再び悪夢が
第三次南北戦争の主戦場は、フィリピンと南太平洋であったといえる。むろん、北米大陸でも戦闘は発生していた。ルーズベルトの狙いは北米統一にあったとされるが、それではなぜフィリピンや南太平洋でも戦いが起こっているのか疑問が発生する。そして、皇国の多くの軍人、政治家たちは、米合衆国を東西から攻めるための作戦であろう、と考えていた。
しかし、皇国の一部軍人は異なる見方をしていた。その代表が現聨合艦隊機動艦隊群司令部主席参謀である大井保海軍大佐であり、司令長官である山口多聞大将であったとされている。現第一機動艦隊司令長官は角田覚治海軍中将であり、第二機動艦隊司令長官は草鹿龍之介海軍中将であった。ちなみに、機動艦隊群司令部とは、陸上にあって四個機動艦隊を統括する上級司令部であった。一個機動艦隊はこれまでの空母四隻から二隻に減じられていた。つまり、一個航空戦隊が一個機動艦隊と編成換えされたのである。そして、第五機動艦隊司令長官は加来留男少将、第六機動艦隊司令長官は柳本柳作少将であった。
搭載機数は少ないものの、一機あたりの戦闘力がこれまでの搭載機に比べて数倍の戦闘力を有していたこと、戦後の軍縮の一環として実施されたものであった。そして、聨合艦隊は巡洋艦部隊、水雷戦隊、駆逐隊、機動部隊、基地航空隊、潜水戦隊が主で、戦艦部隊は従であるとされていた。そして、機動艦隊群司令部は聨合艦隊司令部よりも勢力を広げつつあったのである。これは、将来的には、機動艦隊群司令部が海軍の要となるといえたからであろう。ここに、海軍作戦本部が南雲忠一大将を聨合艦隊司令長官に指名した意図が見えるといえた。
山口たちの、というよりも、大井の考えはこうであった。現状では米連合国が米合衆国を凌駕するのは確実であり、北米統一も可能であろう。そして、欧州だけではなく、アジア域にまでその影響力を広げるためには、世界に知られている皇国を抑える必要がある。フィリピンを手に入れるのは、東南アジア域に対する進出のための基地とすることにある。また、ハワイを手に入れたなら、中部太平洋域に介入の足がかりとするであろう。こうして、北米を統一した暁には、両洋への進出を図る、そのための作戦であろう、としたのである。北米が統一された後、その工業力と生産力をもって東アジア進出を図るであろうともしている。なぜなら、皇国は別としても、六億の人口を有する巨大な市場が中華中央にあるからである、ともしている。
この世界では、これまで国際通貨はポンドであり、フランであり、ギルダーであった。ここに最近は円が加わっていた。そして、欧州では開戦の結果、ドルが幅を利かせつつあった。多くの国の国債購入をはかり、その支払いにドルが使用されていたからである。少なくとも、欧州ではドルが国際通貨になり始めていたのである。それを世界に広げるための戦略であろう、と考えてもいたのである。なぜなら、東アジアや旧南洋領では円が多く流通していたからである。この円の拡大を防ぐための戦略がルーズベルトの政策の中にあるとしていたのである。
ともあれ、南北戦争介入の意思のない皇国ではあったが、情報収集だけは怠っていなかった。広域的には偵察衛星が使用されていたが、局所的には潜水艦が多用されていた。その多くは電波傍受によるものであり、艦艇の調査とデータベース化であった。ご存知のように、まったくの同型艦であっても、スクリュープロペラによる個性が生まれる。そうしたデータの採取にも潜水艦は有用であった。
しかも、通常動力潜水艦とはいえ、「はるしお」型にしても「おやしお」型にしてもこの当時の潜水艦よりも高性能であり、潜行時間や潜行深度などをはるかに凌駕する性能を持っていた。原子力潜水艦である「しょうりゅう」型にいたっては、この世界では想像できない能力を持っていたといえるだろう。フィリピン方面を担当する第五潜水戦隊はパラオのコロール島に根拠地を持つが、ここは皇国が租借するという形を取っており、大きくはないがバランスの取れた海軍基地といえた。そうして、ここには聨合艦隊第六艦隊パラオ司令部が存在する。そこにはフィリピン戦線における情報が次々と入っていた。
それによれば、米連合国はレイテ島、ミンダナオ島、ボホール島、セブ島の南東部の島をほぼ占領下におきつつあり、レイテ島には航空基地が設営されて、ルソン島やミンドロ島の米合衆国軍に対する空爆を実施しているという。しかし、それ以外の島には上陸する気配もなく、現在は空爆中心の攻撃が行われているという。つまり、膠着していたといえる。
