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日合共同声明

 移転暦一二年四月一日、約二週間におよんだ会談後、日合(米合衆国)双方による共同声明が皇国外務大臣米原芳郎および米合衆国大統領補佐官ジョージ・ダックマンによって公表されることとなった。日合貿易協定である。これによって、欧州の多くの国が皇国と米合衆国の関係修復が予想以上に進んでいると判断しただろう。少なくとも、多国間による太平洋条約や東アジア貿易協定よりは進んだ関係であろうと判断したに違いない。


 これに先立つ形で、皇国、米合衆国、満州国、中華連邦共和国、東イスラエル自治領、大韓民国との東アジア貿易協定が公表されている。もっとも、大韓民国は会議末期に少し加わっただけであり、本来の会談には参加していない。予定では四国による会談であったが、台南で会談の趣旨を聞かされた山口が(実は大井が)他の二国(東イスラエルも国とした)を加えるべきだとしたのであり、大韓民国については会期末でよかろう、としたのである。結局、皇国と米合衆国の予備会談でこれが認められたことになる。


 東アジア貿易協定とは、大韓民国に納得させるためのものであって、実際は皇国、米合衆国、満州国、中華連邦共和国、東エルサレム自治領による対共産協約であった。なぜ、米合衆国が参加しているかといえば、アラスカという領土があったからである。中華人民共和国やモンゴル人民共和国、ソ連に対する防衛協約ともいえるものであった。


 名前こそ貿易協定であるが、実際は異なるものであった。限りなく、軍事同盟に近いものであり、太平洋および北米、中米の安全化にあった。つまりは、北米を除くこれら地域から米連合国の排除にあったといわれる。そして、貿易協定という名の通り、皇国から米合衆国に対する武器援助も含まれていたのである。その最たるものが対空誘導弾であった。このところ、米連合国の地対地弾道弾に押されている米合衆国が望んでいたものであった。


 ここで皇国がリストアップしたのが、航空機であり、地対空誘導弾、空対空誘導弾、空対艦誘導弾であった。航空機では<流星>一一型およびF-3戦闘機<隼>、地対空誘導弾はパトリオットのBASICのダウングレードタイプ、空対空誘導弾はスパロー誘導弾AIM-7E、空対艦誘導弾はASM-1の改良型ということになる。最新型の技術流出は皇国政府としても認めることはなかったとされる。


 むろん、輸出されるのはこれらだけではなかった。米合衆国は米連合国に対して大戦後の技術格差が拡大し、技術的に劣勢であった。米連合国はドイツの技術者の多くを招聘して技術導入を図っていたからである。これは大西洋側にある米連合国と太平洋側にある米合衆国の立地条件による格差ともいえた。その結果が第三次南北戦争勃発という事態に至ったと皇国では推測していたのである。そうして、政策的に遥かに皇国が受け入れやすいこともあって、米合衆国に対する梃入れを政府が決定したともいえた。


 そうして、二国間戦争中でありながらも、皇国の貿易量が増加するという事態に至ったのである。なぜなら、米合衆国が購入する量が半端ではなかったからである。これが皇国内における経済格差が一挙に減少する要因であった。特に、北の三州は大戦を通じて瑞穂州、山城州、秋津州に追いつき、この戦争で各州とも旧日本国に追いつくということになったのである。


 この日合貿易協定が北米勢力を変えた最大の理由だとする戦史家が多いのは事実であった。さらにいえば、メキシコを含めた北米とそれ以南の中米の経済格差が縮まった原因だともいわれている。それはともかくとして、これ以降、米合衆国の反撃が始まったのは事実であり、それが最初に現れたのがフィリピンであった。むろん、米合衆国によるフィリピン独立準備政府の容認も大きな原因であったと思われる。


 とはいってもフィリピン戦線を決定付けた出来事、アーレイ・バーク少将率いる第三二任務部隊による米連合国フィリピン駐留艦隊との艦隊決戦、機動部隊同士による、が発生するのはこの三ヶ月後であった。しかし、それは異常ともいえるものであった。なぜなら、バーク少将率いる機動部隊の艦載機がそれまでのF-100<スーパーセイバー>と異なり、全機が<流星>であったからである。つまり、訓練期間が二ヶ月足らずしかなかった部隊を率いての勝利だったからである。


 輸出されたF-3戦闘機<隼>はAIM-7Eスパローを装備して、米合衆国本土でF-4<ファントム>と死闘を繰り広げ、地対空誘導弾のパトリオットBASIC仕様は侵攻してくる米連合国爆撃機、地対地誘導弾のジュピターを撃破するのはこの協定の締結後、僅か四ヶ月後のことであったといわれている。少なくとも、四ヶ月後には米合衆国による本土での反攻が開始されることとなったのである。


 南北戦争の激化に伴い、北米から東イスラエル自治領に移住してくるユダヤ人が激増、人口が急増することとなった。多くは米合衆国であったが、米連合国からも欧州を経由して移住してくるものが多くいた。大戦後の混乱が続く欧州各国から移住してくるものも多く、移転暦一二年半ばには一〇〇万人を超えていたとされている。南北戦争終結時にはその数一五〇万人にも達していたとされている。


 このとき結ばれた東アジア貿易協定および日合貿易協定に反発したのは米連合国だけではなく、ソ連や中華人民共和国も含まれていた。米連合国とは異なり、自国の一部が東アジアに属していること、そして太平洋に面していることから、いずれの協定にも参加していないことがその原因であったといわれる。もっとも、この二つとも、対共産勢力封じ込めが根底にあるため、ソ連や中華人民共和国、モンゴル人民共和国が含まれないのは当然といえたのである。


 ちなみに、ソ連の太平洋への出口であるウラジオストックやマガダンは交易に訪れる艦船などほとんどなく、あるのは黒海沿岸の都市からの輸送船や貨物船、タンカーなど数えるほどであった。港に停泊中の船舶にしても、その多くは中華人民共和国の客船や貨物船、タンカーなどの姿が見られる程度であった。稀に、大韓民国や皇国の貨物船が入っているが、日常品や医薬品の輸出であり、復路にはソ連からの資源、石炭や鉄鉱石などを満載して離れていったのである。


 黒海からにしてもバルト海からにしても、途中での補給先がないソ連艦艇は米連合国から供与された航続距離の長い輸送船や貨物船、タンカー(ディーゼル機関搭載)でしか行えず、無理をして軍艦を派遣する場合はタンカーや輸送船の帯同が不可欠であったとされる。むろん、これら地域で造船所やドックが建設されていたが、現状では一〇〇〇トン以下の艦艇や漁船程度しか現像できなかったとされている。ちなみに、二〇トン以下の漁船に限っては、皇国からも輸出されていた。


 ともあれ、ソ連と皇国、米合衆国、満州国、中華連邦共和国、東イスラエル自治領、大韓民国との関係はこれ以降悪化していくこととなったきっかけでもあった。それは、ソ連が黒海艦隊あるいはバルト海艦隊から多数の巡洋艦や駆逐艦、潜水艦などがウラジオストックに回航されていることにも現れていたといえる。とはいえ、皇国と米合衆国以外の国は混乱もなく(大韓民国は内政が悪化していたが)、仮初の平和を謳歌していたといえる。しかし、東アジア貿易協定締結以後、各地の国境線では部隊の小競り合いが頻発することとなっていった。


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