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パナマ攻略へ

通産PVアクセス二〇万突破いたしました。

ありがとうございます。

外伝で移転当時の話を書こうとして挫折、パイロットの話になっています。他にどんな話しを書こうか思案中です。

お楽しみください。

 移転暦一二年八月一日、皇国はフィリピン戦線の終結に伴い、聨合艦隊所属艦艇のすべてを動員して第二の目標であるパナマ攻略ため、ツバルに集結していた。聨合艦隊司令部も旗艦『鞍馬』艦上にあってフナフティ島沖に錨を下ろしていた。当然として、第一、第二、第五、第六機動艦隊を統括する機動艦隊群司令部も『白根』艦上にあって進出していた。出現した聨合艦隊の戦力のうち、第五潜水戦隊および基地航空隊、中津島の地上勤務要員を除いたすべてが集結していたことになる。さらにいえば、旧日本国の乗員が乗る「こんごう」型イージス巡洋艦四隻が加わっていた。


 とはいえ、聨合艦隊所属艦艇の古参の乗員以外は既にこの地で採用した新規乗員に成り代わっているから、まるっきりの移転組だけで運用されているわけではなかったといえた。特に、軽快艦艇、軽巡洋艦や駆逐艦の乗員は三割近くが新規乗員であった。もっとも、旧日本国からの、というよりも、旧海上自衛隊からの移動はなく、瑞穂州、山城州、秋津州、沿海州、由古丹州、樺太州、台湾州といった地域からの乗員が多い。これは、未だに電装機器の取り扱いに格差があり、旧日本国の軍人の多くは教員という形で任務についていたからである。


 聨合艦隊所属艦艇のすべてがここにあるということは、本国近海以外の防衛はがら空きということになる。米連合国の艦艇はほぼ駆逐されていたが、米合衆国の艦艇に対する警戒が怠っているということになりかねない。が、米合衆国の艦艇の多くは太平洋に存在しないため、その必要がないともいえた。彼らの多くはフィリピンでの航空決戦において大なり小なりの損傷を受け、ハワイやサンフランシスコの海軍ドックに入渠していたからである。


 なお、聨合艦隊司令長官南雲忠一大将にとっては最後の艦隊指揮であることが決まっていた。来年、移転暦一三年三月、南雲は定年退職となることが決定していた。移転してきたときが五五歳であったから、来年で六五歳になるからである。今後、定年年齢が引き下げられていくことは確実であり、最終的には六〇歳(将官以外は五五歳)となることは確実であった。しかし、それがいつになるかといえば、南北戦争が終結し、世界の安定が保たれてからであろう、と考えられていたはずである。


 パナマ攻略作戦の決行日は八月一六日とされていた。作戦内容は、パナマの軍事施設を徹底的に破壊することであり、占領は考慮されていない。作戦は、潜水艦による対艦攻撃および対地攻撃、機動部隊による航空攻撃、戦艦部隊による艦砲射撃となっていた。ただし、パナマ運河そのものの破壊は厳禁とされていた。そうして、この戦いにおいて、初めてその性能のすべてを発揮するであろう一一式巡航誘導弾が使用されることとなる。しかし、性能を秘匿するため、五〇〇km圏で潜水艦が浮上することとなっていた。これら対地攻撃はレーザー誘導方式が使用され、現地に潜入している甘粕機関および北条機関の要員がレーザー照射を担当することとなっていた。


 艦隊は三つの群に分かれていた。ほぼ真南から戦艦および重巡洋艦部隊が、西から機動部隊が、この中間から補給船団がパナマに向かっていた。予定では、米連合国軍に知られることなく、攻撃位置であるパナマ湾沖まで進出するはずであったが、それは適わなかった。サモアを消失した米連合国軍はパナマに大西洋艦隊のほぼ一/三を集結させ、潜水艦も半数を配備し、パナマから扇状に一〇〇〇kmに濃密な哨戒網を敷いていたのである。これは米合衆国に輸出したF-3戦闘機<隼>の戦闘行動半径が八〇〇kmであり、それを考慮してのものであると考えられた。


