The edge of pardais
「人生は選択の連続であり、その結末は、選択の積み重ねによって選ばれた、言わば必然的なものである」
2nd
The egde of paradise
「うわああぁぁっ!!」
悲鳴を上げ、一ノ宮一流は跳ね起きた。
具体的な事はあまり覚えていないが、最後の瞬間の苦しみを、痛みを、絶望を、今にも頭の中でリアルに感じる事が出来る。
「はぁっ……はぁっ……っ!!」
喉が熱い。胸が苦しい。全身が痛い。
ギュッと右手で胸元を握り締める。
背中は汗でぐっしょり濡れ、その冷たさが身体を震えさせる。
「落ち着け……落ち着け……あれは夢だ……ただの悪い……夢」
自分に言い聞かせ、一流は少しずつ冷静さを取り戻していく。
そこで初めて自分のいる場所に気付いた。
「なんだ……ここ」
床と天井、壁に到るまでチェス盤のように、四角い白と黒のタイルが縦横無尽に広がる空間に、形を成さない不可思議な造形物が、ところせましと積まれていた。
その造形物を見た瞬間、頭の中の、何かが勝手に答えをだす。
あれは誰かの願い、または怨み。
それは誰かの祈り、または殺意。
これは誰かの希望、または絶望。
合い反する意味が込められた、現実世界には存在することが出来ないオブジェだと。
あれが悪夢だとすれば、まだ自分は悪夢からは覚めていないのだ。
その中に、青銅で作られたアンティーク調の丸テーブルが、開けた空間にポツンとあり、同じく青銅で作られた椅子が向かい合わせに二つあった。
二つの存在が、その椅子に座っている。
一方は黒。
いや、黒と言うには存在が美しすぎる。
ユラユラ、あるいはザワザワと動き、徐々に人間の……少女の形を作っていった。
漆黒のドレスを身に纏った、黒い肌の少女。
身体の部位一つ一つが端正にそろえられ、少女だというのに、パックリと開いた胸元とスリットが腰まで入ったドレスは、更に身体のラインを強調させる。そして胸元には深紅のバラのコサージュがつけられ、全体的にあどけなさ、というよりは淫靡な雰囲気を醸し出されていた。
銀髪の長い髪から覗く、煌々と金色の目が一流を見る。
同時に朱い紅い唇を頬の部分まで裂けさせニヤリと笑った。
黒い少女は、一枚の紙を目の前に座っている存在に渡す。
こちらは白。
黒とは正反対の真白だ。
髪は短い金髪だが、天然パーマのようにクルクルと巻かれていた。
目は大きく、瞳は水晶のように透けた薄い青色で睫毛は長い。
身につけているものは黒い少女と対照的な純白のロングドレス。
こちらは身体を包み込むようにフンワリとした形状で、上は首元、手首。下は足首まで覆って、あまり露出はしていない。しかし、紙を取ろうと腕を伸ばした際に見える肌は、ドレスに負けないほどの白い肌をしていた。
天使。
その姿を見て、一流は頭の中でその単語が浮かんだ。
ならば、黒い少女は悪魔という事になるのだろうか。
「紙に書かなくても分かっていますの」
天使は、オペラを思わせる綺麗で透き通る声を出し、器用に顔をしかめる。
「さて、役者はそろったな」
悪魔は吊り上がった口を更に吊り上げながら、男とも聞こえる低いしゃがれた声を出し、厳かに宣言した。
白い少女も一流のほうを見て、青い瞳に姿を焼き付けている。
「あ……あの……ここは?」
二人に見つめられ、一流はやっとの思いで言葉を絞り出した。
「さぁね。私にも解らないよ」
何が可笑しいのか、悪魔は質問に答えるとまた笑いだした。
「貴方様が一ノ宮一流様ですのね」
「ああ、そうだけど……えっと、俺は……」
その時、ヒラリとテーブルに置かれていた用紙が落ちた。
用紙の内容は、
[12/24 20:30 26]
一ノ宮一流の轢死が確定。
以上。
簡単で簡素な文章だが、無駄にディティールが細かい。
用紙は羊毛で出来ており、達筆な筆運びで書かれていた。
縁には金箔で幾何学模様が描かれている。
「……え?何だこれ?は?死んだ?俺が?だって俺は今生きて……」
訳がわからない。
現に一流は意識があって、身体だって動いている。
一流は自分の胸に手を当てる。
「は……あはははは……なん……で?」
動いていない。
「嘘だろ?なぁ……おい」
動かない。
ドンッ!!ドンッ!!