他方、米合衆国軍は迎撃任務とルソン島およびミンドロ島にこもっており、あえて米連合国軍に対する上陸阻止作戦は行っていないようであったとされる。米合衆国海軍は潜水艦の何隻かを除けば艦艇は存在せず、ハワイからの応援を待っているかのようであったとされる。これは開戦当時、艦艇の多くはハワイへと戻り、空母は航空機輸送任務に着いていたからだとされている。
米合衆国空軍においても、ハワイはともかくとして、フィリピンには大型航空機である爆撃機などは配備されておらず、あくまでも戦闘機の配備を行っていたに過ぎない。しかも、航続距離の問題もあって、空母による輸送が必要であった。米連合国においても、航続距離の問題で、爆撃機はサモアに配備できず、航空戦力は戦闘機のみであり、これも空母による輸送が必要であった。しかも、太平洋に派遣されている空母は四隻だけで、大西洋にある四隻の空母がカリブ海から発艦、太平洋側の空母が着艦させるという方法で輸送していたようである。
だからこそ、太平洋では機動部隊同士の激突か潜水艦による襲撃しか起こりえなかったのである。ちなみに、両国ともに射程五〇~一〇〇kmの艦対艦誘導弾は開発されており、同様に射程五〇kmほどの空対艦誘導弾も開発されていたとされる。さらに、大戦中に英国から対潜誘導魚雷の技術を入手し、開発に成功、配備していたとされている。いずれにしても、皇国からすれば、二世代前の技術程度であったとされていた。誘導弾はいずれもセミ・アクティブ・レーダー方式であったからである。
そんな状況に変化が訪れたのは、移転暦一一年四月のことであった。米連合国機動部隊によるルソン島の米合衆国軍司令部および軍事施設に対する空爆が実施されたことによる。このとき、米合衆国軍はレイテ島からの空場に対応しており、海からの攻撃に対する対応が遅れたのである。こうして、米合衆国軍は甚大な被害を受け、以後は米連合国軍に戦局が傾いていくこととなったのである。さらに、射程一〇〇〇kmにおよぶとされる弾道誘導弾、ジュピター誘導弾による無差別爆撃を受け、米合衆国の勢力は確実にそがれていったのである。
しかし、この弾道誘導弾「ジュピター」による攻撃は米連合国にとっても皇国にとっても悲劇を引き起こすこととなったのである。それは、未だ未成熟な誘導システムであったが故のことであった。それが台湾の高雄港を出港してトラック島に向かっていた輸送船団、グアムでの事件発生以来、二隻の護衛艦、多くは「あさぎり」型あるいは「むらさめ」型の旧海上自衛隊艦艇で、ヘリコプター搭載能力を撤去されていた、が付いていた、に制御不能となった二発が襲い掛かったのである。結果、護衛艦一隻が沈没、輸送船一隻が沈没、いずれも轟沈であり、乗員は一人も助からなかったのである。
弾頭炸薬量が一〇〇〇kgもあれば、五〇〇〇トン型貨物船や三五〇〇トンの護衛艦などあっという間もなく沈んでしまう。このとき、護衛についていたのは「あさぎり」型であり、このクラスの艦には、弾道弾迎撃のための兵装は装備されていない。装備されているのは、かっては誘導弾護衛艦(DDG)と称されていた「こんごう」型および「あたご」型、そして最新鋭の「すずや」型だけであった。このとき、犠牲になったのは護衛艦乗員二二〇名と輸送船乗員三〇名であった。
この報が世界に向けて発信されたとき、欧州の多くの国は内乱が二国間戦争になるのではないか、と判断したといわれる。それほど、発信された内容が米連合国に対して辛辣であったのである。当然として、皇国政府は米連合国に強く抗議し、謝罪と賠償を求めている。
対して、米連合国大統領ルーズベルトは誤った対応をしたといえた。それは、わが国の攻撃ではなく、もう一つの米連合国(米連合国は米合衆国を認めず、公式には反乱集団としている)の仕業であり、わが国が謝罪する必要はないし、賠償をする必要も認めない、というものであった。これに対して米合衆国は、わが国にはあのような無差別殺戮兵器を製造するつもりはなく、仮に、あったとしても、第三国に攻撃を加えることはしないだろう、と表明している。
この頃、国際連合は未だ設立準備中であり、それも北米の二国が戦争を始めたため、さらに遅れることとなっていた。そのため、皇国は唯一まともに対応できる英仏両国と協議し、ある約定を取り付けると、米連合国に対して最後通牒とも取れる通告を行っていた。