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戦後の世界

PV三〇万アクセス突破いたしました。読んでくださった皆さまに感謝いたします。

世界地図を見ていたら突然ひらめいたので別の話を書いていたりします。どっちかといえば前作に近いですが。掲載するかどうか未だ未定ですが。私は世界地図を見るのが好きでいろいろアイデアが浮かびます。


 第三次南北戦争終結後のアメリカ合衆国はようやくひとつの国家として再出発することとなった。しかし、史実の第二次世界大戦終結後のアメリカとは異なり、世界に目を向けることは当分ないだろう、というのが、皇国政府および軍の見解であった。ではあったが、既に世界に目を向けているものもいたという。それは武器弾薬など兵器を製造する企業であった。


 事実、第三次南北戦争終結後、中米諸国や海南島の中華民国に武器弾薬の輸出を始めていたのである。むろん、彼らにとって代々の顧客であった合衆国政府および軍が戦争終結により、軍縮に移行することを見越してのものであろうと思われた。しかし、ガーナー大統領は部分的にそれを制止することに成功していたといえる。彼は大規模な公共事業を展開、軍需産業での労働者の数を制限させることに成功していたのである。


 国内的にもいろいろな問題を抱えており、軍にしても、史実のように軍縮を避けるどころではなかったからである。米合衆国自体が度重なる戦争で、人口が六〇〇〇万人強、旧米連合国とあわせても一億人強でしかなかった。そうでありながら、第三次南北戦争当時、合衆国は二五〇万人もの軍を形成していたのである。正しく、国家総動員体制であったと考えられる。


 そうして、合衆国が体制を整え、史実のように世界に目を向け始めたのは南北戦争終結後一〇年を経てからであった。逆にいえば、わずか一〇年で国内問題を解決し、世界に目を向けられるようになったというのは驚異的である。その最たる原因が皇国にあったという学者も多い。それは、独立戦争以来、これまで外国軍の侵攻を受けたことがなかった(例え南北に分かれていたとしても)領土に、平和的にとはいえ、他国の軍が上陸していたことにあった、というのである。


 それは、ニューヨーク州以北に治安維持軍として皇国軍が駐留していたため、だというものであった。南北戦争終結時の皇国軍は欧州および米国駐留軍合わせて三〇万人、満州および東ロシア国駐留軍が二〇万人、太平洋各地に二〇万人、本土に四〇万人、計一一〇万人という軍が展開していた。その圧倒的な軍事力に対して、米国軍は数が多いとはいえ、世界に展開することすら不可能だったことにある。国内の整備を急ぎ、軍の整備を急いだ結果だというのである。


 国際連合が機能し、国連軍構想が機能を始めると、皇国は欧州各国の駐留軍の数を減少させ、最終的にはポーランドに一個師団、ルーマニアに一個師団、ブルガリアに一個師団の計四万五〇〇〇人まで削減している。太平洋各地の軍も、概ね四万五〇〇〇人までに削減している。東アジアでも削減を始め、三万人程度になっていた。


 しかし、史実の東西冷戦構造とは異なり、奇妙な三極構造(皇国を盟主とする東アジアおよび太平洋域と東欧、米英を盟主とする西側、ソ連を盟主とする東側)であったため、各地に軍を派遣せざるを得ない状況となっていた。さらに、史実とは異なり、核という抑止力がないため、各地での紛争が多発していたといえた。


 つまるところ、世界大戦終結および南北戦争終結後は、史実の冷戦崩壊後の世界が出現したといえた。結果として、日英米仏ソの常任理事国が各地に軍を派遣するということになっていた。これが各国に与えた影響は計り知れないものがあったといえる。経済的にも軍事的にも負担となっていたからである。


 ソ連は皇国の「転封作戦」により、史実では東側影響国であった欧州各地を手に入れることかなわず、さらに、日ソ戦争でレナ川以東を消失していた。しかし、これが皮肉にもソ連国内を安定化させるにいたっていた。それはフルシチョフ体制が長く続いたことに現れていた。むろん、幾度かレナ川以東の奪取のために軍を展開したが、国土を得たとしても開発と維持のための費用がかさむという反対意見もあって、軍を撤収していた。


 しかし、核無き世界での勢力圏維持は難しく、常に兵器の開発、軍の派遣、世界大戦以降の技術の遅れから、共産主義の衰退は史実よりも早いと思われた。その理由はソ連より後発国である東ロシア国を含めて、周辺国、満州国、東イスラエル国、中華連邦共和国にすら技術的に劣った製品しか生み出せなかったことにあった。極論を言えば、東南アジア諸国にすら劣るとされたのである。


 メキシコや中米は史実よりもはるかに安定した地域といえた。米国が節度ある行動をとったのも原因であるが、皇国陸軍特務機関の影響も大きいといえた。中南米に展開していた特務機関は南北戦争終結後、表面的には解散ということになっていたが、その実、軍部から移管された公安情報局所属として部分的に活動していた、によるところがあった。もっとも南米においては史実同様の展開を見せていたといわれる。


 アフリカは史実と同じ流れであった。皇国もいくつかの紛争に介入の意思を見せていたのだが、英米仏ソの反対もあって介入できなかったといえる。結果として、悲惨な事態を避け得なかった。


 中東は史実に比べればはるかに安定していたといえる。最大の理由は史実のイスラエルが存在しないからである。聖地からははるかに離れた地である済州島にユダヤ人国家が誕生していたため、多くがこちらに流れたからである。結果、一時的に日英関係は悪化したが、現在は回復の兆しを見せているといえた。


 インドとパキスタンも史実と同様であった。ここには皇国が幾度となく介入の意思を表していたが、英国がそれを望まなかった。結局、史実と同じような展開を見せることとなった。それは当然として中央アジアに影響を与えることになった。


 中央アジアは早くも問題が多発していたといえた。特に、史実と同じく、アフガニスタンが問題であった。皇国は介入をすることは無かった。否、介入の意思は見せたものの、ここでも英仏ソに反対されていたのである。これにはれっきとした理由があった。東アジア、東欧、太平洋域と皇国が介入した地域は彼ら欧米が予想する以上に安定と発展を見せていたからである。皇国に介入されて、皇国よりの政治体制が誕生するのを喜ばなかった、ただその一点にあったといえる。


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