一流は胸を拳で何度も叩く。
動かない。
それどころか、かなり強い力で叩いているのに、痛みを全く感じない。
「心臓……動いてねぇじゃんか……。何で俺……は?幽霊とかってやつか?」
頭が混乱する、壊れる、真っ白になる。
信じられないし、信じたくない。
「夢なら、早く覚めろよ……っ!!」
「残念ですが、夢ではありませんのよ」
天使が、一流の頬に手を添えた。
首筋がゾッとした。
冷たい。死人のように。
痛みを感じる事の出来ない身体でも、感じる程の絶対的な冷たさ。
それは魂をも凍らせる。
「くくくっ、落ち着いたかな?一流君」
悪魔は笑う。
ここは、きっと地獄だと一流は思った。
「残念ながら、地獄でも無ければ天国でも無いよ。それどころか、死後でもない」
心を読まれた?
そう思った一流は悪魔の顔を見た。
あどけない悪魔は、無邪気な顔で笑っている。
しかし、しかし。
金色に光る目は、何の感情も見せずに一流を見下ろしていた。
恐怖をも感じさせる冷笑。
一流を黙らせ、思考を放棄させるには、それで十分だった。
「一流様、貴方は確かに死にましたが、まだ完全に死んだ訳ではありません」
天使のほうは無表情のまま、しゃがみ込んで一流と同じ目線で一流を見る。
「さっきのは[箱庭の世界]ですの。いわば私達が造った仮の世界。本物の世界は、一年前で止まっていますの。ですから、この死亡自体は仮の話ですの」
「は?仮?何の事なんだよ!!なんなんだよ!!」
もう訳がわからない。
頭がついていかない。混乱と錯乱、それが極限まで達し、一流の精神は崩壊しそうだった。
「一流様。貴方は[シュレディンガーの猫]に選ばれましたの。一流様は他の箱庭に行き、選択を変える事が出来、そして自分の死亡を変える事が出来ますの」
選択を変える事、そして死亡を変える事。
「なんでいきなり、猫だか狸だか知らないもんになんなきゃいけねぇんだよ!!選択を変える?死ぬ事を回避する?ふざけんな!!こんな夢みたいな事あるかよ!!」
一流は目の前にいる天使の肩を掴み、また、わめき立てる。
「らちが明かないな。少し黙らせるか」
悪魔は金色の瞳を一流に向ける。
すると一流の身体が、糸が切れたかのように地面に倒れ、口は動かなくなって言葉を発せなくなっていた。
「さてルールの説明だ。一回しか言わないからちゃんと聞けよ?」
悪魔は平伏す一流を見下ろし、赤い口を裂けさせながら上機嫌で説明を始める。
「一つ。箱庭で死ぬ毎に、またこの空間に戻って違う箱庭に行く」
「一つ。箱庭で起きる事は仮定の話であり、現実ではない」
「一つ。そこで違う選択を選ぶも良し、同じ選択を選ぶも良し。君の自由だ」「一つ。君は必ず、2010年12月24日午後8時30分26秒に死亡する」
「一つ。[シュレディンガーの猫]を終わらせたければ、私に言いたまえ。だがそこで未来は確定する。つまりは、君の死亡が確定するということだ」
「こんなところだな。では……[図書館]を此処に」
パチンと指を悪魔は鳴らす。
すると、空間が部屋の四角から、球体のように丸くなり、鈍い赤光を放ちながら、数字が浮かび上がる。
3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749445923078...。
誰でも知っている数字。円周率だ。無限に続くかと思える数字の羅列は、一流の身体を包み込んで、一瞬のうちに一流を消した。
残されたのは悪魔と天使。
「さて、ではゲームの始まりだ。確定された未来を、可能性のたゆたう世界で変えられるか否か」
天使は頷く。
「わかっていますの。ラプラス」
天使は立ち上がり、この空間から去ろうとする。
「何をするのか、そしてどうなるのか楽しみだよ……まぁ、結果は変わらんと思うがね」
カッカッカッと悪魔、ラプラスは笑い声をあげ、いつの間にかテーブルに置かれたティーカップに手を伸ばす。
「……必ず、私の名前を見つけ出してみせますの」
天使はそう言い残し、瞬きの間に消えていった。
「カカッ……果してそう上手く行くのかな?」
裂けた口を曲げ、ラプラスはティーカップの中身を見た。
中には、琥珀色に透き通ったアールグレイの紅茶が入っていた。
湯気は飲む者を至福へと誘うように、芳醇な茶葉の香りをのせて鼻孔をくすぐる。
しかし、ラプラスは紅茶を床にぶちまけた。
そしてラプラスは中身の無いティーカップを見て、また、カッカッカッと高笑いしながら、塊は空間から消え去る。
後を引くその笑い声は、愉悦を含みながらも、どこか憐憫が混じっていた。