 米連合国軍の艦艇が少ないのには理由があった。サモア消失後はほぼ全艦艇の三/四がパナマにあったとされる。しかし、大西洋では皇国海軍のもう一つの作戦が実行されていた。それが、原子力潜水艦および第四機動艦隊による陽動作戦であった。特に潜水艦によるよる偵察任務はこれ見よがしにわざと探知されるような行動を取っており、第四機動艦隊にいたっては、アフリカ大陸沿岸、南米大陸沿岸に沿って北上していたのである。むろん、陽動作戦とはいえ、可能であれば、カリブ海側の米連合国軍施設攻撃が許可されていたのである。


 この頃の中米はどうなっていたかといえば、メキシコ、ホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドル、コスタリカといった地域は米合衆国よりで、パナマ以降の南米は倍連合よりという構図であったとされる。これは、米連合国の有色人差別政策に対して米合衆国の宥和政策のほうが都合が良かったからに他ならない。米連合国は幾度か進出を図ってはいたが、その都度大規模な戦争が起こっており、米合衆国の介入もあって未だ達成できていないといえた。


 そういった中米情勢のなか、パナマでも米連合国軍に対する暴動が多発していたといえた。むろん、背後には皇国陸軍特務機関である北条機関の暗躍があったことはいうまでもないことである。もちろん、米合衆国による関与もあったとされる。先頃の日合協同声明が公表されてからは、両国特務機関が合同で行う任務もあったとされるが、それは未だ公表されてはいない。いずれにしても、パナマ地域の治安は悪化していたことは事実であった。


 そんななか、作戦は一部変更して実施されることとなった。当初は、潜水艦による対地誘導弾の攻撃で始まる予定であったが、第一機動艦隊司令長官角田中将の上申により、航空攻撃から実施されることとなったのである。むろん、パナマ地域まで侵入することではなく、五〇〇km地点からの航空機発射型巡航誘導弾による攻撃から始められることとなったのである。もちろん、米連合国軍のレーダー探知を避けるための低空侵入がその基本であった。これはサモア攻略でも使用されていた方法であり、ある程度の混乱の中でなら、一〇〇〇km、一五〇〇km離れた地点からの巡航誘導弾発射も気づかれにくいだろう、という考えもあったと思われる。


 目標は多数存在するレーダーサイトとされた。むろん、○四式対レーダー誘導弾ほどではないが、偵察衛星による目標を設定することで、レーダーサイトへの攻撃を狙ったものであった。次の本格的な航空攻撃では、多数存在する各種レーダーサイトを本格的に破壊することになるのである。そうして、八隻の空母から各二機、計一六機、半数を護衛として対空戦装備とし、残る八機のうち六機には各二発の巡航誘導弾を搭載、残る二機には電子戦ポッドが搭載しての出撃とされたのである。そう、初めての電子戦も実施されることとなったのである。


 さらに、それと同時に各艦に搭載されている対潜哨戒機およびヘリによる潜水艦狩りが実施されることとなった。この時点で、味方の潜水艦一四隻は一度後方に下げられ、ある程度の対潜作戦が終了した後、改めて作戦行動に入るものとされた。ちなみに、この時点で最初に発見された戦艦部隊は機動部隊の後方にあった。これは、戦艦部隊が交代したというよりも、機動部隊が追い越したというほうが正しい。


 そうして、深夜○三○○、最初の攻撃機が『飛龍』を発進したのである。同時に対潜哨戒および潜水艦狩りが実施されることとなった。むろん、皇国海軍が有する対潜哨戒能力は輸出した九七式艦上攻撃機改とは異なる。いってみれば、史実の第二次世界大戦末期の大日本帝国海軍の対潜哨戒機<東海>と、P3C<オライオン>以上の差があったということになるだろう。


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