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北大西洋波静か

 先の戦艦部隊による艦隊戦以降、北大西洋での戦闘の発生はなく、聨合艦隊の任務は海上封鎖へと変わっていた。そのため、機動艦隊は四個に分割され、一個航空戦隊(空母二隻基幹)による任務へと移り、聨合艦隊司令部(旗艦『白根』)はセウタに駐留することが多くなっていた。セウタはスペイン領であり、あくまでも借りているということになり、陸上に司令部を置くことは防諜上よくなかったからである。


 つまるところ、皇国対米連合国の戦いは事実上終結していた、といってもよかったのである。以後、両国の戦いは英国やフランスにおける外交上の戦いとなったともいえた。このような場合、軍人が対応することはなく、外務官僚、つまりは大使に依存することとなる。もちろん、稀に司令長官である山口が同席することもあったが、基本的には大使の役目であるといえた。このような対話が成り立つということは、先に終結した日ソ戦と異なるところであろうと思われた。


 また、各地に駐留している皇国軍との会議のため、聨合艦隊司令部要員は空路で出かけることが多かった。そのため、皇国本土から二種類の機体が合わせて四機、セウタに進出していた。この当時、世界最高の性能を持つ、といわれたUS-4救難飛行艇<蒼空>とレシプロ四発輸送機としてはスタンダードなC-10輸送機<戴空>である。沿岸部への輸送は<蒼空>を、内陸部へは<戴空>を使うことが多かったとされている。


 とにかく、聨合艦隊が自ら作戦実施を考えない限りは米連合国海軍との衝突はありえない、そういう状況であった。とはいえ、米連合国海軍に艦艇がなかったかといえば、そうではなかった。この時点で、未だ空母二隻、戦艦二隻、巡洋艦五隻、駆逐艦二四隻が稼動状態にあったといわれている。しかし、それら艦艇は北大西洋まで進出することはなく、沿岸部の各地にあった。ノーフォークが壊滅した今、多くの艦艇はノーフォークには戻らずにいたとされる。


 損害を受けた多くの艦艇はまともな修理施設もなく、半ば放棄されている状態だといえた。聨合艦隊のノーフォークおよび各地の造船所に対する攻撃、その結果といえた。この時点で米連合国海軍はほぼ壊滅したといえた。もっとも、たとえ無事であったとしても、テキサスが米合衆国側に渡ったことで、石油の供給がないこと、輸入が不可能であることから大艦隊の運用は困難であっただろうと思われた。


 聨合艦隊機動部隊、この世界では聨合艦隊=機動艦隊であったが、の任務はこの時点で海上封鎖ということになっていたといえた。<雷電>による強行偵察は続けられていたが、あえて攻撃することはなかったといわれている。時には<流星>による偵察も行われていた。そうして、軍事施設や生産施設が稼動するような兆しがあれば少数機での攻撃が実施されることもあった。聨合艦隊の狙いは、米連合国との停戦あるいは講和にあった。


 また、米合衆国太平洋艦隊司令長官から米合衆国両洋艦隊司令長官となったニミッツ大将と聨合艦隊司令長官山口大将との会談も頻繁に行われるようになっていた。多くの場合、フロリダ州のマイアミで行われることが多かったが、時にはニミッツがセウタまで出てくることもあった。その会談内容は多くの場合、協同作戦についてのものであったとされているが、中でも話題となっていたのが、ノーフォークおよびニューヨークへの上陸作戦であったといわれる。もっとも、山口はあくまでも海軍軍人であって陸軍にまで命令権はなかったため、進展することはなかった。このとき、山口が動かせる陸上兵力は二個海兵旅団一万六〇〇〇人に過ぎなかったからでもある。


 対して、米合衆国においても、地上兵力の多くは内陸部での侵攻に多くが割かれており、海上からの上陸兵力は三万人が限度であったといわれていた。ただ、内陸部での戦いは順調に進んでおり、三/五近い地域をその手中に収めていたといわれている。これは陸軍参謀総長であるアイゼンハワー大将の手腕の成せるところが大きいといわれていた。メキシコ湾からは、フィリピンから転進してきた、ウェインライト大将が北上しつつあり、ほぼ総力戦であった。


 つまり、史実の太平洋戦争末期の大日本帝国と似たような状況にあったのが米連合国であった。大日本帝国は連合国軍の本土上陸前に降伏したため、本土での陸上戦は発生しなかったが、もし、降伏することなく、戦闘を継続していたら、今の米連合国と同じであったかもしれないのである。


 少なくとも、皇国との戦線がなければまた違った結果であったかもしれないが、現実はそうではなかった。つまり、皇国との戦線がなければ、第三次南北戦争はもっと長期化していたのではないか、というのが後の多くの戦史家の見解でもあった。また、米連合国の影響が強かった南米諸国では、内戦状態、あるいは無政府状態にいたっている国もあるとされていた。ともあれ、日英仏は南北戦争の早期終結を望んでいたといわれている。欧州諸国は第二次世界大戦の影響から脱しておらず、自らの植民地に対する影響力の駆使だけで精一杯であり、南北戦争に介入する意思はなかったといわれている。


 このころから、米連合国内でも、反ルーズベルト派が台頭し、講和派、継戦派、統合派などで混迷を深めることとなっていた。また、各州で米連合国から脱退する地域もあった。その代表がアイオワであり、イリノイであった。北部五大湖にまで及び始めていたのである。皮肉なことに、かって第一次南北戦争とその後の第二次南北戦争において北軍、米合衆国に所属していた州で多く起こっていたといえた。


 そのような状況下にあっても、皇国政府および皇国軍上層部は米合衆国からの打診である共同作戦の実施を命ずることはなかった。理由は定かではなかったが、このころ、中華中央での国境紛争がにわかに激しくなっていたからだといわれている。さらに、太平洋各地に領土がある今、北米にまで介入する余裕がなかった、ともいわれている。とにかく、この後。一年半は聨合艦隊と米連合海軍の戦いは起こり得なかったのである。


 そして、これ以降、北大西洋で活躍するのが第六艦隊であった。隷下の三個潜水戦隊一五隻の潜水艦がマダガスカル島を基地にして監視任務に着くこととなる。ちなみに、第六艦隊は潜水艦六隻が削減されたものの戦力は逆に向上していた。彼らはすべてが「しょうりゅう」型原子力潜水艦だったからである。この時点で本国の一六隻とあわせて三一隻の潜水艦がすべて原子力潜水艦となっていたのである。


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