打撃部隊奮戦す
聨合艦隊司令部の命令よりも一〇〇浬ほど沿岸部に近づいていた打撃部隊が、まず接触したのは潜水艦であったという。不審電波の発信を傍受した打撃部隊は対潜戦闘を開始した。なぜなら、一隻や二隻の潜水艦ではなかったからである。少なくとも、一〇隻以上の潜水艦による群狼作戦だと思われたからである。少なくとも、打撃部隊司令部はそう考えていたという。打撃舞台の悲劇はこのときに、同海域に長く留まりすぎたことにあった。潜水艦を排除しながら東に進路を取っていれば、被害は極限できたのではないかと思われたからある。
その後、北西と南西からの二つの五〇機近い編隊を探知したという。このとき、艦隊に一隻でも空母があればまた違った結果であったと思われる。対潜戦闘を続ける駆逐隊を尻目に重巡群は対空戦闘準備に入った。これら編隊は潜水艦の発信した電波位置を目指して飛んできたものであったとされている。ここで、対空兵装が旧式のシースパロー搭載であるため、射程が僅かに二六kmしかなかったことがさらに被害を増やすこととなった。合わせて一〇〇機の航空機(F-4戦闘機<ファントム>であったと確認された)は艦隊まで五〇kmの位置で対艦誘導弾を発射している。
合計二〇〇発の誘導弾に対して、最大射程の二六kmでシースパローが発射されたが、迎撃に成功したのは約一/三の八〇発であった。第二射は戦艦群が行い、一/三の迎撃に成功している。第三射は軽巡洋艦が行い、ほぼ半数の迎撃に成功していた。最後の四〇発は個艦防衛システムであるCIWSが対応した。しかし、半数の二〇発が四重の防衛網を潜り抜けて目標に命中したのである
もし、最新の○八式(AAM-4を流用したもの)を搭載していればまた違った結果であったかもしれない。射程が一〇〇kmあり、しかも、発射後の誘導は不要であり、誘導弾の迎撃ではなく、発射母機そのものを撃墜できた可能性が高いからである。ともあれ、二〇発の対艦誘導弾は命中した。
『大和』は艦橋下水線部と第三砲塔に命中したが、被害は軽微であった。『長門』は後楼基部に命中弾を二発受け、後楼が崩壊した。『陸奥』は第二砲塔頂部と艦橋下水線部に命中、被害はないとされた。『那智』は後部甲板に命中、ヘリコプター格納庫がヘリコプターとともに破壊された。『金剛』『比叡』はともに二発が右舷艦橋下および煙突下の水線部に命中弾を受けたが、被害は軽微であった。『榛名』は後楼と後甲板水線部に命中、後楼が破壊され、ヘリコプター格納庫が破壊された。『霧島』は第四砲塔と後部甲板に命中、ヘリコプター格納庫が破壊された。艦自体が大きいため、命中弾が集中したと思われた。
第一戦隊の最も近くにいた『妙高』『羽黒』も命中弾を受けた。二隻ともVLS部分に命中、破壊され、炎を吹き上げることとなった。『高雄』は艦橋基部に命中、電路を破壊された。『摩耶』は第一砲塔に命中、それを破壊された。『熊野』は艦橋上部に命中、レーダーおよび通信アンテナを破壊された。
その後、輪形陣を立て直した打撃部隊は損傷艦を守るように東に避退させたが、殿を進む戦艦部隊に入ったのが、敵大型艦八を確認という報告であった。『大和』から早期警戒装備で上がったヘリからの報告であった。打撃部隊司令長官宇垣中将は、戦艦群と第四戦隊重巡『愛宕』『鳥海』を引き連れて反転したのである。彼らの前に現れたのは米連合国海軍が誇る八隻の戦艦群、「アイオワ」型戦艦、『アイオワ』『ニュージャージー』『ミズーリ』『ウィスコンシン』『イリノイ』『ケンタッキー』、「マサチューセッツ」型戦艦(史実の「サウス・ダコタ」型戦艦)『マサチューセッツ』『インディアナ』であった。
「アイオワ」型戦艦は史実と同じく、満載排水量六万トン近い戦艦としてこの世界でも竣工していた。パナマ運河通過という制限があるため、全幅は三三m以内に収められている点も同様であった。そもそもは、対米合衆国戦における決戦兵器として計画されたが、欧州大戦において航空主兵が明らかになったことで、艦砲による対地攻撃、米合衆国沿岸部への砲撃任務に就く予定であったとされている。
