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日ソ講和成る

 冬将軍とはよくいったもので、極寒の地にある東シベリア地方で厳寒期に活動することは一つ間違えば死を意味する。史実の日露戦争や第二次世界大戦では凍傷が当たり前のように発生し、凍死者も多く出ていたといわれている。しかし、この世界では多少異なる。技術の発達により、耐寒装備が充実していたからである。厳寒期においても、皇国軍および満州国軍は活動していた。とはいえ、それでも事故が起きれば凍死の可能性は高かった。


 三月とはいえ、未だ春遠い時期、F-6戦闘機<雷電>がウランウデ近郊の空軍基地を発進した。その数二四機、うち半数が対空装備であったが、残りはその同体内に一二式空対地誘導弾二発を納めていた。ウラル山脈以東、レナ川以西のソ連軍事施設への攻撃であった。一二式空対地誘導弾はASM-4空対艦誘導弾の派生型として開発され、ジェットエンジン搭載で射程は一五〇kmを誇る。


 当然ではあるが、シベリア地方のソ連軍レーダーサイトは○四式対レーダー誘導弾で既に破壊されており、ソ連側は前時代的な対空監視、つまり人による監視を行っていた。仮に基地からの発進は確認されても、どこに向かうかは把握できない状況であったとされている。このときも、基地からの発進は確認されたが、以後の追跡は困難であったとされている。


 もっとも、レーダーが生きてはいても、<雷電>はステルス機であり、当時のソ連軍のレーダーでは捕らえ切れなかったといわれている。しかし、攻撃時においては、爆弾庫の扉を開放する必要があるため、このときにレーダーに捉えられてしまう可能性があった。


 ほぼ同じころ、ルーマニアに駐留する空軍機、戦闘機ではなく、戦闘攻撃機<流星>が一二機発進している。こちらも半数は対空装備であり、残りは○六式空対地誘導弾四発を装備していた。こちらは東、カスピ海方面に向かった。目標はバクーの製油施設であった。


 このころには欧州での戦いはほぼ膠着しており、皇国もソ連側が攻撃してこない限りは攻撃を仕掛けることはなかったという。また、冬であることから、大掛かりな戦闘は発生していなかったともいえた。だからこそ、決着をつけるべきであると考えたのかもしれなかった。


 むろん、スターリンが簡単にはあきらめないだろう、ということは皇国政府も理解していたといえる。しかし、現状ではどうしても戦闘は終了しないわけで、皇国としても戦費のことを考えると早く終わらせたいというのが本音であった。そもそもが、日ソ戦争も日連戦争も仕掛けられる形での開戦であり、皇国が望んでのものではなかったからである。


 そして、<雷電>によるウラル以東の主要生産施設、<流星>によるバクー油田攻撃がそのきっかけを作る事となった。攻撃を知ったスターリンが自国経済を無視した戦時計画を発表したころ、ついに事件が発生することとなった。スターリン暗殺事件である。詳細は不明であるが、場所は彼の執務室であったとされている。彼が執務室にいるときに二個の手榴弾が投げ込まれ、爆発が起きたのだという。


 しかし、この暗殺劇に遭遇した市民の多くが語ったところによれば、爆発が起きてしばらく後、数発の銃声が聞こえたともいわれている。そして、病院に運ぶことなく、死亡が公表されている点もおかしいといえた。つまるところ、爆発後、スターリンはまだ生きていたが、駆けつけた人間によって射殺されたのではないか、というのが皇国政府の見解であった。


 この翌日、史実と同じく、ゲオルギー・マレンコフが第三代書記長として表に出ることとなった。マレンコフは皇国の恫喝ともいえるその後の攻撃に屈する形で停戦、講和のテーブルに就くこととなった。もちろん、裏ではそれなりの密約があったとされている。その後、彼は史実と同じく、集団指導体制を画策したが、すぐにニキータ・フルシチョフに書記長の地位を譲ることとなった。


 この時の講和条件は現状での国境線決定、皇国の占領地を皇国に譲渡する、賠償金は支払わない、というものであった。皇国は復興のための支援を行うことで決着している。当然として、皇国は直接ソ連と国境を接するつもりはなかったので、東ロシア国に譲渡している。満州国や大韓民国とも同時に講和が行われているが、こちらには賠償金が支払われることで決着している。


 皇国がソ連に約束した支援、それは皇国との戦争で破壊された地域の修復に関するものであった。多くの旧式の土木機械(とはいえ、ソ連の有する同様の機械に比べてはるかに進歩したもの)の提供であった。マレンコフやフルシチョフにとっては国土維持よりも、復興著しい欧州に対する優位獲得が大事であったのである。西欧と比べて技術的に劣っていることを理解していたマレンコフは、皇国からの先進技術(むろん、旧式の土木機械のみ)導入によって一気に近代化を目指したものと思われた。


 こうしてソ連は史実とは異なり、レナ川以東を放棄する形で新たに戦後を迎えることとなった。むろん、反共産主義者あるいはソ連にとって好ましくない人物の多くが、このときに東ロシア国に流れており、東ロシア国はこれを受け入れている。結果的にいえば、ソ連はレナ川以東を放棄したことで、史実以上の経済的発展を遂げ、東ロシア国は優秀な人材を得ることに成功していたといえる。


 こうして、世界最大の国土を有していたソ連は一/三を失い、共産主義者に滅ぼされた帝政ロシアが名前を変えて復活することとなった。先にも述べたが、結果的には双方にとってはよい決着をしたといえた。皇国にとっても、これにより、北からの脅威を減らすことに成功しているが、ロシアという国の存在により、軍備が削られることはなかった。もう一つ、大韓民国で発生していた暴動が沈静化したことにより、史実のように狂犬のような隣国を持つことはないと思われた。むろん、満州国が存在しているため、共産勢力の半島侵入は起こりえないとされてもいた。


 しかし、中華中央では中華人民共和国と中華連邦共和国との内戦が激化することとなった。対皇国戦に製造された武器弾薬の多くが中華人民共和国へと流れることとなったからである。結果として、皇国は中華中央に対する関与を続けざるを得ないということになった。これが東アジアで唯一皇国を苦しめることとなった。


 ともあれ、日ソ戦争が終結したことで、皇国は北米と中華中央に目を向けることとなった。ソ連の中華人民共和国への介入が懸念されたからである。これは皇国だけではなく、世界中が目を向けていたといえる。とはいえ、やはり北米に目を向ける国が多かったのは事実であった。東アジア諸国や東南アジア諸国以外で中華中央に目を向ける国は少なかった。また、アフリカや中東で紛争が多発するのはもう少し後のことであった。


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