北米戦線
移転暦一三年二月、ついにテキサス州、ルイジアナ州、フロリダ州が米合衆国の手に落ちることとなった。そして、これ以降、戦局は急速に米合衆国に傾くこととなった。なぜなら、米連合側は石油の供給が不可能となったからである。これがための陸海合わせてのメキシコ湾侵攻作戦であったといえた。むろん、聨合艦隊機動部隊によるフロリダおよびその周辺への航空攻撃も大きく関与しているといえた。
北米陸上戦闘においては、派遣部隊は一切関与していない。支援航空攻撃など行っていないのである。むろん、日合共同声明による武器輸出が米合衆国を支えていたといっても過言ではない。この年一三年初頭、皇国は旧日本国陸上自衛隊が装備していた九〇式戦車の改良戦車の輸出を始めている。改良点は、広大な平原を持つ北米で使用できるようにしたこと、米合衆国で主力砲弾として生産されていた九〇mmライフル砲(もともとは一二〇mm滑空砲)を搭載したことにある。簡単に言えば、九〇式の車体に七四式の砲塔を乗せたものといえた。
輸出しているのは何も陸用兵器だけに限ったことではなかった。軍用機もその中に含まれる。前述したF-3戦闘機<隼>、F/A-5戦闘攻撃機<流星>、そしてこの年になってA-7攻撃機<彗星>の輸出も始めている。とはいえ、最新技術のそれは輸出されてはいない。戦後の米合衆国を見据えてのことであろうと思われた。いずれにしても、皇国から武器輸出がその快進撃を支えているとも言えたのである。
A-7攻撃機<彗星>はF/A-5<流星>の機体を流用したものであり、その諸元は次のようになっていた。全幅一一m、全長一七m、全高五m、乗員二名、自重一万○六八○kg、全備重量二万二七六○kg、発動機石川島播磨重工J79-IHI-17ターボジェット推力八二○○kg×二、武装二○mmバルカン砲一基(弾数五六〇発)、空対空誘導弾×四、誘導爆弾四など最大七五〇〇kgまで搭載可能、最大速力M二.○、航続距離四八○○km(増槽使用)、戦闘行動半径一一五○km、上昇限度一万八〇〇〇mというものであった。
諸元を見ても判るように、輸出機の搭載エンジンはターボファンではなく、ターボジェットであった。これはA-7攻撃機<彗星>だけではなく、F-3戦闘機<隼>、F/A-5戦闘攻撃機<流星>などもそうであり、同推力のエンジンに乗せ変えている。つまり、ダウングレードしているわけで、このあたりにも皇国の世界戦略が見られる。これは未だ戦後の状況が見えないためであろうと思われた。
ちなみに、このA-7攻撃機<彗星>は皇国軍では使用していない。皇国空軍ではF-15ストライクイーグルを使用していたのである。F-3戦闘機<隼>、A-7攻撃機<彗星>はこの時点では輸出専用機ともいえたのである。両機とも米合衆国や満州国、英国、フランス、東ロシア、中華連邦共和国へ輸出されていた。もっとも、英国やフランスでは欧州戦が集結したため、これからは独自の軍用機を開発していくだろうと考えられていた。
とにかく、メキシコ湾沿岸部を手中に収めて米合衆国はさらに攻勢を強めることとなったが、北部ではそれほど動きはなかった。むろん、航空機による空爆は行われていたが、地上軍を移動させることはなかった。いずれにせよ、北部よりも人口が少ない、虐げられている有色人種が多く住む南部から攻勢を強めていく戦略であったようだ。このころ、南部では、有色人による暴動が多発していたことも影響しているといえた。
ともあれ、聨合艦隊機動部隊は内陸部の戦闘には一切関与せず、沿岸部に対する攻撃を続行していた。つまり、米連合国に対する圧力をかけ続けたのである。ホワイトハウスなどいつでも攻撃できるぞ、というわけである。そうして、水面下では停戦に向けた働きかけを行っていたのである。このときの窓口はどこかといえば、英国やフランスであった。駐英国大使や駐フランス大使がおのおの地域で米連合国大使と接触していたのである。
しかし、各大使の個人的な意見はともかくとして、ルーズベルト大統領の態度は変わらなかった。その根源にあるのが、米合衆国に対する皇国製武器の輸出にあったといえた。皇国としては、自らが仕掛けた戦争ではないゆえ、非は相手にあると考えており、停戦あるいは講和条件としてできうる限りの譲歩は考えていたのである。もっとも、相手に戦争を終わらせる意思がない以上、難しいといえた。ではあったが、始めた以上は終わらせなければならなかったのである。
同様のことはソ連においてもいえた。こちらの窓口は未だソ連と良好な関係であるフランスであった。しかし、ソ連にしても、自らの領土を奪われ、あまつさえ、東ロシアなる過去の国が建国されてしまっていれば、おいそれと応じられない、というのが実情であろう。それでも、終わらせなければならなかった。
皇国政府としては米連合国との講和よりも、ソ連との講和を強く望んでいたといわれる。少なくとも、米連合国あるいは米合衆国とは対話が成り立つと考えており、今後においても武力衝突は避けうる可能性が高いと考えていたのである。対して、ソ連とはそれが難しいと考えていた節がある。だからこそ、自らの影響力を残せる国として、東ロシア国の建国を支持したともいえた。そのため、皇国政府と軍上層部はある作戦の実施を考えていた。