ではない。

 それでも、俺は衣鈴の表も、裏も見てやれなかった。何もわかってなかった。


「同情でも、私嬉しかった」

「同情!? そんな訳な――」

「嘘です。でも、同情で友達を手に入れても……私、それが初めてだったから」

「……衣鈴」

「戻っても私は一人です。それで竜司さんも茜ちゃんも、明日からは元通り。何も変わらない」


 彼女なりの拒絶なのだと思った。でも、それは彼女が損するだけの……。


「会えなくなっちゃいますけど、友達でずっといれたらいいなって……我儘ですか?」

「……我儘じゃ、ない」


 そう、我儘なもんか。

 俺は頑なにそこを動こうとしなかった衣鈴へと歩み寄り、その腕を掴んだ。


「よかった。私、祖母に謝ってきます。それでお二人の事は許してって――」

「…………」

「竜司さん、手を……離してください」

「断る」


 ならこれは、俺の我儘なのだろうか。

 気づけば、俺は腕ではなく衣鈴の手を握って離さなかった。


「痛い、です」

「なんで痛いんだ」

「それは」

「発動中の術式札に術者以外の奴が触れると、拒絶反応が出る。軟禁用の札に、触ったんだろ」


 彼女は言った。札は剥がしたと。

 その証拠がこれだ。


「いツッ……」

「我慢しろ」


 左の掌はひどい火傷に覆われていた。物を上手く掴む事はままならないだろう。

 手順を踏んで解除すれば、術者以外でも札に触れて剥がすことができる。

 無理に剥ごうとした場合、強い力で弾かれるか、火傷を負うほどの熱を帯びる。

 そんな手を、俺は残酷にも放すことができなかった。

 でも、この手を離せば、すぐにでも村に戻って行きそうだったから。


「友達って言ってくれて、嬉しかった。祖母の前でも、私を友達と言ってくれて嬉しかった……」

「聞こえてたのか?」

「友達裏切って後悔するより、友達信じて後悔した方がいい空を見られるんですよね」

「私、二人を助けたい……全部、私のせいだから。全部、責任を取ります……」

「自分が捕まるのが、俺達を助ける事になるって?」

「間違いじゃないはずです。それに、友達を助けられるなら私死んでも――」

「ッ!」


 何を思ったのか、俺はリンの……衣鈴の背中に腕を回して抱き寄せていた。


「何、言ってんだよ」


 それ以上は、聴きたくなかった。

 強引に引き寄せられたからか、衣鈴は一度押し黙った。

 認めるのが怖かったんだと思う。


「……ごめんなさい。でも」


 衣鈴は俺の胸を押す。拒絶して、言葉を紡ごうとした。

 俺はそれを制止しようと、我先にと口が動いていた。


「そんな事されて、茜が喜ぶと思ってるのか? 兄貴の俺も、絶対に喜ばない」

「友達ってのは確かに今日から、って決めてなるもんじゃないさ。いつの間にかなってるもんだ。……俺達は、まだ違うのか?」

「え?」

「友達売って助かって、それでいて喜ぶのは、友達なんかじゃない。綺麗事だと思うけど、いい気分がしないのは確かだろ」

「…………」

「友達ってのは、お前みたいに怪我を覚悟で術式札剥がしてくれる奴のことじゃないのか?」


 衣鈴が俯き、そのまま黙りこんでしまった。


「お前の存在を知ってて、お前がまだ軟禁されてたら、俺が術式札剥がしてやる。掌が火傷しても、腕が引っこ抜かれても」

「離れていても友達、ああ、仮にお前が婆に捕まっても友達でいてやるさ。でも俺達はそれじゃ嫌なん

 だよ、お前ともっと話がしたい。茜だって同じはずだ」

「やっぱり、友達ってそういうものなんですかね」


 しゃべって、遊んで、喧嘩して、衣鈴には縁のない関係だったかもしれない。

 それでも、たぶん憧れだけは持っていたんだろう。


「言葉にはしづらいけど、たぶんそうだろ」

「はは、じゃあやっぱり私……無理ですよ」


 衣鈴の否定は、どこか寂しげな口調に乗っていた。

 俯いていた顔が上がり始めて、上がりきったところで気づく。

 衣鈴の顔は濡れていた。

 元々雨が降っていたせいかも知れない。ただ……雨か鼻水か涙か、区別がつかなかった。


「なんで、無理なんだ?」


 少し酷だったろうか、この質問は。


「心の底からなんて……笑えませ、んよ……」


 鼻水混じりになってきた彼女の声は雨風の音にも遮られるほど弱かった。


「二人を巻き込んでおいて、私、笑える訳ありません……」


 掠れた声で、彼女は俺に訴えかけてきた。


「それもそうかもな」


 友達同士なら笑い合える中で、そんな決まりがある訳でもない。

 ただ間違ってはいないはずだ。


「でも、今更だろ?」

「竜司さん……これ以上、私に関わらないでください。茜さんと二人で、町を出ればいいじゃないですか」

「友達売ってもいい気はしないって、言ったろうが」

「でも、私……そうでもしないと」


 衣鈴はやはり、退く気がないらしい。

 俺もそうだ。ここで衣鈴だけ置いてく気には、どうしてもなれなかった。


