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戦後の皇国軍

 一連の戦争終結後、皇国は軍縮に手をつけることとなった。特に、海軍力については英米仏から強く求められていた。この当時、皇国海軍はまさに世界最強といえたからである。英米仏の海軍を合わせてても、聨合艦隊を凌ぐことはできなかったからである。諸般の事情により、建国当初に予定していた海軍力とは大幅に異なる軍縮にならざるを得なかった。


 中でも、航空母艦については強く求められた。この時点で、正規空母一二隻、軽空母五隻を有していたからである。結果として、皇国は「雲龍」型航空母艦を英米仏に売却することとなった。その内訳は英一隻、米二隻、仏一隻であった。むろん、一部改装ダウングレードしてであったが、これにより、英米仏の要求はかなり緩和されることとなった。


 軽空母は満州国一隻、中華連邦共和国一隻、ルーマニア一隻、米一隻、ブルガリア一隻に売却されたが、レシプロ対潜哨戒機専用、つまり、対潜空母として改装後に売却されているが、これは、対独戦で対潜護衛空母として名をはせていたからである。米はともかく、満州国や中華連邦共和国、ルーマニア、ブルガリアはまったくといっていいほど運用実績がなく、主力空母として運用される予定のため、ジェット戦闘機も運用することになっていた。東欧二国に売却されたのはソ連の動向を睨んでのものであり、皇国の思惑が見えているといえた。


 戦艦については、『大和』は記念艦として呉の「大和ミュージアム」に、ただし、現役復帰もありえるとして淡水化された特設箇所に保存される。横須賀の『三笠』と異なり、限られた場所のみ公開とされた。『金剛』は中華連邦共和国に、『霧島』は東ロシア国にそれぞれ売却されているが、当然としてダウングレード改装されている。


 巡洋艦においては、「こんごう」型、「あたご」型、「すずや」型を除く在来型は各国に売却されているが、VLSは撤去されるなど、こちらもダウングレード改装がなされている。英米仏は「こんごう」型や「あたご」型を望んだとされるが、皇国側は拒絶している。これは、イージスシステムのことが知られたわけではなく、単にVLSの効果を知っていた、それだけであったようだった。そのため、英米仏にはVLSについての情報公開は行っており、装備される対空ミサイルはシースパローとされた。


 駆逐艦はやはり人気があったようで、英米仏を含む多くの国に売却されているが、こちらもダウングレード改装されている。中でも、ポーランドには五隻もが供与あるいは売却されていた。東欧やポーランド、満州国、中華連邦共和国、東ロシア国では、駆逐艦としてではなく、巡洋艦扱いで運用されるようであった。ただし、同時にガスタービン機関の情報が公開され、今後は多くの先進国でガスタービン機関が主流となるはずであった。


 むろん、ソ連は別格であり、史実でも東西冷戦崩壊まで存在したココム規制が皇国主導で実施されている。つまり、ソ連を含む東側(史実よりも遥かに小さい規模であったが存在する)に、技術が流出しないよう処置が取られている。


 そうして、移転暦二〇年には皇国海軍水上部隊は、空母一隻とイージス巡洋艦一隻、駆逐艦八隻で編成された八個艦隊を持つことになる。そして、聨合艦隊は解隊され、非常時のみ編成されるシステムをとることとなった。これは史実の日清戦争後や日露戦争後に行われたのと同じであった。以後、二個艦隊は欧州(一個は主にポーランド、一個はルーマニア)に常に派遣されることとなり、皇国近海(太平洋を含む)では六個艦隊が運用されるようになる。欧州での駐留期限が切れてからは、六個艦隊に縮小されることとなった。


 潜水艦については、「おやしお」型が公開され(売却されることはなかった)、所有艦が三〇隻(一隻は練習艦)とされた。これも、欧州での駐留期限が切れると、二六隻に縮小されることとなった。「しょうりゅう」型原子力潜水艦の存在は長く秘匿され、正式に(非公式には英米仏の情報部は知りえていたとされる)公開されたのは二〇年後のことであった。


 陸軍においては建国時に戻されたが、例外は欧州駐留軍であり、これも駐留期限が切れると縮小されることとなった。その当時には、満州国軍や中華連邦共和国軍の整備が完了し、東アジアでも駐留する必要がなかった、ということにある。そして、陸軍は国土防衛軍としての装備が主流となり、侵攻的装備は縮小されていくこととなった。


 空軍においては総数は建国時に比べて変わらないが、配備先は遥かに多く、これは太平洋各地に進出することが多かったためである。そのため、一個飛行隊の定数が満たされることは稀であった。結果として、空中給油機など部隊展開に必要な装備は多数配備されるに至った。とはいえ、陸軍と同じく、侵攻的装備は極限されることとなった。


 海軍は先に述べたとおりであるが、皇国軍の中ではもっとも侵攻的な装備、空母がその筆頭であった、が装備されている、そして、三個海兵旅団が常設され、太平洋各地に配備されることとなった。つまり、陸軍に代わっての進出といえた。これは、史実の米軍海兵隊ほどではないにしても、有事の際には真っ先に派遣される可能性が高かった。そのため、三個旅団二万四〇〇〇人という規模であった。


 さらに、沿岸警備部隊(旧海上保安庁)もその任務が多くなっていた。海外に進出することは稀であったが、大韓民国や中華人民共和国を含めた近隣各国からの密入国が多発していたからである。これは、近隣諸国内政が安定するまで続き、特に半島の安定が遅れていたため、その監視が必要であったからである。


 総数八四万人という軍事力を持つが、人口が旧日本国の三倍であり、軍事力も旧日本国の三倍より若干多め、ということを考えれば、この軍事力が多いと判断するか少ないと判断するかは意見の分かれるところであろう。さらにいえば、史実の日本では有し得ない領土、千島列島、台湾、新旧南洋領がその範囲にあることを考えれば、少ないといえるかもしれない。旧南洋領が独立したとはいえ、海上警備は皇国海軍が担っており、それなりの軍事力が必要であったといえる。東南アジアの一部、未だ混乱の続く北米、いつ紛争が起こってもおかしくはない中華中央の状況を考えれば、必要といえたかもしれない。


 もっといえば、皇国は国際連合常任理事国である。これが何を意味するかといえば、国連軍を派遣する場合にその中核をなさなければならない。さらに、この世界では技術力が最も高く、各種兵器の最先端を行くこともあって英米仏の注目度も高い。史実のようにお金さえ出していれば良い、というわけにはいかないのである。


 ただし、先にも述べたように、三極構造ともいえる世界でもあり、皇国は必ずしも米英に追従したわけではない。当然として、欧州および米国主導の西側の国力には及ばないものの、中欧や東欧、東アジア、太平洋の島嶼国家という影響国を持つ皇国もそれなりに国力は有していた。だからこそ、米英仏を向こうに回しての主張は強かった。むろん、同じ西側に属するため、米英と意見が一致することが多かったが、そうでない場合は米英に認めさせるべきものを有していたといえる。


 皇国の主張を認めさせる、あるいは通すための軍事力でもあったといえる。結局は軍事力を有しないで自己の主張を認めさせることは困難であり、例えそれが正しくても否決されるということになる。そして、影響国の国力をあげた、あるいはあげることがそれを可能にしていたといえた。



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