「マサチューセッツ」型戦艦も史実と同じ性能を有していたとされる。もともとは米合衆国海軍の「カリフォルニア」型戦艦に対抗して建造された艦で、初めて四〇.六cm砲を搭載した(史実では「ノースカロライナ」型戦艦)であった。この艦以降、米連合海軍は米合衆国海軍を圧倒するようになったとされている。
彼女たちは、メキシコ湾に現れた米合衆国海軍を駆逐するために、ノーフォークを出港したものであった。もちろん、彼女たちにも先の航空攻撃については知っていた。だからこそ、落武者狩りでも、と考えていたのに違いがなかった。そうしてどちらからともなく砲戦の準備に入ったのである。宇垣は参謀長の進言、対艦誘導弾による攻撃、を却下した。戦艦に有効かどうか不明であるし、敵の護衛艦艇に対して使用すべし、としたのである。こちらには重巡洋艦二隻しかいないのに対して敵には一二隻の駆逐艦が就いていたからである。
この戦いは聨合艦隊にとっては不利な戦いとなることを宇垣は考えていた。なぜなら、敵戦艦群はいずれも一六インチ、つまり四〇.六cm砲であり、八隻で七二門、対して四五.七cm砲が九門、四〇.六cm砲が一六門、三五.六cm砲が三二門の計五七門だったからである。しかし、宇垣らは知らなかったが、『マサチューセッツ』一隻を除けば、ほぼ新兵ばかりであった。さらに、打撃部隊の戦艦郡はパナマでの教訓から、レーダー照準が可能なように改装されていたのである。
レーダー照準が可能とはいえ、それだけで命中するものではない。あくまでも、砲を敵艦に向けるというだけのものである。速度や風といった重要な要因は人が指示してやらなければならない。本来であれば、新型の射撃管制装置を組み込む予定であったが、ジブラルタルへの派遣が決まったことから、それは断念し、測距と砲塔指向だけが可能となっていただけに過ぎなかった。
そうして一五隻の戦艦は南東に向かう形で同航戦となったのである。米連合側指揮官であるリー中将は反航戦から離脱を図ったようであるが、宇垣はそれをさせなかった。打撃部隊は『大和』を先頭に『長門』『陸奥』『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』と続き、『愛宕』『鳥海』はその左舷側を併走する形であり、米連合側は『アイオワ』を先頭に『ニュージャージー』『ミズーリ』『ウィスコンシン』『イリノイ』『ケンタッキー』『マサチューセッツ』『インディアナ』と続いた。護衛の駆逐艦はその右舷側を併走する形であった。
最初に発砲したのは『大和』であった。その距離、三万mであった。それは敵一番艦の『アイオワ』を狙ってのものであった。『長門』『陸奥』が、さらには『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』も遅れじと発砲する。狙うのは自らと同じ位置にいる敵艦であった。むろん、誘導弾とは異なり、初弾から命中というわけにはいかなかった。しかし、目標からはそれほど離れてはいなかった。
リー中将は驚いていただろう。彼はこれほど遠距離から砲撃してくるとは考えてはいなかった。少なくとも、二万五〇〇〇m前後で砲撃戦が始まると考えていたのである。しかも、もっとも遠い着弾地点で三〇〇m、近い着弾地点で一〇〇mと離れてはいなかったのである。そうして、砲撃命令を出した。
この砲戦において、異様な始まりであった、と後に宇垣はいっている。彼らの世界での砲戦とはこのような始まり方はしないからである。最初は各砲塔の一門による砲撃、そして交互射撃、斉射というのが砲戦の流れだからである。事実、彼はそうしようとしたのである。しかし、参謀長がそれを推し止め、最初から斉射を進言したのである。測距はレーダーが行うから狂うことはない、後は命中に必要な各要素の入力だけであるというのである。実際、初弾はどの艦においてもそれほどかけ離れてはいなかった。弾着観測機が上げられないため、正確にはわからないが三〇〇m圏内に収まっているようであった。
そうして四斉射目、『大和』の放った九発は敵一番艦を囲むようにかつ至近に着弾したのが確認された。夾叉したのである。この時点で、敵艦隊との距離は当初より縮まり、二万六〇〇〇mであったと記録されている。夾叉状態になれば、このまま砲撃をつづけていればいつかは命中弾が出るという状態であった。