「わかった」

「え?」

「巻き込まざるを得ないようにしてやる」


 掴んでいた手の力を緩めて、肩まで持っていく。

 もう片方の手もそうやった。あたかもこれからまた、抱き寄せるように。


「りゅう、じさん……?」


 俺の両手が塞がり、傘が落ちる。

 風で飛んでいってもかまわない。代わりに衣鈴が傍に居さえすれば、傘の一本くらいくれてやろうと思った。


「友達は巻き込みたくない、か。でも、さ」

「――恋人なら、どうだ?」

「え?」

「嫌だろうけど、俺は決めたぞ。お前を連れてく、腕づくでもな」


 理由がほしかっただけかもしれない。

 友達以上の理由、この頑固者を連れていく理由が。


「恋人なら、巻き込んででも一緒にいたい。そう思うはずだ。お前にとっては、俺なんか嫌かもしれない。それなら、この手を振り払え」

そう言って、俺は衣鈴の力でも振り払えるほどにまで力を緩ませた。

「…………」


 衣鈴が俺の手を振り払うことはなかった。

 代わりに、両肩を震わせて訴えてくる。


「なんか言えよ」


 こればかりは、言わないとわからないから。


「私の翼、黒いんですよ……?」

「俺は結構好きだぞ、その色。良い女は翼からして違うんだ」

「私、この村にいちゃいけないのに……」

「翼があるからか? なら、どこか他の所で暮らせばいい。こんな村出て、そうだな……茜も一緒に三人で暮らそう」

「黒い翼は、災厄の前兆だって……」

「その背中に指さされるんなら、一緒に歩こう。一緒に後ろ指さされよう。お前となら一生それでもいい」

「恋人……」

「嫌、か」

「恋人というのは、好き合っている男女がなるものですよ」

「だったら、あとはお前の意思を聞くだけだ」

「…………」


 あの狭い村で、出会いなんて今までなかった。

 好きな女ができたのは初めての事だった。

 もっと早くに出逢えれば、初恋は早かったのかもしれない。


「俺、衣鈴の事好きだ。だから、こんなにベタ惚れなんだぜ? 身を挺して、お前は俺と妹を助けてくれた。お前は強くて、綺麗だ」

「迷惑です……」

「やっぱりか?」

「私がいたら、竜司さんに……茜ちゃんにも迷惑がかかります!」

「またその話か? 堂々巡りだぞ、とっとと返事よこせ」

「……へん、じ?」

「恋人になるか、ならないかの返事。一生守ってやる、ついてこい」


 一度も返ってこない返事を、俺は待ち焦がれていた。

 会ってそう時間も経たない衣鈴に、俺は恋をした。

 遠慮がちで、迷惑がかかるからと言って積極的にはならない。

 想いを伝えても、衣鈴は頷いても首を横に振ろうともしない。


「ここで私が嫌って言ったら、どうするんですか……」

「本当に誘拐するかもな。あの婆に好きな女を軟禁されられるなんて拷問だ」


 そこまでしないと、俺は衣鈴を手に入れられない。気のせいではないと思う、命を狙われてでも衣鈴を守りたい。


「……竜司さん」

「なんだ?」

「――私を、さらってください」


 変わった返事をもらった。たぶん、俺にとって悪い意味は持たない返事だ。


「衣鈴」


 肩から背中へ回した手で、衣鈴の華奢な体を抱き寄せた。


「!?」


 その動作に、半ば無理矢理に唇を奪う過程が挟まる。


「ンッ……」


 衣鈴は一切の抵抗を見せなかった。


「んはっ……りゅうじ、さん……?」


 軽く触れ合っただけの唇はすぐに離れる。

 雨に打たれていてもなお、触れ合ったその場所はなぜか熱いまま。

 衣鈴の濡れた頬を伝う雨が涙のようにも見えた。

 潤んだ目に見つめられた瞬間、どこにかなりそうだった。


「こ、こんなの初めてです」

「俺もだ」

「せ、接吻って言うんですよね」

「言うな! 恥ずかしいだろ!」


 回していた両手を離しそっぽを向く。

 そんな自分の仕草とは裏腹に、俺の腕は少し手持無沙汰。

 抱きしめたい、ずっと抱き合っていたかった。

 直後、俺の手が握られる。


「私も、竜司さんのこと好きです。助けてくれた時もそうでしたけど、素振りしてる時とか格好いいです」

「あ、ありがと」

「知っていましたか? 私、部屋から見ていたんですよ。竜司さんと会う前から」

「え、嘘!?」

「くす、本当です」


 温かい。素直にそう思った。

 心なしか、周りが騒がしくなってくる。

 村の連中が俺達を探しているんだろう。

 抱きしめたい、そうも思ったがこんな所でモタモタしてもいれらない。


「ここは危ない。町へ行こう」

「はい」

「……絶対に離さないからな」


 衣鈴を急かし、小さな手のひらに包まれた右手を握り返す。

 この手は絶対に離さない。

 衣鈴は走りながら、握られたその手を嬉しそうに眺めていたようだった。

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