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満州国情勢

 満州国はこの五年で大きく変わりつつあった。経済的には大戦特需もあって繊維産業や軽工業で大きく成長していた。皇国の梃入れもあったが、国民自体に国を発展させるんだ、という意思があったからであろう。むろん、国内で石油が採れるということもあった。この時点では、史実の一九六〇年代後半の日本国と同程度まで成長していたといえるだろう。


 人口はこの五年で約一〇〇〇万人増えており、六〇〇〇万人を超えていた。出生率が高く、乳幼児の死亡率が激減したからである。むろん、移民、多くは中国大陸(中華連邦共和国)からであったが、ソ連極東域からの移民も少なくない数があったといわれる。もちろん、これら移民に関しては厳しい審査が行われ、満州国籍を得るまでは最短で三年を要するとされていた。


 そうして、満州国がここまで発展した最大の要因は、満ソ国境および満蒙国境での緊張感の消失にあったといえた。欧州でドイツに大敗し続けていたソ連に、満州や朝鮮に目を向ける余裕がなかったのである。そのため、満州国軍は満ソ国境および満蒙国境にそれまでほど多くの戦力を割く必要がなかったといえる。また、その任務の多くは不法入国の監視に変化していたといえた。ソ連極東域からの移民が多いのはこのためであった。むろん、最初から移住するための移動ではなく、単に難民としての移動であったとされる。


 それが、満州国での待遇、難民であっても働ける環境があり、働けば働いただけ自分に返ってくる政策から、ソ連が欧州で巻き返して国内が安定しだしてからも、帰国するものが少なかった、というのがその真相であった。この当時、満州は戦争特需に沸いており、労働人口が必要であったという理由も存在した。ただし、朝鮮半島の住民に関しては制限が成され、基本的に移民は認められなかったといわれている。


 国軍の多くも、満ソ国境や満蒙国境よりも、西の中華人民共和国との国境に配備されていた。なぜなら、難民の不法入獄が相次いでおり、それを追って人民軍が進入することが多かったからである。それも、ドイツの敗色が濃厚になるまでであった。大戦終結後、国軍の多くは満ソ国境および満蒙国境へと再配備され、住人の移動も制限されるようになった。


 国体的には、完全な立憲君主制議会制民主国家、つまりは、皇国と同様の体制であった。また、国内法の多くは皇国のものに準じており、工業規格から法令、条例のほとんどが皇国のものと変わらない。そのため、貿易隔壁が存在しない、とまで言われるほどであった。


 移転暦一二年初頭、満州国軍は陸軍が常設三〇個師団、四六万人、空軍五〇〇機二万人、海軍は艦艇五〇隻一万人という規模であった。陸続きの国境線では仕方がないとはいえ、陸軍重視型の軍であった。装備においては、戦車は一部九〇式を含む七四式が配備され、六四式自動小銃など、二世代前の皇国の装備であった。空軍はF-3戦闘機およびC-2輸送機など皇国と同じ(皇国は最新鋭のF-6戦闘機に移行中)であった。海軍は近海艦隊であるため、「雪風」型駆逐艦を主体とした二個艦隊、掃海艇、魚雷艇、警備艇を主体として艦隊を有していた。


 特に満州国軍が対ソ配備にシフトしだしたのは南北戦争が始まってからであり、日連開戦以降はそれが明確になっていた。その頃のソ連軍は、ウラジオストックやマガダン、ペトロパブロフスクカムチャッキーに戦力を増強していたからである。さらにいえば、モンゴル人民共和国、中華人民共和国に対する支援、という名の輸出、多くはソ連製の兵器や武器弾薬であった、を行っていたからである。大戦でボロボロにされたソ連国内を立て直すにはそれなりの資金が必要であったのだろうと思われた。


 また、満州国は皇国だけではなく、欧州、主に英国、米合衆国からの資本導入を図っていた。戦後間もない、あるいは戦中であるから、成功はしていないが、実を結びつつあるといえた。これは、皇国の薦めもあってのことであるとされ、皇国べったりでは、国際的に問題が発生する可能性があったからである。現在のところ、満州国は独立国として認められておらず、国際連合(未だ準備中ではあるが)などの国際機関から、日本の傀儡国家である、と非難される可能性が高かったからである。


 中華中央では、中華人民共和国と中華連邦共和国が存在するが、未だ双方とも正式には認められていない。唯一認められているのは、海南島に押し込められている中華民国だけであったからである。設立される予定の国際連合において審議される予定であったが、南北戦争の勃発により、設立が進まない状況であり、暫定的に国際連盟が継続する、理事国は異なる、形で審議に当たっていた。現在、主に機能している国は英国、フランス、皇国であり、米連合国と米合衆国は戦争中であり、イタリアは今次大戦の敗戦国であるがゆえに外されていた。なお、ソ連は国際連盟を除名されているため、含まれない。


 ともあれ、満州国は国際連合において独立国たる承認を得るための活動をしていたといえる。先の大戦中における日常生活用品の輸出もその一環であったといえる。それは、今も続いており、皇国の名前とともに満州国の名前も欧州では知られつつあったといえた。西欧には満州国製が中心で、東欧を中心に欧州全域に皇国製が輸出されていた。特に、国家総力戦で戦ったドイツ国内は日常生活用品や医薬品などのあらゆる物資が窮乏しており、皇国が輸出を担当していたが、それ以外の西欧では満州国製が多数出回っているという状況であった。


 輸出といえば、中華連邦共和国に対しては石油、軽工業品などが輸出されており、逆に鉄鉱石などの資源を輸入していたが、その多くはバーター取引であった。満州国と中華連邦共和国の関係は比較的良好で、一部ではバーターではなく信用取引を導入しているところもあったといわれる。これは、中華連邦共和国が満州国を容認する方向で交渉を進めており、中華民国とは一八〇度異なる政策を取っていたからだとされる。


 そう、この時点で、中国でもっとも安定していたのが満州国であったとされている。むろん、満中国境線では常に小競り合いが続いていたが、それでも、経済情勢、国内治安などの国内情勢、対外的な政策などを見れば、満州国がもっとも安定していたといえるだろう。中華連邦共和国と中華人民共和国は長い国境線があるため、常に各地で小競り合いが発生していたため、経済的にもいま少し安定化に欠けるといえた。


 ともあれ、満州国は史実の日本と同じく、バブル期の入り口にいたといえる。それほどに状況が似ていたといえるだろう。皇国としても、軍事面で独り立ちしてくれれば、対共産圏包囲網の中心になると考えていた。これで負担が減るからである。そうして、もう一国、中華連邦共和国が現在の満州国ほどに安定してくれれば、皇国は海という隔壁で閉ざされているとはいえ、国境を接するソ連に集中することが可能となる。


 半島には皇国はそれほど望んではいないといえた。代わりといえるのが自治権を与え、独立を目指している済州島、現東イスラエル自治領であり、同自治領に求めているのは一時も早い独り立ちであった。当初、米連合国が食指を伸ばしていたが、その政策に反発した住民が排除に動き、現在では米合衆国が進出し、南北戦争の勃発により、米連合国は同地域から撤退していた。


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